第49話 皇女の決意

「クリームヒルト、そろそろ時間だ。準備は出来ているか?」


 闘技場の控室でいつもの黒い『鎧』を身に着けて双刃剣の握り具合を確かめていた私は、扉を開ける音と共に聞こえた声に振り向いた。


「ジェラール! それにセオラングも……!」


 相変わらず白装束なジェラールと、対照的に黒っぽい毛並みのグレートウルフ、セオラングの巨体が控室に入ってきた。



 Kululu……


 セオラングが久しぶりに会えた私に嬉し気にすり寄ってきて、その巨体を擦り付けてくる。カサンドラとの試合を目前に控えて緊張していた私は、セオラングの体温と体毛に癒やされて少し気分が落ち着いた。




「……いよいよこの時が来てしまったな」


 ジェラールは何かを憂いているような表情で静かに呟いた。彼は私が勝ちあがる事でカサンドラに何か変化が起こるのではないかと期待して、私をこれまで鍛え上げてきた。だが先日の様子を見る限りあの女は嫉妬と憎悪に凝り固まっていて、むしろ悪化・・しているようにさえ見えた。


 思惑が外れた彼は今何を思っているのだろうか。


「この試合で私かあの女のどちらかが確実に死ぬ事になるわ。勿論この国の民も貴族も、皆あの女が勝つ事を疑っていない。でも私だってむざむざ殺されてやる気はないわ。いえ、必ず勝利して逆にこの手であの女を殺してやるわ。以前にも聞いた気がするけど……あなたは本当にそれでもいいの?」


 以前に聞いた時とは大分状況が変わっている。それだけに彼の心境にも変化が出ているかも知れないと思って聞いてみたが、彼はやはり同じようにかぶりを振った。



「その時はその時だ。お前が勝っても負けても……最早この国に俺の居場所はない。俺はこの国を出奔する出るつもりだ」



「え……!? でも……」


 まさか本当に出奔する気だったとは。左大臣という地位まで昇りつめながら、それを自ら捨てるというのか。


「地位や立場になど何の未練もない。元々この国が復興して安定するまでの間カサンドラを支えるだけのつもりだったからな。そして既にこの国は盤石だ。小国家群との関係も良好で、シグルドなき今ロマリオンに不覚を取る事もあるまい。内政面でもブロルや他の貴族たちがいる。……俺の役目は終わった」


「ジェ、ジェラール……」


 彼が本気で言っているのだと解り、私は言葉を失う。



「だからお前に頼みがある。もしこの試合で仮にお前が勝った場合……カサンドラを殺さずに終わらせて欲しい」


「……!」


「虫のいい頼みだという事は解っている。向こうはお前を容赦なく殺すつもりだろうからな。だがここでカサンドラが死ぬような事があれば、エレシエル王国は瓦解して、大陸は再び混乱と戦乱の渦に翻弄される事になる。それだけは……避けねばならん」


「…………」


 以前までの私であれば考えるまでも無く彼の頼みを突っぱねて、自分の復讐心のみでカサンドラを殺していただろう。しかし今なら彼の言っている事が良く分かる。私は短時間の黙考の末に口を開いた。


「……カサンドラはそんな気遣いをしていて勝てる相手じゃない。必死で戦う中で致命傷を与えてしまう可能性も高いわ。その上で……状況が許すなら、あなたの頼みを考慮すると約束するわ」


「無論だ。それで構わない。……感謝する」


 ジェラールとて当然、私が言ったような事は百も承知だろう。彼は何ら不満もないようで私に頭を下げた。



「でも、カサンドラを殺さなかったとして、いえ、殺してしまった場合もそうだけど……その時は私はどうなるのかしら? 高貴な女王様を傷つけたり殺したりした罪で、やっぱり処刑されるのかしら?」


 そうなるとどの道勝っても負けても私は死ぬ事になる。それはいくら何でも理不尽だ。カサンドラとの試合は相手側からの要望であり、私に拒否権はなかったのだ。


「カサンドラにも名誉がある。そのようなアンフェアな条件で試合をしたとなれば、彼女の名誉は大きく傷つけられる事になる。恐らく試合前にアリーナ上で通達されるだろうが……もしこの試合に勝てばカサンドラの生死に関係なく、お前はこの国の虜囚という立場から解放・・される事になるだろう」


「……っ!」


 解放? 虜囚から解放だと? 本当にあの女を倒せば、私は大手を振ってここから出られるのか?


