5

 地を蹴る鵜ノ沢の行く手を、落下してきたⅡ型が阻む。勢いのまま蹴り飛ばし、今なお笑い続けるⅣ型へ、真っ直ぐに駆ける。

 鵜ノ沢に飛び掛かった複数の小型の異形、そのどれもが鵜ノ沢に辿り着くより前に空中で切り刻まれ、地に落ちる。肉片に動く気配がないことを確かめて、鷹野が声を張り上げた。

「暮!」

「今考えてんの!」

 こめかみを押さえ蹲る暮の隣、異形の襲撃に構えた茅野が暮の肩を支えていた。風早もまた警戒しながら、鷹野と鵜ノ沢に被害が及ばない範囲の異形を一掃していく。爆風を結界で防いだ茅野が、暮の顔を覗き込んだ。

「暮さん……無理は、」

「美鶴。今ここで俺が無理しなかったら、下手したら全滅しちゃうからさ」

 暮は眉を顰めたまま、口の端を上げた。床に手をついて体を支える。

「だから、大丈夫。ちゃんとやるから」

 思考が割り込む。鵜ノ沢に向かって投げつけられたⅢ型の頭部を、反転、Ⅳ型に弾き飛ばす。瞬時にⅣ型の周囲に異形の壁が形成された。

「さっきの……」

 鵜ノ沢の呟きを聞き逃すことなく、暮はこめかみを押さえる手に力を込めた。鵜ノ沢が風早と共に対峙したⅢ型が、防壁を築き攻撃を防いでいたこと。そしてⅣ型に同じ手を使われたことが、言葉無く共有される。

