たつみ(前)

フジイ

たつみ(前篇)

たつみ


 たつみ、という名前を思い出したのは、自宅のリビングで、日に照らされてかすかに光る白いカーテンが風に揺れる光景が目に入ったときだった。

 近ごろは、窓を閉めきっていると暑苦しい。窓を開けると、本来の季節どおりのつめたい風が流れ込んでくる。その温度は自然のもので、人為的に調節できない。ずっと開けっぱなしにしていると風邪をひく。かといって、エアコンにすると逆に寒すぎたり、効きかなかったりする。

 ここ二年ほど、四季はでたらめにかき混ぜられ、日ごとに季節が変わっている。肌身で感じられるくらい、なにかがおかしくなっている。

 それに対して、太陽の高さの移り変わりは、実感する毎日の気候とは関係なく一定だ。宇宙のルールのもとに動いている。人間が地球に負担をかけたくらいでは変わらない。夏が近づくにつれて、だんだんと日が高くなる。リビングに差し込む光も、しだいに少なくなっていく。

 光がベランダか窓の角にひっかかって平行四辺形のように切りとられ、家のなかへと入り込んでいる。その光は、冬のものにも、夏のものにもみえた。

 この光景は、引っ越してきた十年前から、晴れの日には何度も目にしてきた、ありふれたものだった。なにひとつ、真新しいことはないはずだったが、午後の日差しを吸いこみ、ひかえめにふくらんだり、しぼんだりする白いカーテンをみた刹那。

 たつみ。

 その音があたまに、あわく灯った。なぜ、思い出したのだろう。名前と、いま目に映る景色に、関係はないはずだ。反射した光が両眼を通過して、不意に脳へと刺激をあたえたのだろうか。

 音が先に届き、遅れてイメージがぼんやりと浮かんでくる。たつみ、というのが苗字なのか、名前なのかも、わからない。まだ小学生のころ、たしかに、たつみ、はいた。それはおぼえている。響きと、その人の輪郭のようなものは少しずつ、像になろうとしている。ただ、いくつもの要素が記憶から消えているのか、顔も声も、何層も重ねられたカーテンの向こう側にあるように感じた。たつみ、という音だけが、ある存在を消えないように繋ぎとめていた。


 手がかりになりそうだと思い、小学校の卒業アルバムのなかから名前を探すことにした。小学生時代のものをすべて詰めこまれた箱を衣装ケースの奥から引っぱり出し、おそるおそる開いてみる。

 僕はオギダ小学校を卒業したあと、私立の底辺付属中学に入学した。あまり地元の公立中学校は評判がよくなかったうえ、近所のこどもたちと馬が合わなかったから、頭も悪いのに中学受験をし、勉強を頑張ることもできず当然のように失敗し、滑り止めで受けた偏差値の低い学校に行かざるを得なかったのだ。そして中学二年の真冬には、ユミノから、いま住んでいるサラ市に引っ越してきた。

 引っ越してから、原風景として、すくなくない頻度でユミノのことを想った。時間ができたら遊びに行きたかった。でも、その様子を空想するにとどめていた。かつての景観が跡形もなくなっていたらどうしよう、という不安があったからだ。

箱の中身をみおろす。十年以上前に使っていたものがこうして残っていて手に取れる、ということ自体が不思議だった。心拍数があがっている。ノスタルジック、というのか、わくわく、というのか。こんな気持ちになるのは、ひどく久しぶりのことだった。

 探っていくと、さんすうセット、図工で描いた絵、ついでに自分がもらった金賞やら銀賞やらの賞状まで出てきた。母親がていねいにファイリングして残したテスト、通知表も出てきた。校舎、校庭、草が生え放題の裏庭、放置されて機能しなくなったビオトープ。バッタ、カマキリ、カナヘビ、トカゲ。鬼ごっこ、ドッヂボール、サッカー、キックベース。うっすらと、視界がセピア色になっているような錯覚。瞬間的に小学生のころのできごとが脳裏を駆けていった。

 記憶のなかにあるユミノの景色にはいつも、めまいを起こしたときの、こなごなになった光の糸のようなものが舞っていた気がする。どんなに暗い日でも、どこかに光があった。過去が遠ざかるにつれて美化されているだけかもしれないが。

 筒状に巻かれた絵には、金色の折り紙が絵からはみ出るように貼られていた。金賞というやつだ。図工の授業で描いた、ザリガニが両のハサミをふりあげている絵についていた。折り紙の金色は、長いあいだ放置されていたのに、くすんでいない。鏡がわりに顔を映せたのでおもしろがってしばらくみつめていた。紙のしわによって、キュビズムの絵画のように歪んだ自分の表情があった。

 さんすうセットも出てきた。ふつうのサイコロと八面のサイコロ、数え棒、定規などが詰められていた。執拗にひっぱられすぎてなみなみになったゴムがついている。

 卒業アルバムはさんすうセットのしたにあった。三方背のケースに入っていた。そのケースは中身を守るためだけにつけられている、ただの厚紙製だ。デフォルメされて二足歩行になった動物のイラストが描かれたそれをずるずると引きずり出す。

 高貴な臙脂色の装丁。『オギダ小学校 卒業アルバム』と、金の箔押しがされている。床に置いて、開く。わずかに風がおこり、裸足の肌をくすぐった。

 まず見開き二ページ、俯瞰で撮られた同学年の生徒全員の写真が載っていた。ページのうえのほうに校歌の歌詞が白抜きで印字されている。「磨き合い讃え合う我等」の文字をみた途端、いままでずっと頭の片隅にもなかったメロディが鳴った。体育館に響く、くぐもった音。伴奏のピアノだけがきらびやかに聞こえてきたっけ、と感傷的になった。

 撮影の日に来られなかった生徒はいなかったのだろうか。遺影みたいだと馬鹿にされるタイプのつけ足し写真は見当たらない。だが、よくみると直立した生徒の写真が数名分、無理やり合成されているのがわかった。遠くからみれば違和感がないけれど、ちょっと近づけて注視すればわかってしまう。休んだ生徒の場所をわざわざ空けて写真を撮っており、その隙間に無理矢理ねじ込まれた、奇妙な数名の姿があった。

 光沢のあるコート紙は、一ページ一ページに重さがあった。ペ、ペぺ、と、めくるたびに写真同士がはがれる音が響く。ゆっくりめくっても鳴ってしまうその音とともに、こどもたちの笑った顔が三〇以上、一度に目に飛び込んでくる。クラスごとの写真のページは笑顔のカタログのようだ。撮影のとき、笑って、といわれたような記憶がよみがえる。笑って、といわれて、笑う、こどもたち。当時嫌いだった人や、嫌われていた人、好きだった人が格子のなかで笑っている。おぞましかった。

