第10話 ミカエルの指輪


   1

 どんよりと落ちてきそうな雲を見上げながらルーヴィックは大きく欠伸をする。「よく寝た」という意味ではなく、「猛烈に眠い」という意味だ。口の中に雨粒が入るが気にしない。行き交う人々は道の真ん中で立ち尽くすルーヴィックを希有の目を向けるが、やつれる彼の外見から近づく者はいない。

 朝起きたルーヴィックは、昨晩の話通りヘンリーに行方が分からないレイ・カーターの捜索を任せ、自身も別の捜査を進めることにした。まずは手に入れた指輪が何なのか調べるためウィンスマリア教会に足を向けた。もちろんアントニー神父の指輪を見せ、知ってることを話させるためだ(あの強情そうな神父が素直に教えてくれるとは思えないが)。

 この日は朝から曇天で、本当に気分が沈む。ルーヴィックは顔面に落ちる雨粒にイラだちながら、視線を地べた落とす。そこはリチャード・カーター教授が焼死した場所だった。教会に行く途中に寄ったのだ。土地勘がなかったので分からなかったが、教会に行った教授はその帰りに殺害されたのだから近いのは当然だった。今朝、ヘンリーに満面の笑みでバカにされた。

 ただ、死亡した現場に来たところで、すでに何日も経過し、おまけに雨まで降っている。何かが見つかるわけもない。もっと早く来るべきだったと、心の中で悪態をついたつもりだったが、舌打ちという形で表に出ていたようだ。脇を歩く紳士がギョッとして、距離を取っていった。寝不足のせいで頭がはっきりと回っていないのだろう。これ以上寝なかったら、真相を明かす前に永遠の眠りについてしまう。

 アメリカに愛用のハットを置いてきたことを後悔し、コートの襟を立てて教会へ足を向けようとした時、ルーヴィックを訝しげに見る人物がいた。淑女が持つような艶やかなパラソルではなく、何の装飾のない地味な傘をさした少女だった。

 訝しげと言うよりも、不健康な外見に心配の方が大きいのかも知れない。

 白に近いほど美しい金髪は腰ほどまで長い。まだあどけなさの残る彼女は、傘と同じく地味なコートを羽織っているが、その下からかすかにシスター服を着ている。

 ルーヴィックは少女に見据えたまま早足で距離を詰める。思いのほか素早い動きだったのだろう。少女はギョッとしながらも、あまり動けずにいる。

「失礼、お嬢ちゃんはウィンスマリア教会のシスターかな?」

 昨日、教授の部屋にいた助手に向けたのと同じに笑顔を作り優しげに話しかけたつもりだったが、少女の表情を見る限り失敗したようだ。こういう時に取る行動は一つだ。

「ご安心を、ロンドン市警だ」

 今朝、土地勘のないことをバカにされた腹いせに拝借したヘンリーのバッジを取り出して見せると、多少疑うような視線は残るものの警戒心は和らいだ。

「あぁ、警察さん。だかあそこをジッと見られてたんですか」

 納得したように小さくコクコクと首振り人形のように首を動かしながら少女は話す。

「あぁ、先日ここで亡くなったリチャード・カーター教授の事件を追ってる」

 その言葉に少女は首を少し傾ける。

「事件、ですか・・・・・・? 事故ではなく。前に来られた警察の方は、最初から事故と断言されていました。新聞でもそう」

「我々はあらゆる可能性から捜査をしてる」

 そうですか。と納得しきっていないが、頷く少女に最初にした質問を再度繰り返す。少女は首肯し、ユリアと名乗った。この目の前のシスター、ユリアがカーター教授に護符を授け、さらには昨日、大学に現れた悪魔を退けた人物(ヘンリーの調査で外見の特徴が一致する)だろう。

 ルーヴィックは、教授の手荷物にあった護符から教会へ行っていたことを伝える。すると彼女も思い当たったことでもあったようで、「あなたでしたか」とほぼ独り言に近い声量で答える。アントニー神父から聞いていたのだろう。

