第5回 言語の誕生について

 以前、宗教のお話を考えていた時に思い付いたことなのですが、文章を読んでその内容を視覚的に捉えられる形に変換することが可能なら、それは言語が生まれたきっかけもまたその点にあるということを示しているのではと思いました。

 言語とはなぜ生まれたのか。それは情報を視覚的に伝えるためではないか。そのために物語は生まれ、言ってしまえば全ての物語は視覚化されるためにあるとも言えるかもしれない。

 今回も始まりました。妄想全開でやっていきます。


 私たちは情報を言語に乗せて、音声や文字を通して発信しています。そこで一つ疑問に思うのは、この言語という道具は人間特有のものなのかです。

 音を伴うものなら、犬も猿も鳥だって鳴き声をあげます。ここに言語的な情報のやり取りは存在するのか。

 また何かに印のように残せるものなら、蟻は地面に匂いをつけることで仲間との位置を把握するといいますし、これもまた人間でいう文字のような役割を果たしていると考えられます。

 そして何より、自然界にもコミュニケーションをとることが確認されている生物がいます。そう、イルカです。彼らは音波を用いることで周囲の状況を把握したうえで仲間との情報の伝達を行います。

 ここまで聞くと果たして人間の言語というのはそこまで特別なものではないように思えてきました。ならば、どうして人間は物語をつくるのでしょうか、どうして物語を読むのでしょうか。それは生きるために必要で進化した結果なのでしょうか。

 そうです。人にとって言語は物語にして視覚的に情報を取得するために生まれた道具であり、言語なくして人間の更なる発展はなかったかもしれません。

 それでは、想像力の話からその能力について話を展開していきたいと思います。


 私たちは言語情報を視覚的な情報へと変換することができます。それは私たちが普段本を読む中でキャラクターの姿や表情を想像する時や、役者が脚本を元に声のトーンや動きを付けることからも伺えます。ここではそれを想像力として考えて話を進めます。

 私たちには想像力があります。ではその力はいつどのように生まれたのか。

 前回のお話の中で宗教が広まった時、聖書という言語情報から人の頭の中に奇跡が想像されたという話(妄想)をしました。今回はそれを前提として更に考えてみます。

 宗教が未発達だった地域の人間にもこのように宗教という概念が生まれたということから、宗教が世界的に広まるよりも以前に人には想像力が存在していたと考えて間違いないでしょう。なにより、人に想像力が無ければ宗教が生まれた文明内でさえもその広がりを見せなかったはずです。世界に向けて発信されるほどにまで拡大したという事実もまた人間に想像力が備わっていた証拠となるでしょう。

 では、それはいつ生まれたのか。そのことを掘り下げるためにもまず想像力が生まれたきっかけについて考えてみます。

 想像力とは言語情報を視覚情報に変換する力です。その利点とはなんでしょうか。

 それは具体的なイメージを抱けることでしょう。私たちが地の文を読んで物語のキャラクターと同じ状況に立った心境になれるのはそのおかげです。そしてそれは未知の脅威を目の前にしたまだ弱者であった人類に大いに役立ったと思います。例えば、仲間の一人が何かに怯えて帰ってきたとします。あなたはその仲間から情報を聞き出すと、仲間はどうやら「体長が二人分以上はある大きな体、太い腕についた鋭い爪、小さく開いた口には濡れた牙が見え、その声は地面を丸ごとめくれ上がらせるほど響く」何かに遭遇したようです。

 さて、あなたはその説明を聞いてどんな生き物を想像しましたでしょうか。この言語情報のみから相手の見た目や脅威をある程度想像できるかどうかでその後の対応も変わってくるはずです。その想像が今後あなたの命を救うカギになるかもしれません。こうして人間は想像力を身に着けていったと私は考えます。

 想像力とは生存のために少ない情報から脅威を予測するために生まれた能力でした。

 言語と想像力の発生の順序は正確には分からないです。なんとなく言語の方が先に生まれているような気もしますが、想像力というのもそう遅れてはいないでしょう。もしかしたら、想像力を遺憾なく発揮するための共通の象徴としての音声の違いが次第に言語という形に変化していったのかもしれません。

 さて、これが冒頭で話しました言語の誕生した理由についての私の妄想です。ですから、物語というのは想像させるための、頭の中で映像化させるための言葉の集まりでしかないのかもしれません。私が今ここで書いている文章も想像させることさえできればその役割を果たしたことになる。ここはこういった表現の方がいいかも知れないなんて苦労はただの自己満足に過ぎなかったのかもしれませんね・・・トホホ。

 だからこそ、小説における表現というのは個性や技術が出るものなのでしょう。映像化に必要な最低限の情報を彩る一見無駄な表現というのは何よりもその人の魅力を表す言葉なのかもしれません。


 今日も素敵な物語を創造されるすべての人へ感謝を込めて

 今日のお話はここまで。お疲れ様でした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る