 今も連絡を取り続けるような人物は、このアルバムに登場しない。つまりそういうことだ。いくらニヒルな目線を向けてみても、「内海(うつみ) 夕(ゆう)」という名前のうえには、昔の僕もだれかにいわれて笑っているうちの一人だった。

 過去の交友関係を回顧しつつ、枠のしたに印字された名前を、順番に目で追っていく。けれど、一向に「たつみ」の三文字はみつからなかった。幼いころから文章を読み飛ばす癖があったから、無意識のうちに見落としているのかと思って二度、みかえした。だが、三つあるクラスのだれにも、たつみという読みの漢字は含まれていなかった。性別すらどちらか思い出せていなかったので、男女両方のページを確認した。だが、結局みつけることはできなかった。

 たつみという存在が、無職状態の自分がつくりだしてしまった幻想かのように思われた。申し遅れたが、私は現在、無職である。仕事を探す、ご飯を食べる、金を使わないために家を出ない、なにもない生活のせいで、とうとう、イマジナリーフレンドを用意したくなったのだろうか。たしかに退屈で、寂しいとは感じているが、そこまで自分が重症だとは思えない。狂えるならとっくに狂っていてもおかしくなかったはずだ。おかしくなれるなら、とっくにこんな日々から抜け出せたはずだ。

 片づけるのが億劫になって、意味もなく重いページをめくっていると、クラブ活動のページに自分の姿をみつけ、そして首をかしげた。理科実験クラブと書かれた写真に、自分が写り込んでいた。いまとは髪質がちがっていて、すべての毛が上向きになっている。髪形だけは漫画の主人公のようだ。

 そのまわりには見知った顔が並んでいた。きっとクラスで一番勢力のあるグループに身を置いて、あわよくば強い立場を手にしたいとでも思っていたのだろう。所属して活動した記憶が微塵もないことが、過去の行いの軽薄さを象徴している。

 こうして目の前に証拠があるというのに、事実であるはずのことが、まるでピンとこない。ないものを勝手に生み出したり、あったものを忘れたり。そういう人間と社会との相性は悪いのだろう。

 箱にアルバムなどを戻しながら、小学生の時代を回想する。自分の優位性を証明したいだけのむなしい人間だったことは、はっきりと思い出した。けれど、たつみについての記憶が脳裏をよぎることもなかった。


 いくら無職とはいえ、ずっと家から出ないのも、両親以外と会話をしないのも、ひどく心身にこたえた。そのため、今日は高校からの友人、野中(のなか)健(けん)の運転する車の助手席に乗って、ドライブに同行した。両親は息抜きとして認めてくれたが、それにすら罪悪感をおぼえ、体に余計なおもりが追加された。

 野中とは過去に何度も、このクラ市とヤヨ市の境をドライブしてきた。彼が免許を取ってからなので、もう五年近くおなじような遊びをしていることになる。とっくにこのルーティーンには飽きているが、そもそも自分が運転手ではないから、偉そうなことをいう筋合いはない。

 おそらく彼は、だれかと話をしながらドライブをして、ついでにどこかでラーメンが食べたいだけなのだろう。どちらがついでなのかはわからない。とにかく、僕も退屈から逃げ、現実を多少塗りつぶしたかったから、これでよかった。

 ところどころ、店が閉店したり代わりの店が入ったりするものの、道路沿いの風景には特に変化がない。全面黄色に塗られたアダルトDVDショップは、なぜか一向に潰れない。ハードオフは潰れた。チェーンのカフェはつぎつぎ入れ替わって、いまは、チェーン店であろう和食屋に変わっていた。ラーメン屋は何軒も現れる。この一帯で、把握しているだけでも二〇軒以上あった。

 高速で流れていく風景を、ぼうっとながめて、カーステレオに耳をかたむける。もっとも、カーステレオという呼びかたが正しいのかはわからない。野中は普段、アニソンと、二組のバンドだけしか聴かない。サラ市出身のロックバンドと、日本を代表するポップロックバンドの二組。今日は後者の三〇周年記念講演の音源だった。声は衰えず、澄んだまま深みを増している。楽器帯の演奏の技術に磨きがかかり、つねに最高を更新していく。

 電車に乗らなくなって以来、こんな速度で移動するのはひさしぶりだった。自分の意思でこんな速度を出して移動ができるなんて、人の技術にすこしおそれを抱いた。歴史をたどっていけば、速さを求めて車をつくり、進化させた人がいる。車の細部には無数の部品やシステムがある。そして、それらを生み出した人々がいる。生涯において誇りになる発明と、そこに至るまでの血が流れるような研究と研鑽があるだろう。すべて、人間が生み出したものだ。その事実に、僕は頭を抱える。

「なにやってるんだ?」

 信号が赤になったタイミングで、野中がこちらを向き、実際に頭を抱えている僕をみて笑った。「みてのとおり、頭を抱えてた」と答えると、

「ラーメンを食えば解決だな」といって笑った。笑うと糸のように目が細くなる。

 わざと口癖のようにおなじことをいうのも、野中の癖だった。さっきのは、もう五〇回以上聞いた台詞だ。

 彼は大学受験で有名私立大学を諦められず、一年間浪人して、いまは大学四年生、教員をめざしている。努力家だが、報われるタイプではない。それでも、なにかを諦めているのはみたことがなかった。

「もうすぐ教育実習だよね」

 頭でなんというかをなぞってから声にしたので、わざとらしくなってしまう。それでも彼は、そういう相手の些細な変化をまったく気にしない。

「そうなんだよ、だから就活してない。うっちゃんとか、浪人しなかった同期はみんな偉いよな」

 内海という苗字をもじって、うっちゃんと呼ばれていた。ウツミと苗字そのままに呼び捨てられることが多いが、野中は渾名を作ってそれで呼ぶ数少ない人物だった。

「この有様だよ、頭を抱える以外にないくらい、どうしようもない」

「やったという事実が大事なのだ」

 いつもどおりの受け答えだ。なにもかもがいつもどおりだ。それに対して、ハンドルを持つ手の太さだけが、年々増していく。剣道の昇段試験のたび鍛え直すので、彼の筋肉量は増えるばかりだった。安い表現だが、筋骨隆々を絵に描いたような外見だ。とうとうポロシャツが似合いすぎるシルエットになってしまった。これで目指しているのが体育教師なら合点がいくが、担当したいのは公民、現代社会の教師だという。

「またそれかよ」

 野中と会話をするとき、なぜか僕はひどくぶっきらぼうになってしまう。しかし、彼は気にしない。その大らかさ、さわやかさすら、うわっ面だと周りから揶揄されていたこともあった。だが長年つき合ってるうちに、彼がただ裏表のないだけの人間だとわかった。

