終章4

 そこはケイオスループ社の開発ルームだった。

 現れた社員から、すぐにも仕様の会議だと急かされて、綾は会議室に詰め込まれる。

 参加者の中に悠理はいない。もとからそんな人はいないのだという。

 万塔氏も長く姿を見せておらず、皆はただ作り続けているのだそうだ。

 綾は説明する。自分の中に育った木を、花を、種を。

 皆はうなずき、それを作ることになった。

 会社に通い、仕様書を書き、コンピュータ言語を覚え、プログラムを組む。

 会社で食事をし、遅い時間にアパートへ帰り、一人で寝る。

 また日が昇れば会社に出勤して、プログラムを動かし、不具合を修正する。

 高校生のアルバイトから大学生のアルバイトへ、そして社員に。

 ゲームが完成に近づいたと思っても、要素を組み合わせてみるとバランスがよくない。また要素を零から作り直すことにして、これまで作ったプログラムを破棄する。

 主人公を活躍させたい。誰にも負けないぐらい強くしてみる。無敵の彼女は一人で世界を救い、悪は残らず滅び去る。心は痛むことなく、しかし喜びもない。ああ、この彼女は彼女ではないのだ。

 主人公を弱く、敵を強くする。主人公は地に倒れ、敵は世界を蹂躙する。そこに未来はなかった。なんということだろう。これも彼女ではない。

 主人公を心に描く姿のままに、敵も強大なままに。主人公は血反吐を吐きながら、どれほど倒れても立ち上がり続ける。敵が強くあるゆえに、彼女もまた強くなっていく。進み、また退き。道は先へと開けていなくとも、主人公は前へと、前へと。

 毎日、毎日。綾も前を目指す。

 昨日と変わらない今日。今日と変わらない明日。でも、自分は違っている。自分が語ろうとしているものは変わっていく。

 今日もまた出勤し、会社のコンピュータに向かい、キーボードを打つ。コントローラーを握ってテストプレイし、自信のあった箇所がつまらないことに気付いてしまう。これから何日もかけて修正しないと。

 修正し、修正し、修正する。

 作り、作り、作り直す。

 ティターニアに、ジャガン州に、連合国に、命が吹き込まれていく。

 月の巫女ルナルメイデンが、巫女騎士メイデンナイトが動き出す。

 ティターニアの主人、妖精王の姿はまだない。いまだ還ってはいないのだから。

 異神ペイガン・ゴッドは猛威を振るい、その前に月の巫女ルナルメイデンたちは倒れていくことだろう。

 見たくない。敵など出したくない。でも、それを描かねば朔月物語ではないのだ。

 皆に生きて欲しい。しかし、皆は皆であるために戦い散っていく。

 世界は答へと向かって進む。

 万塔が進もうとする答。自分が進みたい答。プレイヤーの進んでいく答。一致はしない。一致してはならない。変わっていくのが命なのだから。変わらないのは狭間に落ちたる者のみ。