 鷹野が舌を鳴らした。

「所長が言ってたのはこれか、面倒だな」

「ごめん鷹野くん、そっちまでは届かない!」

「いい! あんたの能力避けながらやるほうが手間だ!」

 風早の声に叫び返し、鷹野が防壁を真っ二つに裂いた。再び姿を見せたⅣ型が、笑いながら鵜ノ沢に向かって走る。

 鵜ノ沢は足元の気配に気付き、真横に飛び退いた。先まで自身が立っていた場所に小型の異形がたかる。鵜ノ沢の足を掴み損ねた異形の手が、空を切った。


「……連携。ここにきて……!」

 暮が風早に頷いた。

「Ⅳ型が司令塔やってるんだと思う。どういう方法使ってんのかは分かんないけど……」

 息を吐く。呼吸は荒い。茅野は、暮の震える肩を支え直した。

「その辺は最悪……ほんとに最後の手段だけど、俺がなんとかする。仕組みだけでも分かれば違うだろうし」

 風早が目を閉じ、そして開く。四散し吹き飛んできた異形の腕や脚を拾い上げ、爆弾に変え、投げつけているが。

「このままだとジリ貧、かもね。Ⅰ型とⅡ型やつらも学習してきてる。不用意にこっちまで近づいてくれなくなってきた」

 風早の足元に転がる肉片は、徐々に減ってきていた。異形の中には、遠くから風早達三人の様子を窺うもの、鵜ノ沢と鷹野に狙いを変えたものもいる。

「あまり二人に近い場所だと、どれだけ小さくしたって僕の能力じゃ二人を妨害することになってしまう」

 異形を睨む風早の額に汗が浮かぶ。

「かといって、ただ見ているのは」

「分かってる。けど」

 暮は目頭を軽く押した。指の隙間からⅣ型を見据える。鵜ノ沢と鷹野は防壁や小型の異形に阻まれて、未だⅣ型に一撃を与えることもできないでいた。

 茅野は、床を這って行く異形に目を向けた。数は多いが、小さいものばかりだ。

「……暮さん」

 一言。思考を読み取った暮が、茅野を見た。

「できるの?」

「やってみなきゃ、分かんないです。でも、試すだけなら」

「価値はある、か」

 首を傾げた風早が、瞬きの後、茅野に視線を向けた。

「……それが可能なら、直接二人のサポートもできる。皆でⅣ型を叩けるかも」

 暮と風早、順に目を合わせて、茅野は深く息を吸い込んだ。




 蹴り、切り裂き、殴り続けているものの、防壁は崩れた次の瞬間にまた築かれている。Ⅳ型に、近づいては遠ざかる。

「……ッ、くそ……!」

 近づこうにも、遠ざけられてしまう。その繰り返しに、鵜ノ沢は苛立ちを募らせていた。そこかしこから響く異形の笑い声が、苛立ちと焦りを加速させる。

 這いずる異形を裂きながら、鷹野が周囲を見渡す。明らかに、自分達へ向かってくる小型の数が増えている。反して、絶えず聞こえていた爆発音が減っていた。この状況下、風早が理由なく手を緩めるとは、鷹野には思えない。だとすれば。

「弾切れと……警戒されたか」

 眉根を寄せる。小型の異形、その多くは、自身と鵜ノ沢に狙いを定めている。Ⅳ型への攻撃を続ければ、いずれ背後から叩かれ、二人揃って倒れることになる。手数で負けている今、一人の戦線離脱もあってはならない。ぎり、と奥歯を噛んだ。

「一旦退け鵜ノ沢! 先に雑魚を片すぞ!」

 鵜ノ沢の背後に迫る異形を断つ。鷹野が倒し切れなかった異形は、鵜ノ沢の回し蹴りで沈められた。

「うざってぇな、よってたかって!」

「異形がこっちを狙ってる、所長の能力じゃこっちまでは叩けねえ!」

「……クソがッ」

 爆風の反転を考えた鵜ノ沢は、しかし即座にそれを否定した。反転すれば、爆風の行き着く先はあの三人だ。暮は動けず、避けられない。風早は耐え切れるかもしれないが、恐らく茅野が全て防ごうとするだろう。いたずらに茅野への負担を増やすことはできない。思い至り、舌打ちと共に小型の異形を蹴った。

 攻撃が止んだと判断したらしいⅣ型が、防壁の陰から飛び出し、鵜ノ沢に向かって爪を振り下ろした。足元の小型を踏み潰しながらそれを躱す。鵜ノ沢に向けられたⅣ型の腕を鷹野が切り落とそうとするが、庇うように飛び出してきた小型の異形を切り刻むのみで終わった。Ⅳ型は無傷のまま、再び防壁に隠れた。

「キリがねえ……!」

 異形に体力という概念があるのか、鵜ノ沢には分からない。しかし、鵜ノ沢自身と鷹野は確実に、そして恐らく暮ら三人も疲弊している。五人──司令塔の暮を除いたとしても、四人での総攻撃。それさえ叶えばと、鵜ノ沢は拳を強く握り締めた。Ⅳ型がにたりと嗤う。


 ──モウ、オワリ?

「終わらせるよ」


 異形の言葉に重なった、暮の言葉と外側からの思考。鵜ノ沢と鷹野は視線を合わせ、Ⅳ型へと同時に駆け出した。積み上がる肉塊が壁となり、それらが蹴り壊され、四散する。異形が笑う。鵜ノ沢が肉片をひとつ拾い上げ、空中に放り、Ⅳ型に向かって蹴飛ばした。鷹野の視線の先、肉片は何にも妨害されることなくⅣ型の顔を叩き、眼球を巻き込み地に落ちた。




 茅野は、詰めていた息をゆっくりと吐いた。Ⅳ型の元へと這う異形や、壁の一部となっていた異形。それらの大多数が一斉に動きを止め、奇妙に縮こまったまま、ぺたぺたと

「……成功、した」

 結界、よりも、球状の檻。閉じ込めた異形を、眼鏡の奥から睨みつける。

「やるじゃん、美鶴」

 暮がにっと笑う。茅野の結界能力。それを、自身を守るためではなく、異形の動きを封じるために使う。数は多くとも、ヒトよりもずっと体の小さいⅠ型やⅡ型を閉じ込めるのに、茅野が思うより労力は少なく済んだ。

