第32話 わたしの気持ち?

「ここがアイリスの師匠の墓か?」

「ん……そう。久しぶりに帰った……」


 そこあるのは小さな墓。

 墓石は小さな石ころで、名前も掘られていない。

 わずかにあるのは師匠が使っていた剣。すっかりと錆びてしまっているけれど。


 これを見ていると思い出す。

 それは、わたしの小さいころの思い出。師匠といた時の記憶。

 幸せだったのかもあの頃のわたしにはわかっていなかった。


 師匠。

 とても大きな手をわたしは覚えていて。よく頭を撫でられたことを思い出す。

 大きな手。剣たこのあるごつごつした。

 女の人なのに、男の人みたいに大きくて。顔はとても怖かったけれど、優しかったあの人。


 必要ないのに構ってくる人。

 もういない人。

 わたしが燃やした初めての人。


「師匠……」

「どうしたチビスケ」


 師匠を呼ぶと彼女はいつもそうわたしに返した。


「チビスケって言わないで……」


 なんだかわたしはそういわれたくなくて、そう返してしまっていたのを思い出す。


「はは。チビスケがチビスケじゃなくなったらね」

「…………いつ?」

「さあ、あたしが死ぬ頃じゃないかね」

「……そう」


 彼女はいつもそういう。なんでも。

 わたしがああなりたい、こうなりたい、こうしてほしいというと、必ずと言っていいほど。


 そして、わたしの頭を撫でるのだ。

 まるで壊れものを触るように、どこか震えたような手で。

 わたしはそれが嫌いじゃなかった。たぶん好きだったのだと思う。今でもこうして夢で見るのだから、きっとそう。


 最近、わかってきたこと。わたしの気持ち。わたしの心。

 わたしはあの日、灰になってしまったから。


 それは始まりの記憶。わたしはいつも灰の中。

 どこかの村で生きていた普通の女の子。もう両親の顔も名前も覚えていない。

 あの日、全てが灰となった。


 すべてが消えていく中でわたしは、ひとり生きていて。

 あれは何かの遺産だという話。死の荒野と同じもの。

 すべてを灰と返す太陽の遺産だという。


 もちろんあの時のわたしはそういうことを一切知らなくて、ただ、何も考えられず、すべてが灰と燃えてしまった。


「まだ息があるようだね」

「…………」


 そんなわたしの顔を覗き込んで、そうつぶやいた人。

 それが師匠。

 送り人は火に対して高い耐性もあるから、きっと何かを調べに来たのだと思う。

 わたしが助かったのも送り人だったから。

 太陽の女神の加護であると師匠は言っていた。


 わたしは師匠に助けられて、師匠はわたしの師匠になった。

 生きるために色々なことを教えてもらった。

 人の燃やし方、武器の使い方、祈り方。わたしの心は灰になってしまったけれど、師匠はずっとわたしに色々なことをしてくれた。


 助けてくれた。


「どうした、チビスケ」

「……師匠、恋って、なに?」


 どうしてそう聞いたのか。今ではもう覚えていない。

 たぶん他の送り人の師弟に色々と話を聞いたからかもしれない。


「恋かぁ。チビスケにはまだ早いだろうねぇ」

「……早い?」

「ああ、まだあんたはなんにもわかってないからねぇ。全部燃えちまって、心も灰のままさ。けれど、誰かがそれを治してくれたらきっとわかる時が来るかもしれないねぇ」

「……わからない」

「今はね、チビスケがチビスケじゃなくなったらわかるようになるさ」

「……いつ?」

「このあたしが死ぬ頃じゃないかねぇ」

「……そう。なら、わからなくていい」

「まあ、そう言いなさんな。恋は良いものだ。いつか恋をしな、チビスケ。弱い男でも強い男でも、女でも何でもいいさ。あんたが好きって思ったのなら、なんだかわからないけれど、一緒にいたいやつが出来たら、その時は、こういうんだよ」

