第58話 出立の時

「終わった、な……」


 スルストの死を確認したジェラールが呟いた。それと同時に周囲で戦っていた魔物達に異変が起きた。それまではスルストの意思に従って目的をもって戦っていたのが、『主』の死によって洗脳が解け、狂乱したように暴れ狂いだしたのだ。


 目的を失った魔物達は本能に任せて暴れ回る。相当の数がいたようで、スルストと戦う前に比べて目に見えて減っている気がしない。逆に人間側の方が、騎士たちはともかく衛兵などが魔物の攻撃で倒れているようだった。闘技場の観客であった市民達も結構な数が魔物に襲われて、観客席に無残に屍を晒していた。


「とはいえ、ゆっくりと勝利の余韻に浸っている状況ではなさそうだね」


 サイラスがそれらの状況を見て厳しい表情のままかぶりを振る。このままでは被害が拡大するばかりだ。すぐにでもサイラス達も鎮圧に回らなければならない。


 その時ジェラールが進み出てきた。



「サイラス、そしてカサンドラ。以前から話していたように俺はこの国を出る。そして……クリームヒルトと共にロマリオン帝国へと赴くつもりだ。今ここでその許可を……いや、黙認・・して欲しい」



「……っ!?」


 ジェラールの言葉に驚愕の反応を示したのは、この場ではカサンドラだけであった。サイラスは何故か興味深そうに目を細めただけである。


「な……ジェ、ジェラール? よりによってロマリオン帝国に行くですって? その女と共に? 私を裏切って敵になると言うの?」


 どうやら出奔するという話は事前にしてあったらしいが、その後どうするかまでは話していなかったようだ。それも当然か。私が彼を勧誘したのは、時間にすればつい先程の事なのだ。


「敵になる訳ではない。これはお前達エレシエル王国の為、ひいてはこの大陸全体の為でもある」


「私達の為? あなたがロマリオンに行く事が? そんなはずないじゃない。その女に何を言われたか知らないけど、あなたは騙されているのよ。ただ下野するだけならともかく、よりによって帝国に行くと言うなら――」


 カサンドラが憤怒に双眸を歪めて、私達に剣を向けようとする。しかしカサンドラと私達の間にサイラスが割り込んだ。



「――分かった、ジェラール。君達の脱走・・を黙認しよう。その後の事は私達の関知する所じゃない。君の好きにするといい」



「サイラスッ!?」


 カサンドラが信じられないという目をサイラスに向ける。サイラスが彼女に向き直る。


「カサンドラ、大丈夫だ。ジェラールの言っている事は本当だ。ここで私達が彼等を見逃す事が、ひいてはこの大陸の平和・・に繋がる。私はたった今それを確信した」


「……! だ、だけど……」



「カサンドラ、私を信じてくれ」



「っ!! ひ、卑怯よ、ここでその言葉を使うなんて。長らく私をほったらかしておいて、突然帰ってきたと思ったら……。そう言われたらもう、私はあなたを信じるしかないじゃない」


 カサンドラは複雑そうな表情で顔を逸らして、ぶつぶつと呟く。しかしどうやら最悪の事態は回避できたようだ。


「カサンドラ、ありがとう。この件が無事に済んだら埋め合わせ・・・・・は必ずするから、期待していてくれ」


「……っ。や、約束ですからね・・・・・?」


 サイラスが微笑んでそう言うと、何故か口調が変わったカサンドラが頬を赤らめつつ、それを誤魔化すように未だ魔物と戦っているブロル達に加勢する為に走っていってしまった。


 それを微苦笑しながら見送ったサイラスが再び私達に向き直った。



「……という訳だ。私達はこれから魔物の掃討でしばらく忙しい。その混乱を突いて虜囚が1人脱走・・しても、それを見咎めている余裕はないだろうね」



「サイラス……恩に着る」


 ジェラールが素直に礼を言う。サイラスは再び苦笑してかぶりを振った。


「構わないさ。その借りは彼女がロマリオンの帝位・・に就く事で返してくれればいい」


「……!」


 私は目を瞠った。サイラスはあの短いやり取りだけで、私とジェラールのやろうとしている事を見抜いたのだ。ジェラールも僅かだが苦笑した。


「ふ……お前には最後まで敵わんな。……約束しよう」


「期待しているよ。では……さよならだ」


 そう言うとサイラスもまた踵を返して、魔物達と戦っている騎士や兵士達の指揮を取る為に走り去っていった。



 それを見届けてジェラールが私の元に戻ってきた。勿論セオラングは既に私の側に控えている。


「待たせたな、クリームヒルト。では最低限の物資だけ確保したら、そのままこの街を脱ける・・・ぞ」


「ジェラール……。え、ええ、行きましょう!」


 自分が本当にここから脱出できるのか今一つ信じられなかったが、ジェラールの言葉にようやくその実感が湧いてきた。私は込み上げる感情と共に、勢い込んで頷いた。



「それとお前の兄、カスパールの事だが……奴は帝位を望んでいて、お前の成長に脅威を感じて最終的にはお前の抹殺を目論んでいた。だから……俺が殺した」


「……!! そう……なのね」


 私の知るカスパール兄様の性格からして充分あり得る話であった。ジェラールは恐らく嘘は吐いていないだろう。どのみち私の目的の為には必ず蹴落とさねばならない相手であった。


 私はこういう道・・・・・を進むと決めたのだ。だから肉親であるカスパール兄様の死に動揺はしない。


 何故ジェラールが兄の事を知っているのかなど疑問はあったが、それを聞くのは今ここでなくてもいい。今はここから脱出するのが最優先だ。



「分かったわ。その話は後で詳しく聞かせてもらうとして……今は無事に帝国へ戻る事を優先しましょう」


「ああ、勿論だ」


 Bau!!


 私の言葉にジェラールが頷き、セオラングが短く吠えて返事をした。私は最後に一度だけアリーナを振り返った。


 ここでの思い出は決して愉快な物ではなく、それどころか二度と思い出したくないような苦しい記憶ばかりだ。しかしその苦しみを乗り越えてきたお陰で今の私があるのも事実だ。そういう意味では感謝もしていた。


 スルストの死体にも目を向ける。彼の魂は再び呪われた輪廻の中に戻ったはずだ。だが……もう終わりだ・・・・。これ以上新たなドラゴンボーンが誕生する事はない。私がさせない。それがシグルドとの約束だから。



「さあ、行きましょう」


 私は様々な思いを振り切るようにかぶりを振ると、ジェラールとセオラングと共にアリーナを、そしてこの『ニューヘブン』を脱出する為に駆け出していった……


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