#4-3

 その小さな歩幅で何時間も歩く。

 真上にあった太陽が随分と傾いたころまで、少女はただ足元の先陣の馬の足跡をたどって一歩ずつ足を進めていた。道のどこを見ても蹄鉄の跡が地面を抉っている。

 何度も肩の麻袋を担ぎなおして歩む少女の足を使い古された茶色い靴が包む。不思議と足の疲れは感じなかった。そして踵のあたりが何だか温かくも感じた。

 王宮を離れ、少しずつ人の手が見えなくなっている風景。そしてその禁忌の森、コリオトイの森は深い緑を従えて少女の目の前に姿を現した。

 森の入口には騎士が二、三人横たわっている。一人は足と腕に深手を負い、もう一人は既に息も絶え絶えだった。


 「大丈夫?」


 少女が声をかけると、脚を押さえながら騎士の一人が「奴隷か」と力なく笑った。


 「大丈夫なもんか」


 騎士は口を開くとすぐに「うっ」と唸ってうずくまる。


 「そうね、そちらの彼は出血の量から見ておそらく上腕動脈を損傷してる。直に意識を失って死に至るわ。あなたは大伏在静脈(だいふくざいじょうみゃく)かしら、早く手当てをするべきよ」

 「そうか、素敵な忠告をどうもありがとうよ」


 少女の言葉に騎士は吹き消されそうな声で言った。

 少女は麻袋から端切れを取り出した。そしてうずくまる騎士に歩み寄ると彼の身体を起こしてやり、脚に端切れを押しあて全体重をかけ騎士に乗った。騎士の声にならない悲鳴が鳴る。


 「この布は清潔ではないし、かなり痛むでしょうけど我慢してね。直接圧迫以外の方法がないの」


 ぐっと力をかけて少女が言うと騎士は涙を流しながら、横たわる一人の騎士を指差した。


 「俺はいい…、あいつを助けてやってくれ。あいつはまだ若い…俺なんかよりあいつを…俺の息子なんだ」


 そう言って血まみれの手で騎士は自分の顔を拭った。その光景に少女の顔は少し曇ったが、少女は目を閉じて首を横に振る。


 「いいえ、だめ。残念だけど彼はもう助からないわ。どんなに持ってもあと数分、緊急時にはトリアージが必要なのよ」

 「そんな…。くそっ…」

 「でもまだ声は届くかもしれないわ、何か伝え残したことはないの?」

 「伝え残したこと…」

 「早く!時間がないのよ! 」


 少女が振り落とされるのもお構いなしにその声を聞いて騎士はその場から飛び起きた。そして自分の息子に駆け寄ると手を取り名前を叫ぶ。


 「アルツ!聞こえるかアルツ! 」


 父親の問いかけに息子の騎士が目を開く。そして小さく「父さん…」と口にした。


 「よくやったぞアルツ!お前は俺の、立派な息子だ!自慢の、騎士の息子だ!」


 涙ながらに父親が息子を抱きしめると息子の騎士はにっこりとほほ笑んで「愛してる」と呟く。

 「俺もだ!愛しているぞアルツ!聞こえるか!アルツ!」


 ゆっくりと頷いたアルツはそのまま目を閉じると二度と目を覚まさまかった。徐々に重く感じていくアルツの身体を父親はいつまでも抱きしめていた。

 少女は父親の騎士の脚と腕の傷に端切れを当てギッと強く紐で固定した。騎士は冷たくなっていく息子の亡骸を担ぎ立ち上がる。


 「まだ動かないほうがいいわ、血が止まっただけよ」

 

 少女の制止も優しく笑顔を見せ首を横に振る。


 「いいや、もう平気だ。俺は息子を家に連れて帰らなければいけない。いろいろ世話になったな。ありがとう」

 「いいのよ」と少女は返す。


 「森へ行くのか?」

 「ええ」

 「やめておけ。君が思っている以上に過酷な環境だ」

 「そうね。ところでみんなが言う魔の物って一体なんなの?」

 

 少女の問いに騎士は森をゆっくり睨みつけるように言った。


 「化け物だ。神に見放された忌むべき存在。目が合えばよほどの手練れでない限りすぐに殺される」

 「それは力が強いのかしら?それとも動きが速いの?鋭い刃物や銃を持っているのかしら?」

 「銃…?まあ何にしても君が敵う相手じゃないさ。さあ、私と一緒に王都へ帰ろう」

 

 熱心に矢筒に弓を入れていたことからこの世界に銃がないことは薄々感づいていたが、今の騎士の反応からもこの世界に銃はないと見ていいだろう。では、一体魔の物というのは何なのか。彼らの傷の形状から見ても鋭い何かで切り付けられたように考えられる。差し出された騎士の手を取ることもなく少女は考え込んでいた。それから地面に置いていた麻袋を手に取ると騎士に向かって微笑みかえる。


 「ありがとう、でも行くわ。私にはこの道しかないし、こう見えて私一」


 森へ歩き出す少女を騎士は「待て」と呼び止めた。騎士は「少し待ってろ」と息子の亡骸に語り掛けた後、木の幹にそっと寝かせ、少女の方へと歩み寄った。そして少女の前に膝をつくとポケットから一枚のメダルを取り出し少女の首にかけた。


 「これは?」


 少女が尋ねる。


 「教会のメダルだ。何もしてやれないが、きっとこの神様が君を守ってくれることだろう」


 少女の胸に輝く太陽の模様が入った金色のメダル。大きさの割にさほど重くないそのメダルを手に取り、彼女は「メッキ?」と呟いた。


 「それじゃあ行くよ。いろいろありがとう」


 再び息子の遺体を担ぐ騎士に少女は声をかける・


 「あなた名前は?」

 

 振り返った騎士が言う。


 「俺の名前はフーチーだ」

 「そう、フーチー。素敵な名前ね」

 

 メダルを手にしたまま少女は行った。


 「お前は?」

 「私は奴隷、名前はないわ」

 「そうか、元の名前もないのか…?」

 「元の…名前?」

 

 その瞬間、頭の奥のほうに鋭く刺さるような痛みが走る。まるでバリケードのようなその障壁の向こうに少女の思考はどうやっても進入できない。


 「まあ、いい。がんばれよ、奴隷の娘」


 ガスガスと大地を踏みしめてフーチーが歩いていく。そんなフーチーを見ながら少女は小さく「さようなら」と手を振った。

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少女は異世界で学識高く 藍原レトロ @aihararetro

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