第十の月――先達の兄

 いいように使われている自覚はある。とはいえ、俺自身も気がかりなことではあった。

「この村、のはずだよな」

 託されたメモと村の門とを見比べて、頷く。ひとまずここの神官か村長のところに行くか、……それとも、先に腹ごしらえを済ませるか。

「……兄貴?」

「おお」

 背後からの聞き覚えのある声に振り返れば、駆け寄ってくる人影。俺と同じ若草色の髪はひとまとめにして背中で揺らし、左耳には輝石のはまったイヤリング。深く落ち着いた緑の瞳は、明らかな驚きを映していた。

 今の俺と同じような旅装の、久しぶりに見た妹に向かい俺は笑顔で片手を挙げる。

「よう、元気してたかゼータ」

「ああ!」

 その手に自分の手を打ち合わせて、ゼータもにかりと笑った。と、

「どうしてシータさんがここに?」

 ゼータの後ろから出てきた顔に対し無意識に仏頂面になったのを自覚する。相も変わらずひょろっこい神官がそんな俺に苦笑した。

「すみませんねゼータを連れ回して」

「お前がそれで謝るな」

 立場上事情は把握している。軽く頭をはたいてやると、小さく悲鳴を上げて眼鏡を押さえた。

「兄貴」

「大丈夫ですよ」

 眉間にしわを寄せたゼータを制し、タウが俺に向き直る。先程の問いの答えを求めているのは分かっていたが、

「とりあえず飯でも食いながらにしようぜ」

 親指で村を示せば、ふたりは顔を見合わせた。どうやら空腹なのは俺だけではなさそうだ。



 村で唯一だという食堂兼宿屋で、特産だという羊肉のシチューを大鍋で注文する。三人で命の恵みに感謝する祈りを捧げると、タウが真っ先にお玉の柄を取った。

「はいシータさん」

「おう」

 シチューをなみなみ盛った皿を対面から渡されて受け取る。続いてゼータにも同じように盛って渡しているのを横目に見つつ、パンかごを引き寄せて丸パンを三つ取り皿に置いて隣に回した。

「あんがと兄貴」

 ゼータも同じようにパンを確保し、かごが動かされる。保存用ではない小麦色のパンは、力を入れて二つに割るとふわふわの白い中身が現れた。久々のそれを大口で頬張り、もぐもぐと咀嚼しながらスプーンでシチューをひと匙掬う。ゼータは大きく切られた羊肉を丸ごと口に運んで幸せそうな顔をしているし、タウは一口サイズに千切ったパンにシチューを付けて食べていた。

 二杯目からはそれぞれ自分でお代わりを盛って、大鍋はあっという間に空になった。パンかごもすっかり空っぽだ。

「さてと」

 軽くなった大鍋を脇に避け、グラスの水を飲み干して俺は懐を探った。失くしでもしたらとんでもない目に遭うだろうと肌身離さず持ってきた手紙をテーブルに乗せると、タウが手を伸ばす。

「……やっぱりですか」

 何故と訊いたくせに予想していたらしい、タウが封筒を裏返して差出人の名前に呟いた。直属の護衛官である俺に手紙を押しつけ持って行けと命じた、西の大丘陵地帯の神殿の我らが神官長様、オメガ・ルート。

「先生か」

「はい、姉さんです」

 そして彼女は、ゼータの師でありタウの姉でもあった。

 手紙がゼータに手渡され、小型のナイフで封が切られる。便箋を開いてふたりが文面を覗き込むのに、内容を知らない俺も立ち上がって後ろへ回り込んだ。決して汚くはないのにどこか落ち着きのない文字を目で追う。


