第四話 毒婦の娘達

 父はエジプトを発つ時、私の服を全て、自分の襤褸を繕い直したものと取り替えた。前日の夜には、私が引き取られる直前、おのこしをエジプトの外に出さないように、否、より正確には、おのこしは全てエジプトのうちに置いてくるように、襞が腫れるかと思うくらいに念入りに身体を洗われた。食事も母が作った、もそもその小麦の塊だけを食べさせられ、酸い葡萄ぶどう酒をたらふく飲ませられ、腹の中にエジプト料理が残っているということもなかった。それくらいに徹底して私につきっきりだった。

 しかしその洗浄は決して乱暴なものではなく、私は寧ろ、久しく感じなかった、文字通り身も心も清潔であるという歓びに打ち震えていた。父が自分の子供として私を迎える為に、何か自分の中で折り合いを付けようとしているというのは分かったが、少々やり過ぎなような気もした。それでも父が絶え間なく、これから私が『帰る』国であるイスラエルの昔話や、仕来りを話して教えてくれていたので、それをフンフンと聞いているのは心地よかった。

 それらの話は断片的で、私はその欠片の前後関係を整理するのに何度も質問したけれども、後にも先にも、父が私に、苦しみの根源の話を―――何故に悩むのか、その根拠の話を吐露したのは、この時だけだった。


 父は、大王の嫡子であり、賢王の子の子孫に生まれついた。しかし、今や大王の子孫はイスラエルを統治してはおらず、エドム人の王がその玉座にかじりついている。私がイスラエルを離れるきっかけになったあの赤子殺しも、この出自の先王がやったことだと教えてくれた。父はその時、産まれたばかりの息子蘖ひこばえを護る為に、母とエジプトへ来たのだという。抑もエドム人と言えば、元は大王の時代にエジプトでかしずいていた方の人種なのだとか。とんだ迷惑な下克上である。しかしそのエドム人も、更に遡ればそれは、太祖の二人の孫の、毛深い方なのであるから、結局彼等は、自分の民族の歴史にイスラエル人の誇りを失ったものの、神の計らいによって戻ってきたとも言えるのだ、と、父は苦虫を噛み潰したような顔で付け加えた。本当はこれっぽっちも、そんなことは考えていないのだろう。

 イスラエルを最も繁栄させた、しがない元羊飼い、最後には最も偉大なる王として死んだ大王。その嫡流といえども、千年以上も経てば、況してや別の王が建てられれば、その行く末は惨めなものだ。父は大家族の末っ子の畜生腹として生まれた為、自分は父親の手に触れられた事がないのだという。父の母は、父を産んですぐに死んでしまい、父が割礼を受けるところすら見なかった。父は、同じ系譜で同じ村に住む、子供が居ない夫婦に引き取られた。つまり、父は生まれながらに、肉の父と法律上の父、二人の父がいたのである。

 少年時代は、養父の大工仕事を只管ひたすら修行した。父は石や木を削り出すのが特に得意であり、また、大工らしく、自治にも若くして携わった。父は、生まれの貧弱さに負けないくらいの好青年へ成長することが出来た。

 そんな父の元に、家系が途絶えてしまいそうな家がある、と、使いがやってきた。父が十二歳の時、成人し、エルサレム神殿に詣でたばかりだったという。

 聞けば、その使者は父が元々住んでいたナザレから離れた、漁村カペナウムの網元から使わされた者だった。彼等は律法を司る家系の末裔であり、また、エジプトから民を導いた古の大祭司の血筋の娘である穏女やすきめを嫁にすることに決めていた。その異父姉、次女海女うなめが、この程神殿奉公から戻ってきた。ところが、彼女の母、つまり穏女やすきめの母でもある垂乳女たらちめが、とんでもない毒婦と噂になっていた。挙げ句の果てに、実はもう一人、宝女たからめという娘を産んでいたことも知られていた。垂乳女たらちめの夫は年老いて久しく、どう考えても夫婦生活があるようには思えなかったが、本人達がそうだと言い張っている以上、誰も垂乳女たらちめを罰することが出来なかった。しかし気立ては良い三姉妹なので、許嫁にという声は絶えず、事実末娘の穏女やすきめは、僅か十歳で既に許嫁を持っていた。その男こそが、この使者が仕えているカペナウムの御曹司であると。

 詰まるところ、妻にする予定の女の母親の汚名を打ち消す手助けをしろ、という事だったらしい。少なくとも父はそのように解釈しているが、とにかくこのように複雑で長い前置きだったので、よく分かっていないという。