「お嬢ちゃんが教授に護符を渡した。なぜアントニー神父を待たなかった」

「カーター教授は今すぐ欲しいと言われ、酷く焦っておられたので」

 二人並んでウィンスマリア教会へ歩きながら話す。「あ、あのー」とユリアはルーヴィックの質問に答えてから、おずおずと話しかけてくる。

「傘、お貸ししましょうか?」

 雨の中、雨具も使わず歩くルーヴィックはすでにずぶ濡れだ。見かねてのことだろう。さすがに淑女(しかもシスター)が異性を一緒の傘に入れることはできない。彼女なりに考えて出した答えなのだ。ルーヴィックはその様子がおかしくなりつい小さく笑ってしまった。誤解したのか、彼の笑いに表情が強ばるユリア。慌てて謝罪する。

「いや、すまない。君のことをバカにしたわけじゃない。気持ちだけ受け取っておこう。お嬢ちゃんを雨に濡らすわけにはいかないからな。それに、こんな小雨どうってことない。もっと酷い雨の中野宿したこともある。あの気取って軟弱なジョンブル(ヘンリー)にとっては、箱船がいるぐらいの大雨に感じるのかもしれんがな」

「はい?」

「いや、こちらの話だ。それで、なぜ教授はその日に護符が欲しいと?」

「あぁ、それは・・・・・・ブルーさんは、どれほど悪魔の存在をご存じですか?」

 歯切れの悪い質問だった。多くの者は答えるだろう。悪魔は存在する。人の神への信仰心を揺らがそうと、悪魔は耳元で甘い言葉を囁くのだ。だが、本当に実在することを知っているのはどれほどだろうか。概念で知っているのと、存在を確認するのは別の話だ。しかもここはイギリス。科学が進み産業革命という偉業をなしえた「人の国」だ。科学は少なからず信仰心に影響を与えた。少し前までは雷は電気ではなく、神の怒りだった。病は全て悪魔の仕業。今回の自然発火した教授だって、間違いなく神や悪魔の所業とされただろう。だが、今は違うのだ。雷は電気、病は細菌などがもたらす。あらゆることを科学で証明しようとする。だが全てを証明するのは不可能だ。ルーヴィック自身、悪魔の仕業だった出来事を何度も経験した。

 つまり、科学によって人の信仰心は薄らいだ。しかもここは、宗教的にも多数派のカトリックとは異なる独自の形式で、バチカンともめた過去を持つ(そういう点ではプロテスタントの主流なアメリカも変わらないが)。つまりここイギリスは異色の国だ。神の権威が弱くはないまでも、以前に比べて弱まりつつある。

「俺の知る限り、この事件には少なくとも悪魔が二体関わっている。そして、ここからは予想だが、おそらく悪魔は二体だけじゃない」

 端的に答えたルーヴィックにユリアは驚いたように目を向ける。同時に警戒を高めて少し距離を取り「何者ですか?」と短く、だが鋭く言った。先ほどまでのつかみ所のない、そのまま浮かび上がるのではないかと思ってしまいそうなふわふわした雰囲気から、首筋にナイフでも当てられたかのようなヒヤリとさせる物に変わる。どこかアントニー神父にも似た空気だ。なるほど、悪魔を退散させたのはまぐれではなさそうだ。