「あたしの愛する弟と可愛い弟子へ。

 イオタの所から回された報告書、読んだわよ。順調なようで何よりだわ。

 それで、本題だけど。こっちで文献漁ってたらちょっとした発見があって、それについてあんたたちに説明がしたいのよね。

 文面にするより直接話したいから、指定した街まで移動してちょうだい。あんたたちが着くまでの間には用意を済ませて移動しとくわ。

 会えるのを楽しみにしときなさいね。

 あんたたちが尊敬すべき神官長、オメガ」


 全員が読み終わったのだろう、沈黙が落ちる。

「…………なあ、兄貴」

 便箋を握ったままのゼータが不意に俺を呼んだ。

「……何だ」

「兄貴が俺らに会いに行かされたの、先生が脱走するためじゃねえかな」

 俺もそう思う。

「多分もうとっくに手遅れですね」

「オメガ……」

 頭を抱えたがもうどうしようもない。普通の神官や護衛官にオメガを止めろというのも酷な話だ。

「お前たちに会いにきたとこをとっ捕まえて帰るしかないか」

「じゃあ兄貴も一緒に来るのか?」

 ゼータの嬉しそうな様子が微笑ましい。タウの方は複雑な顔をしたが。さて、となると。

「そうしたいんだけどその前に、俺の方の用事にも付き合ってもらえるか」

「用事、ですか。この手紙ではなく?」

 その質問に首を振り、俺は短く切り揃えた髪を掻いた。

「ここの収穫祭の手伝いだよ。人手が足らないんだとさ」

 この農村には神殿がない。常駐している神官はいるもののかなり年を召したひとで、本来何処かの神殿から補佐を回すはずだったのが間に合わなかったそうだ。そこで、この村に来る用事のあった俺にお鉢が回ってきた。……今思えば、足止めだったんだろうな。

「どちらにせよこの周辺の探索は必要ですし、いいんじゃないでしょうか」

 タウが頷く。

 オメガがこの村を正確に指定出来たのはつまり、ゼータとタウが確実に立ち寄ると分かっていたということだ。その理由は、少し考えれば分かる。

「いざとなれば加勢はしてやるさ」

「ありがとな兄貴」

 昔から尊敬してくれている、年の離れた妹の言葉がくすぐったい。俺にとってはいつまで経っても可愛い妹だが、下手な男よりよっぽど腕っ節が立つ分なかなか賛同してくれる奴はいなかった。俺の真似だと言って口が悪くなってしまったのももったいない。

「……では、そろそろ行きましょうゼータ」

 がたんとタウが椅子を鳴らして立ち上がった。

「あ、おう。どこに行けばいいんだ」

「とりあえず村長さんのとこだな。神官のじーさんも普段はそこにいるらしい」

 普段らしからぬ様子に訝しげながらもゼータがバックパックを背負い直し、俺も椅子の背に掛けていたマントを取り上げる。にしても、

「……お前なぁ」

「何ですか」

 身長は俺の方が少しばかり勝っている。睨み上げる目つきもさして恐ろしくは見えない。

「ゼータは俺の妹だからな」

 タウが口を引き結んだ。眼鏡を直し、宿の出口へ足を向ける。

「……知ってます」

「何やってんだふたりとも」

 先に行っていたゼータが振り返って、不思議そうな顔をした。



 祭りの中心になるだろう広場に張られた天幕の周囲で、朝早くからひっきりなしにひとや物が行き交っている。今夜に向けた準備は村長仕切りの下、村人総出で進められていた。一晩休んで旅の疲れを癒やした俺たちも参加している。

 収穫祭。文字通り今年の収穫を祝う祭りだが、豊かな実りを横取りしようとする邪なものが現れるとも言われている。そいつらに悪さをされない為には、仲間だと思わせればいいのだそうだ。

俺たちが手伝うべきは、神官が様々な道具――例えば照明に使う燭台だとか――に行う清めの儀式だ。神官であるタウはもちろん、俺もこれまでの仕事の都合で簡単な儀式なら代行出来る。俺の本来の武器はこういうのに向かないので神官のじーさんから予備の杖を借り、タウは自前の短杖で道具を清めていく。その合間で物を運ぶのがゼータの役目だ。

「助かるわい、毎年骨が折れるんじゃこれが」

 慣用句が洒落にならなそうな腰の曲がったじーさんが、真っ白なひげを撫でながら言った。ひとの良さそうな笑顔のタウがじーさんに椅子を勧める。

「お力になれて良かったです。ほとんど済みましたし、後は休んでください」

「おおすまんのう」

 よっこらしょ、とさっきゼータが持ってきた椅子にじーさんが座った、そこにぱたぱたと走ってくる子どもが四人。こいつらもまた腕いっぱいに何か抱えて、じーさんのところに集まっていた。

