異変~ルゼside~

「早く見つけろ!早急に連れ戻せ!」

「王妃様ー!どうか姿をお見せくださいませ!」


今、町の中は『王妃』の名を叫びながら町中を駆けずり回る宮殿の侍従や兵士達で大賑わいだった。

だが決してめでたい賑やかさではないことは、彼らの慌て方を見れば一目瞭然であった。


町の通りを血眼になって探す者。町民に片っ端から尋ねる者。路地裏まで足を伸ばす者。何を思ったのか、外に置かれた箱や樽の中を覗き込む者。皆それぞれの方法で王妃を探しだそうと躍起になっていた。


「式を挙げてからこれで何度目の脱走なのか!探すこちらの身にもなってくれよ全く…!」


町のあちこちを見渡しながら、うんざりした様子の兵士が不満そうに後散る。


どうやら『王妃』が宮殿から姿を消してしまったようだ。


しかも『脱走した』と言っていたことから、王妃自ら宮殿を抜け出したようだ。しかも一度や二度ではなく、頻繁に抜け出していると予測できる。一国の王妃が行方不明となれば、大掛かりな捜索になるのも当然であろう。

頻繁に奇行に走り続ける王妃。それに振り回される自分たち。そんな毎日が繰り返されれば、兵士の愚痴もごもっともと言えるだろう。くたびれた状態を取り繕うことも忘れ、近くの民家の外壁に寄りかかり、一息つく。


いっそこのまま路地裏にでも身を隠してしまおうか。適当なタイミングで何食わぬ顔で戻ってくれば、ばれることはあるまい。

そんなことを考えながら手頃な隠れ場所がないか兵士は辺りを見渡す。


だが、すぐに己の怠慢を後悔することになる。


「ああ!陛下がおいでだ!」

「皆の者!頭を垂れよ!!」


突然声が聞こえたかと思ったら、周りの兵士は町の通りを向いて敬礼し、侍従たちや町民たちはその場で膝をつき、深く頭を下げる。


この国の王であるファラオが、町の通りに現れたのだ。


ファラオは侍従や兵士達と異なり、取り乱すことなく凛とした佇まいを崩さない。

だが平静を装っているものの、何かを探すように周囲をしきりに見渡している。

そして愚痴を言っていた兵士に静かに詰め寄った。


「妃はまだ見つからんのか。」

「申し訳ありません!只今宮殿の者達が総出で捜索しておりますが、未だ足取りがつかめず───」


慌てて姿勢を正し、敬礼をしながらファラオに応対する兵士。だがその顔からは滝のような冷や汗が流れ、体が震えあがらせて萎縮している。

サボろうとしたのがばバレたのか、それでなくとも未だ見つかけらないことを咎められるかもしれない。

だがそんな兵士の恐怖など気にかける様子もなく、ファラオは頭を抱えながらも言葉を続ける。


「もうよい。探索を続けろ。」

「はっ…はい!!失礼いたします!!」


どうやら首の皮一枚繋がったようだ。安堵する兵士は。すぐに兵士はその場を急いで離れ、仕事に戻る。


その背中を見届けたファラオだが、まるでそのやり取りが最初からなかったかのように再び周囲を眺めてみる。


周りにはいつも通りの砂の世界。そして自分に深々と頭を垂れる民たち。

そのどれもがファラオにとっては当たり前の風景だった。

生まれてきてから今まで見続けてきた光景。それはこれからもずっと変わることはないだろう。

今探している王妃も、いずれは目の前の彼らと同じく自分に平伏するようになる。


『運命の書』にもそう記されているし、何より自分は、この国で最も偉い王様なのだから。


ファラオはそう思っていた。あの婚儀の日までは…。


「陛下!!この先の港に向かう王妃を目撃したと町民達が!!」


物思いにふけるちょうどその時に、兵士の一人が大慌てで駆け寄ってきた。

待ちに待ったその報告を聞いたファラオは居ても立っても居られず、兵士に返事をすることも忘れて大急ぎでその方向へと駆け出した。







「ああ!姫様!そのようなことは我々がいたしますゆえ―――」

「いいからさっさと終わらせるわよ!!」


自己主張の激しい太陽と青空の下、巨大な船が横一列にいくつも並ぶ大きな港。その波止場では古びたローブを着た者や腰巻のみの姿をした者たち─―おそらくは奴隷だろう――が、積み荷と思われる袋を次々と船へ運んでいく。

その中に一人、頭一つ抜きんでた活力と、場違いなほどの華やかさを振りまく女性が一人。


恐れ多そうな態度の人々を尻目に、テキパキと袋を運んでいく『王妃』と呼ばれた女性―――すなわち、ルゼの姿がそこにはあった。


息もだえだえな奴隷達が疲労で体を震えさせながら一つずつ大きな袋を運ぶ。その中で彼女だけは、袋を二つ、三つ、四つといっぺんに、何食わぬ顔でせっせと運んでいく。


やがて港にあった荷物の山が瞬く間に船に収まった。

ルゼは全ての荷物を運び終わったことを確認すると、船のすぐ側にいた身なりの良い男に詰め寄る。


「はい!じゃあこれで全部!もう文句はないわよね?」

「へ…へい!!お手数をおかけして―――」

「この炎天下でこんな量の荷物を休みなく運ばせるなんてどういうつもりなのよ!!あれ見なさいよ!もう何人もぶっ倒れてるじゃない!!!」

「ひぃ!!」


男はルゼにすかさずゴマをすろうとするが、彼女はそれすら許さない。間髪入れずにルゼの怒鳴り声が響き渡る。

怒鳴りながら彼女が指さした先には、日陰でぐったりしている奴隷と思わしき人々の姿があった。彼らの体は傷だらけで、疲労もたまっているのだろう。もはや立つこともままならないといった様子だった。


「し…しかしこ奴らは私が買った奴隷共でございます!仕入れた値段分の働きはしてもらわなければ、うぐぅ!?」


怒る王妃に恐れをなして尻込みをするものの、自らの主張をやめない。

こいつらは自分の所有物だと。どう扱おうが自分の勝手だと。

だがその主張も、ルゼが男の頭を掴むことで遮られた。


「ボロボロになったこの人たちを労うならともかく、痛め付けるのが上の立場の人間のすることか!彼らがいないと仕事もままならないくせに!あんたがこの人たちの主っていうなら、ちゃんと面倒をみなさい!それと…。」


