手始めの一手

「元気そうでなによりです」

 霧谷の切り出しに、ヴラスターリはなんと言い返すのか迷った。

 こんなときの返答をまったく用意していなかったため、言葉が出てこない。

 当たり前のように同じテーブルの席に腰かけて、向き合うなんて。

霧谷雄吾という日本支部の大物が出てきたこともそうだが、その横でケーキをぱくぱくと食べているパンドラ・アクターのせいだ。見た目から察するに彼女はレネゲイドビーイングだ。己の正体を一切隠そうとしない、古典的なバケモノだ。


 各国巡って旅をしてきたヴラスターリの相棒のアリオンもレネゲイドビーイングだからことさら珍しがる気はないが、未だにその存在に慣れない者は多い。

 レネゲイドウィルスが意思と姿をもった存在。

 たぐいまれなる能力を持ち、人よりもずっとウィルスを操れる規格外。彼らは知識欲が深く、人を知ろうとすり寄ってくる。ただし、それが常に好意的なものばかりではないことは、彼らが出現後に起こったいくつもの事件が語っている。

 それでもUGN、FHなどの組織はレネゲイドビーイングを仲間として採用している。気まぐれで一つのところに居つくことがほぼないような彼らに組織への忠誠を期待することは間違いだが、野に放つのは危険だと判断した結果が今の現状だ。

 それにレネゲイドビーイングたちは群れをなし、ゼノスという組織も作り上げている。

 敵対すれば人よりもウィルスを操るに長けた彼らは厄介だ。それなら仲間にするほうがなにかと安心だ。

 日本のUGNがレネゲイドビーイングと関わった事件は大きく三つある。

 銀の鴉――オーヴァード、ひいてはレネゲイドビーイングを消そうとした鴉の姿をとったもの。

 オモイデ様――ある島を舞台に、死者が蘇る事件が発生したもの。

 壊滅の一夜――FHに属したマスターレイスの地位についた者が支部を一つ破壊したもの。

 ざっと浮かぶのはこれくらいだ。そして、そのなかでも生存し、霧谷雄吾の監視に置かれたレネゲイドビーイングはたった一人。

 FHのマスターレイスであり、数多の支部とオーヴァードを殺害した「破滅の一夜」の張本人であるパンドラ・アクター。

 まさか、それが目の前に現れるとは思わなかった。

 いや、そもそもそのパンドラ・アクターは現在、霧谷の監視のもと、支部の一つを任されて支部長の座に君臨している。それを皮切りにいくつものレネゲイドビーイングの支部長が出来たというが――そんな恐ろしい化け物を引き連れてここにきた理由が皆目見当つかない。

 どうして

 なぜ

 疑問が浮かぶ。

「すいません。混乱させてしまいましたね、私とパンドラさんは定期健診にここに来たんです。戸口さんにはすでに連絡をいれていたはずですが」

「あ、メールが来ていたな。忘れていた~」

「戸口! お前というやつは!」

 戸口の悪びれない態度に高見がとんでもないとばかりに叱る。

 霧谷はそんなやりとりを楽しそうに見つめて、微笑んでいる。

「あとあなたの無事を確認に来ました」

 唐突に自分へと視線が飛んだのにヴラスターリは真正面から受け止めることになった。

「無事を、ですか」

「はい。今回あなたは、彼と離れた任務につくことになりました。彼のことも心配ですが、あなたも不安なのかと思いまして」

「……不安はあります。ですが、エージェントとして動くには必要なことでしょう」

 うつむいて、テーブルを睨みつけたままヴラスターリは言葉を選んだ。

 不安はある。だからといって個人で動く任務につかないままでは彼はきちんと評価されず、組織に属していられなくなる。

 一度はジャームと組織から烙印を押された彼を、必死にこのままならない現実にひきずり戻したのは誰でもない自分だ。

 掴んだ小さな光を手繰り寄せ、ここまでこぎつけたのだ。手放してなるものか。


 自分は彼を監視する義務を負った。監視といっても彼が暴走しないように、再び衝動に負けないように傍にいること。

 本来冷凍保存されるのがジャームの運命だが、彼も自分もそれを良しとは思わない。だから今度もし衝動に飲まれたら殺すと血まみれの約束をした。それは誰も言えない二人の約束だ。

