第2章5


 瑞希は、

「カグヤ、精典リア・ファイル・第三の書!」

「はい! 第三の書!」

 カグヤがくるりと回転するや、背中の本棚から一冊の本が飛び出して、瑞希の手に収まった。

「偽りの物語を語る者、その罪深さを知れ!」

 瑞希は分厚い本を一回開いただけで目的のページにたどり着く。どこの言語とも知れない文字でページはびっしりと埋まっている。

「第三の書・第三百十三項・第十七章」

 瑞希は本をめくると、読むのではなくページに耳を当てる。

「どれどれ、ここの物語は――」

 朗々と読み上げ始める。

〈世界最大の電気街にそびえ立つ世界最大の電気店 地上百二十階を誇る新築の超高層タワーだ〉

 その声は単に空気を振動させるのではなく、聞く者の魂に響くかのごとく、直接心へと突き刺さってきた。数人が幻痛で胸を押さえる。

 瑞希は出演者の一人を指差し、本を聞きながら叫んだ。

「そこのお前! 世界に寄与せず、無為に過ごすだけのお前だ! お前が世界にどう記されているか教えてやろう! 〈出演者の一人〉だ! 固有名詞も持っておらん。無価値な屑だ!」

 言われた彼は反論しようとした。だが、言葉は心の中で止まって出てこない。

 俺は……! 俺は無価値な屑などではない! そうだ、では名前は? なぜだ、思い出せない…… そう、そうだ! 〈出演者の一人〉だ! そうに違いない! では俺の固有名詞は……? ない、ない、どこにもない! この男が言うとおり俺は無価値? 無価値な屑? ああ、そうか、そうなのかも…… そうなんだ……

 瑞希は観客をじろじろ眺め、

「どれどれ、お前も読んでやろう。〈観客〉! おお、なんとひどい。お前が持つ物語はただそれだけ。過去も未来も持ちえず、次の行からは語られることなき定め。この祭がないのならば、お前の存在には意味がない! そして祭は我らが阻止する。であればお前は消え去るがよい!」

「〈貴様〉はもっとひどい! 哀れなことにまったくなんの説明も付いておらん! 無意味、無価値、ただ罵倒されるため存在する二人称が貴様だ!」

「お客様! 他の方に迷惑のかかる行為はお止めください!」

 騒ぎを止めようと警備員が一人ステージに上がって来た。瑞希は自慢げに、

「お前たちは幸運だ。かつてセントオーバン地方で守語聖人によって伝承採取され、それを私が直々に組み上げ直した、取っておきの妖精で相手をしてもらえる」

〈セントオーバン系妖精伝承、呪縛妖精アンシーリー・コート鬱霊バンシー』瑞希改!〉

 瑞希が本に向かって叫ぶと、ページの隙間から無数の黒いなにかがこぼれた。

 瑞希の言に従って警備員の耳元に這い上がったそれは、瑞希が本に封じ込めていた呪縛妖精アンシーリー・コート鬱霊バンシーだ。ぼさぼさとした黒い長髪に顔も体も隠され、その姿ははっきりとしないが、おぞましい正体なのは確かだった。

 鬱霊バンシーは髪を振り乱し、見えない瞳から大粒の涙をこぼしつつ耳元で囁き続ける。

 警備員の様子が急におかしくなっていく。

「お客様! 即刻ここから出ていっていただき…… ……どうでもいいか どうでもいいよな俺なんて…… は、ははは……」

 警備員の動きが止まった。これから彼の人生に待ち受ける無味乾燥な現実を、なにも残らない人生を、死の運命を、繰り返し繰り返し、繰り返し聞かせられたのだ。

 鬱霊バンシーたちは散らばり、スタッフに、ファンたちの耳に取り付いた。皆の顔からみるみる表情が失せ、がっくりとへたりこむ。

 さっきまでイベントを楽しみに待っていた彼らが今は空ろな目を泳がせ、

「虚しい……」

「なにもない、なにもないんだ…… 俺の人生には」

 ぶつぶつ呟く。観客たちは持ってきていたグッズを取り落とし、膝を着き、がっくりとうなだれる。綾にははっきりと、それまで彼らが発散していた言霊が失われていくのが感じられた。言霊の共鳴も止まっていく。