「結婚って、難しいね、お父さん。」

「いやあ、普通はね、もっとこう、仲人さんがちゃんとした人を探して、間に入ってくれるもんなんだけど…。少なくとも、僕の母さんはそうだったんじゃないかなあ。」

 父はそう言って、言葉を濁した。しかし、少なくとも私の母になり、父の妻になった海女うなめは、垂乳女たらちめの娘の中でも最も美しく気立ても良かったので、それに関しては当たりくじをひいた形になるだろう。

 イスラエルに戻った時、私が多くの人々にエジプト人と間違われないように、律法もたたき込まれた。石版に記されたという十の戒めは、三日三晩かけて、その具体的な罪の内容と、どのように処刑されるかを聞かされたので、悪夢に苛まれる事もあった。けれどもそうすると母は、すぴすぴと眠るひこばえの傍を離れて、私を胸に抱いて、私が怯えなくなるまで色々な話をしてくれた。経緯はともかく、私は二人に必要とされ、愛される予定なのだと言うことは、その過程で確信した。


「お父さん、イスラエルに戻ったら、何処の町で暮らすの?」

「ナザレだね。北の方の外れの町だ。だから、国に戻っても暫く旅をしなければ。」

「南の方から入るから、エルサレムが近いわ、あなた。瞻仰せんぎょうをエルサレムに連れて行ってあげましょう。」

「生贄を買う蓄えはないから、神殿を見るだけだな。それでもいいか、瞻仰せんぎょう。」

「はい、お父さん、お母さん。」

 私がそう答えると、私に背負われていたひこばえが笑った。

 道すがら気付いたのだが、ひこばえは随分と成長が遅い。父母の計算が間違っていなければ、ひこばえはもう三歳になる。私がイスラエルを離れたのが三歳の時で、私の殺された方の弟は私が二歳の時に生まれている。だから私は三歳児というものを『見た』ことが無いが、殺された方の弟と同じか、もしかしたらそれよりも頼りない。この赤ん坊は本当に大人になれるのか、或いは、垂乳女たらちめの孫として、垂乳女たらちめの淫らな罪の咎めを背負って生まれてきたのではないか………。父に教えて貰ったユダヤの律法や教えから考えると、私はそのように推測できたが、とてもじゃないが聞く勇気が出なかった。

「ふえええん、にっちゃ、にっちゃぁ。」

「ん?」

 砂漠を歩いている時、唐突にひこばえが泣き出した。ぴいぴい、と泣きながら、ぐにぐにと下半身を私の背中に押しつける。この行動をするときは、いつも大体決まった痛みを感じているのだ。

「お父さん、お母さん。ひこばえがまたお腹が痛いみたいです。させに行ってきますので、お水の用意をしておいてください。」

「あら、また?」

「酢が足りないのか? あまり腹を下すようなら、エルサレムで医者に診せなきゃな…。」

 すみません、と、頭を下げて、私は砂の盛り上がった所の影に隠れ、ひこばえの服の裾をめくり、膝の裏を持ち上げてしゃがみ込んだ。

「はい、しーしー。」

「いちゃいのー。」

「はいはい、悪いものは出しちゃおうね。」

 いたいいたい、と繰り返しながらも、ひこばえは何とか腹の中の汚水をひり出した。もう水しか出てこないのに、何がそんなにひこばえの腹を痛ませているのだろう。赤ん坊というのは皆そうなのだろうか。………というより、三歳というのはそもそも赤ん坊と言えるのか? 私がエジプトに来たとき、排泄くらい自分で出来たし、何なら六歳のころには排泄されたものを排泄することだって出来たと思うのだが。三歳は六歳の半分なのに、こんなに幼くて大丈夫なのだろうか。本当に心配だ。

「にっちゃ、もーいーの。」

「はいはい、じゃあふきふきしようね。」

 襤褸布に砂を纏わせ、少しだけ汚れたひこばえの尻を擽るように拭いてやると、もうひこばえは上機嫌だった。腹が痛くなくなり、機嫌がよくなったのか、ひこばえはさっさと父母の所に行ってしまった。私はひこばえの垂らしたものを吸って黒ずんだ砂を、スカラベが食べやすいように砂に埋め、布を砂で磨いた。

「お待たせしました、お父さん、お母さん。きれいにしてきたので、行きましょう。」

「ありがとうね、お兄ちゃん。」

「兄は、弟の世話をするのが当たり前ですから。」

 私は照れ隠しにそう言った。母の無邪気な笑顔を見る度に、父の表情は、雲が形を変えるように変わった。父の心には、いつでも砂嵐が吹いているようだった。


 かんかん照りの砂漠を歩くこと二十日、私は四年ぶりに祖国イスラエルの風を受けた。私は砂漠を歩いているうちに誕生日を迎えていたので、その時七歳だった。

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