皇紀205年 秋

0. 平和と安寧と


 ────遡ること約三年前。

 王都から一人の伝者がこのギルドへと遣わされてから事は始まった。


 マスターを務めていたギルドである鉄綺団。

 その根城でもあった郊外の酒場に、突然国王からの勅令が下された。


「……ねえ、何言ってんの?」


 厳粛な雰囲気を破ったのは副団長のノエルだった。


「……以上が王からの勅令です。これより全ギルド団体は順次に────」

「────嘘よ! そんなのありえない!」


 銀の髪を揺らしながら、彼女は下された勅令に対して必死に首を振る。


 魔術の名家に生まれた彼女は絶大な魔術センスを持ち、稀代の魔術師と称えられていた。

 例えどんな強敵に出会おうとも負けはしない、という高いプライドも持ち合わせていた彼女の声は、今まで聞いたことのないほどに震えていた。


「それに私らにそんなことを急に言われても!」

「無理は承知の上ですが、王からはそう言づけられて……」

「ふざけるのもいい加減にしろ!」


 ドスの利いた声で伝者に罵声を浴びせているのは、同じく副団長のミルド。

 勢いよく椅子から立ち上がり、その狂言の主へと詰め寄っていく。


「国王が何だか知らねえが、それを俺たちがすんなりと受け入れるとは思うなよ!」

「ですが、伝者である私にそのようなことを申されても……」

「ごちゃごちゃ抜かすんじゃねぇよ!!」


 ついに片手で胸倉を掴みにし、その小さな身体を壁へと押し付ける。

 いくら伝者が小柄で年老いた人間だからと言って、それを片手で持ち上げる力を持つ者はそういない。

 ギルド一、いや王国一の膂力を持っている巨漢のミルドだからこそ為せる所業だ。


「手を出すな」


 拳を振り上げようとしたところで静かに釘を刺す。


「……だけど団長、俺はこいつの言葉を黙って聞いてられないんだよ!」

「もう一度言う。手を出すな」


 少し語気を強めてもう一度釘を刺す。


 その制止が気に食わなかったらしく、若干のしかめ面を浮かべながらもミルドは乱暴に手を放し、元の椅子へと再び腰を掛ける。

 勢いよく壁にぶつかった伝者は、その迫力に押されたからか今にも逃げ出しそうだ。


「すまない、うちの団員が粗相を犯した。後でキツく叱っておく」

「なっ、元はと言えばこいつが出鱈目抜かすから──」

「────この伝者は王からの使者だ。お前は一国の王に逆らうつもりか」

「…………っ、すまない、団長」


 打って変わって反省した表付きで俯くミルド。

 先ほどの勢いは一瞬で消滅し、辺りは厳粛な雰囲気へと戻っていく。


 しかし、ミルドがここまで怒る理由は頷ける。

 なにせこのままでは、今までの俺たちの仕事が全て奪われかねないからだ。


「すまないがもう一度読んでくれ。改めてその内容を確認したい」

「……では、僭越ながら王に代わってギルドマスターであるゼノン様へ勅令を下します」


 伝者は恐る恐る一枚の羊皮紙を手に取り、その全文を読み上げた。



『全ギルドへと通達する。

 先日、我が国を脅かし続けていた魔族の殲滅が完了したとの報告が来た。これにより全ギルドは一週間以内に解体し、解散の手続きを進めることを命ずる。

 なお、残存勢力は王都所属の憲兵が処理する。

 そのため、許可なしの戦闘を行った者には半年以上の懲役を科す。

 諸君らの懸命な努力により築かれたアルトライゼの平和と安寧の御世は、王である私が守り抜くことをここに誓う』



 それはギルドの解体を告げ、王による直接統治を宣言する実質の解雇通知だった。


 勅令の言う魔族とは、恐らく『ヴァンパイア』のことを指している。

 近年急速に力をつけ続け、遂には魔物を従える王たる存在へと成り上がった勢力だ。

 成り上がりで横柄な態度をとるヴァンパイアに嫌気がさし、離反している魔族もいるようだがさしたる脅威ではない。それを『残存勢力』と呼んでいるのだろう。


 本来ならば平和を喜び、安寧を享受するべきなのであろうが、鉄綺団はそうはいかない。


 なぜなら────


「────俺らが追ってきていた獲物を横取りしやがって!」


 悔しげな表情を浮かべながら、ミルドはテーブルを殴りつける。


「ルイ、ミーサ、アルル、ごめんね……」


 隣に座っているノエルは、頭を抱えて未だに俯き続けていた。

 小さな声で呟いているのは亡くなった仲間たち。皆、ヴァンパイアとの戦いで戦死した者だ。


 ちょうど今、このギルドはヴァンパイアとの最終決戦の準備を進めていた。


 以前の戦いでは多数の戦死者を出しながらも想定以上の損害を敵に与えることができ、次でその戦いを終わらせられるところまで来ていた。

 亡くなった仲間たちの弔い合戦であることから士気は十分、あとは団員の準備を待つだけだったにも拘らずに突如下された解散命令。


 そして仇敵であったヴァンパイアも、どこかの誰かによって滅ぼされてしまった。そのやり場のないその怒りで、つい激情してしまうのも無理はない。

 悲しみの声ばかりが、この空間に響き渡る。 


 だが一つだけ、その勅令に引っかかる点があった。


「……王はその魔族を殲滅した人物を知っているか」


 俺の質問に対し、伝者は首を横に振った。


「申し訳ありませんが、勅令以外の情報は存じておりません」

「じゃあ、王都で殲滅した者の詳細の噂は流れているか」

「……この件について、王は厳格な情報統制を敷かれております。今、この情報を知る方は王の側近とSランクのギルドのみです。一週間後には民衆とAランク以下のギルドに通達される見込みのようですが」

