カルナバル 黒崎・ヴァシリオス・うさぎ

 はやく報告するべきだと、すぐさまに電話をしたちえこは急いで霧谷のところへと向かうと言うので一足先に現場をあとにした。

 残されたヴァシリオスはさらに情報を得るために奮闘するうさぎが倒れては読む、倒れては読むのを繰り返すのを辛抱強く付き合った。

「すいません、思ったよりもはかどらなくて」

「いや」

 倒れて泣いて叫ぶを繰り返すうさぎの顔は青白い。それでも彼女は情報を得るために過去を読む。それはひどい精神負担を意味する。

 さすがに見かねたヴァシリオスが止め、一度休憩にした。

うさぎはかたいアスファルトの上だというのにぱたりと倒れた。根性だけでなんとか起きていたようだ。調査員たちが上着で粗末なりの寝床を作り、横になって水をもらい濡らしたタオルで頭を冷やす。

 触れるとうさぎの体は熱かった。

 脳の負荷はそのまま肉体に及ぶ。彼女は今、燃えるような熱を孕んで爆発寸前だ。

「もう辞めたほうがいい。脳の負荷が」

「っ、わかってます。けど、あと少しで何かわかる、気がするんです。なんかひっかかるんです」

「ひっかかる?」

 こくんとうさぎは弱弱しくも小さく頷く。

「一人だけ、どうしても顔がわからない人がいるんです」

「……顔がわからない?」

「はい。その人、帽子をかぶって、常に他の人がいて、なんだかカメラがあわないような、なんだろう。こう……こういう力で調べられることをはじめから予測してたみたいに、うまく隠れてるんです」

「……そんなこと可能なのか」

 ヴァシリオスは当然の疑問を口にした。

 サイコメトリーのように過去を見る能力者についてはオーヴァードであれば知っていることだ。だからといってそれを予測し、隠蔽できるものなのか。

「普通は出来ません。サイコメトリーなんかは本当にものの記憶なので……私は船の一部、一部に触れて読んでます。その物体があるところの視線なんで、読む範囲って広げようとすればできますが、負荷が大きすぎるので基本は自分の目の見える範囲をものにあてはめてるんです。えっと、だから、その人は、こういう風に探られてもいいようにどこを読まれるのか、どういう風に読むのかも計算してうまく顔を隠してる。声とかも他の人たちのがうるさくて聞こえないんです」

 その感覚はヴァシリオスにも覚えがある。

 血を飲んだとき、見たあの映像。

 違う。

 自分は見せられたのだ。 

 狼のように利口で、頭がよく、オーヴァードのことを知り尽くした敵の一人に――やられた。

 はっきりと感じた。

 この人物は読まれることを全部わかっていてやったのだ。

 情報は与えられているにすぎない。

 その現実にヴァシリオスは奥歯を音がするほどに噛んだ。

 敵の一人は驚くほどに戦い慣れている――対オーヴァード相手に。


 さざ波の音に混じって、血の匂いがする。濃厚な鉄錆の香り――それにはじめに気がいたのはヴァシリオスだ。

 ヴァシリオスはいきなり自分の左腕をまくしあげ、右手の爪でひっかき、血を流す。

 それがなんのためかオーヴァードならばわかる。

 ブラム・ストーカーは血を力とする。

 能力使用の際に自らを傷つけ――簡単に癒せるのでたいしたものではないが――血を流す者、手足の先から滴らせるもの、口から吐き出すものと多彩である。

 ヴァシリオスも本来は指の隙間、皮膚の穴から血を出すが――緊急だった。

 血が小さなナイフとなる。

 カランビット。

 軍用の殺人に特化したナイフは人間であったときからの愛用の武器であり、手のなかによくなじむ。それを右手に持ったままヴァシリオスは身を低く、黒崎に接近する。

「隊長!」

 ストレンジャーの一人が叫ぶ。

 黒崎が構える前にヴァシリオスのナイフが、影の鋭い爪を弾いた。黒崎も懐からグロック17を引き抜き、背後にいるそれに向けて容赦なく発砲する。攻撃が防がれたことにそれはすぐさまに飛びのき、黒崎の連続発砲もなんなくバックステップで避け切ってみせた。

「あれは……」

「敵のオーヴァードっ!」

 ストレンジャーたちが牙を剥きだしに対峙する。

 なぜ今まで気が付かなかったのかと疑問に思うほどに、それははっきりと存在していた。細く、長く、ひょろりとした肉体を持つそれは黒いマントに身を覆っている――人とぎりぎり判別できるのは二足で立っているからだ。

