君へ

津田薪太郎

第1話

 いつの事だったか、俺はよく覚えていないが君は言ったな。

「好きな人ができた」と。

「そうかい」と俺は返した。その時は君や自分自身に対して無頓着で、無関心だったから。


 その日はうだる様な暑さの日だった。蝉はけたたましく鳴いて、道路からは陽炎が立ち上り、暑さにやられた人が軒下で水を飲んでいる。俺の住む郊外から十キロばかり行った駅前でも、それは変わらなかった。

 俺は駅前の銅像の裏に居て、君を待った。明るい色の帽子と半袖のワイシャツを着て、何処にでも居る一般人を装った。銅像の周りには、待ち人を求める男や女が大勢居て、それぞれ改札や横断歩道に視線を向けていた。

 ふと俺は、君が一番最初に付き合った奴とのデートの事を思い出した。突然君が俺を呼び出して、「デートをストーカーしてアイツを驚かそう」と持ちかけてきた時の事を、俺は鮮明に覚えている。悪戯っぽく笑う君の顔と、実行した時に微かに見せたしてやったり、と言う顔。

 俺は嘘吐きの君の笑顔しか見たことがなかった。だから、君の心からの笑顔を引き出させた相手がどんな人なのか、純粋に知りたくなってしまったんだ。

 そうこうしているうちに、君と君の相手がやってきた。すらりと背が高くて、地毛の茶髪が綺麗な人だった。隣にいる君はとても楽しそうで、その人が口を開くたびに、心からの笑みを浮かべていた。

「ああ、心から君は、アイツが好きなんだな」

そんな言葉が、不思議と溢れでた。薄々わかってはいたんだ。アイツの話をする時は、君はいつも笑顔だった。例えその前にどんな話題が出ても、俺がアイツのことを君に聞くと、笑顔で何時間でも話していた。このデートだって、前日は俺に何度もメッセージを送って来たし、何を着るかの服選びで、俺は一日を差し出す羽目になった。だから、わかってはいたんだ。でも、自分の目の前に居る君の笑顔は、俺の予想に対する最も雄弁な証明だった。


 歩き出した君達を、俺はバレない様に尾行した。バレたところで、君は俺を怒らなかっただろう。「本を買いに来た」とでも言えば、それで済むと俺は考えていた。

 君達は最初に、スタンドでパフェか何かを買って食べながら歩いた。あの日の暑さのせいか、並ぶ人は殆どいなくって、普段なら買えない様なものもスイスイ買えた。

 その後君達は、映画館に入って一つ映画を見た。その時俺は、ちょうど真後ろに並んでいたんだぜ。映画というのも、ありきたりの恋愛映画。なんとかという売り出し中の女優と、これまたなんとかというアイドルが主演の映画。

 映画を見ている間、君は終始満足げだった。普段俺の隣で戦争映画を見て、ワクワクと目を輝かせる君は何処にもいなかった。恋愛映画のポスターを見て「つまらなそうだ」と鼻を鳴らす君は、いつの間にか誰よりもその虜になっていた。

 その後君達はカフェに入ってランチタイム。俺も一応入るには入ったけど、メニューの高いのには参ったね。オレンジジュースだけでかなり取られた。アイツはなんでもなさそうだったけれど、君は結構苦労したんじゃないかな。


 一通りデートコースを回って、お別れという事になった。また銅像の前で、君は名残惜しそうに言葉をかけていた。アイツは君と別れて、バスに乗って帰った。俺はどうやって帰ろうか、と思案していたら急に君からメッセージが来た。

「ありがとう。デート大成功だった」

よく知ってるよ。なんたって、すぐそばで見ていたんだからね。

 俺は返事を送る事なく、駅前から離れた。ビルの並ぶ街は、相変わらず無機質だったけど今の俺にはそれがありがたかった。


 家に帰って、俺は君のメッセージに返事を返した。「そりゃよかった」…。この文字の中に、どれだけの思いが込められていたか、君は一生わかるまい。俺は送った後、床に就いた。

 その日の夢には、君が出てきた。あの時と同じ、明るくて真実からの笑顔を浮かべて、俺の手を握ってくれた。俺は君と一緒に歩いた。

 だけど、気付いてしまった。君が歩いている場所が、今日アイツと君が一緒に歩いた場所だって。気付いた瞬間、俺は夢から醒めた。


 次の日、君は俺に礼を言いたいと言って、また俺を呼び出した。集合場所に着いて、君の服装を見た俺は驚いた。真っ白なワンピースを着て、髪の毛をポニーテールにまとめてた。「どうしてそんな格好をするんだ?」なんて野暮な質問をした俺を許してくれ。それ程までに、君の変わり様に驚いたんだから。

