第9話 双刃剣

 そしてそれから一週間も経たない日の事。私は次の試合に出場する為、アリーナへと続く道を歩いていた。手に握る武器は今までのような直剣ではなく、柄の両側から刀身が伸びた特殊な武器……双刃剣を携えている。


 勿論訓練用の物ではなく、きちんと真剣となっている。ただしジェラールの物とは異なり、私でも扱えるように軽量化されてはいたが。どうやら私の双刃剣の技術を教えると決めた時に、予め特注で作らせてあったらしい。



 昨日は実戦的な訓練は行わずに、ひたすらこの実際の武器を振るって重さや感覚に慣れる訓練に費やされた。


 その甲斐もあって何とか、ある程度自分の思った通りに振れるようにはなった。だがあくまで振れるようになっただけだ。


 当然だ。訓練を始めてから実質的にはまだ数日しか経っていないのだから。明らかに実戦で使うにはまだ早すぎる。


 だというのにジェラールは容赦なく私から元の武器を取り上げて、この双刃剣を持たせて試合に送り込んだ。今朝のやり取りを思い出す。



『今のお前に悠長に地道な訓練を積んでいる余裕があると思うか? ブロルも陛下も待ってはくれんぞ。ならばとにかく最低限の基礎だけ身に着けて後はひたすら実戦あるのみだ。実戦こそが最高の、そして最効・・の訓練だ』


 ジェラールは表情一つ変えずに真顔でそう言ってのけた。


『だ、大丈夫なんでしょ? そうよね?』


 思わず縋るような口調になった私に彼は肩をすくめた。


『さてな。大丈夫かどうかはお前次第だ。もしこの実戦を物にできなければお前は死ぬだろう。その時はお前もその程度であったと諦める事になるな』


『……っ』

 私はショックを受けるがジェラールの言葉には続きがあった。


『だが……逆に今日の試合を乗り切る事が出来れば一気に道は開けるようになるだろう。アリーナでは誰も助けてはくれん。全てはお前次第だ。自分自身の意志の強さを信じろ。お前が連戦連勝を重ねるようになれば……カサンドラ陛下は確実にお前を無視できなくなるだろうな』


『……!』

 その一言が私の闘志に火を点ける事になった。



 そして現在、私はジェラールから贈られた・・・・双刃剣を携えて、アリーナに向かって歩いていた。いよいよだ。私は大きく息を吐き出した。


 門が開いて、私はアリーナの中央に進み出て行く。アリーナを囲む観客席には相変わらずかなりの数の南方人共がひしめいていた。そして私の姿を見て同じようにブーイングする。毎度毎度飽きない連中だ。余程暇らしい。


 だが今日はそのブーイングが次第に戸惑いの騒めきに取って代わられる。理由は私が携えている双刃剣だろう。いい気味だ。精々阿保面を晒して戸惑っていろ。


 ジェラールから贈られた私の武器が土人連中の戸惑いを引き出している事に私は若干の心地良さを感じながら、殊更悠々とした足取りを意識してアリーナの中央まで進み出る。



『紳士淑女の皆様! お待たせいたしました! 今日も今日とて『特別試合』の日がやってきました! 先入りで登場しますは、先日【アプレンティス】階級になって以来辛くも勝ち残っている零落の皇女クリームヒルト・ロマリオンだぁぁぁっ!!』


 司会の紹介と共に鳴り響くブーイングの嵐。この辺りはいつも通りの流れだ。しかし今日は……


『そして皆様既にご覧のように、この試合よりあの魔女の武器が替わっております。あれは双刃剣と呼ばれる特殊な武器で、その遣い手は現在我が国においては左大臣であり【八武衆】の1人でもある、【氷刃】のジェラール殿しかおりません! あの魔女は監督係であるジェラール殿に厚かましくも教えを乞うて、その技を盗み取った・・・・・のです! 自らが生き残りたいが為のその恥ずべき所業には必ずや鉄槌が下されるでしょう!』


 ――ワアァァァァァァッ!!


