それでも魔女は毒を飲む

野良ガエル

★★★★★ これはある種の呪いである。また食べたくなるという呪い……(*個人の感想です)

 ラーメン屋の店員は大抵黒い服を着ている。


 汚れが目立たぬように、汗によって透けることのないように。主にはそういう理由。私が入ったこの店も、例にもれず店員は黒い服だった。

 ただし黒のTシャツではなく黒のローブ。

 黒い服というよりは、黒衣と表現した方がしっくりくる。


「いらっしゃいませ。ようこそ佐羽戸さばと屋へ」

 店員の若い女の子が、笑顔でお辞儀をする。その顔がくたびれた三角錐の帽子の大きなつばに隠れる。彼女は掃除中というわけでもないのに、片手には箒を携えている。

 まさに、記号的な【魔女】の姿だった。


 ラーメン佐羽戸屋。サバトというのは、魔女の夜会、夜宴、集会などの意味を持つ言葉である。

 待ちに待った花の金曜日。OLのしがらみから解放された私は、ずっと気になっていたラーメン屋にやって来ていた。己に課した食事制限を久しぶりに緩めると定めた今日。もっと高級な食事も考えたが、やっぱりラーメンがすっきゃねん。

 

 店員魔女の先導で店内を案内される。見たところ、普通のテーブル席やカウンター席はないようだった。情報にあった通り、ラーメン屋としてはあまりに珍しい完全個室制。というのも、洋館をそのまま使用しているからだ。事前に写真を見ておかなければ、森の中にひっそりと建つこの館が店とは、ましてやラーメン屋などとは誰も思うまい。

 先ほど通った入り口を思い出す。

 威厳のある扉の上にはあまりに不釣り合いな佐羽戸屋と書かれた紫色の暖簾。扉の横には黒い招き猫が置いてあった。


 ローブ姿の割に軽やかな足取りで前を歩く店員魔女。あと少しで30才を迎える私とはえらい違いだ。女子高生くらいにも見える。歩くたびにふわふわのボブカットが揺れる。そういえばネット上には店員が可愛かったって感想もあったっけ。

 

 やがて古びた木造の扉の前に辿り着く。

 必要以上に長い距離を歩かされた感じがした。

「雰囲気を出すために古っぽい感じにはなっていますが、衛生管理はキチンとしておりますので。安心してください」

 店員魔女はにこー、っと笑い両開きの扉を開ける。私は中に通される。

 薄暗い部屋には一本足の木の円形テーブル。それを囲むように三つの椅子。椅子は骨の意匠が施してあった。テーブルの中央には、大きな魔術書のようなものが置かれている。

 窓のカーテンが閉められた部屋が、脇の燭台の明かりのみで照らし出されている。電気の蝋燭ではなく本物の火が揺れる。防火対策的にアウトではなかろうか。

 私は椅子の一つに腰を下ろす。

 残念ながら座り心地はバリカタだった。


「こちらがお品書きになります」 

 あきらかに洋書な魔術書が半分に割れ、中からは日本語のお品書きが現れる。そこは難解な言語で書いて日本語の訳を付ける表現でもよかったのではなかろうか。


 ・火炙り叉焼ラーメン

 ・千切り葱の針地獄血の池ラーメン

 ・薀蓄(うんちく)ラーメン

 ・マンドラゴラーメン


 完全に悪ふざけのネーミングの羅列を目で追いながら、私は事前に心に決めた品物を探す。

 それはお品書きの一番最後に、少し行を空けて存在していた。


・魔女の大鍋ラーメン(日替わり)


 事前情報によれば、この店の目玉はこれであるらしい。日替わりと括弧書きにあるように、日ごとに味が変わるらしい。

 要するに『これ』といったレシピがなく、その場その場で全く違う素材を足していくということらしかった。スープは創業以来(まだ三か月程度だが)継ぎ足され継ぎ足され、消滅することなく変化し続ける混沌。怪しさ満点。まさに魔女の大鍋。天に昇るほど旨いというレビューもいれば、地獄を見るほど不味かったというレビューもあった。

 だが、そのどちらに当たっても、まるで呪われたかのようにリピーターが後を絶たないとの噂である。


「魔女の大鍋ラーメンを一つ」


 かしこまりましたと一礼し、店員魔女は意味深な笑みと共に部屋を出ていった。

「ふぅ」

 私は一週間分の疲れを溜息に変え、部屋に飾られた品々を見渡す。

 角の生えた悪魔の頭蓋骨や、いわくありげな人形。だがよく見れば安物であると分かる。

 テーブルの端にある小さな鋼鉄の処女を開くと、針の代わりに爪楊枝が入っていた。

「ふむ」

 こういうセンスはさておき、意外とちゃんとしていると私は感じた。

 この部屋に来るまでの順路でさりげなく踏まされた魔法陣。この部屋に漂う匂い。エトセトラ、エトセトラ。それらは店員の魔女のコスプレじみた格好や、部屋の露骨な装飾に上手いこと紛れていた。ネタじみた雰囲気作りは、魔のイメージを降ろしつつ油断も誘う意図がありそうだ。おそらくは、ラーメンへの感度を高めるための術式だろう。