「今回は現場検証だけでしたね」

「ええ。たいして難しいものではないから、今日中には戻れると……はじめはこうして小さなことから距離をとって互いにエージェントして成立できるようにしようって」

 今朝、彼に言われて腹を立てて返事をしなかった説明をまさか自分が言う羽目になるとは思わなかった。

「思ったよりも安定しているようで安心しました」

 それはどちらのことだろう。自分、または彼のことか。

 霧谷雄吾は、温和な人物だと評価されている。確かに彼は微笑みを絶やさず、優しい声をかけてくる。つい油断しそうになるが、ヴラスターリは気が付いていた。

 この男、目が笑っていない。

「ゆーご、ケーキ食べないのですか」

「パンドラさん、食べますか? どうぞ」

「いただきますー」

 遠慮なく横からフォークを伸ばして霧谷のケーキをパンドラ・アクターは貪る。まるで大きな子供だ。

「一杯食べてくださいね」

「ええー。食べますよー。むぅ、ゆーご、あなた、警戒されてますよ。この人、先ほどからあなたのことを怖がっているのが気配でわかりまぁす」

 獣のように気配だけで心を読むパンドラ・アクターに舌打ちしそうになったのを寸前で奥歯を噛んで耐えた。

「そうですか。そうですね。私がいきなり来たこと、あなたが一緒にいること、たまたまとはいえ怖がらせるには十分です」

「なんと、ワタクシサマ、怖いですか」

 驚いたようにパンドラ・アクターが霧谷を見る。霧谷は優しく、苦笑いを零す。まるで幼い子供に諭すように。

「そのお面のせいで、わりと」

「うう、けれどこれはママ上サマからもらったものなので外せません!」

 パンドラ・アクターが抗議する子供のように仮面越しに拗ねた視線を向けてきた。

「見た目でひと、いえ、レネゲイドビーイングを判断しないでください。ワタクシサマ、たしかにこう見えてこわいですし、やばいですが」

「パンドラさん、それフォローになってませんよ」

「嘘はつきません」

 きっぱりとパンドラは言い切ると、にっと口元が笑みを浮かべた。

「許可なく人を傷つけるとゆーごに殺されます。首ちょんぱです」

 ヴラスターリは目を丸めて驚くのに、パンドラ・アクターは屈託ない笑みで続ける。

「だから安心してください」

「それだとますます安心できないと思いますよ、パンドラさん……本当に彼女を連れてきたのは偶然なんです。護衛としてこれ以上信頼できる人物もいないので」

「護衛ですか?」

 リヴァイアサンが?

「はい。大概のことは、自分でなんとかできますがどうしようもないことが起きないとも限りませんからね。特に今回の発見された船ですが」

「……なにかあるんですか」

「複数のオーヴァードの気配があったと報告がありました」

「複数の……」

「ええ」

 身を乗り出し、わざと声をひそめた霧谷がいたずらっ子みたいに笑った。

「ああ、これは内緒ですよ?」

「え、あ、はい? ないしょ、ですか」

「あまり威厳がないと怒られることが多いので、少し、らしくない態度をとりました。ここからは内密の話です。

 その船ですが、FH幹部が乗っていたようです」

「幹部?」

「はい。知ってのとおり、FHは組織でありながら、セルという一つ一つの独立したリーダーが活動をしています。それを操ることのできるマスタークラスがあり、彼らによってセルが活動をすることもある」

 組織としてまとまりのあるUGNに対して自由と欲望を主とするFHが組織としてかなり特殊な作りをしていることはヴラスターリも知っている。

 彼らはUGNが秘匿し、一般人に紛れて日常を過ごすというのにたいして、オーヴァードとして欲望を満たすことを優先するため一部ではテロリスト集団とも言われている。実際、FHが行うことは自分たち本位で周りの迷惑を一概にも介さない。