「ははは」

 加えて、いちいち快活に笑うので、嫌味がない。嫌味はないが、その笑いが純粋だと感じるほどに、暗い気持ちが湧くこともある。この爽やかさは虚しさを喚起することもあった。

 彼のことを、変わらない人間だ、と評価している。実際、いつでも話すことの中身にはほとんど変化がない。言葉が変わっても、意味においておなじことばかり話している。精神が幼いところしか共通点がないのに、なぜか友人として縁も途切れずに遊びつづけている。友情や友人というのは、いい距離感のままで近くにいる存在を指すのだろう。

「ラーメンの前に運動するか!」ハンドルを持つ手に力が入る。つまり腕が膨張する。

「いやだね」間髪いれずに拒絶した。

「じゃあゲーセンだな」

「またあれやんのか」

「なんでステージ1はなんとかなるのにステージ2は絶対勝てなくなるんだろう な、レッツリベンジだな」

 なぜか、二〇年ほど前に登場したロボット格闘ゲームの筐体が、この道路沿いのゲームセンターにある。驚いたことに都内にもほとんどないらしい。きっと、一応、この町にはなにか良い気配がある。貴重なゲームの筐体があり、偉大なバンドも輩出している。個人経営のパン屋やコーヒー店、日本中から人が訪れるアンティークショップもある。

 つめたい虚しさが胸につかえたまま、わかりきったことをする。ゲームでまたコンピュータに負け、笑い、ラーメンを食べ、くだらないことをいって笑い、ライブ盤を二周し、この市を代表するロックバンドのベスト盤も一周したところで、助手席から降りる。ふざけてドライブにつき合っていたら日付をまたいでいた。

 家に帰ると両親は寝ており、自分の部屋に電気をつけ、トートバッグをその辺に放った。シー、と、静けさの音がする。また繰り返しの日々がはじまる。デジタル時計が夜一時を示していた。シャワーを浴びてからスマートフォンを意味もなく眺めてから、その晩は就寝した。


 夢をみた。

 いつもは、寝ぼけているうちは夢の破片が脳裏に浮かぶこともあるが、その破片もなにかの拍子に忘れてしまう。眼鏡をかけたり、水を飲んだり、顔を洗ったり、目が覚めるまでには外からさまざまな刺激がある。そのせいで、ほとんどがはがれていって、なにをみていたのかわからなくなる。

 ただ、今日はみた夢を現実に持って帰ってくることができた。それだけでも、僕にとってはよい出来事だった。

 内容は、ショッピングモールと駅が無作為に混在した施設のなかを、ひたすら歩き回るというだけのもの。古びた壁の圧迫感を感じながら移動していくと、路線の案内をする看板をみつけた。矢印の指示通りにふりむくと、そこにエスカレーターがあった。それを降りながら周りに目をやると、塾の教室が店舗のひとつかのように収まっていた。扉はない。当たり前のように授業も行われていた。その横では当たり前のように眼鏡屋が営業している。

 なぜか佇む僕の全身は濡れていて、服を着ているのに人目をはばかって小走りで移動していた。そんななか、唐突に場面が変わって視界が乱暴に、かつスローで回り、銃声が聴こえ、撃たれた、と感じたところで目が覚めた。 

 個人的には、ストーリーもあって、おもしろい部類に入る夢だ。いまの自分にはありがたい、大切な非現実。もっとも、長く記憶に残るのは、すべてこの類の夢ばかりだった。

 不定形な施設内でさまよう夢ばかりを僕の脳はおぼえていた。最も印象が強い夢を基本設定として、夢といえばこの光景、と勝手に登録しているのか。あるいは、僕自身の心象風景なのか。

 体を起こすとまだ全身が重たいが、今日が始まる。また、求人サイトを眺めているうちに眠気で気を失って、気を取り直したころにはやる気を失い、動画をみたり楽器をさわったりして、気がつけば夕がたになり、あわてて風呂掃除をし、米を研ぐ。

 そして、いつものように夜七時からの夕食を終え、食器を洗い、リビングのほうにある椅子に座った。じきに八時になる。

食べながらみていたテレビがそのまま点いていて、うるさい。うるさいけれど、一度みはじめるとなにも考えない空洞になって、いつまでも無心のまま時間を浪費してしまえた。家具や無機物の一員になるのを無心というのだろうか。どのみち、あまりいいことではない。社会に適応できなくとも、かろうじて人間であることに変わりはない。

 ふと、思い出したので、まだ食卓のほうの椅子から動いていなかった母親に、

「たつみという名前の子、小学生のときにいたよね」

と、なにげなく訊ねてみた。仕事人間の父親に小学校時代のことを訊いたとしてもわかるはずがないので、母親に話すしかなかった。母親はスマートフォンの画面をみながら、なんでもない話のように、表情も変えずに、

「ああ……亡くなった子だよね」

と、答えた。

 一瞬、心が凪いだ。ただ、不思議と、この事実に対して、あからさまに面食らうこともなかった。虚空をみつめ、ぼうっとしてしまう。

しばらく黙りこくっていた。会話に間ができてしまって、声を出すタイミングを見失う。なんとか気を取り直して、

「この前、卒業アルバムみてたんだけど名前なくて」と話を展開させたところ、

「亡くなった人は載らない、とか? わからないけど」

と間髪入れずにいわれた。

 砂のようにかわいた笑いがすこし漏れ、変な笑い顔になってしまった。たしかに、そうかもしれない。

 たつみがすでに死んでしまっているという情報よりも、母の言葉のほうが、より質量をもって胸につかえた。

「それと、そもそも、学年がちがうでしょうよ、たつみくんは一個うえ」

 言葉の意味を反芻しながら、自分自身にあきれてため息が出た。自分の記憶は、どこもかしこもすかすかだ。限界まで高く積みあげたジェンガのように、なぜ立っていられるのか、生きていられるのか、不思議なほどだった。

 年齢だけが積み重なっていく。記憶はどんどん不確かに、ときに改竄されながら追いやられていく。いや、もっといえば、すべての記憶を深いおもちゃ箱の底へ、無造作に投げ入れているだけだ。ジェンガですらない。とっくにくずれている。

 ひとつのケースにいいことも悪いこともどうでもいいことも、すべて投げ入れていくから、探そうとしても数が多すぎて、箱が深すぎて、見つからない。手にとることもできなくなる。そのうち、ふれることさえあきらめる。すくなくとも、僕はそうだった。他の人はきれいに整頓しているのかもしれない。

