一球入魂

河咲信都

第1話

「ツーアウトランナー二塁、バッター林田、一打同点の場面です。ピッチャー視点からするとここはどう攻めますかね。岡田さん?」「そうですね。僕だったら外の変化球で引っかけさせますかね」「ピッチャー小森投げた。ピッチャー返し!センターにボールが抜ける!ランナー三塁を回るか?!回った!センターがバックホーム!これは際どいタイミングだが、判定は………………アウト!アウトです!これを見て安原監督がベンチから飛び出した。これはビデオ判定ですかね?」「ビデオ判定ですかね……」「ここで試合が一時中断されます」「そうですね………………やっぱり僕はこのビデオ判定制度どうかと思いますね」「……といいますと?」「いや、試合の流れを止めちゃう感じがして嫌ですよね」「まあ、そうおっしゃる方もいらっしゃいますよね」

 野球中継を映したテレビからは観客の熱い歓声と冷えた解説の声が聞こえた。

「流、野球部のほうはどうだ?」

 向かいに座る父が漬物をつまみながら尋ねてきた。

「んー、まあいつも通り適当」

 湯気がなくなった味噌汁をすすりながら僕は答えた。

「そうか」

 そこから会話が続くことはなく、父と僕はリプレー映像が流れるテレビをぼんやりと見ていた。


 僕、神川流が洋角高校に入学し野球部に入って二か月が過ぎた。

 洋角高校野球部の設備は投球練習場、ピッチングマシン、ナイターなど豪華に整っていて、野球の練習が本気でできる環境にある。

 しかし、ここの野球部は弱い。

 なぜか。原因は人だ。

 現二、三年生の半数の部員が野球がうまくなりたいと思っていない。たとえ、グラウンドが足跡だらけでも、部室に道具が散乱していても、自分たちが楽に楽しく遊べればいい。そう思っているのだろう。

 そんな環境に浸っていたせいか僕も野球への気持ちは弱くなった。一応、キャプテンの指示通り練習はしているが、部活に入りたての頃のように一生懸命練習してみんなと上を目指すぞという熱い気持ちは今はもうない。辞めようとしたこともあったが辞める理由も辞めて何かをする当てもなかったため、なんとなく続けている。


「ようやく審判団がグラウンドに戻って参りました。判定は………アウト!判定変わらずアウトです!」

 どうやらやっと試合が再開するらしい。

「夏の一回戦はいつだ?」

 父がまたボソリと聞いてきた。

「たしか、来週末」

「そうか」

「流、洗い物持ってきてー」

「はいはい」

 台所で洗い物をしている母の声が聞こえたので俺は席を立った。父の方を一瞥したがテレビを睨んでいて、目が合うことはなかった。


                   *


 一週間後の日曜日。

 大量のねずみ色の雲が空に広がっていて太陽はまったく見えない。

 今日は全国高校野球一回戦が行われる。場所は僕らのホームグラウンドである洋角高校。

 相手チームがワイワイがやがやと三塁側に荷物を下ろし始める。すると

「向こうのマネージャーめっちゃかわいくね!?」「マジ!?どこどこ?」「あの荷物下ろしている子だよ!」「おお!けっこうかわいいじゃん!」「まあ俺の彼女のほうがかわいいけどな」「は?」「黙れや」「俺の美里のほうがかわいいし」「お前も黙れ」などと、こちらのベンチも騒ぎ出す。試合でそのエネルギーを使ってほしい。

 ただし、部員全員がいい加減に活動しているわけではない。普段から真面目に練習して、この緩んだ野球部を変えようとしている部員もいる。部室やグラウンドがきれいに保たれているのはこの一部の部員の頑張りだ。今も騒いでいる不真面目組の後ろで、試合開始に向けてウォーミングアップをしている。

「騒いでいないで体動かしとけよ」と二年生の花園さんが不真面目組に声を掛けた。

「ういーす」「はーい」などと適当な返事はあったが、二転三転と話題が変わる雑談が収まる気配はない。

 僕は花園さんの反応を窺おうとチラリと顔を向けたら目が合った。ここは真面目組に混じっておいたほうが良さそうだな。

 とりあえず空気を読んでおいた。


「ゲームセット!」

 洋角高校野球部の今年の夏が終わった。


 試合後の部室でキャプテンが最後の挨拶をしている。

「えー、本日の試合で負けてしまったため俺達三年生は引退になります。お疲れ様でした」

「おつかれさまでしたー」「また遊びに来てくださいよ!」と一、二年生が囃し立てる。三年生がいなくなって寂しいという雰囲気はまったくない。

「で、次のキャプテンだが……花園、頼むわ」

「あ、はいわかりました」と花園さんは淡々と答えた。

「じゃあ、みんな明日からは花園に協力してやれよ」

「うーす」「はーい」

 とみんなが適当な返事をしたところで解散となった。

 花園さんの名前が出た時、一瞬空気がひりついたような気がしたが、当然そうだろうな。

 花園さんは真面目組のリーダーの様な人である。この緩んだ野球部をなんとか変えようと部活動のルールをキャプテンに提案したり、ふざけている部員を注意したりしている。しかし、その熱心さが不真面目組には理解されず面倒がられている。

