#2-4

***



 まず初めに少女が感じたことは匂いだった。奴隷となった自分たちに与えられたあの陰気な地下室と比べるとここは広く、明るく、そして爽やかだ。


 ―当然か。

 

 彼女は冷静を保とうとしたが、初めて見る本物の王宮のその豪華絢爛な造りに思わず胸が躍る。あちこち見て回りたい欲求をぐっと抑え、従者について王宮内を歩く。

 

 真っ白の大理石が伸びる長い廊下の中央には毛足の長い赤い絨毯が続いていた。その上に少女が足を乗せると、すぐに退かされ従者に叱られた。奴隷は廊下の端の石の部分を汚さないように歩かなければいけないと言う。


 「これから君はバルディエス様に会うこととなる」


 神妙な顔でそう言う従者に少女は「ええ」とだけ返事をした。


 「君もその年でこんな困難に直面するとはさぞかし辛いことだろう。だが、強く生きていってほしい。生きていれば、必ずいいことが待っているはずだ」


 そう言って従者は少女の両肩に優しく手を置いた。今にも泣きだしそうである。廊下の高い天井付近に設置してある照明を見ながら、少女は今自分が同情されているんだと理解した。と、すぐに、燭台のように見える灯りが少しも揺らめいていないことに気付く。


 「ねえ、あなた。あの灯りはどうして灯っているの?」


 少女が指さす先を見て、従者が言った。


 「あの光は太陽神様のお力で灯っているんだよ。だからこうして、夜でもここは光を失わずにいられるんだ」


 そう言って従者は手のひらを自分の額に当て、燭台に向かって頭を下げた。そして少女に向かって「さあ、一緒に」と促す。


 「太陽神の力?それは何かの例えなの?」


 従者の行動は真似ずに少女が言う。従者は少女の手を取り胸に押し付けると「こうだよ」と無理に頭を下げさせた。


 「紛れもなく太陽神様のお力さ。神様は自身のお力の一部をこの土地に宿らせたんだ。だからこの地では不思議なことが起こる。だからここを王都にしてこの国は栄えてきたんだよ。そうだ、今度絵本を持ってきてあげよう」


 従者は窓に近づくと暗くなった空に向かって今度は頭を下げる。


 ―太陽信仰ね。でもこの人から灯りの仕組みを聞くのは無理そう。


 どうせまた頭を下げさせられると思った少女は従者の真似をして頭を下げた。従者は「よくできました」と言って少女の頭をなでる。


 「僕にも娘がいたんだ。君みたいによくしゃべる子でね、いつも僕になんで?なんで?って聞くんだ」

 「いた、ということは?」


 従者は目に涙を浮かべる。


 「去年亡くしたよ。病気でね。だから、君のことをただの奴隷だとは思えない。君には生きていて欲しいんだ」

 「そう。お子さんはなんていう病気?どんな症状でどのように亡くなったの?」

 「さあ、もう行かないと。殿下がお怒りになる」


 従者は涙を拭くと少女の手を引いて、長い廊下の端を歩かせた。その先に見える背の高い2枚扉の部屋が王子バルディエスのいる部屋であることはすぐにわかる。


 ―おそらくあのドアはオークの木ね。彫刻がまるでゴシック様式のようだわ。


 ドアの直前で従者はぴたりと足を止めた。つなぐ彼の手のひらがじんわりと汗ばんでいくのがわかる。どうやら部屋に入るのを躊躇っているようだった。何ならここで引き返してしまおうかとも考えたが、どの道ここで生きていかなければいけないのだから、逃げ道はないと少女は思った。そしてこの従者は優しい人だと思った。少女は従者の手をグッと握り返して、顔を見上げる。


 「私なら平気よ。それに、私はあなたの娘じゃない。見たところ、私の父にするにはあなた若すぎるわ」


 彼女がそう言って笑うと、従者は優しく抱きしめた。人の温かさが心地よくて彼女もそっと腕を回す。


 「あなた名前は?」


 耳元で少女がそっと囁く。


 「僕の名前はエルドリ。父が立派な男になれるようにつけてくれた名前だ」

 「いい名前ね、エルドリ」


 彼から離れた少女はエルドリに「もう行くわね」と告げてから背中を向けた。心配そうに見つめるエルドリの視線を受けながら、茶色いドアを3回ノックする。すぐに中から「誰だ」と尋ねる男の声がして、少女は「私です。奴隷番号07」と答えた。


 冷たいドアノブに手をかけてからエルドリの方を振り返る。


 「エルドリ、また明日」


 少女は覚悟を決めてノブを回すと、男が待つ部屋に入っていった。

 

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