 母の発言からして、たつみの性別は男のようだ。なぜか腑に落ちない。脳がこの情報に対してほんのりと違和感を持っていることはたしかだった。

「死ぬまえにさっさと仕事みつけて働いて」

 母はそれだけいうと立ちあがって、風呂に入る準備を始めた。死んだ人の話をしたら、死のうとしていると思われたようだ。死んだあとに働く人がどこにいるのだろうか。テレビがうるさい。ボリュームをさげ、しばらくチャンネルを回しつづけたあと、消した。

 なにもかも、おだやかなくりかえし。そんな空虚な日々にもたらされた響きが、たつみ、という三音だった。たつみのことを考え、向き合っているあいだは、繰り返しの日々から脱していた。自分の置かれた状況からの逃避でもあると思い当たった途端、罪悪感が芽生え、なにもしていないのに肩がこってきた。ため息を大きく吐きだしてからパソコンに向かう。明日までに履歴書を書かなければならなかった。


 たつみのことを思い出そうとして、回想をすることが増えた。すると、選択を誤る瞬間の記憶と鉢合わせることになって、もしもあのときこちらを選ばなければ、と妄想してはつまらない気分になった。就活がうまくいっていれば。自立した大学生活を送っていれば。受験勉強にきちんと向き合っていたら。学生のころのうちに恋愛をしておけば。中学受験なんてしなければ。この自分自身のまま、これからも生活が続いていくことに嫌気が差す。

 繰り返しの状況を早く打開したいという焦りから、スーツを着て面接に行く機会こそ増やしたが、働くことへの関心が薄いことを見抜かれるのか一次面接より先には進まなかった。

 ただし、悪いことばかりだったかといえばそうでもない。ストレスばかりの就職活動でも、その帰りに電車のなかで本を読むのがちょっとした楽しみになっていた。家では集中して読書ができなかったのに、電車では集中できた。

 無職生活一週目に家のタンスや棚を動かして整頓する日があり、すべての漫画や本を棚から出して掃除をした。そのとき、ずっと読もうと思っていた本が出てきたので、それを読み進めていた。飛行機乗りの話だ。

 余計な騒音を断つためにイヤホンをし、曲を流さず、電車に揺られながら本を読む。すると飛行機のコックピットに乗り込んでいるような感覚があって、本の世界に没頭できた。

 首が疲れてくると、一旦、本から顔をあげる。すると、景色がずっと流れていくのがみえた。住宅街の屋根が無数に左から右へ。世界がどんどん加速していく。僕自身は、ほんのすこしも動いていない。

 本を閉じ、日照りを受けて白んだ景色が流れていくのをしばらく眺めた。一軒につき、最低ひとり分以上の命がある。そして家を構えているということは、ある程度以上の稼ぎがあって、人一倍の努力している。家族で住んでいることが多いだろう。

 こどものころ、キー局で放送されるドラマではごく当たり前のように登場人物に家族がいた。家族、命、恋人などの、守るものがある人ばかりだった気がする。近年はそれ以外の生きかたを取りあげる作品も増えたけれど、幼年期からある種のプロパガンダとして、これが健康で文化的な最低限度の生活だ、と刷り込まれてきた。「幸せ」は、普通に生きていれば当然享受できるものだと思っていた。実際には、まったくちがった。大人と呼ばれる年齢になって数年経っても、そのギャップに苛まれている。大人になることを、拒絶している自分がいた。

 ふと、制服を着た小学生の男の子が反対側の席に座っているのに目がいった。教科書よりは分厚い、大きな本をランドセルから取り出そうとしている。本を無理矢理入れたのだろう、形が歪んでいた。

 男の子は、それを必死に引っ張り、やがて引き出したが、中身はそのままこちら側に飛んできて、すねに当たった。鈍い痛みが走り、痛覚を働かせたのがひさびさなあまり動揺してしまった。足の甲には、大きな本が乗っかっている。それなりの重さがあるそれを手に取り、表紙をみると、「水の生きもの」と書かれていた。魚以外の水中生物にもフォーカスしたテーマの図鑑で、似たようなものは、幼いころに読んだことがあった。

 生きものたちの写真がたくさん貼り付けられた表紙で、熱帯魚、海水魚はもちろんクラゲやカニ、エビなどもいる。ついでに裏表紙をみるとゲンゴロウ、カワセミ、カブトガニなどの写真もあった。カワセミは水の生きものなのだろうか。

しばらく眺めていると、男の子が目の前に立っており、しかめ面で図鑑をふんだくった。こちらを鋭くにらみつけてから、そのまま座席に戻っていった。カワセミのように鋭い目、という表現が脳裏をよぎった。

 だが、それより、男の子が図鑑を奪還したとき。すばやく引かれた赤い軌道。それがなぜか気になった。男の子はランドセルを膝のうえに置き、台のようにして図鑑を乗せ、開いた。そして僕は背表紙を確認し、赤い軌道を描いた生きものの姿を視認した。

 それはザリガニだった。


 昔は酷暑でも三二度くらいだった。二八度の炎天下、半袖からのぞく自分の両腕が輝く。肌が光るほど焼けている証拠だから誇らしい、あるいはかっこいいのだ、と思いこんでいた。

 蝉の鳴き声はじりじりと、太陽が日差しであらゆるものを焼く音のようだ。夏といえば蝉の鳴き声、これがなければ多少は楽に過ごせるかもしれない。でも、これがなければきっと夏ではないのだ。

 ユミノは、遊歩道が整備されていて、車の侵入しない道がどこまでも続いている地域だった。自宅のあるマンションから出ると、すぐ目の前に深さ三〇センチもなく、川幅も一メートル程度の小川が道沿いを流れていた。そこには野生のメダカ、ときにはタナゴやドジョウもつかまえることができた。自然にできた川だと思いこんでいたが、人工的に引かれた川だということが、探索しているうちにわかった。

 今日も友達と集まってザリガニを捕まえる。サトル、ヨシ、カキヤ、そして僕の四人でいつもつるんでいて、夏といえば川で遊ぶことがほとんどだった。親からお小遣いをもらえたときには、すぐ近くにある市営のプールに行って遊んだ。安っぽくて飲むほどのどがかわく炭酸飲料を買うのが楽しみだった。

 ザリガニ釣りしよう、といって集まっているのに、みんな素手か網でザリガニを捕まえていた。釣りざおを持ってくる子はひとりもいなかった。

 ただ、たつみはこの日、木の枝に凧糸をくくりつけた手作りの釣りざおを持って、駄菓子屋にあるイカを細かく切ったお菓子をエサ用で、小さなケースに入れてきていた。網とバケツだけ持ってきた僕らとは大ちがいだ。