 部室から出て帰ろうとした時「はあ、あいつがキャプテンとか明日から怠いなあ」と誰かの呟く声が聞こえた。今回のキャプテンの交代で不真面目組が真面目になってくれればいいな。

 そんな期待とは裏腹に、夜空の雲は昼よりも分厚くなり今にも雨が降り出しそうだった。

 

                   *


 花園さんがキャプテンに就任してから一週間が経った。

 前々から練習メニューに不満を持っていたのか、大幅に練習メニューが変わった。キャッチボールの時間、ランニングのコースなど事細かなメニューが提示された。

 それに賛同するメンバーもいれば、もちろん協力的ではないメンバーもいる。

「お先、おつかれーす」と軽く言って山内さんが帰っていった。

 山内さんは二年生の先輩で不真面目組の一人。仲のいい自分達のグループで好き勝手に騒いで楽しく部活をしている。練習メニューが変わっても全ての練習に参加せず、自分が満足したら後片付けもしないで今日のように帰っている。

「あいつまた守備練習さぼったな」と原谷さんが飽きれ混じりに言う。

 原谷さんも二年生の先輩である。原谷さんは自分と仲がいい人だけでなく、誰とでもコミュニケーションをとりたがる人だ。前キャプテンの時から真面目に練習に取り組み、花園キャプテンが練習メニューを変えても、それに協力し他の部員も巻き込もうとしている。

「まあいつものことですよ」と僕が当たり障りのないことを言う。

「今度ビシッと言ってやらないとな」と原谷さんが苦笑いしながら僕を巻き込もうとしてきた。でも、一年生の僕が先輩の山内さんに対してそんなこと言えるはずもない。しかし原谷さんの意見も無視するわけにもいかず、僕は愛想笑いを返すことしかできなかった。

 その後もキャプテンと真面目組によって練習メニューが何度も改められるが、不真面目組は自分達にとって楽しそうなもの、都合のよいものしか参加しなかった。


                   *


 向日葵が下を向く八月のとある日。

 キャプテンがグラウンドにいなかった。珍しいというか初めてではないか。

「おいおい、あいつサボりじゃねーの」と山内さんが真面目組を煽るように言った。

「花園がそんなことするわけねえだろ」と原谷さんが返した。

「花園がいなくてもいつも通り、まずランニング始めるぞ」

 原谷さんが皆を扇動して走り始めようとしたが

「花園がいねえとお前がキャプテン気取りか。つーかランニングだるいしバッティングしようぜ」

「はあ?練習メニューは毎日決まっているだろうが。これはルールだぞ」

「知るかよ。お前らが勝手に決めただけだろうが」

「だから山内達にも一緒に考えようって誘ったじゃねーかよ」

「どうせ俺らの意見なんて通らねえだろうが。もういいわ白けたし。帰ろうぜ」

 などと激しい口論になった。自分達の思い通りにならないせいか、山内さん達不真面目組は練習を放棄して帰ってしまった。

「ったくいい加減にしろよあいつら」

 原谷さんは怒りを滲ませながらも残ったメンバーを集めて練習を再開した。


 翌日の部活の時間。昨日いなかった花園さんも昨日いなくなった山内さんもいつも通り部活に出てきた。いや、花園さんの方はいつも通りではない。

 今までよりも練習に熱が入っている。そしてその熱は不真面目組への態度にも表れた。

「山内!なんだその怠慢なプレーは!」

「はあ?これぐらいいつものことだろうが」

「だから、いつも怠慢なプレーしているのが問題なんだろうが」

「今日のお前なんなんだよ。昨日サボってたくせによ」

 昨日同様また口論になっている。しかし昨日の欠席を指摘されるとキャプテンはバツが悪いのか言葉に詰まっている。

「昨日は……」

「昨日はなんなんだよ」

「……………」

「もういいや。分かった。俺がそんなに不満ならしばらく休んでやるよ。ちょうど野球にも飽きてきたしな」

 山内さんが花園さんを突き放し、さっさと荷物を片付け昨日と同様に帰ろうとする。しかし昨日とは状況が違う。しばらく部活に出ないつもりだ。もしかするともう部活に戻ってこないかもしれない。

「待て……わかった……言おう…………」

 花園さんが帰ろうとする山内さんを引き留め、少し逡巡した後、意を決して言った。

「……この野球部は来年にはなくなるかもしれない」


 それから花園さんは訥々と話し始めた。昨日、顧問の先生に呼び出されたことを。

 なぜ、弱小の野球部に豪華な設備が備わっているのか。それは地域の方々が洋角高校野球部を支援しているからだ。なぜ、地域の方々は支援をしてくれるのか。それは昔の野球部が練習熱心で強豪チームだったからだ。しかし、今は相手が強豪でなくても一回戦すら勝てない。