 蛇。

 蛇がそのまま人の形をとったといっても納得するほどに異様さだ。

 首をくるりと動かし、一つだけの目がこちらを見ている。


 にゃ、ちゃあ


 口を耳の先まで大きく開いて、笑い、それが動く。

「全員、攻撃態勢っ」

 黒崎の号令。

 訓練されたストレンジャーたちがそれぞれの銃を手に獲物を狙う。


 ――静(シン)

 音が消える。


 ――沈(シン)

 世界が黒く染まる。


 世界の一部が切り取られ、暗く沈んで闇へと落ちて音という音が消える。

 疑問はすぐにヴァシリオスのなかで確信に変わった。

 こいつは光と音を操る能力者だ。だから気配を断ち切り、ああも容易く接近出来たのだ。

 納得したヴァシリオスは目を閉じる。

 音も無意味――五感の二つをのっとられているならば、嗅覚と触覚に頼ればいいだけのことだ。

 空気の揺れ、何かが倒れる気配。そして自分に接近する。

 とっさに腕をあげる。

 ナイフで受け止め――閃光――影のナイフとヴァシリオスの血のナイフが重なり合い、一つの光を生み出す。

 とたんに世界が晴れた。


 先ほどまで自分たちがいたそこに無数のストレンジャーが倒れ伏している。彼らは一同に心臓を貫かれ――ぽっかりと穴があいている。

 見ると蛇が楽しそうに笑って、片手をあげる。まるで獲物を得たことを自慢するように腕をあげて心臓を吊るす。

 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……

 ぶらさがる心臓から滴る血。

「い、いゃああああああああああああああ」

 うさぎが恐怖に耐え切れず、悲鳴をあげた。

「貴様ぁ」

 黒崎が押し殺した怒声を漏らす。

 ヴァシリオスだけが静かにそれを見ていた。

 不愉快な血の香りを楽しむようにそれは口を開いて、ぐちゃりと心臓を貪り食らう。

 血肉を引きちぎる生々しい音と空中に舞う血しぶき。

 あまりの光景にうさぎが、耐え切れず吐いた。

 黒崎も一瞬、それがなにをしたのか理解できないという表情で怒りも忘れて見入る。

 それはぐちゃぐちゃと音をたてて心臓を貪り、腹のなかにおさめた。

 狩れば、食事をする。

 当たり前の行動。

 獣だ。

 この目の前にいるのはただの獣だ。


 ヴァシリオスは一瞬のうちに結論を出すと、すぐにうさぎに近づいた。

「黒崎、こちらへ!」

 黒崎は顔をしかめて何か反論しようと口を開いて、すぐに閉じた。

彼も理解したのだ。このまま離れていてはこいつに狩り殺される。だったら固まっていれば対応できる。

 黒崎はそれを警戒しながら後ろに下がる。銃も懐にしまったのは下手に発砲すれば同士討ちの可能性を考えたのだろう。

「隊長っ」

「来るな! お前たちはそのまま退避しろっ」

 黒崎の声に駆け寄ろうとするストレンジャーたちが動きをとめ、苦しげに顔を歪めて命令に従い下がっていく。

 よく訓練されている。

「敵の動き、どう読む」

「また同じことをするだろうな」

 黒崎の小声の問いにヴァシリオスは断言する。

「あれの一撃を先ほど防いだが、次も出来る保証はない。お前は対応できるか」

「……光を消す力なら、俺もある」

 黒崎はそれを睨みつけたまま言い返す。

「だが離れた距離だと逃げられるな」

「……確かに」

 あれは蛇のように素早い。

「近づいたタイミングが読めたらいいが」

「……や、やります」

 うさぎが弱弱しい声で呟く。

「私が、読みます」

 黒崎とヴァシリオスは背に隠れて犬のように荒い息のうさぎを見る。両手で胸を押さえているが全身が震えている。

「読む……まさか、サイコメトリーで読むつもりか」

 ヴァシリオスの言葉にうさぎが大きく頷いた。

「無理だ」

 黒崎はにべもない。

 サイコメトリーはものの過去を読む力だ。触れていなければそれを読むことはできない。いくらうさぎが情報収集員としての技術があったとしても

「近づいたタイミングが知りたいんですよね? あいつが地面を通るなら、読めます」

「範囲が広すぎる。そんなことをしたら君が」

 サイコメトリーの規模が大きければ大きいほどに脳の負荷は強まり、精神と肉体を著しく消費する。

 それも現在進行型で常に能力を発揮しての演算処理を行うということだ――それがどれだけの負担になるのかは予想がつかない。