「おじいちゃん、もってきたよ!」

「ありがとうなぁ」

 しわしわの手で子どもたちの頭を撫で、荷物を受け取ったかと思うと、

「若いの、ほれこっちに」

 手招きされてタウと顔を見合わせた。子どもたちは手を振りながら慌ただしく走って行く。

「それもお清めですか?」

「いやいや」

 タウが四つあった包みのうちひとつを渡され、中身を覗いた。俺も自分が受け取ったものを確認する。まず見えた黒い布でぴんと来た。

「わざわざ用意してくれたのか」

「わしの分も頼んでおったからのう、ついでじゃついで」

 そこにちょうどよくゼータも戻ってきた。じーさんから同じように包みを渡されて首を傾げていたところに、

「ゼータ」

 タウが近寄って中を見るよう促した。そのまま振り返り、にこにこと上機嫌に礼を述べる。

「ありがとうございます、助かりました」

「楽しむのも豊穣への祈りじゃからの」

 じーさんはいつの間にやら黒い古布で作ったとんがり帽子を被っていた。白い神官服のまま好々爺らしく笑っているから若干ちぐはぐではあるが、童話に出てくる悪い術士をモチーフにしたのだろうというのは察せる。

「あとそんだけだそうだから、終わったら宿で着替えようぜ」

 俺とタウの前に置いてあった箱を指したゼータに頷き返して、俺は包みを一度脇に避けた。



 急に準備したのだろうから古シーツのお化け程度かと思えば、なかなかちゃんとした衣装が入っていた。村の厚意もあってひとり一部屋確保出来た宿で、それぞれ着替えて集合する手はずだ。おそらく古着を仕立て直したのだろうそれを、念のためブレストアーマーの上から着る。土聖霊の祝福かごく稀に発掘される金属、カリスレイアを使った試作品のアーマーは、通常の鉄より軽く薄手なのでさほど目立ちはしないはずだ。

 粗方身支度が終わったところで、机からペンダントを取り上げた。花緑青の輝石を填めた金細工は、妹やその他何人かの護衛官が身につけるイヤリングとほぼ同じデザインだ。

 護衛官と神官の何が違うかと言えば、知を修めるか武を修めるか、なんて言い方をされている。親が神殿に勤めていると自然とその子も同じ道を辿るのが普通で、後は本人の適性に合わせてどちらに就くか決めることになる。

 神官が修行の過程で必ず聖霊術を習い、それを扱う為の輝石を持つのに対し、護衛官は必ずしも聖霊術を修める必要はない。それでも術を習い覚えた護衛官が持つのがこのアクセサリーだった。

 神官にとっての杖がそうであるように、術を使う際には何かしら集中や指向の手助けとなる物を持つことがほとんどだ。護衛官それぞれの武器がその代わりとして使えるように、ついでにこの小さな形に変えて運べるようにと考えられたのがこの技術だった。

 首から下げたペンダントのヘッドを服の中にしまい、辺りを見回して忘れ物がないことを確認した。部屋を出ればもう外の喧噪が聞こえてくる。廊下を進んで宿のカウンター前まで戻れば、もう既にふたりが待っていた。

「悪い、待たせた」

「いえいえ」

 手を振ったタウは、裂いてつぎはぎにした半袖のシャツと長ズボンを着ていた。腕から手の先と首、顔の一部には白い帯をぐるぐる巻きにしているから、おそらく包帯男マミーになっているのだろう。わざわざ包帯を巻いた上から眼鏡をかけて、短杖はズボンのポケットに差していた。

 そしてその隣に立っていたゼータは、黒いシンプルなローブにとんがり帽子でじーさんと同じ古めかしい術士の格好をしていた。

「髪編んだんだな」

 長い髪は三つ編みになっていた。それを指摘すると、しかし渋い顔。

「こいつにやられた」

「だっていつものじゃ素っ気ないじゃないですか」

 確かによく見りゃ髪を留めているのは白い帯だった。一回似合ってると思ったがためになんとも言えない気分になる。そんな俺に気がついているのかいないのか、ゼータが俺に近寄ってきた。

「兄貴は、……かっこいいな?」

「ありがとうな」

 判断がつかなかったのだろう、普通に褒めてくれた妹の帽子に手を置いた。

「なんでしたっけ。吸血鬼ヴァンパイアですか?」

 代わりに正解を出したのはタウだった。ワイシャツと礼服に似た黒の上下、色自体は落ち着いているがどうしても派手に見える赤いマント付きの仮装は、一部地方に伝わるひとの血を啜る怪物が元になっているのだろう。俺もびっくりした。

