6

 暮と風早の二人が見守る中、鷹野がⅣ型だったものをナイフで開く。固く圧縮された肉塊を掌大に分け、薄く切り広げていく。耳障りな音に風早が顔を顰めた。

「暮くん、これは……」

「どこかにあるはずなんだ。こいつがやったっていう、証拠」

 青白い顔の暮は、鷹野の手元から視線を逸らさない。意図が掴めないまま風早が目を落とすと、鷹野が肉片のうち一つに迷いなく手を突っ込んだ。

「ちょ、鷹野くん!?」

「黙ってろ」

 狼狽える風早をよそに、鷹野は肉片の中から小さな欠片を摘み上げる。異形の体液に塗れたそれは赤黒く濡れ、風早の目には何であるかが見て取れない。暮は鷹野から受け取ったそれを揉み込むように拭い、じっと見つめて、納得したように息を吐いた。

「これか」

「うん。やっぱりこいつだったよ」

 風早が首を傾げながら、鞄からハンカチを取り出し鷹野に手渡した。先程暮の汗を拭った風早のハンカチは、未だ暮のコートのポケットに入れられている。

「ハンカチ何枚持ってるの……」

「備えあれば何とやら、だよ」

 風早は微笑みながら更にウエットティッシュを取り出し、汚れたハンカチの代わりに鷹野の手に乗せた。鷹野は渡されたそれを当然のように使い手を拭いている。苦笑を咳払いで誤魔化し、暮は欠片を握る手を広げた。

「俺達……ううん、俺が探してたのはこれ。ありがと、鷹野さん」

 風早が暮の手を覗き込む。布の切れ端のように見える薄桃色の欠片、その一部は異形の体液とは異なる濃い退紅色に染められていた。断りを入れ、風早が欠片に触れる。目の詰まった布地はやや硬く、厚みがある。風早は、その感触に覚えがあった。

「……エプロン?」

「そう。これ、茅野のお母さんが着てたやつ」

 弾かれたように顔を上げた風早が茅野を振り返る。鵜ノ沢に肩を抱かれた茅野は地に座り込み、項垂れていた。暮の言葉が二人に聞こえた様子はない。

「つまり、このⅣ型は茅野の母親を食ってたってことか」

 鷹野は煙草に火をつけた。

「だとしてもだ。あれだけ明確に、食った人間の記憶を持つなんてのは」

「そもそも。鷹野さん……風早さんもだけどさ。こんだけ大きいⅣ型を見たことあった? やりあったことは?」

 目を見合わせ、首を横に振る。

「調べてはいたが、実物を見たのは初めてだな」

「だよね。俺もない。だからだと思う」

 暮は鵜ノ沢の背に視線を投げ、やがて戻した。

「夏生──鵜ノ沢ならやりあったこともあるだろうけど、ご存知の通り俺達は異形のことなんてろくに調べてない。どんな攻撃をしてくるか、当たったらどんな怪我を負うか。それしか必要なかったから」

「……普通は、そうだよ。大丈夫」

 風早はそっと眼鏡を掛け直した。

「俺はとりあえずこれだけ持って帰れたらいいから、あとはあげるよ。鷹野さん、こいつ解体バラしたいでしょ」

「バラすも何も」

 立ち上がり、Ⅳ型の死骸を見下ろす。膨らんでいたはずの下半身も、背から飛び出していたはずの触手も、原形を留めず一つの塊になっていた。切り分けた肉片がⅣ型の体のどの部分であったかを判別することも難しい。鷹野は紫煙を巻き込んで嘆息した。

「あいつが全部ぐっちゃぐちゃにしやがったろ」

 鷹野の親指が茅野を指す。暮は、苛立ちと呆れを隠さない鷹野を見上げ、困ったように笑った。

「茅野は巣に来たのも初めてだし。それに、自分が能力者だって知って間もないんだ。俺に免じて許してくんないかな」

 暮が目を閉じる。再び開かれた目は、真っ直ぐに鷹野を見据えていた。

「察してるとは思うけど、俺はさっきⅣ型の思考を読んだ。そこから得た情報とか伝えるからさ。それで許して欲しいんだよね」

 口調は変わらないが、その表情に軽薄さは無い。立ち上がろうとしてふらついた暮を、風早が支えた。

「時間も無いだろうし手短に。話すと長くなるから」

 射抜くような暮の視線を受けた鷹野、次いで風早が、目を見開いた。口を開こうとした風早を暮が制す。

「先にここから脱出しよう。もうそろそろ、出口が出てくるはずだから」

「……そう、だね」

 風早は鷹野と視線を合わせ、暮を支えたまま鵜ノ沢の元へ歩く。足音に気付いた鵜ノ沢が茅野を立たせ、先行する鷹野に続いた。




 部屋を出ると、剥き出しのコンクリートが囲む廊下に続いていた。壁はひび割れ、澱んだ空気に満たされていたが、微かに風が吹き込んでいる。久々に外界と同じ空気を吸った暮が、深く息をした。