「……!」

 司会に煽られて湧き上がる単細胞共とは対照的に私は不快を感じて眉を上げた。盗み取っただと? なるほど、お前達の中ではそうなっている訳だ。


 仮に『盗み取った』のだとしても、こうして私の為に特別に誂えられた武器を所持している時点で、それがジェラールの許可を得ての物だと一目瞭然であろうに。


 だが連中にとって実際の所などどうでもいいのだ。『悪辣な魔女』である私が『盗み取った』という方が連中にとっては聞こえが良く、大衆を煽りやすい。案の定馬鹿な下民共はより一層私を罵る声を強くしている。


 私は冷めた気持ちで、それら周囲の馬鹿騒ぎ・・・・を眺めていた。しかし次の瞬間には気を引き締める事になる。



『さあ、それでは対戦相手……いえ、今回の処刑執行者・・・・・の登場です! 群れでの狩りを得意とする生粋のハンター! 旅人を襲う狂える牙! アースウルフだぁぁぁっ!!』



「……!」


 対面の門が開き、そこから勢いよく何かが飛び出してきた。灰色っぽい剛毛に覆われた、しなやかで瞬発力に富んだ四足型の肉食獣アースウルフだ。2体いる。


 旅人や行商人にとってロックアインが山岳地帯の脅威なら、アースウルフは平原地帯の脅威だ。


 数十頭の群れを形成するのが普通で、群れによる連携で人間を襲う魔物。より高レベルの『ボス』に率いられた群れは時に2、300頭もの大規模な群れとなって、護衛を同伴している隊商にまでお構いなしに襲い掛かる。


 今目の前に迫ってきているアースウルフは2頭のみだが、それでも私1人にとっては充分な脅威だ。体高が私の腰くらいの高さがあり、体長は確実に私の身長よりも大きい。こんな獣に飛びつかれて組み敷かれたら恐らく一溜まりもないはずだ。



 獰猛な唸り声を上げながら恐ろしいスピードで迫ってくる2頭のアースウルフ。考えている時間はない。私は今日初めて実戦で使う双刃剣を水平に構えた。


 双刃剣は読んで字のごとく柄の両側に刃が生えているので、一方の刃を攻撃に用いる時も何も考えずに振り回したりすると、もう一方の刃が下手をすると自分に当たってしまう為、常に両方の刃の取り回しを意識せねばならず、通常の剣より遥かに難易度が高い武器だ。


 だが反面、使いこなす事ができれば普通の剣とは比較にならないほど強力な武器ともなる。そしてこの数日間、私は双刃剣の達人であるジェラールによってひたすらバランスを取って武器を振る訓練と、二本の刃の挙動と位置関係を感覚で把握し、攻撃の際にもう一方の刃に当たらないようにする訓練。


 その二つの訓練だけを徹底的に詰め込まれた。その成果もあって、とりあえず問題なく双刃剣を振るう事だけはできるようになった。


 だがそれだけだ。当然ながら実戦で使うのは初めてであり、訓練の時はジェラールの情け容赦ない『ダメ出し』を受け続けて、はっきり言ってかなり不安があった。だがそうしている間にも魔物は迫ってくる!



 向かって右側のアースウルフが私の脚に噛み付こうと牙を剥き出してくる。


「くっ……!」

 私は腰を引きながら刃の一方を突き出す。すると魔物はそれ以上踏み込んではこずに後ろへ飛び退く。しかしその間にもう1頭のアースウルフが私の後ろに回り込んでいた。


「……!」


 1頭が注意を引いている間に、別の1頭が死角から接近する。群れで狩りをする魔物だけあって連携が巧みだ。


 私は慌てて武器を振り回してそいつを牽制する。すると魔物はやはり深くは踏み込んでこずに、姿勢を低くして私を威嚇する。


 そこに最初の1頭が私の注意が逸れたのをいい事に、私の死角から襲い掛かってくる。


「……っ! こいつ!」


 急いで向き直って牽制するが、そうするともう1頭に背中を向ける形になり、今度はそいつが再び襲い掛かる姿勢を見せる。この2頭は巧みに私を挟み込むような位置取りを保っており、同時に視界に収めて対処する事ができない。


 逃げて距離を取ろうにも相手の方が遥かに脚力が高い為に引き離せない。


 私の死角にいる方が常に私の背後を脅かし、隙あらば飛び掛かったり脚に噛み付こうとしてくる。その度に私はそれを牽制する為に立ち回りを余儀なくされる。



「ふぅ……! ふぅ……! はぁ……! はぁ……! く……」


 息が上がる。不快な汗が顔や身体を伝う。2頭の魔物の連携に振り回される私は、急速に気力と体力を消耗しつつあった。だが動きが鈍くなって隙を晒せば、アースウルフ達はそれを逃さず一気に襲い掛かってくるだろう。


