第4回 言語と信仰について

 このご時世です。少しでも早くこの災禍が収まることを願うばかりです。

 人はこうした不安定な状況に置かれるとどうしても何かに頼りたくなるものです。心の拠り所、安心できる状況に身を置こうとするのです。それは普段から遊ぶ友達との会話であったり、好きな人の手の温もりだったり、大切な家族の笑顔であったりと様々です。その一つとして数えられるものに宗教があると思います。宗教はまさしく心の拠り所、神様に不安からの開放をお願いするわけです。

 さて、私はここにきてはじめてこの「宗教」であったり「祈る」、「信じる」という行為の定義を何一つ知らないことに気づきました。「祈る」とはどういう行為なのか。「信じる」ことはどのように行われるのか。

 そのことについて考えていた時に、それなりに言語と結びつける道を見つけたので今回は信じるという行為と言語の関係について(妄想を)語っていきたいと思います。


 信仰という行為はいつ生まれた概念なのか。

 少々宗教について言及しますが、どうか寛大な心でお願いします。

 宗教が生まれたのは恐らく人間がまだ毛に覆われていたころではないでしょう。はじめて宗教概念の証拠が見つかったのは古代エジプトやメソポタミアといった人類史でも最初期の文明です。それ以前にも宗教が存在していたのかはまだわかりませんが、それ以降世界中に宗教という概念が広まっていったことだけは確実に言えます。 

 では、どのようにして宗教は世界へと広がったのか?

 それはやはり言語によって運ばれたと考えられるでしょう。

 聖書という神の存在を記した書物がその一番の例と言えるでしょう。文字は情報の記録、発信に大きく貢献しました。

 ですが、ここで一つ疑問が浮かびました。宗教がまだ未発達だった地域に外国から宗教を発信しようとする人々、宣教師がやって来ました。日本で言うとザビエルでしょうか。それらの人々から聖書や演説という言語情報のみで語られる神様の姿や奇跡はどのように映るのでしょうか。

 この文章を書き始める前までは、人には成し得ない所業をしてみせたという神という存在に疑問を抱くのではと考えていましたが、これはある程度の知識を有した自分自身の感覚での感想だと気づき考えを改めました。

 その当時、まだ宗教が世界に広がるよりも少し前の世界と現代とでは、知識も技術も遥かに低かったはずです。ならば、死から再生することがないことを誰もが当たり前に知っていたわけではなかったはず。いわば人間の神秘については真っ白な状態でしょう。そこではじめて生き返りを果たした人間の話を聞かされるわけです。真っ白なキャンバス(無知)にインク(言語情報)が流されるように、宗教という概念が吸い込まれるようにその文化圏に侵入したとしてもおかしくはなかったと思います。

 そして、宗教が広まるうちにそれを信仰する人が表れ始めたはずです。では、どのように信仰心は生まれたのか。それは言語情報を映像として想像したことによって生まれたのではないでしょうか。

 これは今も私たちが実際に行っている行為です。本を読んでキャラクターを頭の中で思い浮かべたり、映画や演劇の脚本を元に視覚的に見れるように変換する。これと同じことをその当時、はじめて神様の行為を知った人々は行ったのです。そうして言語情報でしかなかった神という存在は、記憶と同じく映像として入力されることでより一層その現実味を帯びたのです。

 私はそれこそが信仰心の始まりであり、信仰とは想像することだと考えます。


 そこからさらに派生して、今度は信じるという行為についてまた考えてみました。

 信じるという行為もまた想像すること。将来成功を納める自分の姿を、自分の好きな人純真さを、未確認生物の存在を、想像することこそ信じるということなのでしょう。

 そこで一つ感じたのが、アイドルという存在は神様と似ているなということでした。

 アイドルという言葉の語源が「偶像」であるという話ではありません。人々がそれに求める要素が似ているなと思ったのです。

 私はアイドルのことはよく知らないのですが、アイドルを好きな人の意見として特に印象的なのは「アイドルは排便をしない」でした。はじめは何を言っているんだ、同じ人間なのだから食事もすれば排便もする。生理現象なのだからない方がおかしい、と思っていたのですがこれには認識の違いがあったようです。

 恐らくですが彼らが言わんとしていたのは「アイドルが排便をしない」ことではなく「私たちはアイドルに排便をしているという一面を求めてはいない」ということだったのでしょう。言い換えれば、人間が普段から行う行為をしない、人間のようで人間ではない存在として扱うということだったのです。

 ここで「神様」と「アイドル」という存在を比較しながらその共通点を見ていきたいと思います。

 

 まず神様は人間には成し得ないような奇跡や境地に立つことで特別な存在として扱われます。そして、アイドルもまたその容姿やパフォーマンスでほかの人間とは一線を画す存在になります。

 ここがまず一つ目の共通点。(普通の)人間には成し得ない行為を可能にすること。

 そして、神とはある意味慈愛に満ちた存在として人々の間で語り継がれます。言い換えると、人間のうちに潜む怒りや憎しみといった負の感情を有しておらず、その一生において罪を犯さないという人間に当たり前のようにあるはずの負の側面を有してはいないということです。それはアイドルにおける生理現象や交際、性行といったところでしょうか。彼ら彼女らもまた人間。しかし、アイドルとしてみた時にそうした側面は無いものとして扱われるのです。

 これこそがアイドルの神聖化の原理なのだと思います。


 神やアイドルは、「人間には到底成し得ない行為を行う力」と「人間にあるはずの現象をないものとして扱うこと」が合わさることで神やアイドルたりうるのです。そういう意味でアイドルは神様と似ているように感じました。


 また少し脱線しましたが、今回のお話はここまでにしたいと思います。

 信じるという行為は飽くまで想像すること、悪く言えば叶うはずもない妄想と何ら変わらないでしょう。しかし、人間には信じるものが必要ですし、信じる気持ちが行動を後押しすることだってあります。

 私も自分のやればできるところを想像して(信じて)、また一歩踏み出せたらなと思う今日この頃です。

 それではお疲れ様でした。

 

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