「無論あくまで解放するだけでその後・・・はどうしようと自由だと屁理屈をこねる輩もいるだろうが、そういった連中には俺が責任を以って対処する。この国を出奔するとは言え……いや、出奔するからこそ最早この国に縛られずに行動できるからな」


「…………」


 彼がそこまで保証するなら本当に安全という事だ。私はカサンドラとの試合に勝てばロマリオンに帰れるのだ。そしてそれが保証されるのなら、もう1つ確認しておかねばならない事があった。



あなた・・・は……この国を出奔したとして、その後はどうするの?」


「特には考えていないな。どこかで世俗から離れて隠棲するか、あるいは適当に傭兵でもしながら暮らすか」


 ジェラールは肩を竦める。本当にどうでも良いと思っているようだ。彼のような優秀な人間がそんな生活を送るなど、はっきり言えばこの大陸にとって損失だ。予定が無いのであれば丁度いい。いや、例えあったとしても同じ事を提案しただろうが。


「だったら……私と一緒にロマリオンに来て欲しいの。そしてこの街でそうだったように、私の事を支えて・・・欲しいの」


「……!! それはつまり……俺をロマリオンに推挙するという事か? 出奔するとはいえ、カサンドラやエレシエルに対して弓引くつもりはない。それに支える、だと? ロマリオンに戻ればお前は、以前のように皇女として何不自由なく安楽な生活が送れるのだぞ? 俺がお前を支える必要などあるとは思えんが?」


 ジェラールが目を瞠っている。流石の彼もこの提案は予測できなかったらしい。私はかぶりを振った。



「そう思うのは当然ね。でも違うの。私はもし無事に国に戻れたら、その時は……帝位・・を目指すつもりでいるわ」



「な……帝位だと? それはつまり、お前がロマリオンの皇帝……女帝・・になると言っているのか?」


「そうよ。あの泥沼の大戦は、お父様やハイダル兄様達の行き過ぎた血統主義が引き起こしたとも言えるわ。お父様や、順当に皇太子のハイダル兄様が帝位に就いている限り、また同じ事が繰り返されて戦乱が引き起こされるのは間違いないわ」


「……!」


 ジェラールが再び目を見開いた。あの大戦の大元の原因・・・・・がそもそも何であったのか知る者は意外と少ない。ロマリオン帝国の一部の高官達と私達皇室の人間くらいだろう。


「今の私にはその愚かさがよく解る。だからその流れを止めるには、彼等を蹴落として私自身が帝位に就く以外にないの」


「……それがどれだけ無謀な目標か解っているのか? お前自身は今まで何の後ろ盾も無い、ただの我儘な皇女に過ぎなかったのだろう?」


 ジェラールが痛い所を突く。だが以前までの私が余りにも愚かな、取るに足らない存在であったのは事実だ。だからこそ……


「そうよ。私自身は1人では何も為し得ない。だからこそ私を補助して支えてくれる優秀な味方・・・・・が必要なの。それもただ優秀なだけではなく、私が道を誤りそうになった時には厳しく諫め、戒めてくれるような優秀な味方がね」


「……!」


「お父様や兄様達との政争・・に勝つ事で、この泥沼の大戦の要因そのものを取り除く事ができる。それはこの国の民やカサンドラにとっても良い事のはずでしょう? ロマリオンに転籍するとはいっても、カサンドラに弓引く事にはならないわ。むしろその逆よ。お願い、あなたの力を私に貸して欲しいの」


「…………」


 ジェラールは言葉もない様子でしばらく考え込んでいた。それも当然だ。いきなりこんな話を聞かされて即答する人間など却って信用できない。私が辛抱強く待っていると、やがて彼は顔を上げた。



「……大前提として、まずはお前が今から行われるカサンドラとの試合を生き延びる必要がある。だが……もしその奇跡・・を成し得る事が出来たなら、その時は共にロマリオンに行き、お前を全力で支えると誓おう」


「……!! ありがとう、ジェラール……! ええ、今はそれで充分よ。私は必ず今日という日を生き延びてみせるわ。だから……私に勇気を頂戴」


 ジェラールから満足の行く応えを貰えた私は気持ちが高揚して、その昂ぶった気持ちのまま彼の顔に自分の唇を近づけていく。彼は逃げたり拒んだりしなかった。



 その後しばらく2人の影は重なり、お互い無言のまま時が過ぎた。この場に唯一同席・・しているセオラングは気を利かせたのか、その場に座り込んで私達から目を逸らせていた……


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