 狼に釣られて無様なダンスを踊る私の姿に、当然観客共は大喜びだ。哄笑や嘲笑がそこら中から聞こえる。だがそれに構っている精神的余裕はなかった。


 駄目だ……。魔物と体力勝負をして勝てる訳がない。しかも向こうは隙を窺って襲う側なのだ。このままでは遠からず私の体力が尽きて狼共の餌になるしかなくなる。


「……っ!」


 であるならば、賭け・・に出るしかない。私はこの数日間の特訓と、それを主導したジェラールを信じた。



「うおぉぉっ!」


 私は気合の掛け声で自分を鼓舞しながら、現在自分の前方にいるアースウルフにのみ・・狙いを定めて斬りかかった。


 狼は自らも牙を剥いて飛び掛かってきたが、私はその鼻面めがけて全力で剣を振り下ろす。肉と骨を断つ鈍い感触。


 脳天を叩き割られたアースウルフが悲鳴すら上げずに即死する。敵が1体だけであれば何も問題なくこれで終わっていた。しかし……


「グルルルゥッ!!」


 私が背中を見せて別の個体に対処している間に、もう1匹の狼が後ろから飛びかかってきていた。向き直って対処するのは勿論、躱したり逃げたりすら間に合わないタイミング。


 私は為す術もなく巨大な狼に飛びつかれて、そのまま引き倒され、その牙の餌食になっていただろう。私の武器が今までの物・・・・・であれば。


「ふっ!!」


 私は頭で考えずに半ば反射に任せた動きで、ジェラールから教わった通りに剣の柄を捻るようにしてもう一方・・・・の刃を跳ね上げた。それは丁度柄を中心に回転して下から斬り上げるような軌道となり……


「ギャウウゥンッ!!」


 私に飛びかかってきていたアースウルフの頭部を喉や顎から斬り裂いた。非力で技術もまだまだ拙い攻撃であった為に魔物はそれだけでは死ななかったが、明らかに大きく怯んで後退した。


 そうなれば向き直って対処するのは容易だ。私は振り向きざまに返す刀で今度こそアースウルフを斬り伏せた。



『うおぉ! な、なんと、クリームヒルト選手……双刃剣の特徴を活かした前後同時攻撃によってアースウルフの挟撃を返り討ちにしたぁっ! し、信じられない! 忌まわしい魔女は、我が国の英雄から盗み取った技術でパワーアップを遂げてしまったぁぁぁっ!!」



 ――Buuuuuuuuuuuu!!



 私が鮮やかな勝利を決めた事がよほど気に食わなかったらしく、観客共が一転してブーイングを浴びせかけてくる。


 土人共の悔しがる罵声はいつ聞いても心地が良い物だ。私は堂々と胸を張りながら、開かれた出口に向かってアリーナを退場していった。






 アリーナから退場して通路をあるく私の視界の先に、白い影が佇んでいた。ジェラールだ。


「よくやったな。初めてにしては上出来だ」


「……! ありがとうと言うべきかしら?」


 今回の試合は双刃剣だったから勝てたような物だ。今までの普通の直剣だったら、重傷を負うか最悪死んでいた可能性もある。だがジェラールは肩をすくめた。


「俺はあくまで基礎を教えただけ。実戦で扱う事ができたのはお前自身の実力だ。自らの身を危険に晒す覚悟があって初めて双刃剣は真価を発揮する。その意味でお前は今日大きな一歩を踏み出した事になる」


「……!」


 確かにそうだ。自分が傷つく事を恐れて消極的な戦い方をしていた私は、アースウルフの挟撃の前に翻弄され続けていた。しかしいざ覚悟を決めて勝負に出たら、自分でも驚くほどあっさりと決着がついた。


 あれこそが双刃剣の本領なのだ。私は自分の中に名状しがたい熱い物がこみ上げてくるのを感じた。


「だが油断はするなよ? これから試合は増々過酷さを増していくだろう。双刃剣は防御を犠牲にして攻撃に重点を置いた武技だ。僅かな判断ミスが命取りになる傾向は他の流派よりも強い。努々慢心せぬ事だ」


 ジェラールはそれだけ言い置いて踵を返すと、通路の先へ消えていった。彼の忠告はありがたく聞き入れつつも、私は今日の試合に大きな手応えを感じざるを得なかった……

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