#1-2

***



 ガタガタと乱暴に鳴る振動が痛い。時折、跳ねるように揺れるせいで重力が首に集中するような瞬間もある。まるでゆさぶり起こされいているような不快な感覚に、静かに目を開けると、そこには見慣れない街の中を進む丸太の檻が目に入った。


 「ここ…どこ…?」


 ふと左に目をやると、不機嫌そうな男がこちらを睨んでいる。ずいぶんと汚れた麻布でできたような粗末な服を着ているが、見慣れた日本人の顔とは程遠い顔の男だった。


 「ったく、勘弁してくれよ。重いったらありゃしねえ」


 強引に引き剥がされた体の感覚がいつもと違う。それになんだか腕が重い。


 「すいません…」


 小さく頭を下げ周囲を見渡すと、小さな檻の中に彼のような汚れた格好の人間が十人前後入っていた。そしてすぐに自分もこの檻の住人なんだと理解した。


 「あの…」


 誰かに状況を尋ねたくて伸ばそうとした手には赤黒い色をした重い手枷が嵌めてある。どおりで自由が利かないわけだ。それに手枷が嵌められた両手は自分が知るそれよりも随分と小さかった。


 「なにこれ。きゃっ」


 檻全体が大きく跳ねると小さな体の彼女は他の誰よりも高く跳ねてしまった。その衝撃で肩までの黒い髪が揺れる。


 どうしてこんなことになったのか。こうなった経緯を思い出そうにも、ここがどこなのか、自分が誰なのか、そして今までどうしていたのかも思い出せない。キンと耳鳴りが続く中でなんとか思い出したシーンといえば、暗い部屋の中で黒い恐ろしい顔をした男に剣で貫かれたことだけ。


 「そういえば…私死んだはずじゃ」


 死んだはずの自分がこんな見知らぬ土地で見知らぬ体で何をしているのか。彼女には少しも状況が飲み込めない。


 「うるせえよ嬢ちゃん。死ぬのはこれからだ」


 先ほどまで体を凭れかかっていたせいで不機嫌だった男がつぶやく。しかしそれは彼女に言ったようには聞こえなかった。




 檻から顔を出して見てみると、この檻は3頭の馬に引かれた荷馬車の一部だということがわかった。つまり自分は今、何処かの誰かに捕られられ、そして輸送されている最中ということになる。やけに顔に当たる日差しが痛い。焼けつくような日光に時折瞼を押し下げられながら、過行く街の様子を見ていた。時折強く揺れるのは、お世辞にも綺麗に舗装されているとは言い難い石畳のせいだろう。それに建物のほとんどが石造りだ。


 「痛っ」


 通りを歩く男が投げた小石がおでこに当たって、血が一筋流れる。そんな様子を見て男は喜び、周りは嘲笑している。


 「私、身分はどうも高くないようね。まあ檻の中だし当然っちゃ当然か」


 おでこを自分の二の腕に押し付けて、垂れてくる血を拭った。手枷のせいでうまく腕を持ち上げられなかったからだ。自分の着ている服を見ると麻でできた袋を頭から被ったような恰好をしていて、ずいぶんと汚れている。周りの人間も大体が同じような格好だ。擦ってみたが汚れは落ちる気配がなかった。もちろん下着もつけていなければ、靴も履いていない。


 ―ここには下着はないのかしら。


 通りに目を戻すと、重そうな荷物を肩に担いて運ぶ男は上半身が裸で、硬そうな生地のズボンを着ているだけだった。


 「あれ、ブレーかしら。あっちの子は木靴を履いているし、チュニックを着ているわ」


 多少のばらつきはあるが、人々の着ている服は大体似たようなものだった。それは自分がよく見知ったものではない。と言っても自分が誰なのかわからない少女にはこの記憶が誰のもので、正しいものであるか確かめようがないではあるのだが、妙に確信的で生々しい記憶なのだ。


 「古代…いえ、中世中期に近いかしら。それにしても妙…」


 一瞬ぐらっと視界がゆがむと、体が揺さぶられたような感覚でしりもちをついた。どうやら荷馬車が止まったらしい。視界の開けた広場のような場所でこれまで自分たちを引いてきた馬たちが荒々しく水をがぶがぶ飲む音が聞こえる。


 「なんだお目覚めかい?お嬢じゃん、キヒヒヒ」


 下卑た笑い声と一緒に太った中年の男が乗馬鞭をぺしっと鳴らしながら現れた。この男は先ほどまで馬を走らせていた人物であると見て取れる。そして「お嬢ちゃん」という年齢的にも自分に話しかけているのだろう。聞きたいことは山ほどある。少女は何から聞こうかと迷っていると、男のほうが話を続けた。


 「なんだ、ママやパパと離されちゃ怖くて声も出ないか?でも安心しろ、これからお前が行く新しい家では新しいパパがたっぷり可愛がってくれるぜ?とんだ変態野郎だろうけどなぁ!キヒヒヒ」


 男が話し終わるまで黙って聞いていた少女は「ふぅっ」と小さく息を吐きだしてから話した。

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