 たつみは髪が長かった。肩まである髪が毛先にかけて癖っ毛っぽくなっている。ひどく細身で、折れないか心配になるほどだった。足はとても速く、毎回リレーの選手に選ばれていた。けれど活発ではなく、球技などは苦手そうだった。運動会は必ず一種目は出ないといけないから、という理由で出ていたらしい。

 彼の肌は、いつも日差しを吸収しているみたいに白かった。それを隠すためなのか、日焼けしたくないのか、夏場も長袖のシャツ、あるいはカーディガンを羽織っていた。この日は、くすんだ空色のカーディガンだった。

 たつみは、小川に架かるコンクリートの短い橋に腰かけて、足をぶらぶらとふりながら、釣竿を構えていた。野蛮に水の生きものを追い回して暴れる僕らを、ほんのすこしだけ高いところからみおろしていた。長い髪で影になった奥でひかえめに光る瞳は、うらやましそうにも、退屈そうにもみえた。彼の纏っている雰囲気に対して、平凡な僕は小さな羨望を感じていた。

 思えば僕は、自分よりなにかが優れた人をみつけては、目をつけて観察していた。絶対的な価値がある人になりたい、という浅い欲求のせいで身につけてしまった悪癖。けれど、たつみに向けていた視線は、そういう汚れた感情とはすこし異なっていた。危うさや、儚さのようなものが気になってしょうがなかった。

 なんとなく、話しかけたくて声をかける。話題はとってつけた。

「入んないの?」と、右足を川からあげてぶらつかせる。

 するとたつみはほんのすこし眉をひそめて、

「いやだよ、におうし」と答えた。

「くさいのはいやだけど、なれればたのしいよ」

 いってから、右足を川に戻す。におい、汚れは正直なところかなり気にしていた。親から、服を洗濯するとき必ず嫌味をいわれるからだ。家に帰った後のことを想像すると、脳みそも視界もみるみるうちに曇るから、できるだけ遊びに熱中しようとしていた。

「ザリガニ釣りにきたんじゃなくて、内海たちをみにきたんだよ」

「え? なにそれ」

「あ。いや、わからなくていいよ」

 たつみは微笑んでから、僕から目線をそらした。木々が生い茂っているほうをみているようだった。そのいいかたは引っかかる。たつみから受けとった違和感にもやもやとしつつ、どこかうれしさもあった。その勢いで、

「そういえば、そのカーディガン」思わず、口から出てしまった本音に、自分でとまどってしまう。

 たつみは僕のほうをみて、首を傾げながら、

「ああ、これ、姉からのおさがりなんだ。いい色だよね。四月の葉っぱみたいでしょう」と答えた。

 そのとき、橋のしたにもぐっていたサトルが「ドジョウいたドジョウいたドジョウいた、だれか向こうまわって!」と叫んだのを合図に、複数の足がバシャバシャと音を立てた。僕はなんとなくたつみが気になって、その場から動かずザリガニを探すふりだけをした。わかんなくていいよ、という言葉がずっと頭から出ていかなかったからだ。

 友達三人が立てた茶色の煙が、川の水を染めあげてゆく。山ほどいる川エビも、藻も、ザリガニも、ぜんぶみえなくなる。足の裏には藻のぬめる感触と、小石や貝の丸い部分を感じていた。風が吹いた。つめたい風で、それはたつみのいる方向から吹いていた。そちらに目をやる。髪を風に揺らされながら、釣りざおを水からあげた。えさのイカがなくなった糸の先が左右に揺れている。木洩れ日がころがる水面。たつみの目がそれを受けて青くきらめいた気がした。

「内海」

 急に芯のある声をかけられた。鼓動が跳ねあがっているのがわかった。

「なに?」とおそるおそる訊き返す。シャツが肌に貼りつくのが不意に気になった。

「カワセミいるから、動かないで」

 こちらを指差しながら、真剣な表情でたつみはいった。

 たしかに、遊歩道沿いにはときおりカワセミが現れた。鳥がなぜか好きだった僕は、確認したいと思ったが、動かないでといわれると、なぜかふりむけない。背後に、いるかいないかわからないカワセミの気配を感じていた。あの青い光を想像する。すると、

「内海、鳥すきなのに、ごめんね」と、謝ってきた。申し訳なさそうな口調ではなかった。

「いや、いいよ」と、僕はたつみとおなじくらい、あっさり聞こえるように努めた。

 なにかの授業ですきな鳥についてスピーチしてから、クラスで鳥好きとして認識されていた。たしか、ケツァールとかヘビクイワシとかの話をした。図工の授業でも、たびたび絵の題材に鳥を選んでいた。ただ描きやすいから選んだだけだった。鳥のことをすきなふりをしているのか、ほんとうに興味を持っているのか、自分でもよくわからなかった。

 できることがなくなったので、ドジョウを獲りに行った三人の声が、遊歩道の環境音ととけあうのを、しばらくぼうっと聴いていた。近くにいるのに、遠くで鳴っているようだ。風が揺らす木々の音と蝉の声が、海岸の波のように寄せては返している。みんながさわぐ声が掻き消されたり、はっきり聴こえたりするのがおもしろかった。

「カワセミって」

 自然が生み出す音の波をまっすぐつきぬけて、たつみの声が、僕の鼓膜を揺らした。話しかけられたので顔をあげる。けれどこちらをみてはいなかった。じっと、カワセミがいるらしい方向をみつめている。

「漢字で書くとヒスイとも読むんだよ」

「かわせみって漢字あるんだ……川のセミじゃないんだね」

 図鑑にはカタカナでしか書かれていなかったから、知らなかった。夏によく現われるから、川の蝉なのだろうと勝手に思っていた。ヒスイ、と聞くと、火と、水が真っ先に思い浮かんだ。

「ヒスイって、宝石なんだよ。カワセミの羽と、色はちがうんだけどね」

 どんな色だろう、と想像する。カワセミの色ではないなら、火のような色だろうか。カワセミは、いつもサファイアに似ていると思っていた。ゲームソフトのタイトルになっていたから有名な、かっこいい名前の宝石はおぼえていた。

「カワセミも宝石みたいだもんね」

「宝石なんだよ」

 その発声に、なぜかものすごく強い意思が込められていると思った。

「ね、うしろ、ふりかえっていい?」

「それはだめ」

 すこし笑い混じりにいわれ、えー、と返したけれど、いうことを聞くことにした。カワセミが、ほんとうにいたのかどうかもわからなかった。

思えば、この自然そのものがたくさんの気配を持っていた。森の木々のざわめきも、川のせせらぎも、野鳥のはばたきも、常に存在していた。

 だから、背後に感じた気配は、カワセミのものではなかったのかもしれない。

 そのうちに、ドジョウを捕まえた勇者たちが戻ってきた。網に入ったうごめくものをみて、やったな、といっていっしょによろこんだ。なぜか、蝉が耳ざわりだな、と思った。カキヤの茶色い短パンが濡れて黒くなっていた。ヨシは泥のついた手でふれたからか、顔のいたるところに小島ができていた。太っているサトルは汗まみれで、髪の毛が額に貼りついていた。