ルゼが自分の足元にクイッと顔を向ける。男がそれにつられて視線を向けると、視線の先から怯えた顔の子供が二人顔を出した。


「いっ…!いつの間に!!」

「他の荷物と一緒に袋に詰められてたのを見つけたのよ。これは一体どういうことかしらね?」

「えっ、いや、これはちょいと訳アリで…。」

「あ?」

「ぐぎっ!?」


なおも言い逃れを図ろうとする男の頭を掴んだ右手に、ありったけの怒りと力を込める。掴まれた頭から、ミシミシと骨が軋む音が微かに聞こえてくる。


「今度こんなふざけたことをしたらこの頭握りつぶすわよ。クソ野郎。」


脅しともとれるその発言に、男は答えなかった。よく見ると口から泡を吹き、白目を向いている。ルゼからの圧と握力によって、もう意識を手放しているようだ。気を失った男から手を放すと、男は糸の切れた人形のように膝をついて倒れた。


「…これは一体どういうことだ。王妃よ。」


そこへ己にかけられた一つの声。振り返るとそこには、大勢の護衛を引き連れたファラオが立っていた。

ファラオが発した声は決して大きくはないが、騒がしかった港に不思議と響きわたり、その場にいたすべての者の耳に届いた。

船乗りも、奴隷も、港中の人間がファラオの存在に驚愕し、跪く。皆、ファラオに平伏しきっていた。


ただ一人、ファラオが声を掛けた王妃を除いては。


「この男がこの人達に鞭を打って無理やり働かせていたから、止めさせただけよ。そしたら『こいつらがモタモタしてるから』なんて言うから、あたしも手伝ってやっただけ。」


王を目の前にしても全く臆せずにルゼは告げる。

ルゼの言う『この人たち』とは、周囲の奴隷たちのことであろう。だがファラオは王妃の言葉に納得しない。


「この者達はその男の奴隷であろう?其方が関わる理由などあるまい。」

「奴隷なんてどこにいるのよ?あたしはただ、理不尽に痛め付けられた人達を見てられなかっただけよ?」

「理不尽だと?決まった主に忠義を尽くすのが奴隷の本分。至らぬならば叱りを受けるのは当然であろう?」

「至らなければどれだけ傷つけてもいいの?立場が弱ければどう扱ってもいいの?人を物みたいに扱うのがあんたの国の政治なのかしら?とんだ腐れ国家ね!!」

「奴隷制度は先人達が築き上げた伝統ある制度だ。其方の行いは歴代のファラオ達への侮辱だぞ!」

「ずいぶん自分達に都合のいい伝統だこと!自分達よりも弱い人たちに無理強いをして自分達だけのうのうと楽をしようっていうの?それは世間じゃ弱い者苛めっていうのよ!!」


相も変わらず王に臆せずに抗議するルゼ。

だが彼女の発言は、彼にとっては先人たちの今日までの積み重ねた歴史を否定する、許し難いもの。今まで国に尽くし、果てた先祖たちを蔑ろにされて黙っているほど、ファラオもお人よしではない。


