皇紀206年 春

1. 三枚の銀貨と賞金稼ぎ

 ある晴れた昼下がり。

 澄んだ群青の空はどこまでも続くかのよう。

 ここ、イザリアの街は活気に溢れていた。商人は稼ぎ時だと声を張り上げ、道行く人に商品を見せびらかす。

 人波は多く、往来を忙しなく走る馬車も途絶えることはない。魔物が居なくなってからと言うものの、この街はその勢いを絶やすことはなくいる。


 その雑踏に紛れながら、俺は今日の成果を確認する。


「今日もこれっぽっち、か」


 腰に付けた麻布の袋に、二、三枚の銅貨を入れる。

 ストン、と何も触れ合わずに財布の中へと収まる銭に、思わず顔をしかめる。

 このままじゃ二食はおろか、一食すらも危うい。


「昼は抜き、だな……」


 さっきから鳴り出している腹を必死に押さえながら、気晴らしに街をフラフラと彷徨う。

 背中に背負った鈍の大剣が身体に負荷を掛け続けてきて余計に腹が減る。何度も売ろうかと考えたが、その度に寸でで思いとどまってしまう。


 半年前から始めた日雇いはその日に金が手に入るが仕事は選べない。なまじガタイがいい分、薄給激務の土木現場へと回され、そのたびにいいように扱き使われてしまう。

 おかげで、唯一着ることができる麻布の服もボロボロになってしまっていた。


 身体の負担と見合わない給料に嫌気がさし、はぁ、と一つため息を吐く。

 すると────


「────よう、ゼノンの兄ちゃん!」


 挨拶と共に急に肩に衝撃が走る。ビリビリと身体中に響き渡り、思わず背筋を伸ばしてしまう。

 こんな挨拶をする人は一人しかいない。


「……ベルクリフか」


 俺の質問にガハハ、と笑い声で答える巨漢の男。この人も俺と同じ、傭兵上がりの日雇い労働者だ。

 よほど身体に自慢があるのか黒のタンクトップにダボダボなチノパン。その身体でさえも畏怖を感じえるのに、スキンヘッドに口元の髭が威圧感に拍車をかける。

 何かと同じ仕事場に当たることが多く、いつの間にか飯を食べに行く仲にまでなっていた。


 一応、俺が元Sランクギルドのマスターだと言うことはこいつには伏せている。おかげで年下だからか、事あるごとにいじられてしまうだが仕方ない。


「なんだ、随分しけたツラしてんな!」


 今日はやけにご機嫌なのか、終始笑顔で俺の隣を歩く。


「……銅貨二枚で何を食えってんだ。しけた顔にもなっちまうよ」

「お前まだあの地獄で働いてんのか!」

「あんたにも分かるだろ。俺らみたいな奴らはあんな地獄でしか働けねえんだっての」


 もう一つ、深いため息を吐く。


「なーんだ。お前さん、俺たちにうってつけのあの仕事知らねえのか?」

「……なんだよ。あるなら言ってみろ」


 ダメ元でベルクリフに聞いてみる。

 普段からいい加減なことを言っているこいつの事だ。どうせギャンブルで一山儲ける、とかが関の山だろう。


「お、ちょっと疑ってるな」

「美味い話ほど裏があるもんだ。傭兵上がりの俺らが稼げる仕事なんてこんな平和な世の中にはない」


 俺の背中に背負っている鈍がその証拠だ。何も斬らないが故に段々と錆び付いてきている。手入れをしてやりたいが、その金も今はない。

 ギルドが解体させられた今、傭兵には用済みなのだ。


「ところがどっこい。それがあるんだ」


 それにも関わらず、ベルクリフは自信ありげに一枚の羊皮紙を取り出す。


「賞金稼ぎ……?」


 その紙に大きく書かれた文字に、俺は少し首を傾げる。

 それは二十数年生きてきた中で聞き馴染みのない職業だった。


「そう! 賞金を掛けられた人や魔獣を倒せば金が貰えるって寸法だ。ちょいと危ない時もあるが、その分見返りも半端ねえから辞められねえんだ!」


 ガハハ、とまた一つ大きな笑い声を出し、ベルクリフはご機嫌に歩を進める。


 なるほど。美味い話ほど裏があるものだが、その『裏』は俺たち傭兵上がりにとってはないものと等しい。

 金と命を常に天秤にかけ続けてきた仕事をしてきた。今更それに躊躇する訳がない。