 たつみはそんな僕たちを、ただ傍観していた。たつみは、なにか僕らとはちがう。

 遠い。たつみは、いつも遠い。ありのままに実感を言葉にするとこの言葉が一番近かった。僕は、その遠さが、うらやましかった。それっきり、たつみがザリガニ釣りに参加することはなかった。


 電車で残り八駅ほど最寄り駅まで揺られ、家に着くまでの約三十分、あのザリガニの写真がきっかけとなって、たつみについての記憶を取り戻した。

 ただ、これは単なる情報に過ぎない。設定や台詞までを理解してから字幕なしでみる映画、というのがイメージに近いだろう。知っている情報をもとに、いまの自分の脳が映像化したにすぎない。

 記憶と夢。おそらく、ほとんど、おなじものだろう。眠っているあいだに記憶を整理する、その際にみえる記憶のコラージュ。それが夢だという話を聞いたことがある。

 川での記憶は不確かで、嘘も混じっているものかもしれない。けれど、思い出せたこと自体が嬉しかった。この日受けた会社には一週間後にお祈りをいただいた。ちょうど四十社目だった。

 それから数日間は、遊歩道の川で遊んだ記憶がつぎつぎと浮かんできた。

ザリガニを百匹捕まえるまで帰れない、という遊びをして、ほんとうにその数を捕まえたこと。その日、玉入れで数を数えるときみたいに、「いーち、にーい」と声に出しながら川に投げ込んだら、人だかりができたこと。サトルがザリガニに砂をまぶして「から揚げにする」といっていたこと。脱皮したばかりのザリガニを、大きなザリガニと戦わせて、わざとやわらかい甲殻を突き破ったこと。ヤゴを捕まえては地上に放ち、歩くすがたをながめたこと。ごくたまに川に降り立つアオサギをみて、微動だにせず、息を止めたこと。

 いまならさわりたいとも思わない生きものとのふれあい、残酷な遊びかたを思い出して、懐かしさと恐ろしさにきゅうっと胸をしぼられた。そして、どの記憶を手にとっても、川での思い出以外にたつみは現れなかった。

 そもそも、僕とたつみは仲が良かったのだろうか。川で遊んだとき、学年もちがうのにどうやって遊びに加わりたいと、僕たちに声をかけてきたのだろうか。自分に嘘をついているのかもしれない。なにか、忘れておきたいことがあるのか。思い当たる節はない。

 就職活動もうまくいかないまま、自分自身を疑うことが日に日に増えていった。

夢もまた、みられなくなった。


 数日後、一次面接を通過した、という通知と次回の日程がメールで送られてきた。それだけですこし気が楽になった。体の倦怠感が抜けて罪悪感が薄れる。もちろん、つぎの面接の準備はしなければならない。面接対策が嫌いだった。

 だからこそ、いますぐにやらないと前日までやらない気がして、ノートを開き、面接での受け答えを想定して自分のセリフを書いてみた。自分の興味を保つために、できるだけきれいな字で書くように気をつける。しかし、書き出しだけで集中力が切れ、どんどん汚くなる。気づけば飽きていた。だから駄目なんだ、という声が聞こえた気がした。昔からこんなことばかりだった。

 毎日家にいるせいで、食卓に並ぶものはパターン化され、自分がつくるメニューも決まりきったものになっていた。繰り返しを脱するには、やはり外でなにかを食べたいのだが、お金はなるべく使わないほうがいいと思い、結果外には出ない。

 陰鬱な気分になるとなにも手につかなくなるから、すんでのところで我に返り、弾けもしないギターを爪弾いてみることがあった。小さなエレキギターで、ヘッドの部分に書いてあるロゴは、筆記体なので読めない。父のものだ。二弦が錆に覆われていて、チューニングが合っていても押さえるとおかしな音になった。

 インターネットでコード表を調べて、指の位置などを確認しながら、見様見真似で好きな曲を弾いてみる。コードチェンジがうまくいかないまま成長しない。けれど、ひとつのコードがぼんやり鳴っただけで満たされたような気持ちになった。吸ったことはないが、煙草を吸う行為はこれに似ているのではないだろうか。

 働き始めた友人たちから、仕事について愚痴のラインが届くようになった。慰め、労いの返信をする。自分がその立場だったらどうか想像すると、自然と丁寧に言葉を選んで送った。彼らに仕事があること自体は、羨ましくはなかった。

 ギターをなんとなく弾くことや、落書きをすることなど、なんとなくものをつくる行為が好きだ。大学に通いながら、小説のようなものを書いていたこともあって、それを続けたかった。インプットの時間もほしい。そのためには時間がいるのに、会社に勤めたらそれができなくなるのではないか。ほんとうのところ、これが就職活動に身が入らなかった原因だ。

 調べていくうちに、やりがいがある仕事に休みはなく、休みがある仕事には金銭面においても、人間関係においても虚しい結果しか望めないとわかった。一般的な人々は、なにを希望に生きているのだろう、とよく考える。

昼食を食べてから、体がひどくだるいまま、眠気と戦っていた。陰鬱なまま考えごとばかりして、ひきこもり続けるのも良くないと思い、散歩に出かけることにした。

 午後二時、もっとも気温が高い時間に家を出る。四月ごろから最高気温が三〇度に達していた今年の春。五月にも三十度を超える日が幾度かあった。

季節が名ばかりで意味の伴わないものになっていく。季語が実際の季節とまた一段と遠ざかる、そのさなかに生きているという体感があった。毎日、トランプのカードのようにシャッフルされ季節が変わっている。春らしい春にふれることもないまま、五月も半ばを過ぎていた。

 外の景色はどこもうっすらと白んでいた。午後の日差しが世界を白く上塗りしているようだ。眼鏡が汚れているせいかと思い、外して確認しても問題はなかった。街路樹、植木、行き交う人々、電柱、クルマ、家々、すべてが陽の光を纏っている。なにもかも蜃気楼のようだった。

 図書館の角を左に曲がり、公園のほうへ向かうことにした。夫婦がやっているターコイズブルーのコーヒーショップが道沿いにある。しかし今日も入らずに通り過ぎた。そもそも今、一銭も持っていない。行きたい、やりたい、という気持ちに自分勝手に制限をかける癖がついたのはいつからだろう。思えば、訳のわからない制限ばかり、自分に課してきた。選択した、その結果が間違いだったと思いたくないだけの臆病者だから、制限を設けることで可能性の芽に水をやることも諦め、枯らしてきた。