 ただFHはそれゆえにジャームとなった者も寛容に受け入れている。むろん、ジャームが危険であることは変わりない。

 そういう性質を持つため彼らには仲間意識というものはほぼない。セル同士でぶつかりあうことも稀にある。

 けれどそんななかでもはっきりとしたクラスが存在する。

 彼らの上に君臨する十二人の特別な存在、その下にいるマスターレイスというコードウェルの子供たち、飛びぬけた能力を持つ者に送られる「マスター」の称号。このマスターの称号はセルリーダーではなくても命令を出来るという権限がある。

 彼――ヴァシリオスは一度FHに属し、実力を認められてマスタークラスの称号を得ていた。

 そんな彼から組織のざっとしたことは聞いたが、内部事情については興味がなく、大まかなことしか知りはしなかった。

「マスターといっても、その人物は主に仲間の移動を助ける運び屋だったそうです。運転技術に長け、いくつもの海を船一つで乗り越えられるといった」

「それは面倒な敵ですね」

 ヴラスターリの第一感想はそれだ。オーヴァードの世界では戦えること以上に後方支援の潤沢さは厄介だ。

「ええ、面倒な奴です。あなたの彼から聞かせていただきました。一度、日本に来る際、会ったことがあると伺いました」 

「そう、なんですか」

 FHでマスターとして活動していた彼を追いかけているときは必死すぎてどういう手段で移動しているかまではあまり気に留めていなかったが、マスターレギオンの活動は各国にまたがっていた。

 飛行機ではなく、海を使うというのは利口な選択だ。海ならもしものときも捕まえるのが困難となる。

 いくらオーヴァードいえ飛行機から落ちればさすがにただではすまないし、落下の際に頭が潰れたら確実に死んでしまう。

「彼らの移動手段が判明したのはよかったのですが、現場にいたストレンジャーにいろいろと横取りされたと」

「ストレンジャー? あの、ですか」

 つい嫌悪が現れてしまった。

 国際防衛隊は世界中から選ばれた戦闘能力を持つ一般人と、オーヴァードからなる組織だ。UGN、FHといった有用者によって作られた組織ではなく、国がバックについているという強味がある。

 ただし、いくつもの国がかかわっているために人種もかなり混ざっているせいで組織はかなりギスギスしている。国際と言われているが国ごとに存在するストレンジャーは自国への縄張り意識が強く、他国のストレンジャーの介入をよしとしないというのも聞いたことがある。ようはお役職仕事。足の引っ張り合い。

「今回、ストレンジャーと、私たちのUGNに情報を流したのは、その船にいた一般人だと思われます」

「一般人が? 船に? どうして?」

 霧谷が頷く。

「もともとの船の持ち主だったようです。船そのものは運び屋であるマスターの手によって強化されていた痕跡はありました」

 組織の持ち物ではなく、その場で現地調達を行い、さらにウィルス能力による乗り物の強化を行うとはまさにオーヴァードらしい運び屋だ。

 歴史が語るように戦争はえんえんと繰り返され、今なおくすぐる戦火の煙は後を絶たない。そのため他国の侵入に対してはどの国も敏感であるが海ならば人の目が届きづらい。とくに日本は第二次世界大戦後の傷跡から癒えたあとはアメリカに媚びを売るのに必死に弛めた法に他国では死刑も免れない情報漏洩も目をつぶられるスパイ大国とやゆされ、密入国者が頻繁にみられる。