 会話無くコンクリートの階段を下り、外からの光が差し込む出口へと歩く。脈打つ肉の壁、パイプのように這う血管状の管。その一切が消えており、劣化した廃ビルがただそこにあった。扉があったのだろう場所を潜ると、西日が頬を打つ。風早は思わず額に手をかざし影を作った。鵜ノ沢を手伝うよう風早に頼み、暮は瓦礫を支えに立つ。

「暮」

「あー、言わないでおいて。あの二人には俺から言うし、その情報どうこうするのもあんた達の勝手でいいからさ」

 鷹野は言葉を返さなかった。それを了承と取り、暮は小さく微笑んだ。

 車を取って戻ってきた鵜ノ沢が、風早に礼を述べて茅野を車に運び込んだ。見届けた暮は、ゆっくりと歩き出す。

「なんだかんだ助かったよ。ありがとね、鷹野さん。あ、ハンカチは洗って返すからって伝えといて」

 ふらつきながら歩く暮を見送り、入れ違いにやってきた風早に持っていた布製の袋を押し付ける。袋の中でビニールの擦れる音がした。

「鷹野くん、これは?」

「Ⅳ型。一応持ってきた」

「そういうところ、ちゃっかりしてるよね……」

 風早は呆れながら笑う。鷹野は意に介さず、煙草を咥えた。

「所長の車、禁煙だろ。乗る前に一服させろ」

「ありがとう。僕も車持ってくるから、その間にごゆっくり」

 鷹野に背を向け、鞄から車の鍵を取り出す。

「……暎和出版。調停、か」

 駐車場に向かって歩きながら、風早が微笑む。

「また、会えるといいなぁ」

 細められた風早の目は、温度を宿していなかった。




 車内はエンジンの音だけを響かせていた。後部座席で俯く茅野の様子をバックミラー越しに見て、暮は目を閉じる。母親の死と、それを為したⅣ型を茅野に見せつける意味。東堂の意図を思案しながら、暮は、茅野の母親が死んだ夜を思い起こした。


 あの夜、住宅街は静まり返っていた。点々と設置された外灯と、カーテンの隙間から漏れる明かりが薄らと地面を照らしている。屋根の上に腰掛けた暮は、携帯電話を耳に当てた。

「お疲れさまです。暮です」

『……あ、千弘くん? どう? そっちは』

 電話口からは、普段と変わらない東堂の明るい声がした。向かいに位置する一軒の家を見下ろす。

「駄目ですね。間に合いませんでした」

 その家の、恐らくリビングにあたる部屋に、一人の人間が倒れているのが見える。動く気配は無い。

『そっか。うん、千弘くんのせいじゃないよ。気にしないで』

 当然だ。その人間はあるべき腹が、屋根の上からも見える程大きく抉り取られていた。誰が見ても、死んでいると判断できる。

「そこは気にしてないですけど……これ、この家。表札に茅野って書いてあるんですけど。新人の名前もそんなんじゃなかったですっけ?」

 東堂から新人が入るとは聞いていた。事前に受けた情報を、脳内に呼び起こす。

『お、よく覚えてたね。その通りだよ。茅野美鶴くん。期待の新人くんです』

「……社長ほんと趣味悪い。分かってて俺を寄越したんでしょ」

 よく覚えていたとは言うが、東堂ならば全てを知った上で命じたのだろう。そういう人間だ。

『あはは、ばれたか。でもまあ、夏生くんなら焦って美鶴くんに言いかねないからね。こういうの、人伝に聞いたって信じられないじゃない? 自分で見ないと理解できないこともあるんだよ』