公の場にも関わらず治まることを知らない二人の王族の喧嘩を、周囲は怖じ気づきながら見守るしかなかった。

民達が恐怖に身を震えさせる中、兵士達がこそこそと話をするのが僅かに聞こえてくる。


───ホントメチャクチャなお方だよな、王妃様。俺たち国民にとってファラオは神にも等しいお方だと言うのに、あの態度だぜ?ある意味尊敬するよ…。───

───おい、これ以上はヤバイだろ。だれか王妃様止めてこいよ。───

───え…やだよ。あの王妃様に兵士が何人ボコられたか知ってるだろ?俺らじゃ敵わねぇよ…。───

───婚儀を挙げてからほぼ毎日あの調子だよな。王妃様も懲りないお方だよ。───


怯えるというよりも、辟易した様子の兵士達。兵士の一人が言った通り、彼らにとってこの光景は最早日常と化していた。


~~~~~


婚儀当日。


町は先日開いた演説以上に賑やかになっていた。

町の通りの両脇には溢れんばかりの民衆が王と新しい王妃の到着を今か今かと待ちわびている。皆これから来る主役の邪魔にならないように、


そしてその時は訪れた。


何十人もの兵士たちに囲まれながら、金銀宝石で作られた装飾品で着飾ったファラオと、日の光を反射して輝く純白のドレスに身を包み、顔を覆う半透明のベールを頭から被った新王妃が現れた。

毛並みの整えられた馬が引く馬車に乗り、揺られながらその姿を民衆に見せつける。

その厳かで優雅な佇まいに、民衆の誰もが目を奪われた。


───おお…お二人ともなんと神々しい…。───

───神にも等しきファラオの婚儀を間近で見れるなんて…。───

───私こそ妃に相応しいのに!何であんな娘が選ばれるのさ!───


その民衆の顔には、崇拝、羨望、新王妃への嫉妬、様々な感情が一人一人から読み取れた。ファラオはひそひそと騒ぎ立てる民衆には一瞥もくれることなく、真っ直ぐ前を見据える。

花嫁である新王妃も同じく、ただ正面だけを向いて揺られていた。


「はやく!こっちだよ!」

「あっ!そっちはダメ!!」


だが予期せぬ事態が起こった。

小さな男の子と、姉弟と思われる女の子だろうか。二人の子供達が行進中の兵士達の前に飛び出してきた。


「危ない!」


反応したギャラリーが咄嗟に大声をあげる。

兵士達と馬車を引いた馬が慌てて手綱を引っ張り、驚いた馬が前足を上げて荒ぶる。


「うぉっ!なんだ!?」

「どうどう!暴れるなって!!」

「陛下!王妃様!ご無事ですか!?」


先導していた兵士達が荒ぶる馬を必死に宥め、馬車を囲っていた兵士達はすぐさま馬車に乗ったファラオと王妃に駆け寄り、その安否を確かめる。

大通りのギャラリーはあまりの事態に一気にざわめき出した。

あるものは「なんだあのガキ共は!」だの「親はどこだ!」だの「すぐに引っ込ませろ!」だのと怒号を飛ばし、ある者は予期せぬ事態に錯乱し、またある者は状況を理解できずに呆然と立ち尽くす。


式の行進はパニックに陥った。


各々の兵士達が事の収拾に当たっている中、行進の先頭にいた一人の兵士が飛び出した子供達に近寄る。

そして腰に下げていた剣をゆっくりと抜き、子供達に見せつけるように構える。


「このクソガキ共が…。」

「ひっ…!」


剣を向けられて怯える子供達に対し、顔に青筋を立てた兵士は容赦なく剣を振り上げる。


「ご…ごめんなさい…。」

「ゆるじでぐだざい…。」


震えながら謝罪する二人の子供。男の子に至ってはあまりの恐怖に涙と鼻水が垂れ流しになり、その顔はぐしゃぐしゃになっていた。

怯えながら跪いて許しを乞う二人に対し、兵士は。


ドガッ!!


「「ぎゃあ!!」」


地を這う羽虫を潰すかのように、子供達を踏みつけた。


「許してもらえると思ってんのか!!陛下の神聖な式を台無しにしやがって!これだから貧民のガキは!!」


まるでゴミを扱うようにように子供達をグリグリと踏みにじる。軽蔑に満ちた目で子供達を睨み付けまた剣を振り上げる。

その悲惨な光景を見ていた民衆が、咄嗟に目を背けたり瞑ったりするが、兵士はまるで気に止めない。


「死ね!ド汚ねぇゴミ虫が!!」


今度こそその手の刃が振り下ろされる。






「おらぁ!!!!」

「ゴファ!!??」


その凶刃は子供たちに届かなかった。それどころか、何者かが兵士のわき腹を背後から蹴り、そのまま吹っ飛ばしたのだ。蹴られた兵士は勢いはそのまま宙を舞いながら通りの端へ飛び、民家へ激突する。


その光景に、兵士達も、民衆も、その場にいた誰もが呆然となり、言葉を失った。体に受けたダメージで痙攣する兵士に向かって、蹴りを入れた張本人が怒鳴りつける。


「怖がる子供に向かってゴミだの死ねだの!その上暴力ふるって挙げ句の果てには殺そうとするとかどういう神経してるのよ!!大人げないにも程があるわ!!!」


その場にいた全ての者にとって、何もかもが信じられなかった。


身を呈して赤の他人を庇う行為も。

城の兵士が容易く蹴り飛ばされる光景も。

その兵士に対して怒鳴り散らす者がいることも。


なによりその全てを行ったのが他ならぬ花嫁──ルゼ──であったことも。


当のルゼ本人は周囲の視線など意に介さず、子供達の方を向く。兵士に踏みつけられた苦痛で這いつくばるのがやっとの子供達は、ルゼに目をつけられたことでビクッと体を震えさせる。


「あ…あぁ…。」


最早言葉すらまともに紡げなくなった二人の子供。視界にその二人を捉えたルゼは遠慮なく二人に近寄る。

また痛いことをされるかもしれない。そう思ったのか、子供達は互いを抱き締めあって固く目をつぶる。


ぎゅっ。


「…え?」


だが、いつまで経っても痛みはやってこなかった。


「ごめんね。怖がらせちゃったね。もう痛いことも怖いこともないからね。」


ルゼはその場で膝をつき、子供達を両手で優しく抱き締めたのだ。予想外の反応にポカンとした顔を浮かべる子供達の背中を、赤子をあやすようにポンポンと柔らかく叩く。


「でも、急に飛び出したらだめ!今みたいに誰かにぶつかったりするかもしれないんだから!次からはちゃんと周りを見なさいね?」


そして子供達の顔を改めて見つめ、今度は少し険しい顔で叱る。だが斬りかかった兵士とは違う。むやみに怒鳴らず、諭すように嗜める。彼女の言葉に子供達はこくりと頷く。泣きすぎて目元が真っ赤に染まっていたものの、その顔には涙はもう流れていなかった。


「よし!言い子達ね!」


再び彼女は子供達を抱き締める。すると子供達の顔には、だんだんと笑顔が灯りだした。


「ありがとー!おねーちゃん!」

「こ、こら!『おうひさま』でしょ!?」


笑顔を浮かべた男の子が王妃であるルゼに対して気安い愛称で呼ぶが、それを隣の女の子がビックリした顔で慌ててやめさせようとする。


「いいのよ。お姉ちゃんで、あなたも『お姉ちゃん』って呼んでいいのよ?」

「え?でも…。」

「ほら!言ってごらん?」

「あう…。」


だがルゼは気にしないどころか、女の子にも愛称で呼ぶことを求める。この国の王族のものとは思えないほど軽いお願いに、女の子は戸惑うが…。


「………おねえ…ちゃん…。」

「うん!よろしい!」


ついに根負けして、王妃の言う通りに呼ぶ女の子。荘厳な婚儀にはには些か似つかわしくない、だが微笑ましい空気が三人を包んでいる。

花嫁衣装を着たまま子供の前で膝をつく王妃の姿に周囲の民衆や兵士達が慌てふためいて「いけません王妃様!」だの「せっかくのお召し物が汚れます!」などと狼狽えるが、ルゼは気にも止めない。


「ところで、そんなに慌ててどこへいこうとしたの?」


思い出したかのように、二人に急いでいた理由を聞くルゼ。子供達から明かされた理由は、意外なものだった。


「…おかあさんに、ごはんかってあげたかったの。」

「ご飯?」

「うち、とってもビンボーで、おかーさん、ごはんたべないで、ぼくたちにたべさせてくれるの。でもおかーさんたおれちゃって、ぼくたちはたらいて、おかねもらって、おかーさんにごはんたべさせるの。」

「わたしたちだけじゃない。おなかすいたひとや、おみずがなくてカラカラなひと。たくさんいるわ。」

「…。」


改めて見ると、子供達の服は、周りの町民達と比べるとひどく質素だ。しかも古ぼけて、全体的にボロボロになっている。そういえばさっき斬りかかった兵士も、この子達を『貧民』と言っていた。町民達も、殺されそうな子供達に対して、誰一人として手を差し伸べないどころか、子供へ怒鳴り散らす者もいる始末だった。


彼女はその場で後ろへ振り返る。そこには、兵士達に囲まれて介抱されているファラオ。

その姿を見て、ルゼは腹の底から煮えたぎる何かを感じていた。


「ちょっと馬車に揺られただけでしょうに。そんな大袈裟に面倒看てもらって、いいご身分ね。自分の身よりも、配慮するべき相手がもっと他にいるんじゃないの?」


彼女はただ淡々とした様子で、王に向かって言い放つ。だがその一言が、強い日差しと突然のハプニングで熱を帯びた空気を一瞬にして凍てつかせた。

ついさっきまで、パニックになり、荒ぶっていたのが嘘のように町民達は皆静まり返る。王妃がファラオに放った言葉に、皆青ざめていた。

国民達にとってファラオ、すなわち国王の存在は、ただ国の統治者というだけでなく、その存在事態が神にも匹敵するほどの神々しい存在なのだ。だからこそ、彼の婚儀を国の総力をあげて祝っている。たとえ王妃であろうとも、決して軽々しい口をきいていい相手ではない。

だがそんなことを知ってか知らずか、彼女の口は思いとどまることはない。


「幼気な子供がこんなにひもじい思いをしてるってのに、助けるどころか放りっぱなし。この子達もアンタの国の民なんでしょ?お腹空かしてる民を助けるどころか殺そうとするなんて、それが王様のすることなの?」

「…。」

「それに今のこの子達の話を聞いたら、他にもこんな人たちがわんさかいるのよね?こんなに苦しんでる人たちがたくさんいるのに、自分は何にもしないで贅沢三昧。今までどんな政治をしてきたのよアンタは!」

「お待ちください王妃様!」


押し黙るファラオと。ファラオの全てを否定しているとも取れるルゼの怒号混じりの発言に、兵士の一人が待ったをかける。


「王妃様といえどそれ以上の発言は許容しかねます。今撤回して下されば、ファラオは寛大な措置でお許しくださるかと───ぐっ!?」

「謝るべきなのはアンタ達でしょ!!守るべき国民を!それもまだ年端も行かない子供を手にかけて、それでもアンタ達は兵士か!!」


彼女を諭す兵士の顔色に変化は見られない。だが異様なほどに早口になっていることから、内心では相当取り乱していることが伺える。

だが頭に血が上がっているルゼは聞き入れるどころか、やんわりと注意した兵士の胸ぐらを掴んで強引に持ち上げる。

王妃のものとは思えぬ荒い言動。それを式の最中に見せられるとは。周囲の国民や兵士は驚愕と畏怖で動けなかった。


「余の統治に不満を申すか。其方は。」


その場に低い声が響き渡り、冷や水をかけるように頭に血が上ったルゼを襲う。それは他ならない王妃の夫──ファラオ──のものだった。

王妃も含めたその場の人間達が彼の顔へ視線を向ける。王の顔は無表情だが、彼女に向けた視線は彼女の体を刺さんと言わんばかりに冷えきっている。


口調自体は静かだが、それでもなお隠しきれない怒りが空気を伝って迸るように感じられた。町民や兵士達は、静かに怒れる王にすっかり怯えきっており、恐怖のあまり失神してしまう者もいる始末。


だが、その恐ろしい視線を向けられたルゼは全く恐れる素振りはない。それどころか逆にファラオを睨み返し、真っ向から言い返す。


「大いに不満よ!子供を泣かせて成り立つ国なんて糞食らえよ!アンタがこの国でどれだけ偉かろうが、どれだけ称えられようが、あたしはアンタを王だなんて認めない。アンタに付き合わされる子供達が不憫でならないわ!」


神に近しいファラオに向けたものとはとても思えない尊大な物言いに、あれだけ騒いでいた民が一人残らず絶句する。それでも彼女はまだ気が済まないのだろう。その手の内の兵士をその場に投げ捨ててズカズカとファラオに近寄る。


「あたしは政治なんて分からないけど、アンタにだけ任せておけないことは分かったわ。弟が見つかるまでの間、あたしもこの国の民たちの為に働いてやるわ。」


ルゼは自身を睨むファラオから目を逸らさず、ただ真っ直ぐに彼の瞳を見返しながらそう宣言した。