 さらに問題だったのは素行だ。大会本戦なのに真剣さ、勝ちたい気持ちがまったく伝わってこない。平日の練習後の下校中も騒いでいて、本当に練習しているのであれば騒ぐ体力が微塵も残っていないだろう。

 これら一連の行為を見た地域の方々は野球部に対して飽きれ諦め冷めた。次の大会も結果が出ないのであれば支援を辞めたいと学校に伝えた。

 地域の方々の期待に応えられないのは申し訳ないが、ここで支援が止められ野球部が廃部になれば、今まで築いてきた先輩の過去を、これから先を築いていく後輩の未来を途絶えさせて無にしてしまう。


「そういうことだ。だから真面目に協力してほしい」

 花園キャプテンは山内さんたちにお願いした。

「…………わかった。」

 山内さんは花園さんの話を聞いて少し冷静になったようだ。しかし、

「だが、俺たちにも言いたいことがある」

 山内さんは真面目組への不満を言い始めた。練習内容を勝手に決めていること。部室やグラウンドを整理しようにも真面目組の不文律で自由に動くことができないこと。その他、不真面目組が知らない間にルールが作られ、それを強制させられることが不快だと強く主張した。

「こういうところに俺らも意見させないと、おまえらには協力できない」

 山内さんの言葉に花園さんは驚いたような感心したような顔をした。

「山内たちがそんなこと考えているとは思わなかった。俺も別に山内たちを排除するつもりはない」

「まあ俺も楽しく野球したいしな」と言って山内さんはにやりと笑った。


 それからは部員みんなで練習メニューを考え、チーム一丸となって練習に取り組んだ。

 そして来たる秋季大会の一回戦。

「ゲームセット!」

 見事に洋角高校野球部は一回戦を突破することができた。

 このまま勢いに乗って二回戦も勝てるのではないかと思ったが、強豪校と当たってしまったため二回戦で敗退した。


                   *


 それから幾月か経って、赤色に染まった紅葉が落ちる季節。

 洋角高校野球部は一致団結で練習をして…………いなかった。

「なあ俺フォーク投げれるようになったから見てくれよ」「かかってねえって」「ちょいもう一回やらせて」「おい、お前ら真面目にやれよ」

 山内さんたちがふざけるのを花園さんや原谷さんが注意している。夏頃のいつもの光景に戻ってしまった。夏の盛りに起きたあの和解はなんだったのか。

 二回戦で負けた後も数週間は全員が真面目に活動していたのだが、時間が経つにつれて危機意識は薄れていった。実際二回戦で負けても野球部は廃部にならなかったし、部費はしっかり供給されている。

 今後も、適当に練習して小さな衝突が起こって和解して真面目に練習して緊張が緩む、このサイクルが繰り返されて根本から問題が解決することはないのだろうと、足下の砂を見ながら思っていた。

「神川、下向いてないで練習しろ」無駄なことを考えていたら花園さんに怒られた。


                   *


 そしてまた月日は流れ花園さんたちが引退する時期になった。

「というわけで、俺はこの野球部の風を変えることはできなかった。この野球部を改める思いは次の世代に渡したいとおもう」

 花園さんが一人一人を見回し話している。しかし、話を真面目に聞いているのは少数で、あとは雑談しているか寝ているのか、それとも虚空を眺めている。この野球部が変化するのはまだまだ先だろうなと思った。

「それで次のキャプテンだが………神川お前にやってもらう」





 は?






 は?






 何を言っているのか分からない。

 部員の視線が僕に集まる。しかし脳の処理が追いつかない。なんとか言葉を絞り出す。

「え?いや、なんで僕なんですか?」

 なんで僕なんだ。もっと他に妥当な人がいるだろう。僕と同じ学年で真面目組に入っている部員もいる。

「神川が適任だと思ったからだ」

 花園さんは僕をまっすぐ見据えいった。

「そういうことでみんな神川を支えてやってくれよ」

「うーす」「はーい」などとみんな適当に返事を返した。次のキャプテンが僕だと分かった時、「なんでこいつなんだ」という顔をしていたのに、今は「まあどうでもいいか」という顔をしている

「じゃあお疲れ様」と花園さんが最後の挨拶を締めた。

 僕はまだ混乱していた。僕がキャプテンをやれるはずがないだろう。今までなにもしていない。ただその場の流れに任せてきただけなのに。

 部員がぞろぞろと帰っていく中、花園さんが不敵な笑みを浮かべながら僕に近づいてきて

「いつまでも傍観者でいらると思うなよ」と言った。

「ははは、まじっすか」口が半開きになり渇いた笑いが出るだけだった。

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一球入魂 河咲信都 @shinichi_k

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