 瑞希は勝ち誇った。

「お前たちの言霊は力を失った。もはや朔月テイアと共鳴することはできぬ。カグヤ、第六の書でとどめだ」

 カグヤから次の本を受け取ろうとして、瑞希は止まっていたはずのエレベーターが動くのを見た。いつの間にか故障が直っている。

 エレベーターの扉が開き、場違いな学ラン姿の少女が一人現れた。額の上には、カチューシャ、いや、月弓が輝いている。

「ユーリ様だ!」

 カグヤの叫びに悠理は手を振って応える。悠理はフロアを見回し、へたりこんでいるファンたちをかき分けてステージへと進んだ。鬱霊バンシーの群れがわめきながら道を空ける。悠理は机にどっかと座り込んで足を組んだ。

 平然とくつろぐ悠理に瑞希はしばしあっけに取られた後、我に返って叫んだ。

「き、き、来たな! 月弓の悠理! 裏切り者! 悠理・ユオン! やはり我らの使命を邪魔しに現れおったか! そうか、エレベーターを止めたのもお前の仕業だな!」

「運動になったでしょ。面白かったよね」

 楽しげな悠理の回答を聞いて、瑞希の額に青筋が走る。

「妖精共と人間をつなぐお前の稼業は、未来永劫にわたって禁止と申し渡したはずだ。その力を使うこと、まかりならぬ。あまつさえ我らが使命を邪魔しようなどとは決して許されぬ! 抹消だ!」

 いくつもの表現で呼ばれた悠理はおかしそうに、

「相変わらず固すぎますねえ。カグヤちゃんもこんなのと一緒にいたら頭の中まで石になっちゃいますよ」

 怒鳴ろうとした瑞希をおいて、カグヤが元気よく、

「いえ、ユーリ様! 柔軟でないと師妹様にはついていけません!」

 瑞希はカグヤをにらみつけ、

「カグヤ! 奴に様は付けるなと言ったはずだ!」

 フロアでまだ生きた目をしているのは、陰に潜む綾を除けば、怒る瑞希師妹、詠う妖精カグヤ、そして月弓の悠理の三人のみ。カグヤの精歌を聴かされても、悠理は平然としている。

「無駄無駄、月弓の者に死の行進曲デスマーチが通用しないのは分かってるでしょ」

 眉をひそめて周囲を眺め、

「瑞希がやってることは我らが悲願、妖精境への帰還を邪魔しているだけ。なんで分からないのかな」

「ラスト・ティターニアの存在は間違っている! ゲームごときの物語などと共鳴して生まれた世界が、我らの待ち焦がれた新たなる妖精境であってたまるものか!」

 悠理は指を左右に振り、

「ゲームから生まれるのは予想外でしたねえ、そこが面白くていいんじゃないですか」

「笑止! このゲームは抹消し、妖精境の創生はやり直さねばならない! 今、こいつらに止めを刺してやるからそこで見ていろ! アルスター中を回って採取してきた、取っておきだ!」

〈アルスター系元素妖精エレメンタル疾風精シルヴェストル』〉

 瑞希が唱えると、本のページから輝く白光がほとばしり出た。

〈発現型『妖精風フェアリー・ブラスト』!〉

 それは、雷をまとう疾風精シルヴェストルのお出ましだった。女性形のシルヴァであれば優しい春風といったところだが、男性形であるシルヴェストルときたら台風に竜巻、さらに雷を呼ぶのだからとんでもない。

 あるところでは気圧が急激に低下し、ガラスが真っ白に曇る。その反対に別のところでは気圧が急上昇し、圧力に耐えかねて蛍光灯が吹き飛んだ。

「あれ~れれ~? 師妹様~」

 激しい気圧差により会場内に起こった突風で、まずは軽いカグヤが吹き飛んだ。貼ってあったポスターがちぎれ飛び、観客たちが転がり、瑞希も立てなくなる。綾はステージ裏で身をかがめて耐える。

 荒れ狂う疾風精シルヴェストルに雷撃を浴びせられて機材が景気よく燃え上がった。ステージに並べられていたプラスチック製のグッズ類や机、椅子にまで引火した。

 プラスチックから発生した有毒ガスで会場の人々は咳き込む。雷撃に回路を焼き切られてスプリンクラーや火災報知器は作動しようとしない。停電したのか照明は消え、エレベーターも再び停止した。