 あまりにあらゆるものがまぶしいので、目を細めながら歩みを進める。

 道の脇に生えている木々や植え込みに咲いている花、家々も下校途中の中学生たち、それらがみんな、なぜか大きくみえる。あらゆるものが目に迫ってくる、高く立ちはだかっている、そんな錯覚があった。心が萎縮しているのだろうか。自らの存在の重さが、目に映るすべてにくらべて、劣っている気がした。白日のもとに晒す、という言葉が頭に浮かんだ。

 風が吹く。風にだけ、春の気配がほんのり残っていると気がつく。そのわずかなつめたさがなければ、立ち込める光と熱で、きっとおかしくなっていた。

ざわめく木々、通り過ぎる車の音。目に映る幻覚が、現実の一面に過ぎないと判断するためには、視覚以外の五感が必要になるようだ。パンの焼ける匂いがしてきた。目に映る景色に変化はない。すべてありのままあるだけだった。パンが食べたくなってきた。

 公園に着くと、街路樹より色が深く濃い葉をつけた木々が無数に並び立っていた。一度の風で、無数の葉がなびく。公園の入口で立ったまま、その音をしばらく聴いていた。葉の一枚一枚、すべてに命があるのだろうか。

 この公園はもともと、洪水時に水を溜めるためにつくられた、と入口の看板に書いてあった。敷地の外周から下の広場に向かう螺旋状のくだり坂がある。外周は一つの円になっており、主に老人たちが散歩したり、途中の椅子で腰かけて話したりしていることが多い。子どもの遊び場でもあり、ランニングコースにもなっていた。

 今日はあまり人がいない。外周をゆっくり歩くことにした。全身を包む木々のざわめきを聴きながら、木の命はどこまでなのか、また考え始める。人は髪の毛に自分とは命を感じるだろうか。爪、はがれていく皮膚、それらをひとつひとつ命だと考えている人はいないだろう。おそらく、科学的には、葉や枝を命とはいわないのではないだろうか。きっとスマートフォンを使って調べれば、結論が書かれているのだろう。けれど、検索しなかった。

 歩道には、グレーで長方形のタイルが敷かれている。おなじ形で、均等に隙間が空いており、湿気の多い土や、青々とした雑草がのぞいていた。こどものころのように、その隙間に足を落とさないよう、すこし飛び跳ねるように歩いてみた。

 十歩ほど進んでからじんわりと恥ずかしくなってきた。止まって周りをみると、前方には、ベンチに腰かけたお婆さんがいて、こちらをみていた。後方には小学生くらいのこどもが二人いた。どちらとも目があった。ノミのような動きを観察されていたようだ。

 できるだけ、平然を装って歩き出す。なにか別のことを考えよう。そういえば議題を放置していたのだった。木々の葉は命かどうか、だ。

 人は、小説を書く、絵を描く、曲をつくる、その他にもあらゆる表現を、自分のこどもだと呼ぶことがある。葉も、目的があってつくられたものだと考えられるのではないだろうか。よりよく生きるために必要なもの。葉のない木々がスーツを着て歩き回っている交差点を思い描いた。そこに僕は、なんの違和感もなく溶け込んでしまうのだろう。

 うつむくと、木洩れ陽がみえた。あまりに光と影がくっきり光の板をだれかが落として割ったのかもしれない、と空想してみる。ちょうどベンチに座るお婆さんの真横を通り過ぎるところだった。横目でみると、ねむっていた。ふりかえる。子ども二人はどこかへ消えていた。なにかの予感は予感で終わってしまう。いつから落ちたままなのか、黄色い葉が道の脇でカラカラと鳴った。ほんとうはいま、何月なのだろうか。

 そう遠くない未来に、ほんのすこしだけ真実に近いはずの思いつきが、まるっきり剥奪されるような、そんな予感がある。生きるほどにアンテナは長いものから順に折れ、丸くなっていく。得体の知れない流れに身を置くうちに研磨されて、欠けて、小さくなる。時間と光を失って、どんどん流されやすくなって、たどり着きたくもない場所へと、勝手に導かれる。きっと順応するのに慣れて、最後にはみんな口をそろえて「これが運命だったのだ」と口にするのだろう。僕はまちがいなく、そこに加わってしまう。それが恐いから、ずっと逃げてきたのだ。

 汗ばんだ肌に、春めいた風が当たる。そのつめたさが意外に思えた。外周を回りきり、立ち止まって公園を一望してみた。陽の光を反射する若草色の草木が、さざなみを立てる湖のようにみえ、そのなかを数人が思い思いに動いている。

 絵画の世界に佇んでいるみたいだ。ここから出たくない。けれど、傍観している時点で、自分はこの世界の住人ではないのだ、と気づかされてしまう。

したを向きながら歩いた。おなじ形の長方形を踏みしめながら、つんのめるように歩き、公園を出た。ぼうっとしていたが、しばらくして車の走行音にビクッ、と体が反応する。すぐさま顔をあげ、ちゃんと歩かなければと思い、背筋を伸ばし、なるべく前を向いて歩こうとした。

 来た道をそのまま戻らず、街路樹が大きく日陰の多い道を選んだ。木洩れ陽のもとを歩きたかった。

 不定期に切り替わる影と光が視覚を翻弄する。目を閉じてみても、赤と黒が交互に視界を満たした。そこに赤や青や黄色、緑の、言葉にできない無数の模様が浮遊する。気づいたら自分自身が、木洩れ陽のひとつになっていたらどんなに良いだろうか。

 おもしろがってそのまま歩いていたら街路樹の根につまずいた。目を開いて、普通に歩くことにした。視界がほんのり蒼ざめていたが、すぐに元通りになった。

住んでいるマンションの道路を挟んだ向かいにも別のマンションがあるせいで、家の前はすこし風が強いくらいの日でも髪の毛が瞬時にぼさぼさになるほど強くなる。信号待ちの間、強風に襲われた。ひどい風雨の日には傘もさせないような場所だ。自然と顔をしかめてしまう。

 突風が吹いた。瞬間、枯葉が数枚、顔に打ちつけてくる、その痛みに目を丸くしてしまった。「え?」と、勝手に声が出た。遅れて顔の前に手をやる。マンション清掃の日だったのか、落ち葉の山がなだれて道にひろがっているのが、吹きつける枯葉たちの隙間からみえた。

 カラカラ、カッ、カッ、サラサラと、かわいた音で周囲が満たされてゆき、最後に一瞬だけ、それらの音が飽和した瞬間があった。いつだったか、ライブハウスでバンドの演奏を聴いたとき、似たような経験をした。肌身に圧を感じるほどの音で空間が埋め尽くされたとき、むしろ無音のようになった。それから、一拍置いて、音のかたまりが、唐突に鼓膜へ流れ込んできた。思わず乱暴に叫び返したくなったのを思い出す。あのときと、おなじだった。

 そして、風が止んだ。

 さびしそうな音を立てて、落ち葉がアスファルトのうえを転がっていった。いつか、どこかで、みたことのある光景だった。デジャヴではなく、事実として、その記憶がまだ現在の自分とつながっている、という確信があった。

信号はもう青に変わっていて、足早で渡る。この感覚を離さないように、と祈りながら先を急いだ。

 葉が転がる音、聴いたのはいつだった? 