~~~~~


波乱万丈この上ない婚儀以降も、王妃の奇行ともとれる行動力は留まることがなかった。

毎日宮殿を抜け出すのは日常茶飯事で、貧民街達に勝手に食料を施す。子供達と戯れる。果ては今みたいに奴隷を痛め付ける主人へ待遇改善を訴える等、まさしくやりたい放題。宮殿の臣下達やファラオが何度も釘を刺そうとするも、全く聞く耳を持たない。

彼女の破天荒さが国中に広がるのは、あっという間であった。


未だ治まる様子のない二人の言い合い。

ファラオの言いぐさに業を煮やしたルゼが、先ほどの出来事を告げる。


「しかもこいつ、子供を誘拐して荷物に紛れさせて無理やり船に乗せようとしたのよ?」

「…なに?」

「人さらいに人身売買が伝統だなんてね!あんたの先祖様は、そんな汚い商売も認めていたというのかしら?」

「馬鹿な!出荷する積み荷は全て検問している!そんなはずは…!!」

「じゃあこの子たちを見てみなさいよ!!」

 

促されるがままに彼女の足元にいる二人の子供に顔を向ける。

そこにいたのは、目に涙を浮かべて、すがるようにルゼの足にしがみつく二人の子供。震えながらファラオを見上げるその二人は、民なら誰もが知るはずのファラオさえ、恐怖の対象に見えているようだ。

完全に大人の男に怯えている。あの男に拐われたことがトラウマになっているとしか思えない。


「金欲しさに人攫いをして、挙げ句に物みたいに扱う。ここはそんな非道がまかり通るような国なのかしら?」

「っ…!」


奴隷制度はともかく、人攫いなど暗黙の了解でも許してる覚えはない。単純に検問のミスという可能性もある。だが実際に事件は起こり、彼女によって未然に防がれたことは事実。認めたくはないが、紛れもなくこちらの不備であった。


「あの…王妃様…。」


治まる様子のない二人の口論を見守るばかりだった奴隷達。その一人であろう女性が、恐る恐るルゼに声をかける。


「我々奴隷なんかの為にファラオを攻めるのはどうかおやめください。その子供たちも、あなた様に感謝しているでしょう。その気遣いだけで我々は救われましたから、どうか怒りをお沈めください…。」


