第3話 「կյանք《ケハーンク》、つまり道を探さなくてはいけないわけですね」

#3-1

 突然別の世界で奴隷になってわかったことが3つある。


 まず奴隷に発言の権利はないということ。仮に話続けてもそれに応えてくれる人はあまりいないということ。


 次にこの世界の女性は割と早く結婚ができるということ。年齢で12歳になると、結婚ができるがこれは一定の身分が必要だ。もちろん奴隷には無理であろう。


 そして結婚ができるからと言って、それは決して大人というわけではないということだ。皆口々に子ども、ガキ、娘などと呼ぶのだから、成人というのはもっと上の年齢で設定してあるのだろう。これには平均的な寿命や社会での役割をもっと知らなくてはいけない、と少女は思った。


 奴隷小屋から少し離れたところの王宮内に流れ込む川は、その区画が整理され上流部は生活用水として、そして下流部には生活排水を流す決まりがあった。少女は木のバケツを一つ抱えて、もう何往復もその上流部から水を汲んでいた。


 王宮内の物置部屋でこの世界での初めて夜を明かした少女は、空が明るくなると同時に抜け出してこっそり奴隷小屋まで戻った。途中朝日が顔を出すのを見て、なんだか懐かしい気分になる。

 

 小屋ではすでに6人ほどの奴隷の女性たちが働きに出るところだった。昨日少女と面識のあった奴隷女性の姿はなく、少女が小屋へと近づくと皆疲れた表情で少女を見ていた。


 「あんた誰よ」


 地べたの上に直接腰を下ろしていた女性の一人が言った。パサついた髪はうねり、その鋭い目が少女を睨みつけているようで、優しそうという言葉とは正反対の印象だった。少女は自分の奴隷の証でもある黒い腕輪を見せる。


 「奴隷よ。昨日バルディエスという王子に買われてここへ来たの。昨日の女性はどこかしら」


 周りを見渡していると奴隷女性は地面から立ち上がり、少女のところまで近づいてくると思いっきり少女の頭を叩いた。突然のことに呆気に取られている少女に向かって女性は強い口調で言った。


 「いいかい、一度しか言わないからよく聞くんだね、このぼんくら。二度とお上の名前を奴隷なんかが気安く呼ぶんじゃないよ。あんたが目でもつけられてごらん、あたしら全員の首が飛ぶことになるんだからね」


 ジンと鈍い痛みが残る側頭部を手で抑えると少女は口を開く。


 「私が何か失態を犯すとその責任を奴隷全員の命をもって償うようなことになるのね。つまり連座制だわ。もしかすると奴隷の体は奴隷が洗う決まりというのは、その体や持ち物を監視するような役割を持たせているのかもしれないわね」


 ブツブツと呟く少女に奴隷女性は「気持ちの悪い子どもだ」と言った。そして仕事に向かおうと歩き出す奴隷たちを少女は腕を掴んで呼び止める。


 「あの!私は何をすればいいの?」


 呼び止められた奴隷女性はその少女の手を払って乱暴に言った。


 「あんたは奴隷だ。奴隷らしく働きな」

 「私奴隷をしたことがないからどんな仕事をすればいいのか、具体的にはわからないのよ。性奴隷としても買われたんだけれど、昨夜は結局何もせずにただ寝ただけなの。良ければあなたの仕事を手伝うわ」


 しばらく考えた女性は小屋の中に戻ると木のバケツを一つ少女に手渡す。


 「じゃああんたは水汲みでもしな。いいかい、ここをまっすぐ行くと川がある。その川のなるべく綺麗なところから水を汲んで、王宮内のかめをいっぱいにするんだ。この小屋のかめは最後だ。いいかい、一つでもかめに水を入れ忘れたら、あんたの飯はないからね。さあ行った!」


 女性は少女の背中をバシンと叩くとそのまま仕事へと向かってしまった。蟹股がにまたで肩を揺らすように歩くその女性を見て、もしかすると脚や腰に問題を抱えているのかもしれないと少女は思った。気になって「あの」と呼びかけたが、女性が止まることはなかった。


