蝕むモノ

「夢のあとだな」


 溜息と共に思わずこぼれた言葉。

 目の前に広がるのは破壊し尽くされ燃え盛る特効薬の製造工場……それも最後の。


 人類がゾンビ・ウイルスの脅威に曝されてから、わずか一年半で特効薬が完成した。しかも発症後24時間以内の投与であれば完治率は100%で、それ以降の投与であっても完治率は下がるものの効果はそれなりにあるという、薬としては申し分ない効能だった。

 だがその対応の早さが、疑心を招いた。

 陰謀だ、生物兵器だ、その特効薬こそが最も危険なモノだ、などなど。

 それゆえ、一部の無責任な煽りにそそのかされた輩や、乗じてストレス発散したいだけの暴徒が、彼ら自身の独善的な正義を貫かんと世界中で凶行に及んだ。

 結果的にこの特効薬は全人類に行き渡る前に、それに関するモノ全てが次々と破壊されていった。それには特効薬研究に勤しんだ医者や薬剤師、企業、その家族や関係者までもが含まれていた。

 ゾンビよりも危険な正義によって。


 それでもこの医療や科学に対する蹂躙を、正当化する者は少なくなかった。

 それはこの特効薬が、ゾンビ・ウイルス発症前に打つと錯乱し攻撃的になるという副作用のせいだとされた。特効薬が悪いのだと。

 そうして大義名分を得た凶刃は、このギャンブル的な副作用の可哀想な犠牲者をゾンビとして葬った。特効薬の使用方法については初期段階から説明されていたにも関わらず。さらに説明を聞かなかった人々と、そういった人々によって身内や仲間を殺された人々の怒りは、特効薬へと、特効薬によりゾンビにならずに済んだ者たちにまでも向けられた。

 また、特効薬に対する不信から、なかなか特効薬を打たず、結果的にゾンビ化してしまった者や、反特効薬勢によって特効薬を奪われ、ゾンビからの治療が阻害されてしまった者たちの存在が、「特効薬は効かない」というデマを拡大させることになった。

 人類は、ゾンビ・ウイルスに立ち向かうことよりも、泥沼の疑い合い、殺し合いを選んだ。

 やがてゾンビは蔓延り、人類はまともな社会生活を送ることができなくなるくらいにまで追い詰められた。

 人類は、ゾンビにではなく人類自身に負けたのだ。


 最後の工場を守りきれなかった最後の医師は、非ゾンビにより負わされた致命傷を一瞥し、それからゆっくりと目を閉じた。


「もしかしたらゾンビ・ウイルスは、この地球から人間というウイルスを駆逐するために作られたワクチンだったのかもしれないな」


 その声は、勝どきの声を挙げている反特効薬勢の歓声にかき消され、そんな彼らもまた、ゾンビの大群に呑み込まれた。




<終>

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