申し訳なさそうに細々と話す奴隷の女。その顔は、恐怖と困惑が混じったような、複雑な表情をしていた。

だがそれでもルゼは尚も食い下がる。


「助かったから良いなんてことじゃないのよ。あたしが許せないのは、こんな非人道的な行いを許しているこの国とこいつに対してよ!あたしならこんな危ない国、暮らしたいと思わないわ!王様なら、大事な国民の為にもっと働きなさいっての!」

「な…なんだと!?貴様…今回の事態が余の怠慢だというのか!!」

「それ以外になにがあるっていうのよ!!この誘拐だけじゃない!働く人たちは暴力を振るわれてボロボロ!貧乏な人たちは満足な食糧どころか、水もない!弱い立場の人たちに威張り散らす兵士!こんな横柄がまかり通る国、腐ってる以外に言う言葉が思いつかないわ!民をなんだと思っているのよ!!」

「なっ…!」


ルゼのさんざんな言いぐさに、とうとう怒り心頭になってきたファラオ。だがそれすらも上回るルゼの怒気に押され、どんどん旗色が悪くなっていく。すぐに言い返したいが、これほどまでに食って掛かられたことがないファラオは、すっかり気迫負けしてしまい、思うように言葉が出てこない。

するとルゼはファラオの反論を待たずに、今度は先ほど自分に話しかけてきた奴隷の女性に顔を向ける。


「あなた達の言い分も、あたしは納得していない。あたしはよそ者だからこの国の常識とかは分からないけど、ただ身分が低いだけで虐げられるのは正しいとは思わない。王や貴族だけじゃなくて、汗水たらして働くあなた達がからこそ、この国が成り立っているの。」

「え…。私たち奴隷が…ですか?」


王妃の意外な言葉に、思わずキョトンとしてしまう奴隷の女。

こんなに卑しく、いくらでも代わりが利く存在である自分達が、国を支えていると?


「そう。歯を食いしばって働くあなた達がいるからこそ、この国は成り立っているんでしょ?なのに『我々なんか』なんて言って、自分で自分を蔑ろにしないで。」


ルゼは強い眼差しで奴隷の女に訴える。奴隷の女に向けられたその顔は、ファラオに向けたような恐ろしい表情ではなかった。未だ険しさは残るものの、真っすぐに自分を見つめる彼女の顔に、嘲りや侮辱といった邪な思いは見受けられなかった。


「ま、余計なお世話だって言うなら謝るけどね。」

「…。」


ルゼの言葉に、奴隷の女は何も答えなかった。否、答えられなかった。王妃ともあろうものが、こんなにも自分達奴隷に真摯に向き合ってくれるなど、彼女らにとってはあまりにも奇想天外すぎた。この国の貴族たちは揃いも揃って自分達のことを見下したり、汚らしいと言って嫌悪するというのに。あまりの驚き故に、言葉が出なかったのだ。