 ルーヴィックは落ち着くよう手で合図する。

「俺はこの事件を追いかけ、昨日教授宅で悪魔二体と戦った」

「戦った? あなたが? 悪魔と?」

 不健康で今にも倒れそうなルーヴィックの姿に、信じられないとでも言うような視線だ。

「確か、カーター教授のご自宅は倒壊したと新聞に・・・・・・」

「あれは悪魔の仕業だ」

 食い気味で、そして力を込めて言い切る。

 ユリアはしばらくルーヴィックの目を見つめ、コクコクと首を動かす。どうやら信じてもらえたようだ。(ロンドン市警のバッジが決め手だったのは複雑な気持ちだ)。

「君は大学で悪魔達を退けたんだろ?」

「え? なんで知ってるんですか? さすがはロンドン市警さんですね(一瞬、彼女なりの嫌味かと思ったが素で言ったようだ)」

 そこから二人で情報を共有した。ルーヴィックは教授宅での出来事を。ただ指輪については、彼女には話さずにおいた。そしてユリアは大学で起きたことを話す。

 彼女も教授の死について疑問を抱き、自身でいろいろと調べていたらしい。そこで教授の背景を探ろうと大学へ向かったところ、悪魔が現れ、大変な騒ぎだったという。まだ日も出ているのに悪魔が二体、人間に襲いかかっていたとユリアは話した。外見の特徴を考えると、その二人はどうやら教授の息子と昨日会った助手らしい。ユリアは二人を助けながらも、何とか悪魔二体を退けることができたが、肝心の二人は見失ったようだった。

 彼女の話を聞く限り、大学に現れた悪魔は、ルーヴィックが昨日対峙した悪魔とは別だろう。つまり、悪魔は四体いることになる。人目も気にせず舌打ちをしてから唾を吐いた。粗暴な態度にユリアはギョッと目を丸くしたが、気付かないふりをして話を続ける。

 教授の息子と助手の行方については気になるが、そちらはヘンリーに任せてある。今大事なのは、四体の悪魔の目的だ。ユリアに聞いてみたが、予想通り「分からない」と返ってきた。ただ、ルーヴィック達が感じるように、彼女も今回の異常さを感じ取っていた。

「それで教授が護符を欲しがったわけは?」

 脱線したが、ルーヴィックは質問を戻す。それに対してユリアは「教授は『悪魔が躍起になって欲しがる物を手に入れた。だから狙われている』と話した」と答えたが、具体的に何かまでは教えてくれなかったらしい。ルーヴィックはポケットの指輪を知らず知らずのうちに強く握った。

 やはり、アントニー神父に聞いてみるしかないか・・・・・・


   2


 ウィンスマリア教会に到着する頃には、ルーヴィックのコートは元の色が分からなくなるほど濡れていた。

 教会の中は昨日と同じく礼拝者もおらず、燭台のロウソクの火がステンドガラスをユラユラ照らす。室内は明かりのおかげか外よりもほんのり温かい。寒さで多少震えを感じる(ユリアの提案を受けて傘を貸してもらえば良かった・・・・・・)体を軽く振るい、ルーヴィックは濡れたコートの前を外してそばの椅子にかける。隣を歩くユリアは乱暴な行為に短く奇声を発したが気にしない。奥から現れたアントニー神父は二人を見ると、多少眉をひそめただけで、特に何も言わずに迎えてくれた。

「これはブルーさん。どういったご用でしょうか」

「目的は二つあったが、その一つは来るまでに済ませた」

 そう言って、立ち去ろうとするユリアを見る。視線を向けられてユリアは小動物が天敵に睨まれたときのように固まった。ルーヴィックは軽く苦笑しながら、視線を神父に戻してポケットから指輪を取り出す。