 さむい冬の日だった。

 小学生のころ、毎日のように僕たちは学校に早く行って、七時に正門が開くと、昇降口の前まで走って、着いた順に並んだ。七時三十分に昇降口の扉が開く。それまで、しゃがんで待っていた。

 先生が、一年生の下駄箱前から順番に、扉の鍵を開けていく。ドアが開くと走ったと判断されないくらいの早足でぼくたちはなだれ込んだ。下駄箱から上履きを抜き取り、外靴を投げ入れると、三十段ある階段を駆けあがる。先生にみつかれば、廊下を走ったら十秒止まりなさい、というペナルティが課されるから、なるべく気をつけながら小走りで教室に向かった。教室に着いて教科書をひきだしへと詰めこんで、ランドセルを棚にしまって着席する。そのいちばんを競い合うレースだった。なぜか、気がついたら参加していた。なんの見返りもないのに、僕たちは必死で競い合っていた。

 葉が転がる音を聴いたその日。僕は寝坊し、そのレースに出遅れた。校門までは一直線の砂利道だった。その片側は木々がたくさんある斜面で、もう片側は校舎の敷地になっていた。枯葉が落ち始めており、風に吹かれて、道のうえを転がっていた。

 その道を走っているとき、砂利に足をとられて派手に転んだ。両手に荷物があったおかげで、受け身を取り損ねて鼻を打った。全身を力ませて、痛みと涙を堪えながら、息を止めていた。

 最初の痛みが治まってきたところで荷物を手放し、顔を押さえた。転んだときに膝もぶつけていたということに気づいた。痛みが増えたので、また息を止めた。茫然としたまま、冷えきった風を浴びていた。

 しだいに暗い気持ちが胸を満たした。心臓がどんどん小さくなっていく感覚があった。そうだ、学校に早く行く意味がない、家で勉強してから行けと親に怒鳴られ、喧嘩になったのだった。苛立ちを原動力に家を飛び出して、がむしゃらに走った。冷気を吸って苦しくなる胸にも構わず、ひたすら走った。そして転んだ。

 なにもかもがやりきれない。そもそも、なにに必死になっているのかも、わからない。そもそもなんで学校に行くのだろう? つねに、だれかとレースをしている。

 良いほうが良い。悪いほうが悪い。意味なら、どちらにもない。わからない。心のなかがヘドロになっていく。

 そのときだった。

「だいじょうぶ?」


 家の扉が閉まる音を背に、仄暗い玄関に立ち尽くす。鼓動の強さと速さへの驚きで我にかえった。胸に手を当ててみると、皮と肋骨をへだてた向こうに心臓がある。そんな当たり前のことに気づかされるほどに拍動が暴れていた。過去にふれた反動だった。

 靴を脱いで、キッチンへ向かった。冷蔵庫から水を取り出す。食器棚から半透明のガラスのコップを置き、水を注ぐ。ここまで外からの明かりが届いていて、コップを照らした。

 水に溶けた光がキッチンの平面に反射している。光は、水のなかで不定形なままうごめいて、渦巻いている。さっきの心臓はきっとこんな形だっただろう。

水をぎりぎりまで注ぎ、こぼさないように口につけ、すこしすすってから、一気に流し込んだ。口の端からあふれた水が、頬からあごの関節へと伝い、おそらく胸のあたりに染みただろう。肌に残る水の軌跡がくすぐったい。けれど、ふきとることもせず、自室に向かった。

 運動した影響もあって、かなり汗ばんでいた。暑かったが、車が道路を走る音や、風が街路樹を揺らす音がうるさいから、窓を開けずに我慢した。静寂を保って、記憶のなかで聴こえた声をもう一度、再生しようとする。

 けれど、もう、情報と意味しか、頭のなかには残っていない。音を記憶にとどめておくのは、とてもむずかしいようだ。

 パソコンのデスクトップ前にある椅子に座り、真っ暗なディスプレイをみつめた。自分の顔と、その背後に背の高い本棚が半透明になって映り込んでいる。整列した本やCDをながめる。記憶にもこうやって、なんらかの形をあたえて残しておけたらいいのに。本棚にある本や漫画の内容を徹頭徹尾おぼえているわけではないけれど、記憶もこうやって並んでいるなら、ふりかえるのが簡単になるはずだ。  あの日、たつみが声をかけてくれたあと、校舎までいっしょに歩いた。だいたい二〇〇メートルほどの距離だった。会話の内容はおぼえていない。上級生と話すのはめずらしいことだったから、緊張してうつむいていたので、この日は目があったのは最初に声をかけられた瞬間だけだった。

 いつも朝早く登校していたから、通学路にランドセルを背負った他のこどもがたくさんいることに、違和感があった。朝の通学路はいつも、こんなに耳ざわりじゃない。変な独占欲に気づいた。もともと、朝はだれのものでもないのに。

 秋から冬になったばかり曇り空のしたは、ほとんど白と黒ばかりだった。砂利の敷きつめられた道と吐息、それから空は白く、さまざまな影、常緑樹、道行くこどもたちは黒くみえた。たつみは、白い。

 荷物が多く手間取っていた僕を、たつみは待っていた。心配して、何度も声をかけてくれた。昇降口からつづく階段をのぼりきったところで、それぞれの学年の教室がある方向へわかれた。最後、ふりかえって、たつみの後ろすがたをみた。髪が長かった。そのときは、肩まであった。ランドセルの色は思い出せない。白い影にみえた。

 記憶はここまで。心臓はほとんど元どおりの動きに戻った。

 椅子の背に体をあずけ、天井をみあげる。まぶしい。

 けれど、記憶のなかにいたたつみや、幼いころの記憶とくらべれば、なんでもない、ただの人工の光だった。


(この続きは、サークル「ウユニのツチブタ」の新刊『ケーキの切れないごみくずども』に収録されています。興味を持っていただけた方はぜひ、ご購入いただければとおもいます。ここまで目を通していただいたすべての方に心から感謝いたします。)

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たつみ(前) フジイ @komorebimidori

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