それでも、ただ黙っているわけにはいかない。王妃の言葉に無言を返すなど、無礼この上ない。どうにか答えをひねり出そうとする女だが…。


「あっ!そうだ!あなた達にひとつ聞きたいんだけど!」

「ひゃい!?」


何か大事なことを思い出したのか、いきなり大声をあげるルゼ。その大声に周囲はまた体を震えさせ、奴隷の女も驚きのあまり声が裏返ってしまう。

だがそんなことはお構いなしに、奴隷の女に詰め寄るルゼ。


「あたしと同じくらいの年齢で、左右で瞳の色が違う白い髪の男の子を見なかった?」


~~~~~


「あつ!おねーちゃんだ!」

「おねーちゃん!こんにちは!」

「おうひさま…じゃなくておねーちゃん!こんにちは!」

「こんにちは!みんな、ちゃんと良い子にしてた?」


古びた建物がまばらに並ぶ、町から離れた貧しい村。村民と思われるみすぼらしい服装の子供達は、ルゼの姿を見るや否や笑顔で一斉に群がる。子供達に囲まれたルゼもまた、笑顔で挨拶を返す。


あれからもルゼは勝手に宮殿を抜け出しては、国のあちこちへと足を運ばせた。町や港は勿論のこと、貴族や町民達も近寄りたがらない貧民街にもお構いなしに立ち寄った。

もう彼女がこの国で立ち寄っていない場所などないであろう。お陰で国民達のほとんどが、身分関係なしに彼女と言葉を交わしている。中には王族と接することができた感動で泣き出すものまで出る始末である。ルゼの存在は、あっという間に国中に広まった。


しばし子供達と戯れるルゼであったが、子供達が落ち着いたところで神妙な顔で子供達に尋ねる。


「ねえ、みんな。前に話した男の子のことなんだけど…どこかで見かけたかしら。」


それは探し人、自身の弟の目撃情報の有無であった。

王妃に就任してからというもの、彼女が国中を駆け回っているのは、勿論弟を見つけるためだ。あちこちで人相を伝え、見かけたら伝えるようにと国民達に伝えてまわっている。


「ううん…分かんない。」

「みんなさがしてるけど、みつからないの。」

「…そっか。」


その場にいた子供達全員が、各々のペースで首を横に振る。

子供達の返事に憂いた顔を浮かべるルゼ。

彼女が顔を曇らせると、子供たちが申し訳なさそうに…。


「みつけられなくて、ごめんなさい。」


ルゼに向かって謝った。小さな頭を下げて、暗い声でルゼに謝罪する。それに続くように、他の子どもたちも次々とあたまを下げる。

そんな子供たちの姿に、ルゼは急いで笑顔を作り、平静を取り繕った。


「大丈夫大丈夫!気にしないで…あっ!そうだ!今日は村のみんなにプレゼントがあるのよ!」


そう言うと子供達から離れ、村の外まで急いで走り出す。

子供達のみならず、村中の人達が何事かと様子を見ていると、ルゼが侍従達を引き連れて戻ってきた。

大きめな瓶をいくつも乗せた馬車も共に。

馬車が揺れる度に、瓶からはチャプチャプと音が漏れていた。

その音を聞きつけた村人達がざわめきだす。


「村のみんなに水を持ってきたわよ!ただ一人当たりの量はそんなにないから、大事に飲んでね!」


その言葉を聞いた村人達は、一斉に喜びの声をあげた。


あちこちから聞こえてくる安堵と歓喜。それと同時に村人達は馬車に押し寄せる。


「こらーっ!押し掛けるなーっ!みんなの分はあるからちゃんと列になって並びなさい!!」


我先にと水入りの瓶に群がる村人達。だがルゼの怒号に驚いて我に返ると、彼女の言葉に従っていくつかの列を作り始めた。

ルゼは皆が並んだことを確認すると、周りの侍従達に大声で指示を与える。


「入れ物も用意できたわね?それじゃ順番に配っていくわよ!皆待ちくたびれてるんだから、手際よくね!」

「「「はっ…はいっ!!王妃様!!」」」


ルゼの合図を皮切りに侍従達が用意した器に大急ぎで水を注ぎ始めた。それを見た村人の列の先頭が急かすように手を伸ばす。

器に水をこぼさないように入れては伸ばされた手に一つずつ渡し、器に入れては渡し…。やることはその繰り返しだった。


「わーいお水だー!」

「おねーちゃん!ありがとー!」

「良かった…!これでうちの子供も助かる…!」

「ああ…ありがとうございます…!王妃様…!」


広場には騒ぎを聞きつけた村人達が次々と並び、次々と渡された水を笑顔で持ち帰る。

村中が活気に満ちるのは、そう時間はかからなかった。


弟を探す傍ら、こうして人助けをしていることも国中で有名になりつつある。

虐げられる奴隷や身分の低い者を助けたり、犯罪行為を見かければ自ら制裁しに行き、小競り合いが起きれば仲裁したり…。その王妃らしからぬ破天荒な行動に苦言を呈する者もいるが、段々と彼女を支持する民も増えていった。


だがこうして想区の人たちと関わる度に、弟の言葉が甦ってくる。


───普通の想区で僕たちみたいな余所者が好き勝手やらかしたら、何が起こるか───


(なんだか毎日想区の人たちを助けちゃってるけど、何も起きないわよね…?)


この想区を訪れた当初、ルゼは我先にと街中を歩き回った。だが彼は、そんな何気ない行動すらも咎めるほどに神経質になっていた。少しはしゃいだだけであの怒りようなのだから、自分のしている行動が本当はよくない事なのは自分でも何となく理解できる。

だが実際に自由に動いてみると、滞在してからそれなりの日数が経っても目立って変なことは起こっていないようだ。イノセが神経質になりすぎているだけなのでは?と、最近は思い始めている。

だが同時に、自分が気づいていないだけで実際には大変なことが起こっているのではないのか?そんな不安もよぎってくる。


そして何よりも彼女が心配なのは、肝心の弟の行方である。


(探しはじめてからしばらく立つし、そろそろ情報の一つくらいはあってもいいはずなのに…。)


あちこちで聞き込みを続けているものの、成果は芳しくなく、ずっとこんな調子だ。本当に、イノセは一体どこに行ってしまったのか。


もしかしてもう、この想区には…。


「おねーちゃん?どーしたの?」


不意にかけられた幼い声がルゼの意識を現実に引き戻す。

ハッとして目線を向けてみると、列に並んだ子供たちが皆自分のことを見つめている。悩んでいるのが顔に出てしまったのだろう。彼女の顔を除く全員が不安そうな面持ちであった。

またすぐに笑顔を作り、子供たちに慌てて謝る。


「あぁ!ごめんごめん!ちょっと考え事をしていたわ!」

「…ほんとに、だいじょーぶ?」

「大丈夫大丈夫!さあ、あなた達の分よ!こぼさないようにね!」

「うん!ありがと!」


ルゼの笑顔を見たことで安心したのだろう。子供たちはまた笑顔で水を受け取り、列を離れていった。

その無邪気な笑顔を見て、ルゼはすぐに己の両手で頬をはたいて、言い知れぬ不安を振り払う。


(…困ってる人をほおっておくのは性に合わないし、それにこうしてあたしのことが広まれば、聞きつけたイノセが駆けつけてくれるわよね!イノセは、家族を黙って置いていくような人でなしじゃないもの!)


ここで悩んでも仕方がない。いずれにせよ、まずは弟を見つけないことには始まらない。そのために、今は自分ができることをやり遂げよう。

そう思い直し、また笑顔を取り戻して水配りに勤しむルゼであった。


~~~~~


「それで王妃は今、貧民街にいると?」

「はい…。下民共に水を配るといって、庭園の噴水も独断でお止めになって…。引き留めたのですが、我々ではどうにも…。」


玉座に座るファラオに報告する家臣。ファラオの視線を一身に受ける家臣の体は震えあがっている。

今朝方、宮殿の庭園にある噴水が止められ、その水を王妃が勝手に持ち出したのだ。しかも下々の民の飲み水のために。

いかに王妃といえど、許可なく王の所有物な手をつけるなど言語道断。ここまで好き勝手にされては流石にファラオも怒り心頭だろうと、報告する家臣は気が気ではなかった。


「…もうよい。下がれ。」

「…へ?」


だがファラオは立腹する様子もなく、ただ淡々と家臣に命令する。その予想だにしない反応に家臣は拍子抜けして、つい間の抜けた声を出してしまう。


「後に断を下す。下がれ。」

「し…しかし、庭園はファラオの権力を示すための大切な…。」

「余の言が聞けぬと?」

「めっ…滅相もないです!失礼します!」


ファラオの気迫に気圧され、兵士は回れ右をして急ぎ足でその場を去る。

広間からの去り際に、ファラオにバレないように彼のの顔色を遠目から垣間見る。そこには片手で頭を抱えながら俯く疲れきった姿。


妃の毎日の問題行動に頭を抱えているのだろうか。疲弊した主君を気遣いたいが、命じられた以上は下がるしかない。家臣は彼を気の毒に思いながらも、後ろ髪を引かれる思いで広間を後にする。

その推理が見当はずれだということに全く気付かないまま。


(我ながら、まことに不甲斐なき事よ…。)