「持ち主がSОSを発信し、それを日本の国とUGNが掴んだと」

「国が先でしたね、今回は。ただし、そのあとワーディングの展開が見られたことからこちらが動いたというぐあいです」

 霧谷はさらりと国を監視していると口にする。UGN日本支部には腕のいいハッカーが多いらしい。

「しかし、どうしてそのあとワーディングを?」

「船が陸上する際に人払いをしたのでしょう。そして船と持ち主と乗組み員、さらにはマスターも殺害されて現地についた」

「……その、マスターを殺したのは」

「複数いたオーヴァードたちと予測されます」

「内輪揉めですか?」

「そこまではわかりません。現在サイコメトリー持ちの者が調査していますが、それでも一日はかかると予想されます」

「一日ですか」

「ええ。その現場のエージェント、能力は確かですが、まだあまり現場経験がないので」

「ああ、それは……お気の毒様です」

 どんな能力を持ちえたとしても所詮は人の行うことには限界がある。

 レネゲイドウィルスが万能としても作業を行うのは人間だ。特に情報収集をメインに行う非戦闘員は第一線で戦う戦闘員以上の精神力を要求されるが、大概そういうタイプは精神的にも脆いことが多い。

 否、普通の反応だ。

 日本は平和だ。他国よりもずっと争いごとへの耐久がない。だからこそ、日本のエージェントたちは精神面で他国よりもケアが必要となる。

 サイコメトリーはものに宿る過去を見る能力だ。そのため精神的負担が大きく、任務後フラッシュバックに悩んだり、他者への配慮に欠けはじめてノイローゼになるのだ。いくら訓練してもそればかりはどうしようもない。

 前線で傷つくことに慣れているオーヴァードよりも、後方支援をメインにするエージェントはよりいっそう傷つくことや暴力に弱いのだ。

 血まみれの船の過去を読まされる能力者は必要とはいえ人が殺されるシーンを見なくてはいけないのだ。ただ客観的に見るだけならば耐えられるだろうが、能力者のなかには犯人の視点で見る者もいる。きっと相当に堪える作業だろうに。 

 ヴラスターリは心の底から情報収集員に同情した。

「つまり大規模な作戦を行う予定だったのか、それとも何か別の目的があったのかは不明ですが複数名の謎のオーヴァードが現れた、それも彼らは人を殺すことを禁とはしていない……限りなく危険ということですね」

 ヴラスターリは努めて冷静に確認した。

 日常が――そんなものはないけれど、それでも戦わない日々が失われるのがわかる。一度閉じた瞼の裏にヴァシリオスとの食事する光景が浮かんでは消えた。こんなことなら今朝はゆっくりと二人でとるべきだった。

「わかりました。私は現在あなたの所有武器です。命令があればそのターゲットたちをすべて始末しましょう」

 瞼を開いたとき、ヴラスターリはエージェントの顔をするのに霧谷が唇をゆっくりと釣り上げる。

「頼もしいですね」

「これでも私はエージェントですから」

「そんな風に言わないでください。今はヴラスターリという名があるんでしょう」

「……仕事のときはエージェントとお呼びください」

 ヴラスターリは努めて冷静に言い返す。その名をいま出されると気持ちが揺らいでしまいそうだ。

「そのほうが切り替えられます」

「コードネームは変えないんですか」

 霧谷がさらに問いかけてくる。今回の機会にコードネームも変更申請してはどうかと高見からは言われてはいた。ずっとエージェントで通していたからだ。名もない道具として。それは今の自分にはふさわしくない。

 名前は、彼と一緒に登録した。

 ヴラスターリ・ガウラス。

 と。

 ちゃんとした名前があり、ヴラスターリとなった自分にただの道具などという呼び名は似つかわしくないが、二人ともまだコードネームは思いついていない。きっと平和ボケしていたのだろう。こんな風に日常が奪われたり、砕かれることをちっとも考えていなかった。

「まだ未定です。考えられないというほうが正しい。私は今まで道具として扱われ、それに甘んじてきた。それは思考を放棄するのと同じです。そのほうが楽だったから」

 彼を取り戻すという最大の目的以外は考えないようにあえて自分のことを蔑ろにしてきた、というのもある。

 きっと自分は自分のことがあまり好きではないのだ。


 霧谷が何か言おうとしたとき、携帯電話がけたたましくなった。

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