 肉壁は小型の異形が自らの意思で、もしくはⅣ型の指示で作り上げている。それならば、材料となる異形の動きを止めることができれば、Ⅳ型を守るものはなくなる。想定通りの結果を得た暮が、安堵の溜息を吐いた。

「これなら、鷹野くん達も……!」

「うん……いけるかも」

 今ならⅣ型を叩ける。暮の思考に応えるように、鵜ノ沢がⅣ型に向かって駆け出した。茅野が捕らえ損ねた異形がまたしても積み上がるが、膝下程度の高さにしかならない。軽々と跳び越え、蹴りを入れる。腕で防いだⅣ型はしかし勢いを殺し切れず、部屋の壁に叩きつけられた。砂埃が舞う。

「鵜ノ沢、どけ!」

 言うが早いか鷹野が腕を振りかぶる。鵜ノ沢はⅣ型から距離を取り、そのまま仕留め切れなかった小型を薙ぎ払った。鷹野の腕が振り下ろされ、耳障りな叫声と体液が散る。ぼとり、べちゃり。不快な音を立て落下したのは、鋭い爪を持つ、Ⅳ型の腕。視界が晴れる。現れた異形は蹲ったまま、断面の先、存在しない腕を求めてもがいていた。


 ──ウゥ、ゥ……


 呻く異形を前に、鷹野と鵜ノ沢が立つ。とどめを刺すべく、一歩、踏み出した。


 ──……ゥ、ウフ、フフフフフ……ッ


 笑い声。瞬時に鵜ノ沢が鷹野の前に出る。Ⅳ型は失った手の代わりに断面を地につけ、這う。口を開け、顔面から突っ伏した。

「……何、を」

 起き上がったⅣ型は、白い球体を咥えていた。叩き落とされた眼球、茅野にはその瞳孔が真っ直ぐに、自分を見ているように思えた。Ⅳ型の口の端が吊り上がる。眼球を噛み、舌に乗せ、飲み込む。攻めあぐねる鵜ノ沢と鷹野を嘲笑うように、ゆったりと座り込んだ。

「……ッ、美鶴! 耳塞いで!」

 青白い顔をした暮が叫ぶ。四人の視線が暮に集まった。

「え、」


 ──……ミツ、ル。


 異形が、茅野の名を、呼んだ。はっとした風早が茅野に駆け寄る。鵜ノ沢がⅣ型に視線を戻すと、先の嘲笑が嘘のように思えるほど、穏やかな笑みを浮かべていた。

「茅野くん!」

 風早が手を伸ばす。茅野に届く、その前に、Ⅳ型の口が開かれた。


 ──キョウ、ハ、ミツルノ、ダイスキナ。ハンバーグ、ニ、シヨウカ。


 慈しむように茅野へと差し出された、異形の腕。断面から滴り落ちる、赤黒い体液。跳ねたそれが小型の異形の死骸に落ちると、死骸が脈打ち、Ⅳ型の元に集う。茅野の目は見開かれたまま、真っ直ぐにⅣ型を見つめていた。小さく、茅野の口が開かれる。

「──ッ、げほ、ごほ……ッ」

 暮の咳に掻き消され、茅野の呟いた言葉は風早の耳に届かない。風早は慌てて暮の背をさすり、Ⅳ型に目を向けた。肉片に包み込まれたⅣ型が、痙攣しながら立ち上がる。癒着した肉片はⅣ型の腰から下、脚を囲うように膨らみ、半球状の塊となって揺れている。