「……情報統制、か」


 一つ腕を組み、天井を見上げる。


 引っ掛かること、とは殲滅した『当事者』の存在だ。


 ギルドはランクごとで職業が割り振られている。俺たちの鉄綺団はSランクと評されており、強大な敵の討伐を国から任されている。

 無論、他にもSランクのギルドは存在するが、互いの獲物を取り合わない暗黙の了解がある。

 しかし、それはあくまで不文律。破ろうと思えばいつでも破れる。


 そしてヴァンパイアの一族はSランクのギルドでも苦戦する強敵であり、Aランク以下のギルドでは言わずもがなだ。

 殲滅できる人物は限られてくるに違いない。


 必然と、一つの疑問が湧き出てくる。


「────だったらどのギルドが裏切ったんだ!」

「────どこにやられたの!」


 一斉に立ち上がる二人。やはりあいつらも俺と同じ引っ掛かりを覚えていたのだろう。

 その顔は怒りでひどく歪んでいた。


「団長、今すぐ出るぞ! 片っ端から聞き出してやる!」

「こっちも黙っちゃいられない! 禁術使ってでも誰かから吐かせてやる!」

「やめろ。無駄な血だけは流すな」


 語気を強めて二人を制す。

 それでも熱は収まらずに燃え広がっていく。


「もう俺は我慢出来ねえ。仲間を殺してきたあいつ等に落とし前をつけるのは俺たちだったはずなんだ!」

「そうよ! 亡くなっていった仲間の弔いすらもできないなんて考えられない! ならいっそ、横取りしたギルドを探し出して晒上げに────」

「────お前らがここに入った理由はそれか!」


 その言葉で、二人の熱は瞬時に収まった。


「お前らは平和のために、誰かを守るためにここまで戦ってきた。それならば、人々の脅威が居なくなったこの世界を喜ぶべきじゃないのか」

「…………っ」

「…………、でも」

「例え裏切り者がいたとして、そいつを晒上げにして何が残るっていうんだ。先に逝ったあいつらはそんなことを求めてないだろう!」


 空っぽの酒場に響き渡る声。

 それは道を外れようとしている仲間への怒り。外れないでほしいという仲間への懇願。


「あいつらも誰かを守るために剣を取り、そして逝った。その死を誰かの血で汚すというならその前に俺を殺せ! あいつらを、俺の血で、汚す覚悟があるのなら!」

「────────!」


 どすん、と膝をつく音が響く。

 床に蹲り、むせび泣く二人。人目を憚らず、大粒の涙を床へと零す。

 それほどに二人は悔しいのだろう。

 大勢の仲間を失い、折れかけた心の拠り所にし続けてきた弔い合戦もいつの間にか終わっていた。

 心に空いた大きな空洞を何かで満たそうと必死になってしまっただけだろう。


 無論、俺も悔しくないわけではない。その実、伝者が来てから握り続けてきた右拳は、いつのまにか血に濡れていた。


 それでも、失った仲間たちのために、俺たちは前へと進まなければいけない。


「……見苦しいところを見せてしまった」

「その、私が言うのは何ですが……本当にお気の毒です」


 伝者は深々と、そして丁寧に頭を下げる。


 彼もまた、この平和のために身体を捧げている。

 今頃各地のギルドでも同様のことが起きているだろう。

 怒り。慟哭。衝突。気性の荒いギルドならば最悪晒し首にされかねない。

 平和のために、皆何かを犠牲にしているのだ。


「先の勅令、鉄綺団を代表して承る」

「……では、こちらに了承の印を押してください」


 伝者は勅令が書かれた羊皮紙をテーブルに広げ、その詔書の一番下の欄を指さす。


「署名は不要です。何か判を押していただければ受理した、と看做しますので」


 煌びやかな装飾に包まれたその詔書には、昔ながらの筆記体で勅令が記されている。

 飲まざるを得ない王の言葉を目の前にし、俺は血に濡れた右手を差し出した。


「……ならば血判で押させてもらう」

「な────────」


 返答も聞かずに血に濡れた右親指を押しやる。

 それは鉄綺団全体としての王に向けた回答。血を流し生きてきた者からの請願。


 後に残った朱の印が全ての団員の思いを語る。


『人が血を流さぬ世を必ず創るのであれば、我らは喜んで剣を手放そう』


 この血判が、最後に流す血なのである、と。

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