 彼女は何の仕事をしているのだろうか。追いかけてみようかとも思ったが、水を運ばなければ食事にありつけない。結局昨日も少女は食事を取ることができなかったので、二日連続という事態は避けたかった。


 「そもそも、奴隷はどのくらいの頻度で食事をするのかしら」


 答える人はもちろん誰もいない。



 置き去りにされ一人になった少女はバケツを抱えると、女性に言われたとおりに川へ向かって歩く。毎日誰かが歩いているのであろう川までの道は、自然と草葉のない

道になっていた。その道をたどりすぐに川を見つけると、上流部のなるべく綺麗なところを探した。


 「綺麗というのは汚い認識がないと区別が難しいのだけれど」


 独り言を言いながら少女はバケツを川に落として水を掬った。一見きれいなのだが、水に混じる不純物に納得できず何度かその作業を繰り返す。


 ―こんなのらちが明かないわね。


 何度やっても綺麗な水だけを掬うことなどできず、少女は諦めてバケツに掬った水を両手でぶら下げて歩き出した。軽かったバケツが少女を地面の方へと引く。


 奴隷用の通用口から王宮内に入りしばらく探してみたが、水が入るかめなどどこにも見当たらない。「ふぅっ」と小さく息を吐いてから、少女は王宮内に立っていた鎧を着た兵士の背中へと話しかけた。


 「ちょっとあなた」


 すると兵士の背中はピンと跳ねるように伸び、こちらを振り返ることもなく答える。


 「はい、なんなりと!」


 不思議に思った少女だったが、構わず続けた。


 「水が入っているかめというのは、どこにあるのかしら」

 「はい!かめは王宮内の各水瓶室みずがめしつにご用意してございます!お水が御入用でしたら準備いたしますが!」

 「いえ、場所さえわかれば―」


 少女が言い終わる前にちらりと兵士は振り返り、少女の顔を見るや否や全身の力が抜けたようにその場にへたり込んだ。


 「なんだ奴隷か。紛らわしい真似をしてくれるなよ」

 「ごめんなさい」少女は小さく謝る。


 すると近くの一部始終を見ていた鎧の男性がハハハと笑いながら話しかけてくる。目の前の兵士のものよりも随分としっかりした鎧は、甲冑と呼べる重々しいものだった。


 「いやぁ、ずいぶんと面白いものを見せてもらった」


 男性は兵士に手を貸すと、そのまま彼を起こす。恥ずかしそうに笑みを返す兵士を見て、この甲冑の男は兵士と同等かそれ以上の身分の人物なのだろうと少女は思った。


 「イルザシアス様、お恥ずかしいところを見られました」


 イルザシアスと呼ばれた甲冑の男性は少女の近くに膝をつくと廊下の奥の方を指さす。


 「君、水瓶室ならこの廊下をまっすぐ抜けていったところに一つあるよ。詳しい場所は女中に聞くといい。彼女たちの方が詳しいからね。しかし、こんな悪戯いたずらをしてはいけないよ?」


 そう言ってイルザシアスは少女の頭を撫でた。


 ―各水瓶室みずがめしつ、廊下を抜けたところにひとつ…、つまりかめは複数あるのね。奴隷の女性の話とも合致するわ。


 少女は頭を撫でられながらそんなことを考えていた。「ありがとう、助かったわ」と少女が告げると、イルザシアスはまた大きく笑い出した。


 兵士はそれを見て「お前!」と咎めたが、イルザシアスは「構わないよ」と手を振って、そのまま笑っていた。

 しばらくそんな二人のやり取りを黙ってみていたが、「それじゃあ」とその笑い声を背に少女は歩き出す。


 ―おそらく王宮内にも細かく身分階級があるようね。私はおそらく一番下でしょうけど。


 それにしても小さな体にはバケツの水がやけに重く感じる。一歩足を進めるとちゃぷんと水面が揺れて、少女はバランスを取るために左右に体を振りながら歩くことにした。その姿を見て、また大きな笑い声が聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る