 茅野は、異形に、手を伸ばした。


 鷹野がⅣ型の体から肉を削ぎ落とす。よろめいた隙を逃さず、鵜ノ沢はⅣ型の頭部を殴り抜いた。抵抗なく床に倒れ込み、体液が撒き散らされ、再び肉片が付着、結合する。

「駄目だ、どれだけ小さくても欠片さえ残っていればまたくっついちまう……!」

 鷹野が悔しげに零しながら、更にⅣ型を抉る。切り離された肉片を鵜ノ沢が即座に足で磨り潰すが、間に合わない。

「死体の再利用とか、まさにバケモンじゃねえか……!」

「クソ……ッ、茅野! あいつのもなんとかならねぇか!」

 振り返ることなく鵜ノ沢が叫んだ。茅野は答えない。反応すらもない。ただ、震える手を伸ばしたまま、Ⅳ型を見つめ続けていた。

 暮の肩を支える風早が目を伏せる。茅野の言葉は聞き取れなかった。しかし風早には、茅野の口が「母さん」と動いたのが、確かに見えた。

 堪え切れず嘔吐した暮と、動けずにいる茅野。視線を上げれば、Ⅳ型と交戦する鵜ノ沢と鷹野が肩で息をしていた。焦燥に満ちた風早の目に、項垂れたⅣ型が映る。その背がぼこぼこと、不自然に膨張する。

「鷹野くん!」

 Ⅳ型の背から、鞭のようにしなる二本の触手が鵜ノ沢と鷹野に降る。二人が飛び退いて躱すと、触手が突き刺さった床には亀裂が入っていた。引き抜かれた触手は、うねりながらⅣ型の背へと戻っていく。深く礼をするように、Ⅳ型の上体が前に倒れ込む。新たに二本、計四本の触手が、鵜ノ沢と鷹野に向かって鋭く伸びた。


 風早は、足音を聞いた。

 歩く茅野を目で追う。鵜ノ沢を、鷹野を刺し貫こうとした触手が弾き飛ばされる。追撃も跳ね返され、触手の伸びる距離は少しずつ短くなっていく。鵜ノ沢と鷹野の視線を気にも留めず、二人の間を茅野が通り抜ける。飛び散った異形の体液が空中で留まっている。赤黒く描かれた弧が、Ⅳ型を中心に、小さくなっていく。


 ──ミツル、


 顔を上げたⅣ型は、優しげな笑みを湛えて、茅野に向かい両腕を広げた。抱擁を待つような切り取られた腕と、背から伸び暴れ回る触手が、歪に圧縮されていく。腰が折れ、背が折れ、首が折れても、Ⅳ型は腕を下げない。茅野は、Ⅳ型に掌を向けた。


 ──オカエリ。


 拳を握る。顔、腕、体の区別がつかないほどぐちゃぐちゃの塊になって、球体の中身はぴくりとも動かなくなった。




 爆音が響く。鷹野が振り返ると、倒れ込んだ暮の隣に立った風早が、小型の異形と対峙していた。舌打ちと同時に駆け出し、風早の背後から迫る異形を切り裂いた。

「気を抜くな鵜ノ沢! 雑魚がまだ残ってる!」

 鷹野の声に、鵜ノ沢もまた暮の元へと駆けた。結界の檻を脱した異形が、弱り切った暮に狙いを定め、集結している。爆風から暮を庇った風早が、鷹野と鵜ノ沢に気付いてその場にくずおれた。

 風早の奮闘もあって残っていた小型の異形は少なく、鵜ノ沢と鷹野がそれらを倒し切るのにそう時間は掛からなかった。腰が抜けたらしい風早を鷹野が支え、鵜ノ沢が弱々しい息を吐く暮を介抱する。抱き起こされた暮が、薄く目を開けた。

「……、なつ、き……」

「喋んな。黙ってろ」

 睨む鵜ノ沢に、暮は首を横に振る。暮が視線で促す先、茅野はただ呆然と立っていた。握り締められた鷹野の拳が震える。

「茅野、お前っ……」

 立ち上がろうとした鷹野の肩を掴み、風早が首を振る。鷹野は再び舌打ちを漏らし、眉を顰めた。静寂の中、苦しげな表情を浮かべた暮が、そっと目を閉じた。

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