「もう一つは、あんたに聞きたいことがある」

 指輪を出した瞬間、神父の表情は変わり、ルーヴィックの言葉を遮る。

 アントニー神父の視線に気付いたユリアは、足早に扉を抜けて隣室へ消える。それを見送ってからアントニー神父はルーヴィックに視線を向け、声を落とす。

「失礼。あの子には過ぎた話ですから・・・・・・それで、どこでこんな物を?」

「リチャード・カーター教授の家で」

 そう答えると、アントニー神父は納得したように頷く。

「あの方は、こんな物まで手に入れていたのですね」

「こんなもの(指輪)とは?」

 しばらく天井を見上げ何か考え事をした後、アントニー神父は諦めたように口を開く。

「できれば、一般の方をこれ以上は巻き込みたくなかったのですが・・・・・・どうやらあなたは、そうはいかないようだ」

 「こちらへ」と誘導され、教会の中へ案内されたルーヴィックは、四方を本棚で囲まれた狭い部屋に案内される。天窓があり、そこからの光があるため暗い印象は受けない。

 アントニー神父は中央のテーブルに、分厚い古書を置くと丁寧に開いた。ルーヴィックは見たことのない本で、恐らくラテン語で書かれていた(さすがに読めない)。

 ページを開いていくと、ルーヴィックの持つ指輪に似た絵が現れる。

「これはミカエルの指輪です」

 ルーヴィックは問いかける前に、アントニー神父は答える。

「大天使ミカエルの指に嵌められた指輪。ある目的のために身につけているものです」

「目的?」

 そこでいったん話が途切れる。そしておもむろに話題が変わった。

「もしも、今。天使と悪魔との間で戦争が起こったらどうなるでしょうか?」

 意図の読み取れないルーヴィックが黙っていると、彼は続けて話す。

「天を転覆させるために、悪魔達が行進を始めたら、どちらが勝つと思いますか?」

「昔の戦争で、ミカエルがルシフェルを封じて以来、ルシフェル以上の指揮官は現れていない。悪魔は劣勢のまま、勝てる見込みはあまりない」

「そう。ルシフェルの煉獄は、地獄のさらに底。そこは地獄からは溶けることのない厚い氷により閉ざされた空間です。ルシフェルの牢獄を解くことができるのは封じたミカエルただ一人。ですが、何事にも抜け道があるものです」

「あぁ、ルシフェルを封じた時に使った通路があるって話だが、そこへ繋がる門はミカエルが取り去って、永遠に無の空間を彷徨ってる。どこにあるのかは分からない」

「えぇ、でも〝分からなかった〟だとしたら?」

 アントニーの言わんとすることを理解して、一瞬でルーヴィックの背中から嫌な汗が出た。おそらく元から顔色が悪いので、分かりづらいが明らかに顔から色を失う。

「見つかってるのか? いや、でも仮にそうであっても、鍵が無くては門は開かないはずだ」

「ええ。その通りです。私の知る限りでは鍵など存在しないはずでした・・・・・・」

 ルーヴィックは死んだモルエルの言葉を思い出す。

「鍵はイギリスにある」

 モルエルはそう言ったはずだ。もしそういう意味で言ったのであれば。そう思うと、鼓動が早くなる。心臓が口から出そうだ。気持ちが悪い。彼の想像していた事よりも、事態はまずい。

「なら・・・・・・これは」

「いえ、それは鍵ではありません。教授はそんな物をどこで手に入れたのでしょうか・・・・・・」

「アントニー神父、あんたはどこまで知ってるんだ?」

 神父は少し考え、そしてゆっくりと話し始める。

「イギリスの宗教形態が、カトリックと違うことはご存じですよね?」

「あぁ、王様が嫁と別れたかったんだろ?」

「・・・・・・まぁ、それと大きな役割があるのです。

十六世紀にロンドンより南方に住んでいた農夫が自分の畑で、巨大な石盤を発見しました。そこには読めない文字が書かれていたそうです。その後、その周辺から同じような物が発掘され、それぞれが組み合わせられることが分かりました。当時の聖職者達はさまざまな文献を調べ、導き出した結論が通称『地獄の門』と呼ぶ、ルシフェルを封じた煉獄へつなげる門でした。そしてそれは安全な場所へ隠され、長らく我らが守ってきました」

「そんな昔から? それが何で今になって・・・・・・」

「実は何度も悪魔達に狙われていますが、大掛かりなものはありません。鍵がない以上、門は開かないからです」

「でも見つかった?」

 ルーヴィックの言葉に、アントニー神父は頷く。

「はい。カーター教授が、その鍵を調べられていたのです」

「だから、悪魔に狙われたのか・・・・・・なら、鍵は今どこに?」

 その問いには首を横に振る。

 だがルーヴィックには、予想はできた。息子だ。レイ・カーター。急にロンドンに舞い戻り、昨日は悪魔に狙われた。つまり、教授は息子に鍵を託したのだ。あとでユリアにさらに詳しく人物像を聞く必要がありそうだ。ヘンリーが見つけられなければ、一緒に探す(保護)必要がある。