 日が進み、月が変わり、年を越していく。

 あれから、どれほどの月日が過ぎたのだろう。

 一年、二年、三年、四年、五年、六年、七年、八年、九年、十年。

 約束のときは来た。

 その日、綾は学ランを持って出勤した。

 プログラムとデータに最後の調整をかける。

 朝、昼、夜、深夜。一人、また一人と退社していき、会社に残っているのは綾だけ。

 ゲームを通してプレイし、プログラムの挙動を最終確認する。

 画面にはエンディングが流れ終わり、ゲームのタイトル画面へと戻った。

 まだグラフィックが不完全だ。プログラムにも改良の余地はある。

 でも、これが答としよう。

 これで満足としよう。

 伝えるときがきたのだから。

 待ってくれている人がいるのだから。

 自分の答を見出したのだから。

 綾は、紙袋をカバンから取り出した。

 紙袋に入っていたのは、悠理からもらっていた学ランの上着。大事に保管されていたので傷みはない。

 学ランに袖を通した。

 綾を包み込むように、学ランから妖精の言霊が聞こえてくる。十年ぶりだった。

 この領域に来て以来、綾は妖精に会わず、言霊も受け取っていなかった。狭間に近接した領域になど、妖精は近づこうとしないからだ。

 しかしこの学ランもまた、始原文字が編み込まれた精典装マビノギオン、着る本。妖精は学ランに依りついてこの領域までやってきていた。

 そして始原文字が語るのは、かつて妖精境がありし頃、妖精王から愛されし娘のために吟遊詩人マビノグタリエシンが創った、ティターニアなる国の物語。

 姿を現しアンジーと名乗った妖精は、コンピュータに腰を掛けて詠い始める。ティターニアの物語を。綾も詠う。ふたりの歌はハーモニーをなす。歌は響き渡っていく。

 物語は進んでいく。ティターニアの創生、戦争、異神、破滅、再生への希望、そしてミナカ。


 綾が地下へと去ってから、五日が過ぎた。

 明後日は万塔が戻ってくるはずの日。そして、全世界に『ラスト・ティターニア体験版』を配信する日。

 プロデューサーの命令だと言ってスタッフに入り込んでいた瑞希は今、ひとり開発ルームにいた。

 約束のときは来たのだ。

 綾の言霊を、つづられし物語を受け止めるときが。

「さあ、始めるぞ!」

〈はい! ミズキ様!〉

 掛け声に応じてコンピュータから言霊が響き、妖精アンジーが顕在する。

 瑞希は詠う。タリエシンの創りし物語を。アンジーは詠う。ティターニアを。

 歌は、言霊は共振し、共鳴する。時を越え、領域を越え。

 タリエシンの物語が終わり、ペイガン・ゴッドの物語が終わる。ここまでは瑞希の知る物語。

 だが、歌は終わらない。言霊は止まらない。

 同期した。はるかな領域を越え、アンジーとアンジーの歌はひとつとなった。

 主がいない綾の机で、コンピュータが動き始める。綾の十年を受け止めていく。プログラムが、データが流れ込んでくる。

 綾の体は彼方にあるまま。しかし、綾の魂を瑞希は感じた。綾もまた感じているはずだった。

 狭間に消えしタリエシンの思い。託せし悠理の思い。

 物語を継ぐ者よ。かくのごとく語るか。かくのごとく望むか。よし、それでよし。面白いではないか。言霊は汝が体。物語は汝が命。汝こそは物語る者にして物語られる者。人にして妖精、妖精にして人。汝、妖精王。

 妖精王はそこにいる。

 そして全てを伝えきった綾の十年は巻き戻って消え、アンジーの歌は終わった。


 翌日、出勤した直木先輩は、帰る途中の瑞希とすれ違った。

 瑞希は軽く礼をして、

「徹夜したので失礼する」

「ずいぶんがんばったんですね。お疲れ様です」

「なんということはない。楽しいことだからな。では、昼にはまた来る」

 瑞希はすたすたと去っていく。ずいぶんとタフな女性だ。そういえば、ここ数日、綾と悠理の顔を見ていない気がする。しかし毎日来ているのだから、同じ部屋で仕事をしていて会わない訳はない。気のせいだと一笑に付す。

 開発ルームに入って自分の机に近づくと、なにか小さなものが逃げ出すような気配を感じた。ちらりと小人のようなものが目に入る。

 開発現場には小人の伝説がある。徹夜のあげくに疲れて眠ったりしていると、その間に小人さんが現れて、代わりに仕事をしてくれるのだという。

 そこまで疲れているのかと苦笑しつつ、直木先輩は開発用ゲーム機につながったディスプレイを見て、朝食のパンとヨーグルトを取り落としそうになった。

 ゲームができている。一部分だけのダミーではないかと触ってみたが、まだ絵が不完全ではあるものの、通してプレイができる。そして、なによりもこれはゲームだった。面白かった。世界が生きていた。

 直木先輩は携帯を手に取った。

「まだ寝ている? 早く出勤して! 話したいことがあるのよ」

「うちの会社じゃゲームを作れないからどこか別のところを探すですって? だったら、いいからすぐに出社なさい」

「緊急でミーティングを召集します。必要なグラフィックがたくさんあるんです」

 疲れなんかもう吹っ飛んでいた。

 そこにはもう別の音楽が鳴り響いていた。


 そして、テレビゲーム機メーカー、ゲーム配信サーバーシステムの管理室。

 瑞希はシステムの管理者に指示を下していた。

「このディスクに入っているゲームを全世界に配信しろ。ああ? ヨーロッパ言語版もハングル版も完成している。ロシア版もある。他も全部そろっているんだ。いいから、配信対象を全世界に設定だ」

 目に光のないサーバー管理者が、瑞希の言霊に操られ、ロボットのように動いて設定を進める。

「準備…… 完了しました……」

「よし、配信開始だ! 歌の始まるときがきた!」

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