 東堂は軽く言う。

「それが実の親の惨い死であっても見せつけるんですねえ。ほんっと、趣味悪いわー。俺の理解超えてる」

『安心してよ。僕も千弘くんの趣味は理解できないから』

「あは、それを言われちゃあ同意するしかないかなあ。俺のこれはもう生きがいみたいなもんなんで。理解できないもの同士ですねー」

 暮もまた軽く言えば、楽しげな笑い声が聞こえた。

『ふふっ、人間なんてそんなものじゃない? 理解した振りをして……あ、でも君ならできるのか、理解』

「似たようなもんはできますけどね。といっても無理矢理ほじくり出してるようなもんですけど」

 暮は髪の先を玩んだ。

『でも他の人よりは有利だよ。理解させることもできるでしょ』

「おかげでには困ってないですね! いやーありがたいわー」

『本当によく分からない人だね千弘くん。面白いなー。……ところで、本題。いい?』

 東堂の声のトーンが変わった。暮の目がすっと冷める。

「教会、ですね。ごく最近立ち上がった新興宗教にしては、信者の増え方がおかしい。おかしすぎる。教祖は何かしら、人を惹きつけるような……精神に作用する能力者と見て間違いないと思います」

 電話の向こうで、東堂が溜息を吐く。

『やっぱり、ね。周囲の人間はどう?』

「能力者、非能力者問わず引き入れてるようです。できれば心の内も探りたいんですけど、能力による信仰だと思われる以上ちょっと怖くて」

『うん。大丈夫だよ。千弘くんが影響されちゃったら、それこそ怖いから。安全な位置から見てるくらいでちょうどいい』

 これが通常の信仰心であれば、影響されることなどない。しかし、信仰そのものが強制、もしくは洗脳に依るものだとすればしてしまうのは危険である。暮の判断に、東堂も賛同した。

「でもそうまでして信者増やしに走る理由が読めないんですよねー。こんなあからさまなやり方してたらそのうち他にも睨まれるでしょ。警察あたり、もう掴んでるんじゃないですか?」

『そうかもしれないね。でもあの人達は事件が起きないと動けないからさ。取材だって言って僕が行ってもいいんだけどー……』

「社長は目立ちすぎるから駄目ですよ駄目。あんたは変わらず、他の結社と水面下のやりとりしててくださいなー」

 容姿もあるが、東堂は一部の人間にはよく知られている。姿を見れば、あるいは名を聞けば、調停の介入だと気付かれる。

『冷たいなー、これでも君たちのリーダーなのに。あんまり酷いこと言われると泣いちゃうよ?』

「泣けるんですか社長。すごーい初めて知ったー……っと、おふざけは置いといて。どうします? これから。とりあえず監視は続けるつもりですけど」

『うん、それでお願い。内部調査は、夏生くんと美鶴くんにお願いしようかなって』

 暮の口の端が吊り上がる。

「あっ夏生が行くんだー? それならついていきたいなー」

『駄目だよ。君がいたらまた夏生くん大暴れして、全部駄目にしちゃう。君がいる時の夏生くん、まさに破壊神なんだから』

「あは、壁に穴開けられたの根に持ってますね社長」

 先のものとは異なる溜息が聞こえる。壁に開いた大穴と、憤った鵜ノ沢の姿が脳裏に浮かび、暮は楽しげに笑った。

『修理費って意外と嵩むんだよ……っていうか、元はと言えば千弘くんのせいだからね?』

「はぁい。揶揄うのも程々にしますよーっ」

『まったく……そうだ、暴力は動いてる様子ある?』

 暮はにやついたまま眉を顰めた。

「それ俺に聞きますぅ? ほんと趣味悪ー。……まあ、今のところ大人しいですよ。補充はまだだろうし、元が多いとはいえ二欠けだから」

『……そう。大人しいと大人しいで気になる人達だけど、今は静観しかないかなあ』

「向こうが動くまでこっちが動けないってのは警察と一緒ですねー。やりづらいわ」

 わざとらしく息を吐けば、東堂の宥める声がした。

『とはいえ僕達は、何かが起こる前に動き出すこともできるからね。警察より自由度はあると思うよ』

「そりゃあそうですけど。遺体はどうします?」

『そのあたりは黒衣と警察が上手く片付けるだろうし、千弘くんは何もしなくていいよ。Ⅱ型?』

 暮の顔から笑みが消える。

「……いえ、Ⅳ型でした。かなり大きい。Ⅰ型とⅡ型を使役してるっぽいです」

『……能力者だけじゃない。異形の様子もおかしいよね、最近。もしかして、どこかに巣を作っちゃってるのかも』

「巣!? ちょっと待って、それ急いで叩かないとヤバいやつじゃないですか!?」

『だから、次は夏生くんと千弘くんに一緒に出てもらおうかなって。その間の監視は紅くんにお願いしようと思ってる。当然美鶴くんも一緒だけど、君達なら彼を守り切れるでしょ?』