 安いファストフードの店に入って、ジュース一杯で粘り倒す。二人で話す時はいつもそうだった。君は昨日のデートについて、ずっと語り倒した。アイツがどれだけ紳士的で、格好良くて、優しいか。それを頷きながら聞いた。

 アイツは、確かに君の言う通りなんだろう。俺なんかよりも余程イケメンで、格好良くって、優しい奴。変に理屈っぽくなくて、偉そうでも、他人の不幸を見て嗤う様な奴でもないんだろう。

 嬉しかったよ。俺はアイツに感謝している。君の笑顔を見せてくれて。そして、今迄俺が分からなかった事を教えてくれたんだ。どうして俺は、ずっと君と一緒に居たのか。他の人なんかどうでもいい、君だけには嫌われたくなかったのか。


 その日は、雨の日だった。秋雨はざあざあと人を追い立てて、道から遠ざけた。傘をさして学校から帰る時、君はそこに居た。

 マンションの壁際で座り込んだ君は、自分が濡れるに任せて、ただ時が過ぎるのを待っていた。

「どうしたんだ?こんなところで」

ありきたりな台詞で、俺は君に話しかけた。この辺が俺の限界なんだろう。アイツだったら、アイツだったら君の傷心を察して、黙って抱きしめるなり出来ただろうから。

 俺の質問に答えは返ってこなかった。君は相変わらず座り込んで、物言わぬ石にでもなってしまったみたいだった。

「風邪引くぞ。ほれ、立つんだ」

俺は君の手を掴んで立ち上がらせた。そして、傘の中に引き寄せた。君は抗わなかった。ずぶ濡れになった君からは、ポタポタと雫が垂れた。雨水と涙が入り混じった水を踏みながら、俺達はマンションに入った。


 バスルームから出てきた君は、黙ってリビングの床に座った。俺がココアを淹れて渡したら、

「ありがと…」

そう小さな声で言った。君の顔からは、涙の痕が消えていなかった。別に構わない、俺はそう返した。

 その後は、君も俺もずっと黙ってた。どちらも口を開かず、黙ってマグカップに口をつけるだけ。

「ねぇ…」

「どうかした?」

「訊かないの?」

「…別に。話したくないなら、話さなくてもいいよ。服が乾くまで、ゆっくりしてな」

また沈黙。もう少し優しくするべきだったかな。

 「あのね…」

意外な事に、口を開いたのは君からだった。

「私、振られちゃったの。あの人に」

「そうか」

驚きはなかった。だってそれしか考えられない。あんなに輝いていた君が、ここまで悲しむなんて。

「私、重たいんだってさ。馬鹿みたいだよね…。自分の気持ちに素直になったら、重い人。何も言わなかったら、素直じゃないって…」

「君は重くなんてないよ。現に俺は、君とずっといても全くそう感じてないんだから」

こういう時、俺は甲斐性ないからダメだな。君が泣いていても、気の利いた言葉をかけてやる事さえ出来ない。

 ただ時間だけが過ぎた。泣き疲れた君は、いつの間にか寝込んでしまって、動かない。俺は君に一枚毛布を持ってきて、かけた。

「俺は君の『心から人を好きになれるところ』が好きだ。アイツのデートしてる時の、あの君が好きだ。やっと分かった。どうして君とずっと一緒にいたかったのか…」

喉まで出かかった言葉を、俺はぐっと飲み込んだ。今君に告げてしまっても、きっと君は苦しむだけだから。アイツの幻影が、君の瞼に生きている限り、俺は君に思いを告げられない。


 目を覚ました君に、服が乾いた事を伝えて、君の家に連絡した。着替えた君は俺が貸した服を、

「洗って明日、お礼と一緒に渡す」

そう言って持って行った。ドアを開ける時、君は俺の方を振り返って、

「…えと、そのありがとうね。今日は」

「別に気にしなくていいよ。また明日」

「うん。また明日」


 次の日、君は学校で俺に服を返した。ついでにお礼をくれた。一箱の弁当。いつも菓子パンばかり食べている俺を心配してくれているのだろうか?

「美味しいよ」

そう言ったら、君は心底嬉しそうに、

「ありがとう」

そう答えてくれた。やっぱり俺は、君のその顔が好きだよ。そう口に出せない自分の気持ちが、もどかしくて仕方なかった。


 今、季節は冬だ。昨日降った雪がキラキラと反射して、とても明るい。俺は今日、君に思いを伝える。君の「人を好きになれる気持ち」に惹かれていた事、君を自分のものにしたいわけではない事、ただ、君が好きな人に向けるあの笑顔が欲しい事…。ダメだね。めちゃくちゃだよ。自分でも何を言っているのかわからない。


 だったら一言だけ伝えよう。一言だけ。

「俺は君の笑顔が好きなんだ」って

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