「あいつにただ殺されるより戦って、ちゃんとあがきたい。だって、私もオーヴァードだから!」

 強く訴える涙目のうさぎに黒崎は沈痛な面持ちで深く息を吐いた。

「やるしかあるまい。貴様に命を預ける。合図はなんでもいい。奴が半径1メートル以内に来たらやれ。貴様は」

「……あれの相手は私がしよう」

 とヴァシリオスが応じると黒崎は頷いた。

 幼く、弱いうさぎが命を賭けるというならばもう言い訳も、迷いもない。

 黒いそれは楽しそうに首を傾げる。再びの闇。


 深い

 常闇へ、

 ――落ちる


 静(シン)--音もなく――沈(シン)--深い闇へ


 ヴァシリオスは目を閉じ、匂いを辿る。いつ、それがきてもいいように。自分の心臓の音がやけに頭のなかに大きく響く。

 さらり、と音が聞こえた。

 この空間で! ――砂がさらさらと流れて肌を撫でる――それが合図だ。


「光よっ! 照らせっ!」

 黒崎が咆哮をあげた。

 掲げた片腕に光の玉が浮かび、火花を散らして音をたてる。

 高濃度エネルギー塊。触れればすべてを焼き付くほどの威力を持っているだろうことは見ただけで理解できる。

 あまりの光の強さにヴァシリオスは目を眇める。

「きぃいいいいいいいいいいいいいいい」

 反撃を予期していなかったそれが動転し、悲鳴をあげてナイフを黒崎の肩に突き刺した。

 ほぼ同時に黒崎の生み出した光の塊がそれの顔面にぶつかる。

 プラズマが奔る。

 それがびく、びくと大きく痙攣し、めちゃくちゃに暴れて黒崎の腕から飛びのく。

 光の雷を放つった黒崎の手の先は黒く焦げ、腕は焼けて真っ赤になっていた。自分への負荷計算をあえて行わずに全力の一撃を放ったのだ。

 見ればうさぎは鼻血を流してその場に倒れている。

 ヴァシリオスは地面を蹴って、よろけるそれに接近した。

 それが慌てて影へ、いや、今度は光を纏って空気のなかに消えようとするのに手の中にあるナイフを粒へと変えて、投げる。たいした威力はないが、それの動きが止めるくらいの足止めにはなる。

 その一瞬の隙を狙い、下から腕を振り上げ、ナイフで切りつける。

 薄い皮を切り、顎――その下の口を串刺しにする。

「うっ」

 それが動きを止めたのに、ヴァシリオスはすかさず掌打をさらにナイフの柄にたたきこむ。

「がぁ」

 それから血が溢れる。が、まだだ。

 血のナイフの形を変える。

 鋭く、もっと鋭利に。

 長く、深く。

 ヴァシリオスの腕から零れ落ちる血がナイフの形をさらに強靭なものへと変える。

 一本の細い串となった血は顎を貫き、つるし上げる。抵抗もできない蛇はただぶらりと両手をたれさげ、開いた一つしかな眼で睨んでくる。

 はっとヴァシリオスは息を吐く。

 殺さず、生け捕りにする、と考えた結果だが予想以上に神経を使った。

「串刺し公の真似か」

 黒崎が後ろで使い物にならない片腕を抱え、胡乱げな視線を向けてくる。

「蛇だったからな」

 ヴァシリオスは呟くように反論した。

「昔、故郷で……鳥に捕まって木の枝につるされた蛇を思い出した」

「……どっちにしろ、悪趣味だ」

「確かにそうだな」

 ヴァシリオスは無感動に言い返し、倒れているうさぎに大股で歩み寄った。抱えてみれば鼻血を出しているだけで呼吸などは安定している。

 敵の動きを読む、それだけにすべての力を使い果たしてしまったのだろう。

 目覚めたとき、脳の負荷を確認する必要があるが、今は休ませるべきだ。

 ちらりとヴァシリオスが黒崎を見ると、彼とその部下が蛇を囲んでいる。

「俺の部下が殺された罪は贖ってもらうぞ、蛇野郎」

 抑え込んだ怒りを吐き捨てるように黒崎は断言する。

 このあとあの蛇がどのようなことなろうとヴァシリオスは気にする必要はないと目を背けようとしたとき、蛇が一つだけの目で笑い、そのままはっきりと動きを止めた。

 死んだ。

「こいつ、自殺したぞ」

「くそ、完全に死んでるっ」

 ストレンジャーたちも蛇の状態に気が付いて慌てて声をあげる。

 自ら生きることを放棄して死ぬ――オーヴァードの使える最期の切り札だ。

 とんだ初任務となってしまった。


 空を見る。

 青く、澄み渡ったそれはまるで彼女の瞳のようだ。

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