 まさにこの事態の鍵を握っている人物なのだから。しかし・・・・・・

「なら、この指輪はなんだ? なぜ悪魔が狙う」

「鍵だけあっても意味がないのです。門を開けられるのはミカエルのみ。もっと厳密に言えば、ミカエルの指輪を持つ者が鍵を持たなければ、鍵の役目は果たせません」

 そういうことだ。だから鍵を持つ息子、そして指輪のある教授宅に悪魔は現れた。

「しかし、それは本物ではないでしょう・・・・・・」

 アントニー神父はポツリと呟く。

「恐らく何者かが似せて作ったのでしょう。ミカエルの指輪がこの世界に現れるとは考えにくい」

「だが、簡単に作れるもんでもないだろう」

「はい。だからあり得ないのです。カーター教授が指輪を持っているなんて」

「誰かが、指輪を作り教授に渡した・・・・・・」

「分かりません」

 しばらくの沈黙が流れる。重い。

 正直、自分の手に余る事件だ。情報が多くて考える事が多すぎる。眠い頭ではうまく回ってくれない。考えの端々で、ヘンリーの人をイラつかせるニヤけ顔が浮かぶ。重症だ・・・・・・。

「その指輪、こちらが預かっても?」

 手を差し出すアントニー神父。口調こそ優しげにいうが、ほぼ命令だ。

 ルーヴィックは迷う。このまま渡していいものかどうか。アントニー神父を信じていいべきか。ぐるぐるといろんな事を、可能性を考え、彼は指輪を神父に渡した。

 自分が持つメリットが少ない。どうこうできる代物ではないのだ。指輪はルーヴィックが持っていると悪魔には知られているだろう。そうなれば狙われる。しかも、これから鍵を持っているであろうレイ・カーターを探す。鍵と指輪がそろって動くのは危険すぎる。

「しっかりと保管してくれ。二度と日の目を見ないように」

 指輪を手渡すと同時に、アントニー神父の腕をつかんで念をおす。

「それから、これを誰が作ったのかも調べてくれ」

 しばらくにらみ合うように視線を交わすと、ルーヴィックは手を離して部屋を出た。



 イスにかけたコートを羽織り(まだ濡れており気持ち悪い)、教会を出ようとした時にユリアが駆け寄ってきた。

「まだ雨が降っていますので、傘を」

 その行為には甘えることにした。

「あの、あの・・・・・・」

 どうやら傘だけが目的ではないようだ。

「これから、昨日悪魔に追われていた方々を探されるんですか?」

 少し驚いたが首肯する。

「私も連れてってください! 私は顔も知ってますし役に立てますから。私も・・・・・・私も役に立ちたいんです」

 ルーヴィックは勢いよく話し、少し高揚して息が上がるユリアを観察する。

 いい子だ。可憐で、真っ直ぐ、何より悪魔を退けるだけの力がある。だからこそ危険だと直感的に感じ取った。責任感と同じぐらいに好奇心がある。先ほどアントニー神父が彼女に席を外させたことに、少し納得した。あれは神父の優しさだ。この状況から少しでも遠ざけたいのだろう。自分のことを棚に上げて言うが、この少女は事件に介入しすぎている。

 ルーヴィックは少女を見つめて、首を横に振る。

「捜査に一般人を連れて行くことはできない。傘だけは、ありがたく受け取っておくよ」

 できるだけ優しく言った(どれだけ効果があるかは分からないが)。

 ユリアは目を伏せ、納得がいかないように少し頬を膨らますが、思いのほかあっさり引き下がった。

「分かりました。でも、傘は必ず返してください」

(その時に、いろいろ聞かせてもらうから)と顔に書いてあった。

「では、せめて祝福を」

「いや、前にその祝福を受けた奴は、こんがりローストになってる。遠慮するよ」

 と踵を返えそうとした彼に、「まぁまぁ」と勝手に彼の左胸に手を置いて祝福の言葉を口にする。

「あなたのこの先に、主の守護があらんことを」

 強引さに呆れながら見るルーヴィックに、ユリアはにっこりと微笑んだ。

 まだ雨で濡れている全身に、手を当てられた左胸だけ温かくなったような気がした。

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