謁見者がいなくなった広間で、王は未だに頭を抱えていた。だが、ルゼの問題行動のことではに対してではない。先日の、奴隷の密輸未遂から、彼はずっとこの調子だった。


あれからもう一度、検問に問題が無いか今一度の調査を行った。

するとあろうことかあの奴隷商人は、特別扱いで検問を免除されていたというのだ。しかも今回だけではない。今までにも日常的に行われてきたらしい。

なぜそんな非人道的な行為を今まで黙っていたのか担当の兵士を問い詰めた。しかし兵士は困った顔をしながら、こう返してきた。


「あの男は元々、ストーリーテラー様から与えられた『運命』を全うしただけ、と言っていました。そして、今日捕まることは自分の『運命の書』には書いてないと。ここで奴を捕らえれば、ストーリーテラー様の意思に反するということに…。」


あの時起きた事件は、ストーリーテラーによって予め定められた事柄だというのだ。

今回は王妃の独断でイレギュラーな出来事が起こっただけだが、ストーリーテラーの意思に反すれば何が起こるか分からない。結局、職務の不備については不問にするしかなかった。人攫いを犯したあの男も、今は捕まる運命でない以上いずれ釈放するしかなかろう。


いかに王といえど、定められた運命に逆らうことなどできはしない。自分は、皆をあらゆる驚異から守る王として生まれたのではなかったのか。所詮自分も国民も、ストーリーテラーの傀儡に過ぎないというのだろうか。


自分自身の不甲斐なさに涙が出そうだが、同時に気になることができた。


(ストーリーテラー様の意思に逆らうなど、考えたこともなかった。恐らくこの世界の誰もがそんな発想、持つことすらなかろう。今日のことは彼女の『運命の書』にも、記されていただろうに。)


ストーリーテラーから与えられた運命に倣って生きることは、自分たちにとってはもはや本能とも言える。故に、その道を外れるという考えなど持ちようがない。

なのに彼女──ルゼ──は逆らって見せた。あの港に行く運命があるというならば、あの人攫いの男に関する事柄も、己の『運命の書』に記されていたであろうに。

それ以前に、王妃がこれ程頻繁に宮殿を出て好き勝手するなど、伴侶である自分の『運命の書』にはどこにも記されてない。

何より最初に出会ったあの日、彼女は自分との婚約を拒んでいた。定められたというならば、そもそも拒むも何もないはずであろうに。


自分たちと違い、運命に囚われずに自分の意思で自由に振る舞える女性。明らかに自分たちとは違う異質な存在だ。彼女を妃として迎え入れたのは、もしかしたら取り返しのつかない間違いだったのではなかろうか。今となってはそんな不安すら感じてしまう。


だが、たとえ間違いだったとしても、自分は───


「陛下。奴隷商人の男が謁見を望んでおります。」


頭の中で散らかった感情と思考をまとめる暇もなく、兵士が玉座の間にやって来た。今の時間は謁見の予定はないはずだが…。


「以前の人攫い捕縛の件で話をしたいとのことです。突然押し掛けて不躾な男ですが…、如何なさいますか。」

「構わん。通せ。」


兵士はその場で頭を下げ、玉座の間を出る。すぐに兵士と入れ替る形で謁見者と思われる人間が入り込んできた。

入ってきたのは下卑た笑みを浮かべる痩せ男。複数の屈強な男を後ろに引き連れている。恐らく痩せ男の取り巻きだろう。

男は玉座まで無遠慮に近づくと、その場で跪き、顔色を伺うように作り笑いを向けてくる。


「ご機嫌麗しゅう陛下!この度は謁見のお許しをいただき、身に余る光栄でございやす!流石は我らがファラオはこの国のように広い心をお持ちで───」

「世辞はよい。用件を話せ。」


恐らくはただの機嫌取りであろう痩せ男の美辞麗句には耳を貸さず、本題に移るよう促す。


「兵から話は聞いている。大方、先日捕らえた人攫いのことであろう?」

「聞き及んでいやしたか!ならば話は早い!あの男は私の知り合いでして、なにかと贔屓にしてもらっているんでさぁ!何よりあの男の『運命の書』には、あの日に奴が捕まるなどとは記されてないはず!他人の『運命の書』は読むことはできませんが、奴とはそれなりに交流もありやして、奴の今後も色々と聞いてやしてね。それもあって今奴が捕まったのは何かの間違いじゃないかと思いやして───」


痩せ男はほとんど息継ぎをせず饒舌に喋り続ける。これ程のボキャブラリーを持ち、それをすらすらと噛まずに言葉にできるのは素直に称賛に値する。

だが痩せ男の回りくどさに辟易してきたファラオは、その話を自身の言葉で打ち切る。


「つまるところ捕らえた人攫いの男を釈放しろ、ということなのだろう?」

「流石は我らがファラオ!お察しが良くそして聡明な方!このまま牢に入れれば、ストーリーテラー様がお怒りになるのは火をみるより明らか!何よりも不当に捕まったままでは奴がなんとも報われないでしょうからね!」


話の流れに手応えを感じたのか、痩せ男は勢いを緩めることなくゴマをすり続ける。下品な笑みを浮かべながらひたすらにファラオをおだてて機嫌をとろうとする。

だが痩せ男の言い分は、些か耳に余るものがあった。


「…確かにストーリーテラーの意思であれば、我々が逆らう道理もあるまい」

「そうでございます!それでこそ一国の王として──」

「だがたとえ運命であろうとも、人攫い自体は罪であるはずだが?」


ひたすらに機嫌を取る男の話を遮り、ファラオの低い声が広間に響く。その圧に押された周囲の人間達は、誰もが冷や汗を僅かに滴し始める。

その言葉に痩せ男は若干言葉を詰まらせるも、すぐに調子を整えて話を続ける。


「いやはや私としたことが、ファラオの苦悩に気づけずにお恥ずかしい!ストーリーテラー様は絶対といえど、歴代のファラオがお決めになった法律も蔑ろにするのもなんとも心苦しいことでしょう!そのどちらも王であるあなた様にとっては大事なことであると存じやす!」