 瑞希は慌てて、地面に倒れたまま火に巻かれようとしている人たちを引きずり始める。しかしこの風の中では難しい。

 悠理は、暴風をものともせずに立っていた。風に耐えているのではない。風のほうが避けている。

「自分が結末を付けられない物語は始めるなと、あれほど言っといたでしょ」

 有毒ガスを発生して燃え盛るステージへと、一歩一歩近づいていく。炎に照り返されて、悠理の全身が赤く染まる。額上の月弓が輝く。

 瑞希は咳き込みながら、

「ど、どうするつもりだ……!」

「あたしが終わらせてあげます。それが保護者の責任ですからね」

 瑞希は止めようとしたが、吹き上がる炎に阻まれた。

「止めろ! もう力を使うな! それ以上、言霊の力を使えば存在できなくなる! また置いていく気か!」

「あたしは語る者、始めたら終わらせる」

 制止を聞かず、悠理は炎へと入っていく。

 荒れ狂う疾風精シルヴェストルが悠理を中心に回りだす。数え切れない真空の刃が猛速で回転しながら水蒸気の雲を引き、ドリルのような渦巻きとなる。

 悠理に向かって渦巻きは突進し、その体を貫かんとする。その瞬間、悠理を中心に爆発的な衝撃波が生じた。

 瑞希は、ファンたちは、全身に空気を叩きつけられた。痛みに目を閉じ、耳を押さえる。吹き飛ばされてきた瓦礫にカグヤは埋まる。

 轟々と炎が叫ぶ中、悠理の声が響いてきた。

 〈完全平等 完全統一を唱える西方大陸連合国に対し ティターニア国は奉仕の教えを掲げて立ち上がった〉

 彼らはおそるおそる目を開いた。

 轟々と燃え盛る炎の中に、幻像が浮かび上がっていた。紅蓮の焔が巫女騎士メイデンナイトの姿を形作っていた。朔月物語に登場する最強の戦士、紅蓮の巫女騎士メイデンナイトを彼らは見ていた。

 疾風精シルヴェストルの渦巻きは杖のように細長くなっており、それを幻像はつかみ取った。風の杖は、その先から炎の刃を生じさせる。これこそ選ばれし紅蓮の巫女騎士メイデンナイトにのみ与えられるという兇刃、|災厄の杖レーヴァテイン

 ゲームの中でしか知らなかった勇姿を、ファンたちは目の当たりにしていた。そして綾は、朔月物語から生まれた言霊が、激流となって幻像に流れ込んでいくのを見ていた。言霊は、会場中のファンから、スタッフから、あふれ出していた。逆に、幻像から言霊があふれ出してくるのも感じる。幻像の向こうとファンたちは共鳴しているのだ。

「師姉様、いや、ゆ、悠理、いったいなにを?」

 瑞希は呆然とする。物語が実体となりつつある。

〈連合国軍の侵略によって我らが城は蹂躙され 今や国は失われたが〉

 幻像が災厄の杖を振り上げる。

月の巫女ルナルメイデンは倒れたか?〉

 倒れているファンたちの目に光が灯る。

〈しかし! 月の巫女ルナルメイデンは倒れたか!〉

 ファンたちの目に輝きが戻る。

「いや、月の巫女ルナルメイデンは倒れていない!」

 ファンたちが、巫女騎士メイデンナイトの決め台詞を叫ぶ。見よ、蘇った魂を! 降臨した巫女騎士メイデンナイトを。妖精に加護された無敵の戦士がそこにいた。

「妖精王にお仕えするため!」

 幻像が叫ぶ。

「火となり焔となりて!」

 皆が叫び応える。カグヤまでも。

 瑞希は、あごの外れそうな顔で

「そんなものは偽りだ! 存在しない!」

 ファンたちは胸に手を当て、声を合わせて、

「だが、巫女騎士メイデンナイトはここにいる!」

 幻像が災厄の杖を高く掲げた。

〈言霊は我が体 物語は我が命!〉

 綾は知らず、幻像へと足を踏み出していた。幻像は一人の少女を象っている。夢に見た少女。失いし者。綾が近づくにつれ、幻像は焔を強め輝きを増す。

 綾の頬を涙がつたっていた。綾はそれに気付いてもいなかった。幻像が腕を広げる。幻像の背後に遠い異世界が映し出される。

「ミナ…… カ……!」

 綾は呟く。幻像が綾を抱く。綾が幻像を抱く。

 フロア中の炎が幻像に集まっていき、見ていられないほどに強く光る。

 輝きが収まったとき、炎は消えていた。綾の姿もなかった。そこには焔に包まれた妖精と悠理の姿があった。妖精は生命が火となって煌き、喜びに焔が踊っている。

 悠理はその名を告げた。

〈テイア系元素妖精エレメンタル焔精イフリータ』〉

 瓦礫から這い出てきたカグヤが驚いて叫ぶ。

焔精イフリータの召喚ですよ、師妹様! 元素妖精の実体化なんて初めて見ました!」

「馬鹿な…… 偽りの物語ごときからあれほどの妖精を召喚できたとでもいうのか。しかしこれほどの業をなすほど力を使って、なぜ存在を保っていられる」

 愕然としている瑞希に、悠理は笑って

「ごめんね。焔精イフリータを呼び出して通路を開くのに、瑞希の疾風精シルヴェストルもいただいちゃいました。精典リア・ファイルに縛り付けられているのはもう嫌なんですって」