「多分な」

 応えた隣でゼータが呟く。

「……動きやすそうでいいな」

「そうでもない、けどお前のそれはなぁ」

 正直マントは邪魔だし、礼服の型だから激しく動くのは向いていないのだが、それでもローブよりマシなのは否定出来なかった。

「それじゃ、そろそろ行きましょうか」

 タウが持ち上げたバスケットには、これもお裾分けされたお菓子が入っている。といっても俺たちが食べるためではなく、欲しがる子どもに渡すためのものだ。今年取れた野菜を練り込んだ色とりどりのクッキーが詰め込まれたバスケットに、

「……タウ、重いだろそれ」

 ゼータが手を差し伸べると、苦笑しながら手渡した。

「つまみ食いしないでくださいね」

「あったりまえだろが」

 拗ねたように言ったが、その後歩いている最中にこっそり一枚囓っていたのは、タウも俺も見ないふりをした。



 夜の帳は既に下りているが、村の中は賑やかだった。

駆け回る小さな悪戯好き共に好き勝手されないように、要望通りのお菓子をやって大人しくお引き取り願う。村に住むお母さん方は家にそれぞれお菓子を用意して待ち受けているわけだが、俺たち含めた他の大人は外で様子を見守ることとなる。何しろ普段は叱られる夜の外出が許されているとなれば、子どもたちの奔放さも想像がつくだろう。

「おにいちゃんがいないの」

「なら一度お家に戻りましょうか」

 べそっかきのお化けの前にしゃがんだタウの横で、お菓子をくれる目印のバスケット目がけて子どもが群がっていた。

「おいそこのやつ横取りしてんじゃねえぞ!」

 落ちかけた帽子を押さえたゼータが、隣の子の分まで持って行こうとした食いしん坊を叱っている。昔はお前がそっち側だったのになあと懐かしい気持ちになっていると。

「……おぅい、どこに目ぇつけてんだぁ?」

「そりゃこっちのセリフだなぁ」

 いい年した大人がハメを外して喧嘩腰になっている声に、ほのぼのしていたのが台無しになった。

「……あんたら」

「んぁ、なんだあんちゃ、うおっ」

「ぐえっ」

 酔っ払いふたりの首根っこを掴んで、賑やかな通りから遠ざける。一本裏の路地に入ったところで手を放し、文句を垂れるそいつらに向かってそれらしく見えるよう拳を一度鳴らして口角を上げた。

「まさか、祭りで、面倒事なんざ起こさねぇよな?」

 あんたの笑顔は笑ってないと言ったのはオメガだったか。こくこく頷いてすっかり行儀良くなった男たちを残して、ゼータたちの方へ戻ろうと足を向けた。その瞬間に、

「うおっ?」

 嫌な――嫌悪感や寒気や色んなものがごちゃまぜになったような気配を感じた。はじめは酔っ払い共かと思ったが、ひとが発するものとも思えない。急いで戻ろうと踵を返すその前に。

「兄貴!」

 まさしくその方向から呼ばれて振り向けば、ゼータがローブの裾を絡げて持ち上げながら走ってきた。その後ろには短杖を手にしたタウも一緒だ。

「まさか今の」

 俺の呟きは伝わったらしい、タウが頷く。

「やっぱりシータさんもなんですね」

「俺や兄貴で分かるって相当だぞ」

 顔をしかめたゼータが俺を見上げた。

「神官のじいちゃんも気づいてた。村の奴らは村長さんと一緒に誘導するって」

 となれば、俺たちも急がねばならない。走り出そうとしていい加減面倒だったらしい、ゼータがローブの側面を力づくで裂いた。ぎょっとしたが流石に膝辺りで止めたようなのでとりあえずは良しとする。