 しかし、その仕事にはある問題がある。


「……許可のない戦闘は罪に問われるぞ」


 声を潜めてベルクリフに忠告する。

 ギルド解体後、憲兵以外が戦闘を行うと禁固刑が科される。見つかれば即刻牢獄行きだ。


「リスクがあり過ぎる。そんな事し続ければ────」

「────だからこそ稼げるんだ」


 ニヤリ、と小声で囁くベルクリフ。

 その手には陽に照らされ、煌びやかな光を帯びた銀貨が三枚。その金で一週間ほどは悠に過ごせるだろう。

 気のせいか、ベルクリフの呼吸が少し荒れていた。


 ……危ない。直感でそう思える。

 今のベルクリフは金に眼が眩みすぎている。恐らく冷静な判断が出来ていない。

 一歩踏み間違えれば奈落に落ちる橋に乗っていることを、あいつはまだ気付いてないのだろう。

 あまつさえ俺は元ギルドマスターだ。率先して剣を持てば説得した部下たちに示しがつかない。


 この平和な世界を王に預け、俺たちはギルドを解体した。目先の金程度で再び剣を持つ気にはならない。


「俺は降りる。正直危険だ」


 足早にベルクリフの元から離れる。


 どうせいつものように『根性なし』だとかでいじられるのは分かっている。ダル絡みされる前に逃げた方が良い。


 しかし、


「……まあ、しょうがねえか」


 予想外の呟きが聞こえてきた。


 思わず足を止めてベルクリフの元へと向き直る。


「……意外だな。『意気地なし』位は言われる覚悟でいたんだけど」

「俺もちょっと悪い噂をこの前聞いてな。もう少しだけ稼いだら辞めようかと思ってたんだ」


 急にしおらしくなり、頭を掻くベルクリフ。 

 いつもの勢いは何処へやら、少しだけ拍子抜けした。


「……その噂ってのは一体なんだ」


 あの威勢のいいベルクリフが萎縮している。その理由となる噂が少しだけ気になった。


 するとベルクリフは身体を屈め、耳元でこう囁いた。


「……がまだ生き残っているらしい」

「────────────」


 思わず息をのむ。


 二度とその名を聞くことはないと信じていた。彼のもの共が殲滅されたからこそ、俺たちは剣を手放したはずだ。


「……せ、殲滅されたんじゃないのか」

「ああ、俺もそう思ってたんだが証拠もあるらしい」

「証拠……?」

「どうやら、賞金を掛けられた奴ら全てに、咬み付かれた痕が残されているみたいなんだ」

「な────────」


 ────咬痕。それはヴァンパイアが遺す特有の痕跡だ。


 奴らに血を吸われた動物は大抵絶命するのだが、稀に一命を取り留めることもある。

 しかし、命はあると言えど地獄の苦しみを味わう。


 今までのような食事は出来ず、彼らは生き血を求めてしまう。血に飢え、誰彼構わず殺して生き血を啜る。理性は次第に溶けていき、人はおろか動物でさえも元の生活は営めなくなる。


 やがて行き場のなくなった奴らに、ヴァンパイアは血を与えることで獰猛な眷属を作り上げていくのだ。


 その危険性は重々承知だ。

 今までその咬痕をいくつも見てきたのだから。

 何度も、獰猛化した仲間と戦い続けてきたから。


「賞金を掛けている奴も中々のイカレで、狙ってその咬痕がある奴に賞金を掛けているらしい。その分金払いも良いんだがそんなの命がいくつあっても────」

「────やるぞ」

「…………は?」


 俺の言葉に、ベルクリフは気の抜けた声を上げた。


「お、おい。本当にやるのか? 傭兵上がりならあいつらのヤバさはとっくに────」

「────分かっている。だから俺は戦うんだ」


 元ギルドマスターが危険だからと言って仇敵を逃す訳にはいかない。


 仲間を殺した奴らをギルドマスターである俺が逃すわけにはいかない。

 そいつらが再びこの世に現れているとするなら、迷いなく俺は再び剣を取る。


 もう一度、背に背負った鈍を鮮血に染め上げなければ。


「────なるぞ。賞金稼ぎに」

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