「……?」

「永久より長く、永劫より深く、那由他より遠く。どうか、私を貴方のお傍に置いてくださいってね。いいかい、絶対だよ。約束だからね」

「……ん、わかった。でも、どういう意味?」

「結婚の宣誓さ」

「けっこん……わからない」

「だから、あんたには早いってことさ」


 そういってがしがしと師匠は強くわたしの頭を撫でて。


 ――その翌日に死んだ。


 なんのことはないただの寿命で。

 わたしはまたひとりになった。涙は流れてくれなかった。

 わたしは言われたとおり、送り人になって色々なところを巡った。


 師匠に言われていたけれど、やっぱり歓迎してくれる人は多くない。

 でも、それは苦じゃなかった。わたしは何も感じないから。わたしの心はもう灰になっているから。


 だから……。

 だから……。


 ――本当はたぶん悲しかったんだと思う。

 ――本当は誰かに優しくしてもらいたかったんだと思う。


 貴族のように打算的ではなく。

 送り人のことを何とも思わずに本心から、頼って優しくしてくれる人が欲しいと思った。

 師匠のような――。


 そんな人いるわけないから思うだけ。

 ただ旅をして。旅をして。


 また街の外で野営をしようとしていたとき。


 あの人に出会った。

 あの人。

 レイ・クジョウ。


 わたしの大切な人。

 わたしに優しくしてくれた人。


 最初は変な人だと思った。

 おかしな人だと思った。

 みんなが知っていることも知らないし、旅に必要なものも何も持っていない。


 けれど、だから、あの人はわたしのことをちゃんと見てくれた。

 怖がらずに、畏れずに、打算もなく。

 いや、打算はあったかもしれないけれど、貴族とは違って、それは送り人に求めるものとは違う、わたし個人に求めるもので。

 なんだか嫌じゃなかった。


 だから、師匠がしてくれたように、あの人にも同じことをした。

 構って。

 構って。


 それが好きってことだったらしい。

 わたしは結局、言われるまで気が付かなかった。

 だから、わたしは言った。師匠との約束通り。


「永久より長く、永劫より深く、那由他より遠く。どうか、私を貴方のお傍に置いてください」


 わたしにはもう何も残っていなかったけれど。

 彼を刺してしまったけれど。

 わたしは、それでも一緒にいたいと思ってしまった。


「だから、師匠。わたしは大丈夫……」


 師匠のお墓にわたしはそう言う。

 恋をしたよ。

 好きな人が出来たよ。

 そう師匠に報告をする。


『なんだい、そんななよなよしたのがいいのかい』


 ふと師匠がそう言った気がする。


 ――うん。

 ――師匠はたぶんそういう。


 だって師匠、強い人が好きだったから。

 そして、たぶん最後にこう言うの。


『まあ、あんたが選んだんだ。それで良かったじゃないかチビスケ』


 そうして、チビスケって言わないでって反論して。


 はは。って笑われるの。


「…………」

「俺、席を外した方がいいか……?」

「ん……大丈夫……。ここで祈って」

「……わかった」


 師匠。

 わたしの大切な人。


 わたしは大丈夫。

 大切な人を見つけたから。

 あと送り人も出来なくなったから、家事かんばる。


『あんたにできるのかい? 焼くこと以外なーんもできなかったくせに』

「うるさい……」


 ――頑張ってます。

 ――少しずつ頑張ってます。

 ――ちょっと……頑張ってます。


 少しは……ちょっとは……たぶん、上手くできるようになっているはず。

 だから、大丈夫。きっと、たぶん。


 ふわりと風が吹き抜けていく。

 

「……ん、帰る」

「もう良いのか? 掃除とか、手入れとか」

「……大丈夫。師匠、汚くても平気な人だった」

「そういう問題じゃないと思うんだが……」

「……大丈夫」

「……そっか。それじゃあ帰るか」

「ん……」


 師匠に別れを告げて、わたしは帰る。

 私たちの家に――。

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異世界で竜を食用にするため養殖することにした 梶倉テイク @takekiguouren

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