翌日の目覚めは最悪だった。

 ヴラスターリは自分を腕のなかに抱えてるヴァシリオスの懐からそっと抜け出し――訂正、捕まった。

 視線を合わせてキスをしたあと、ようやく二人揃ってベッドから起き上がった。

 寝ぼけ覚ましにヴラスターリはすぐに熱いシャワーを浴びてタオルと下着姿で出てくるとリビングのテレビをつけた。

 昨日はあのあと待機と言われたので何もしなかったが、あんなメディアジャックが行われたのだ。世間は騒いでいるのかと思ってニュースを見たが、いつものように淡々と天気予報が流れている。

 まだ霧谷の能力が効果を発揮している。

 今夜までは、誰も彼もが自分たちのことが見えず、聞こえず、関われない。

 名もなく、存在すら消し去られた。

 リビングのソファに胡坐をかいていると、目の前にかりかりに焼かれたトースト、ベーコン、スクランブルエッグ、トマトとレタスのサラダとヨーグルトの載ったプレート。

「素敵な朝ごはん」

「珈琲をどうぞ。不機嫌なお嬢さん」

 手渡されたコップを両手に持ってすする。横にヴァシリオスが腰かけてコーヒーを飲む。人に食べさせるくせして彼はあんまり食べないのだ。

 本当は食事はテーブルで向かい合うがもうすぐ任務ということでお行儀の悪さは免除してくれているようだ。

「連絡は?」

「今見たけど、ストレンジャーが本部前にいて奴を待ち伏せするらしい。私たちはビルの中まで、もし万が一があれば迎え撃つ」

 昨日の爆破で本部――表向きはセキリティ会社として存在していたUGN日本支部。

 そこで迎え撃つことになる。

 今回出動できるのは現在動けるヴラスターリ、高見、井草、住原、パンドラ・アクター。

 たった五人。

 五人しか出動できないありさまだ。

 他にもエージェントはいるが昨日の戦闘で怪我を負った者や後処理で人為は逼迫している。

 UGNは万年人手不足がこんなところで祟ってしまった。

 それ以外は本部にある重要書類の持ち運びを行う班、この周囲一帯の一般人が近づかないようにワーディングを展開後、誘導などを行う班に分かれている。人工的な巨大ワーディングが張れない以上、一人一人のオーヴァードによって人避けを行う必要がある。それだけでもただいなる手間と人為を裂かれてしまう。

 こんなところでオーヴァードの秘匿性が足をひっぱってくる。いくら霧谷が街一つの目を隠していても、限界はきてしまう。

 ヴラスターリは迎え撃つ立場よりも、後処理に駆り出されるべきところだが、そこはアッシュがあの手、この手を昨日のうちに使ってくれたのだろう。

「なんだが、あなたのことを思い出すわ」

「俺のときも君たちだったな」

「そう、あなたがわらわらと軍隊連れて押し寄せてきたとき、ぞくっとしたわ」

 ふふとヴラスターリが笑うとヴァシリオスが頭を乱暴に撫でてきた。

「あのときと今だったらどっちがマシだ」

「……あなたのときのほうがまだ戦い方を考えられたわ。今回は……ユキサキはどうかしら」

 必死に昨日、あれこれと作戦を考えた。ユキサキのやり方、手口、どれか一つでも思い出せばと思ったのだ

 けれど

「あいつは……あいつのオーヴァードとしての能力を見たことがない」

「……シンドロームがわからない?」

 ヴラスターリは頷いた。もし能力を使ったとしたらストレンジャー本部から逃亡したときだろうが、復讐に燃えて月まで飛んでいきそうなストレンジャーたちがわざわざ敵の情報を与えてはくれないだろう。

 ちらりとヴラスターリはヴァシリオスを伺い見た。

「情報収集のとき、何か見なかったの?」

「俺は見ていない。見たとしたらうさぎが」

「ああ、あのスピード狂いの」

「昨日帰って報告をしていた。その情報は?」

「……まだきてない。わからないみたいね」

 仕事用のスマートフォンの画面を睨んでヴラスターリは顔をしかめた。

「あいつは恐ろしいほどに戦闘能力が高い、銃の扱いもナイフもうまかった。体術も学んでいるし、いくつもの戦場を経験している。それだけでも普通のオーヴァードを相手にするよりもよほど厄介よ」

「持っている経験の差、ということか」

「そう。一般人の覚醒者ともともとスポーツ選手だった覚醒者じゃあ、もってる能力が違うでしょ。それと同じよ」

 オーヴァード能力者はレネゲイドウィルスによって超人の能力を手に入れれる。

 だが、それにも明白な差が存在する。

 その人物が覚醒したシンドローム、そしてメンテナンスを行う調律師。

 最終的にはその人物の本来持っている潜在能力――そして、経験。

 一般人よりも、戦闘訓練を受けている人間のほうがより能力を引き出し、強固となるし、なによりも判断力、瞬発力が違う。

 所詮、レネゲイドウィルスは能力の底上げにすぎない。

 戦うことを知らない者が唐突に戦えと言われてもたいしたことはできない、高い身体能力だって宝の持ち腐れだ。むしろ足をひっぱることだってある。

 そういう意味でユキサキは間違いなく、最悪なタイプだ。彼は対オーヴァードとの戦闘を戦争という集団によって経験し、いくつもの死線を潜り抜けてきた運と対応力がある。それはきっとここにいるオーヴァードたちがもっていないものだ。

 同じ戦争帰り、といえばヴァシリオスもそうだが彼は今回の任務から外された。危険だからだ。

 UGNはヴァシリオスが戦うことでジャームになってしまう可能性があると恐れているのだ。

「あなたがいないのが腹立つ」

「俺は今回、本部の重要書類を運ぶ役を仰せつかった、それも立派な任務だ」

「戦ってるあなたはセクシーでいいのに、どうしてわからないのかしら」

 冗談めかしてヴラスターリは文句を口にする。

 少しばかり驚いた顔のヴァシリオスが意外そうに聞き返す。

「初耳だ。それに君はいつも料理を作ってるときに尻を触ってくるが」 

「料理を作っているときが一番セクシーでキュートだから」

 きっぱりと断言してヴラスターリはパンを食べ終わって、デザートのヨーグルトに手を伸ばした。

 朝食で用意されるヨーグルトはいつも塩だけふったもので、これがさっぱりとしてほどよいのだ。

「俺は食べている君が一番キュートに見える」

「だから私を太らせようと食べさせているの? 私、あなたと暮らし始めて一キロは確実に太ったわ」

「もう少し太ってほしい。君はやせ過ぎだ」

「……ぷくぷくに出来るものならしてみたらいいわよ。私、これでもいっぱい動くんだから」

 わざと挑発するように言うとヴァシリオスの手がほっぺたに伸びて揉んできた。

「う、う、う?」

「確かによく動く、外でも家でも」

「ちょ、う、にゃ、やだ。ま、わ!」

 隙をついて首筋にキスされてヴラスターリは少しばかり慌てた。噛みつかれて、滲む血をすすられる。

 思わずこのまま抱きしめてしまいたいのを理性で止めて、そっと肩に手をおいて押して引き離す。

「……まだ時間はあるけど、今はだめ」

「気が高ぶってる?」

「いろいろと未練を残しておいたら生きて帰りやすいから」

 笑ってジョークにしたが、本当だ。

 どうしてか、生きて帰れる気が一向にしない。

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