「それでどっちだ」

 詳しい方向までは判断が下せない。タウに訊けば一度目を閉じ、短杖で一方を指す。

「あっちですね」

 幸い村の中央からは遠ざかる方向だ、外であればなおいいが。昼間見た地図を思い出し、

……あまり愉快ではない予感がした。タウも気づいているのだろう険しい顔だ。とはいえ行くしかない。

「どうしたんだよ」

 走り出しながら言ったゼータはまだ分かっていないらしい。移動に精一杯で喋る余裕のなさそうなタウの代わりに俺が指す。

「ゼータ、あっちはな」

 言っている間に、ここまで置かれた燭台が照らすものが見えたらしい。ゼータの顔が引き攣った。思わず足が鈍ったのか落ちた速度を、後ろから来たタウに背中を押されて支えられている。そのまま俺を先頭に、蝋燭でぼんやりと照らされた墓場へと走り込んだ。



 ひとけの無い墓場は、その分ひとならざるものの気配が充満してるのがよく分かった。不死者に対するトラウマ持ちのゼータを長居させるわけにもいかないし、さっさと片をつけてしまいたいところだ。

 ペンダントの鎖を掴んでヘッドを引き寄せ、外す。そいつを頭上へ投げ上げれば、途端に暴風を呼び食って実体を持った。俺の身の丈と同じほどのポールウェポン――槍と斧と鉤を併せ持つハルバードを突き刺さった地面から引き抜き、俺は背後のふたりへ声を掛ける。

「用意は」

「出来てますよ」

「……おう」

 妹も同じく長柄の武器を手にしていた。タウの方は、左手で構えた短杖に右手を添えている。先端の輝石が白く輝くのが今の状態では非常に眩しかった。

「光を」

 結んだ言葉に応えて短杖に宿した光が浮かび、分かれて墓場を照らす。それに炙り出されるように、地面近くを低く波打って揺らめく黒い影。

「…………い、で……」

 か細い声は女のものだった。振り返ったがゼータは真っ青になっている。

「……さむ、いの」

「あれ……!」

 タウが指した先で、何かがゆらゆらと長細く立ち上がった。ソレは髪を長く伸ばした女の形を成していく。

「ひとりは、いやだわ。おいていか、ないで?」

 生温い風が吹いた。女の髪が乱されて、俯いていた顔が現れる。くすんだ白の輪郭に、ぎらぎらと光る眼窩。黒いシルエットに白いしゃれこうべだけを浮かべて、それはかたかたと歯を打ち鳴らす。

「……あ、なたも。ここで、ずっと。ず、っと、ずっとずっとずっトずットズット」

 声は耳障りな音へ崩れた。ソレが手を持ち上げると同時に、周囲を揺らめいていた暗闇までもが意思を持って動いた。

「ちっ」

「安息の眠りを!」

 真っ先に邪魔なマントを叩き捨てた俺の後ろで叫んだのはタウだった。宙に浮いていたいくつかの光球が地面に叩きつけられると、気色の悪い呻き声を上げて黒い波が消滅する。

「……っ、解放の、刃を!」

 次いで、動揺を押し殺したゼータの声が続いた。聖霊術もそれなりに修めている俺の妹が大鎌を振るうと、刈り取られた暗闇が舞い散り消滅する。俺はそこまでの芸当は出来ない、が。

「おらぁ!」

 両手で握ったハルバードの、重量のある先端部を振り回す。異変の核らしい女には実体があった、ならば物理でも効果がある。引いて回避しようとしたソレを追いかけ一歩踏み出し、構え直した得物を突き出す。槍の刃が相手を掠め、しゃれこうべがぐりんとこっちを向いた。と、再び生まれ浮かんでいた光球のひとつが俺の武器にぶつかり、淡い光が包む。

「シータさん!」

「ありがとよッ」

 叫び返し、今度は周囲ごと巻き込んで薙ぎ払う。燐光を帯びた斧の刃は揺らめく黒をやすやす切り倒したが、女の形をしたソレは滑るように上へ逃れた。それを、

「っ、りゃあッ」

 ゼータの振り回す鎌から放たれた鎌鼬が襲う。タウの光球は、周囲にまた湧いて出た奴らを潰すので精一杯らしい。

 ぐんにゃりと曲がって鎌鼬を避けた女へ、俺は再びハルバードを突き出した。ケタケタと笑いながら女はそれも躱したが、狙いはそうじゃない。

「よ、っと!」

 真っ直ぐ突き出したまま横に振って狙いを定め、勢いよく引き寄せる。斧の刃と対になるよう取り付けられた鉤が、油断していたしゃれこうべ女を背後から襲った。見たくもない面と間近にご対面になったが、ここまでくればもう間合いの内だ。