「卑怯! 人の力を勝手に使うとは卑怯だぞ!」

「悪いけど、予定通りなんですよね。朔月テイアまで通路を開きたかったから、焔精イフリータを召喚しなきゃいけなかったの。でもまだ遠すぎて、並大抵のことじゃ呼び出せないから、ファンたちの熱い心と、それに火を点けるための敵役が欲しかったんですよねえ」

 瑞希が後ずさる。

「まさか! これは悠理の罠か! 物語る者たちが集まる機会を利用して、私を敵として」

「筋書きって呼んでほしいな。主演は瑞希、脚本はあたし。皆様に動いていただくのが月弓の悠理なんですよねえ」

 悠理は額から月弓を外し、焔精イフリータに向かって構えた。瑞希は慌てて、

「馬鹿! まさか月弓の力を使うつもりか!」

「使わなきゃ終わらないでしょ」

 月弓はしなりながら大きく伸びていき、悠理の背丈ほどにも達する。

「来たれ 言霊! 凝れ 焔精イフリータよ!」

 悠理の叫びに応え、まず月弓の両端から旋風が生じた。旋風はつながり、弦と化した。

「止めろ! もう力を使うな!」

 瑞希の叫びを無視して、悠理は弦を引き絞る。焔精イフリータはその姿を小さく細長く集中していく。極限まで圧縮された焔は結晶の矢に変じ、悠理の手に取られた。

「さあ、お行きなさい、焔精イフリータ! 綾を追って!」

 悠理は焔結晶の矢を、ひょうと放った。矢の起こした熱風の竜巻が、つかみかかろうとしていた瑞希をはじき転がす。矢は綾の去った空間に溶け込んで消え去った。

「ところで、あなたたちはどうするのかな?」

 正気に戻ったファンたちは怒りに燃えて、今にも瑞希に襲いかからんとしている。のんびりした悠理の問いかけだが、一刻の猶予もない。

「緊急撤退するぞ! 貴重な最後の細工物だというのに……」

 瑞希は急いで立ち上がると舌打ちしてコートを開き、銀細工の球を取り出して、

地の精ドヴェルグよ! 汝にドウエルガルの宝球を捧ぐ! 大地と鉱石の境界を開け!〉

 叫びに呼応して、フロアの床が割れた。そこが大地ででもあるかのように、深い地割れが出現する。その奥には果てしない闇があった。

「行くぞ、カグヤ! 師父様に言いつけてやるからな、悠理!」

 瑞希とカグヤが飛び込む。

「師妹様は~ 先のことをもっとよく考えて行動すべきだと思います~」

 カグヤの叫びを残して、闇の中に二人の姿は消えていった。地割れは閉じ、何事もなかったかのように跡形なく消える。

「まあ、瑞希のことだし大丈夫でしょ。心配してあげることもないかな」

 悠理は呟いた。火の中に入っていったはずの彼女だが、その体にも、学ランのどこにも火傷や焦げた跡はない。月弓はいつもの小さなサイズに戻っている。

「さて、塔之原市に急がなきゃ。呪縛カースの塔も早く見つけないとね。さあて綾、あなたに銀の弾丸あれかし」


 イベントは終わった。

 自分たちが見たものは、あの炎は一体どういうことだったのか。ファンたちの誰も説明はできなかった。カメラの類はどれも壊れてしまっていて、証拠は残っていない。

 終わってみれば、なにもかもただの幻だったようにも思える。記憶はぼやけ、あれほど近くに感じた巫女騎士メイデンナイトも遠く彼方にある。自分自身の存在すら、あやふやで薄弱だ。

 が、なぜだろう。心の奥底に輝くものがあった。叫びのようなものが心に残っていた。

「物語は我が命!」

 彼らは呟き、ラスト・ティターニアのテーマソングを歌いながら、エレベーターが動かないので非常階段を軽やかに降りていった。

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