「分かっているなら…。」

「そ・こ・で!!僭越ながら私共から贈り物がございまして!…おい!あれを!」


痩せ男が取り巻き達に何かを促す。

すると取り巻きの一人が前に出て跪き、手に持っていた皮の袋を玉座の前に添えるように置いた。

置く際に細かい金属がぶつかり合うような音が僅かに響いた。僅かに空いた袋の口からは、金色に輝く円がチラリと見えた。


「ほんのお気持ちではございますが、ファラオのお手を煩わせたお詫びでございます!どうかお納めいただければ…!」


自身で両の手を揉み、ニヤニヤと笑いながらおべっかを言う痩せ男。

早い話か、賄賂である。金を積んで、人攫いの罪を不問にしろということだろう。

ここにはファラオ以外にも護衛の兵士も数名見ているというのに、大胆なことである。


「更に!今回はこれだけではございません!」


その言葉に呼応するように、別の一人が前に出て、手に持ってた大きな包みを床に広げる。


封を解かれた包みから現れたのは、紺色のジャケット、大きめなポーチに丈夫そうなブーツに外套などだった。どれも新品同様で、殆ど汚れがない。


「これらは先日、とある旅人から『譲り受けた』品々でして!どれもこれも珍しい品ばかりでしょう!この衣服など、この国ではなかなかお目にかかれない生地で織られてるようでして、しかも新品同様でございます!ファラオご自身で着ていただいてもよし、未来のご子息に着ていただいても良しでございます!その他にも、異国の物と思われる珍しい品をお持ちしやした!こちらの品々、私からの気持ちとして受け取っていただければと幸いでございやす!」

「…。」


「それと!差し出がましいのは承知でございやすが、この品々と私の低い頭に免じて!例の男の身柄と合わせましてもう一つファラオにお願いしたいことが!」


浴びせるような男のトークを、ただ何も言わず黙って聞くファラオ。すると痩せ男が、思い付いたように突如両手を叩いて更に話を切り出す。


「今代の王妃様にもファラオから口添えしていただければとおもいやして!」

「…我が妻に、だと?」

「へい!今の王妃様は奴隷制度を否定なさっているのだとか!王妃様の考えは私らには分かりやしませんが、先人達が築き上げた歴史ある制度にもの申されるのはファラオとしても腹に据えかねるものがあるのではないかと!何よりも!私らはしがない奴隷商をやらせていただいておりやす身でありやして、このまま奴隷制度の否定が続いてしまえば、私を始めとしたこの国の奴隷商達がおまんま食い上げというもの!というわけでファラオから王妃様にも制度の大切さ、尊さを何卒説いていただければと!」


ここまで言葉が出てくるとは、本当に頭と口が回るものだ。演説や謁見者の対応をする自分でも及ぶかどうか、と心の中でファラオは感心する。

変わらずニヤついた笑顔を浮かべてファラオの返事を待つ痩せ男。彼の言うこともファラオには分からないでもない。

自分の妻の奔放さは、自分にとっても悩みの種だ。特に先人達の造り上げた制度の否定は耳に余る。

本来ならば痩せ男の主張は聞いてしかるべきなのかもしれない。


───王様なら、大事な国民の為にもっと働きなさいっての!───


だが、彼の脳裏に妃の言葉がよぎった。


運命など二の次と言わんばかりの、何よりも自分の信じる正義に従う彼女の激が。


こんなとき、彼女ならどうするだろうか。


『運命』にそのまま従うのか?

このまま罪を見逃すのか?


ファラオたる自分はどうするべきなのか。

男は、己の判断を下す。


「受け取れぬわ。下げよ。」

「へ?」


彼は、自分の意思で『運命』に逆らった。

『運命』よりも、一国の長としての道を選んだ。


ファラオからの予想外な返事に、痩せ男は思わずすっとんきょうな声が出てしまい、その場で固まってしまう。


「その押し売り根性に免じて、例の男の処遇は改めて考える。だがストーリーテラーの意思とはいえ、罪は罪である。過度な期待はせぬことだ。」

「そ…それは困りやす!今回はその約束をしていただきたく思い、お邪魔をしたんですから!それに、王妃様の件は…!」


ファラオからの思わぬ返事に戸惑いを隠せない痩せ男。何とか説得を試みるが、まさか賄賂とストーリーテラーの報復を突っぱねられるとは思わなかったのだろう。先程と違い、その口調からは焦りがにじみ出ている。

さらに痩せ男が王妃の件について尋ねると、これもまた思わぬ言葉が帰ってきた。


「妃の処遇は…まあ諦めよ。確かにあやつは王妃としては奔放が過ぎる。だがあやつなりに国を思っての行動なのだ。事実、あやつによって救われた民は数多い。過ぎるようならば余も黙ってはおかぬが、今は好きにさせてやれ。」


王の返事に、痩せ男は勿論、取り巻き達や護衛の兵士も思わず目を見開いた。

人攫いの件はともかく、一国の主たるものが、己の妃を止められないと言ったのだから。


(くそっ!こんなに頭が固ぇやつだったとは思ってなかったぜ!まんまと王妃の尻に敷かれやがって!ストーリーテラー様に何されても良いってのかよこのバカ王が!!)


心の中で無礼な悪態をつく男。

今すぐ殴り込みたい気持ちでいっぱいだったが、こんなところで騒ぎを起こすわけにもいかない。

顎に力をいれて苛立ちを抑え、また笑顔を張り付けて交渉を再開する。


「ど…どうやらこれだけではまだお気持ちにも届かなかったようで!ならばとっておきの目玉商品がありやす!」


すると今度は広げた品の中から薄い板のようなものを両手で丁重に取り出し、ファラオに見せつける。

それは縁が金色に輝く薄い茶色の板。独特な模様があしらわれ、リボンがくくりつけられている。


「こちらでございます!意匠の凝られたこのデザイン!異国の装飾品と思われるこれは、ファラオの威厳をより一層際立たせてくれることでしょう!」


再び品の説明を続ける痩せ男。余程自信があるのだろう。今までよりもより強い押しで品を進めてくる。

それに伴い痩せ男の口角も、より際立ってつり上がっていく。


「こちらのとっておきも献上致します故、例の男の身柄と王妃様の件については何卒───」






「…なんであんたがそれを持ってるのよ。」






前触れなく広間に響いた声に反応し、その場にいた誰もが声の生まれた場所へと顔を向ける。


そこには、握り拳に血管を浮かべ、体を震えさせるルゼが立っていた。

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