 ここは、本物かもしれない。

 


 とはいえ、私は9割普通のOLだ。長きに渡り弟子から弟子へと代々受け継がれてきた知識を持っているだけで、魔術も一応使えはするが、スマホが便利すぎてもうね……。

 正直、私の代で終わりの可能性が高い。

 伝統芸能と同じで衰退は免れないのだ。

 メディアで取り上げるわけにもいかない分、もっと性質が悪いとも言える。


 スマホでツイッターを立ち上げる。この店を知ったのもツイッターでの情報だ。

 スマホ。スマートフォン。現代人の必須ツール。現代版賢者の石みたいなもの。

 高い高いと言われているが、こんな便利なものが十万円以下で手に入るなら安いものだ。魔術よりもはるかにコスパに優れている。しかも誰でも扱うことができるときている。本来なら魔女として、そんなものの恩恵に預かってはならないのだろうが、魔女として食っていけない以上、普通の仕事をして糊口を凌ぐ以上スマホは必須なのだ。

 ごめん師匠。もう戻れそうにない。

 

 裏の都市伝説。魔術をデジタル化するためにITの仕事と二足のわらじを履く魔女、魔術師がいるとかいないとか。

 どのみち、ITスキルのない自分には無関係な話か。

「はぁ……」

 生きながらに死んでいく。

 現代の流れに合わせなければ生きていけない。そうやって生きる度に受け継がれた大事な部分が生気を失っていくのだ。ジリ貧。厳しい。寂しい。

(宝くじでも当たれば、隠居してしっかり魔女やるのになあ)

 師匠もなんだってこんな財力のない庶民を後継に選んだのやら。

 今じゃあ家では裸(正装)で過ごすくらいしかやってない。


 頭の後ろで手を組んで目を閉じる。

 キィ。

 扉の開く音が聞こえた。

 次いで、濃厚な旨そうな匂いが鼻腔に侵入する。

 私は目を見開く。


「お待たせいたしました。魔女の大鍋ラーメンになります」


 それは、闇。

 深い闇色のスープ。

 そして、器。上半分を取られた頭蓋骨。

 絶妙な位置に麺がある。悪趣味が極まっている。

 だが腹は鳴る。館に張り巡らされた術式が食欲を増強している? いや、我慢して我慢しての油ものだからか。

「ごゆっくりどうぞ」

 と、店員魔女が部屋から消えた瞬間。私はごゆっくりとは程遠い勢いでは麺を吸引しにかかった。人の脳髄を食すかのごとき猟奇的絵面であったと思うが、身体が先に動いていた。

 

 ちゅるるる。ずぞぞ。

 ごっくん。

 むぐむぐ。

 ずぞぞ。

 

 まくは言えないが、悪くはない。

 るでラーメンのスープのミックスジュース。

 べての要素を感じる。

 とぎとしているのだが、どこかさっぱりも?

 ーツはどこにあるのだろうか。

 

 っとありつけた久しぶりの脂っこい食事。

 ーにあるような美味い酒も一緒に飲みたい。

 かれた見た目の割には、正当な血統の風格。


 が、やはりイかれてもいる。

 んは、ほどよいコシを有している。

 ボシの風味も微かにするような。

 んとなくの感覚では、味噌豚骨のエリアか。

 、これは……? サッポロの塩の白胡麻の。

 がう。これは出前一丁。ごま油か?

 っと掴みかけた風味は次の瞬間に再び霧散。

 ーん、なんとも形容しがたいな、この味。




「はっ」


 気づけば、私は頭蓋の中の脳を全て吸い尽くしていた。否、麺を食べ尽くしていた。残るはたゆたう黒の髄液、もといスープのみ。


 う、終り?

 かの間の快楽は駆け抜けていった。

 うぶん、脂ものは控えなければならないのに。

 った数分、いや、三十秒くらいの感覚だった。

 つに、たかがラーメンの一杯ではあるのだが。

 まの贅沢を、なんと勿体ない。

 まさら後悔しても遅いが、しくじった。


「えっ?」


 箸は置いた。

 晩餐は終わったはずだった。

 だというのに、私の両手は頭蓋を、つまりどんぶりを掴んでいるのだ。

 まだ触れると熱いくらいのどんぶりを、ぐわしと掴んで離さないのだ。


 待て。

 待て待て待て、

 待つんだ私。

 なにをするつもりなの。

 スープを味わいたいならレンゲがあるじゃない。

 どんぶりが、持ち上がる。

 だからなにをするつもりだってば。


 また西洋絵画のやたら肉付きのよい裸婦みたくなりたいのか?

 どんぶりとキスする。


 なんのための食事制限だ?

 どんぶりが傾いていく。


 よせ。

 こんな、明らかに濃厚なモノ。

 どう考えたって毒。

 それも猛毒だ。


(けどさ、この味はこの場限りでしょ? 次はもう食べられないんだよ?)