「頼むぜ」

 呟いた声に、詠唱が応えた。

「我が身、我が声を以て請い願う!」

 光を宿らせた短杖が、周囲全てを明るく映してみせていた。

「希望の体現、照らし導く光の聖霊、汝が慈悲にて、彼の者らに安息を!」

 ギッ、キィエエェエェェェ……

 しゃれこうべが大口を開け、ぼろぼろと崩れ去っていく。この世のものとは思えない叫び声の残響が消える頃には、墓場は元の静けさを取り戻していた。

「……人も、死んだ生き物ということですか」

 タウが朽ちた骨に祈りを捧げ、その隣にあった黒いカケラを拾い上げた。ゼータは後ろで座り込んでいる。辺りにもう怪しい気配が無いのを確認してから、俺はハルバードをペンダントヘッドへ戻した。金具を繋いでシャツの中へしまい、投げ捨てたマントを探そうとして視線を巡らせてようやく気づく。

「……派手にやっちまったな」

 それどころでは無かったといえ、思い切り武器を振り回せるほど余裕があった空間ではない。砕けた墓石だの裂けた木だのが散乱している状況に、頭を掻きつつため息。

「シータさんもですけど、ゼータがまた、その、頑張ってましたからね……」

「うっせえ何も出来ねえよりいいだろ!」

 座ったままのゼータが苦笑するタウに噛みつく。どうやら後ろから不意打ちを食わなかったことを神に感謝した方がよさそうだ。

「おい」

「はい?」

 タウに向かって手を差し出すときょとんとした顔。

「これ、そのままにしとけないだろ。お前もゼータも使えないんだから俺しかいない」

「……そうですね」

 受け取った黒いカケラは呆気ないくらい軽かった。ひやりとするそれを軽く両手で握り込む。目を閉じて数瞬、沸き起こった光が止んでから瞼を開ければ既に元通りだった。

「ありがとうございます」

 へらりと笑ったタウに、透明になったカケラを押しつけゼータの元へ。その途中で見つけたマントは綺麗なままで、どうやら何も気づかれないように、という願いの及ぶ範囲だったらしかった。

「怪我無いよな?」

「おう、……その、ごめん」

 途中で外したのか落ちたのか、帽子のつばを大鎌と一緒に握ってゼータが俯く。しょげかえった妹の頭をぽんぽん、と撫でると、三つ編みを揺らして顔を上げた。

「今回は俺がいたからよかったけどな」

 けど、と続けなくても多分伝わっている。口を引き結んで頷いたゼータの横にタウが膝を着いた。

「一度宿に戻りましょう。シータさん、村長さんたちに伝えてきてもらえますか」

「…………しょうがないな」

 ふたりを宿で休ませなくてはならないのは確かだった。腰を抜かしていたゼータが立ち上がるのを手伝い、イヤリングを付け直すのを待って墓場を後にする。

「なあ、兄貴」

 隣を歩くゼータが帽子を被り直した。その陰から、俺と同じ色の瞳が見上げてくる。

「どうした?」

「しばらく一緒に来るんだよな」

「そうなるな。オメガを捕まえて帰らないと」

 逆隣を行くタウが見ているのには気がついていないのかもしれない。

「……その間、また稽古つけてもらっていいか」

 言い出すだろうとは思っていた。

「任せとけ」

 頷いてやったら少し顔が明るくなる。その間も足は動いているから、だいぶ村の中央にも近づいていた。家の明かりが増え、ひとの声も聞こえる。悪寒が止んだからか、また子どもたちが騒ぐのを許されたようだった。

 元気を取り戻しはじめたゼータが少し先を行く。その代わりにもならないが近づいてきたタウが、俺を見てため息を吐いた。

「失礼な奴だな」

「すみません」

 あまり謝る気のなさそうな謝罪をして、タウは眼鏡を直した。視線の先には黒ローブの背中。あまりにも露骨だが、ゼータがそこまで言う理由は察していないのか。それとも、自惚れまいという自戒なのかもしれない。ゼータ自身も、まだただ悔しいとしか思っていないのではないだろうか。

「ったく」

 ここまで分かっていて面倒を押しつけたに違いない我らが神官長様を恨みたくなったが、あいつはその程度じゃへこたれないんだろうなとまたげんなりした。


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