 暮は頭を掻いた。

「信頼されてんのは嬉しいですけどー……三門さんと交代っていうなら、一度戻って共有と引き継ぎしたほうがいいですよね」

『そうだね。あっそうだ、冷蔵庫に君の分のフルーツタルトがあるから、食べちゃってね!』

 瞬間、暮の目が輝いた。

「えっ、いいんですかやったー! なんかお祝いありましたっけ?」

『美鶴くんの歓迎会したんだよー。帰ってきたら、彼にも自己紹介しておいてね』

「はぁーい」

 東堂の言葉に応えた暮は、思い出したように膝を叩いた。

「そうだ、その子ってタチですか? それともネコ?」

『そこまでは僕も知らないよ。そもそも、彼は未成年だから』

 呆れた声。暗に手を出すなと制された暮は、しかし笑みを絶やさない。

「んー……しょうがない、夏生で我慢しよ。俺達、カラダの相性は良いみたいなんで♡」

『あはははっ! 世界で一番どうでもいい情報ありがとー!』

「あっは、部下のメンタルケアに関わることなんだから、どうでもいいはなくないです? ……っと、夏生達来た」

 暮の目が、鵜ノ沢と三門、そして見慣れない黒髪の少年を捉えた。

『様子は?』

「あれが茅野? ……が真っ先に入ってった。夏生と三門さんはちょっと戸惑ってたけど、後に続きました。もうここからじゃ見えないですね」

『そっか。分かった。もう戻って──』

「あ、待って」

 沈黙。間を置いて、堪えきれていない暮の笑い声が漏れる。

「ふ、っふふ、今の聞こえました? 社長」

『えっなになに? こっちには何も聞こえなかったけど。何かあった?』

「夏生ってば、やめろ茅野〜お前はやらなくていい〜、ってさ。やっさしいんだから」

『それが夏生くんの良いところだと思うよ〜。夏生お兄ちゃんが新人くんに優しくしてくれて、パパは嬉しいな〜』

 予想外の言葉に、暮は思わず吹き出した。

「ぶはっ、社長がパパ!? あはは、じゃあ三門さんはママ?」

『紅くんは君達のお姉ちゃんでしょ。真面目で、自分のことに不器用で、鬱とかなりやすいタイプのお姉ちゃん』

「ひっどー。ウケる。あっ俺、夏生と同い年だし双子かな。でもなー双子っていうと……あ、出てきた。さすがにショックだったかー、すっごい落ち込んで……あれ?」

『うん?』

 暮の目に、異形の体液で濡れた茅野の手がはっきりと映った。

「社長。潜んでたⅡ型、茅野がやったっぽいです。手についてる」

『……そっか。美鶴くんも、これでこちら側の人間になったかな。まだ慣れは必要だけど、一度経験してしまえば抵抗は薄れる』

 東堂の声は、変わらず穏やかだった。

「もしかしてここまで計算してました? うわー社長ってばほんと敵に回したくない」

『あはは。君がうちにいてくれる限り、僕は君の味方だよ』

「正直味方にもしたくないタイプですけどねー。……三人とも戻ってったし、俺も一旦帰っていいです?」

『うん、戻ってきて。夏生くんが君と会えるの楽しみにしてたから、きっと喜ぶよ』

「心にもないこと言うの上手いなー。それじゃ、戻ります。またオフィスでー」

『はーい、気をつけてねー』

 切断。携帯電話をコートのポケットに入れ、立ち上がる。人通りが無いことを確かめ、屋根から飛び降りた。


 肩を揺すられ、暮は目を開けた。見れば、鵜ノ沢が暗い顔をしていた。

「……着いたぞ」

「ん、ありがと」

 車から降りる。茅野を連れて先に行くよう鵜ノ沢に言い、駐車場の壁に体重を預けた。エレベーターの駆動音を聞きながら、ポケットの中で布片を摘む。

「……何がしたいんだろうねえ」

暮の呟きは、誰に届くこともなく消えた。

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