 私の中で悪魔が囁く。

 

 ああ、そうか。

 この店は巨大な魔法陣だったのだ。

 食欲という名の悪魔を呼び出すための――――。




「ぷっ……っはあぁっ」

 ゴトリ、と置く。空になった頭蓋を見る。代わりに、私の心と体は満たされている。後悔は読んで字のごとく後でやってくるのだろうが。


 スープを飲み干したことで、色々分かったこともある。

 やっぱりこの店は普通じゃない。隠し味には確実に魔術的な、呪術的ななにかが確実に使われている。結構ヤバいやつ。ただしそれは、科学的に検出されることはなく違法にはならないだろう。一般世間から見て『異法』ではあるが。


 そして、この館に張り巡らされた術式はやはり、味覚の鋭敏化や食欲増進の類だ。クスリを決めて***することにも似ているが、これまた違法ならぬ異法なのでおそらく問題にはならない。それを表向きの問題にするということは、一般世間がこちらの法理を認めることに繋がるからだ。ラーメンぐらいで波風が立つことはまずないだろう。


 一杯のラーメンの向こうに。

 十重二十重に張り巡らされた術、業。

 もちろんラーメンそのものも美味い。

 見事なり。

 

 私はテーブル脇に設置されたアンケート用紙を手に取る。この苦界をうまく立ち回る同業者に感謝とエールを伝える為に。

 

 魔女の大鍋ラーメン、か。

 きっと味は変わっているのだろうけど、また来週寄ってもいいかもしれない。

 うん。

 それを楽しみに私はまた日々を凌げるだろう。


「ありがとうございましたぁ」

 会計を終えた私に向けて、店員魔女が瑞々しい笑顔を咲かせた。

「えっと、一つ聞いてもいいですか」

「はい。なんでしょう」

「ここの店長って、どんな人なんですか?」

 探る質問。彼女は店長がどういう層の人間かを知っているのかどうか。

 ただのバイトのようにも見える店員魔女は、魔女のコスプレなのか関係者なのか、等々。興味本位の質問だった。

「あ、私です」

「えっ、ごめんなさい。なんて?」

 彼女は苦笑する。

「この店、私一人でやってるんです。だから、店長は私ですよ」

「うそ……っ」

 失礼ながら、心の声が漏れた。

「本当ですよー」

 だってどう考えても彼女は十代だ。女子高生と言ったって通じそうな見た目だ。

 一人で? この店を。あのラーメンを。あれらの術式を全て。


 私は眩暈を堪えて、彼女の顔をまじまじと観察する。皺も皺を消した風もない。信じられない。

「し、失礼ですけど、おいくつですか」

 ぷっと吹き出し、魔女はくすりと笑って唇に掌を添えた。


「ふふ、魔女に実年齢を聞くなんて……野暮ですよ?」


 その台詞は、私のことなど全て見通したような言霊だった。口調こそ変わらなかったものの、ここで彼女の笑顔の質が決定的に変わる。

 妖艶なその笑みは、彼岸に存在していた。

 近くにあるのに触れられない断絶を理解できる知識が私にはあった。

 だからこそあまりにも魅力的で、蠱惑的で。

 そっち側に行きたいと、思った。


「魔術って、すげぇ」

 これが魔女か。

 私はなにを見限っていたのだろうか。

 世界はまだまだ不思議に満ちている。

 でもそれはきっと、コスパがどうこうの次元ではない世界なのだ。狂気なのだ。一律いくらで買えるものでもあり得ない。


 既に私の中で満足感は消えていた。自身に対する不満やらなにやらが噴出して顔が熱くなる。焦りと飢餓感が猛スピードで到来する。


 私は先輩に一礼し背を向け、当たり障りのない文面で書いたアンケートの一言欄に、殴り書きで呪印を上書きする。今ここにある衝動と古びた知識でペンを走らせる。

(私も一応魔女だ。私はここにいる。いつか必ずそっちに足を踏み入れてやる)

 アンケートの回収箱に所信表明としての呪符を投函し、私はすぐさま店の外へ出た。


 薄暗いの森の中を、黙々と歩く。

 はっきり言って今は魔術では全く食っていけない。当分はOLを続けることになるだろう。デビューを目指すバンドマンのように、あるいは小説家志望のように、仕事と魔術の二足のわらじを履くワナビと化すのだ。

 まずは表の仕事道具の陰に隠れて埃を被った魔術書たちを引っ張り出すところか始めなければ。先の見えない闇のような未来。だが、闇ならば魔女わたしには相応しい。


 一度だけ振り返る。

 小さくなって闇に溶けかけた佐羽戸屋の暖簾と、黒い招き猫を見る。


 次ここへ来るのは、一週間後じゃない。

 なにかを一つ成した後だ。


 そのときには、

 ためらいく毒を飲み尽くしてやろう。

 

 なんなら、

 そこに白飯だってぶち込んで喰ってやる。


 

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