偶像と崇拝と冒涜の哲学

以下のお題をもらって書きました。

「哲学」「アイドル」「貴種流離譚」



 ◆



「いいか。アイドルってのは宗教だ」


 アイドル――という言葉の意味を知っているだろうか。

 それは、『偶像』である。


 舞台上や液晶の向こう側だけにいる、手の届かぬ存在。浮世離れした容姿で歌い踊る様は、神秘的と言って差し支えない。偶像アイドルというのは、彼女らの称号としてはまさにうってつけの言葉だろう。


「ファンとは、信者だ。人気とは、信仰だ」


 そんな彼女らに心を奪われ、崇拝の言葉と金とを惜しまないファンの面々を『信者』と呼ぶのもまた、偶像アイドル偶像アイドルたらしめている一因であると言ってよい。


「そしてお前らは、信者が信じる神の存在を、具現化したものだ」


 昨今では、『会いに行けるアイドル』なるものがアイドル界隈を席巻している。偶像、舞台上や液晶の向こうに住まう者、手に届かぬ遠い存在――そういった常識が取り払われ、一種のパラダイムシフトが起きたのだ。


「アイドルとは、神でなくてはならない」


 だが俺は、それが気に食わない。

 偶像アイドルは、偶像アイドルであるべきなのだ。

 神性を失った偶像アイドルが、信者や信仰を集められるとは到底思えない。


 会いに行ける時点で、それはもはや偶像アイドルではない。

 偶像アイドルは、手に届かぬ存在でなくてはならないのだ。


「それを肝に銘じておけ。お前らは今から、人間であることを捨てろ。お前らは今から、信仰を集める偶像アイドルだ。人間性を捨て、神性を得よ。これが俺のアイドル哲学だ。理解できない奴は、神になる覚悟のない奴は、ここで帰ってくれていい」


 その哲学が正しいことを証明するため、俺はアイドル事務所のプロデュース業務に就いた。腑抜けた偶像ばかりがのさばるこのアイドル業界に、再び神性を取り戻す。アイドルという宗教を、世に敷くために俺は働く。


「残ったのは三人だけか」


 このご時世だ、俺の偶像アイドル哲学を語ればたちまち人は寄り付かなくなる。昨今のアイドルのような存在を夢見た若い女連中は、俺の話を聞くだけで悉く去ってゆく。


「上々だ」


 だからこそ、残った奴らの目は本物だ。

 本気で偶像アイドルを目指そうという、力強い意思が感じられる。今までの俗世を離れ、神への階段を昇らんとする目だ。若き彼女らは、これより神を形どった偶像アイドルとなる。


貴種流離譚きしゅりゅうりたん、という言葉を知っているか」


 そんな彼女らには、俺の哲学の続きを語ってやるべきだろう。

 聞き慣れない言葉を聞き、小さな神たちは首を横に振る。そりゃそうだ、と大きく頷いた後、話を再開する。


「物語の形式の一つだ。貴種――若い神とか貴族とかだな。それが様々な試練を乗り越え――流離を経て、高位の神となる。そんな物語のことを貴種流離譚って言うんだ。ま、ちょっとしたシンデレラストーリーだと思ってくれればいい」


 途中までは眉間に皺を寄せて首を傾げていた偶像アイドルたちだが、聞き慣れた『シンデレラストーリー』という言葉を聞き、ようやく小さく頷いてくれた。


「お前らは今この瞬間、人間であることをやめ、駆け出しの神となった。これから信者と信仰を集めるべく、様々な試練が待っていることだろう。最初は仕事も選べず、気に食わない仕事だってしなくちゃあならない。ファンを獲得するために、泥をすすらなくちゃならないことだってある」


 小さな偶像アイドルたちは、俺の言わんとせんことを何となく理解してくれたようで、その頷きを更に大きなものにしてみせた。


「だが、数々の試練を乗り越えた時、お前たちは神となるだろう。信者と信仰は、その頃には数えきれないほどの数が集まっている。その中にはきっと、俺の姿もあるだろう。アイドルという偶像を信ずる哲学を持った俺を、自らの信者にまで堕としてみせろ」


 俺のその言葉に、偶像アイドルたちは明朗で快活な返事をしてみせる。彼女たちの目には、神格のある小さな火が、確かに宿っているように見えた。


 それからというもの、彼女たちは日を追うごとに人間性を失っていき、めきめきと神性を得ていった。十代の女子には抵抗が大きいであろうグラビアの仕事も喜んでこなし、アイドルとは程遠いバラエティ的な仕事もこなしていく。


 彼女らの素晴らしいところは、そのような俗っぽい仕事にまみれてもなお、神性を失わないところだった。一挙一動が美しく、泥をすすってもなお神々しく見えたものだ。むしろ、そうすればするほど、彼女たちの浮世離れした神格さが際立つようにすら感じられた。


 アイドルとは、偶像だ。

 アイドルとは、宗教だ。


 昨今の腑抜けた偶像アイドルにはない、神性さが彼女たちにはある。舞台の上で言葉を紡ぎ、ファンたちがその言葉に耳を傾ける。その光景はまさに、崇められる偶像と崇める信者たち――宗教に違いなかった。


 偶像アイドルを信ずる哲学を持った俺もまた、いつしか彼女たちを崇める信者へと堕ちていた。


「皆さん、本日はお忙しいところお集まりいただきありがとうございます」


 会見に集まった記者の数を見て、俺は彼女たちの人気を再確認するとともに、自らの哲学に間違いがなかったことを確信する。彼女たちは、人間の俺にはもう手の届かない場所へと旅立ってしまった。


 偶像アイドルとは、信仰を集める神を形どったものだ。

 偶像アイドルとは、人間の手に届く存在であってはならない。


 遠く尊い存在だからこそ、人間は神に触れたがる。手に届かないとわかっていると、尚更手を伸ばしたくなってくる。それが、人間の性というものだ。



「プロデューサーさん、あなたとアイドルの熱愛報道は事実ですか?」

「なんでも、グループの三人全員に手を出したとか」

「どうなんですか、ハッキリと答えてください」



 神を自らの手で汚したいと思うのも、人間の性なのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る