22.帰還

 ヴァルター公爵家では公爵夫人が外に出て待ってくださっていた。到着したら彼女はすぐに駆け寄って抱きしめてくれた。私よりも、夫人の方がずっと不安に思っていたようで、「無事でよかった」と何度も口にされた。


 私は公爵夫妻や令息方と一緒に食事をとったり、お話をした。公爵夫人が書斎を案内してくださり本を読んで過ごしたりもしたが、ちっとも文字が頭の中に入ってこなかった。


 どこかそわそわしてしまい、落ち着くことができなかった。


 公爵夫妻の元で安全に過ごしているうちに、アレクシス殿下やブラントミュラー卿が戦っているのだ。自分の無力さを思い知らされる。

 そのことを夫人に漏らすと、それが彼らの仕事だから任せるものだと言ってくださった。



 ◇



 翌日、我が家に帰る道は、しんとしていた。

 ブラントミュラー卿ともう2人の護衛騎士が迎えに来てくれて歩いているのだが、人の気配が全くしない。


 もともと人気のない地域ではあったが、掃討作戦のため、近くに住む人たちには外に出ないように指示していたそうだ。 

 地方の傭兵が雇われていたようで、護衛騎士も数人が負傷した。たいした怪我ではなかったとブラントミュラー卿は言うが、それでも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 

 

 アレクシス殿下のお姿はなかった。

 今は昼間に捕まえた傭兵たちから話を聞いているところらしい。


「ブラントミュラー卿、今回の一件にかかわった関わった人物を洗い出して報告していただけませんか?」

「承知しました。記憶のことですね」

 

 結びネクトーラの魔法使いと王族の間で交わした約束がある。

 もし乙女ヒロイン候補に危害がおよぶ可能性があれば、記憶に触れることを許してもらうのだ。


 ただ、できれば使いたくない魔法だ。

 記憶を消すというのは、人と人の繋がりを消すのと同じ行為である。それは大いなる力の望むことではない。 


 やがて目の前に見慣れた赤い屋根の建物が現れると、不意にブラントミュラー卿が歩みを止めた。彼の顔を見る間もなく、視界が急に暗くなった。ブラントミュラー卿が私の頭を自分の方に引き寄せてきたのだ。


「残党か」


 そう呟いた彼は片手で私を庇ったまま、もう片方の手で剣を握る。間近に聞こえる固く冷たい音に、思わず身を固くしてしまう。他の護衛騎士たちが動き始め、剣がぶつかり合う音が聞こえてくるのだ。


 私はブラントミュラー卿に隠されていて、相手がどれくらい居るのかはわからない。ただ、他の護衛騎士たちが食い止めてくれているようだ。


 しかし、ブラントミュラー卿の腕の力が強くなるのを感じ、彼が動いた刹那に私は襲ってくる相手の姿を見た。

 平民の服を着ているけど、この辺りで見たことのない顔だ。恐らく、ブラントミュラー卿が言っていた傭兵なのだろう。



 怖い。


 

 他の言葉は出てこない。ただただ、怖かった。

 目を閉じることもできず、私は眺めることしかできない。視界に入ってくる人影は恐怖心を煽る。


 しかし、このまま何もしないでいると私はブラントミュラー卿の脚を引っ張るばかりだ。


 どうにか意識を立て直して、ブラントミュラー卿たちの役に立てる魔法が使えないか考えていると、私たちの近くに眩い光が現れた。その中から続々と人が出てくる。


 転移魔法だ。


 中から出てきた人たちは騎士の服を着ている。彼らは傭兵を取り囲んだ。そのうちの1人が次々と周りの傭兵に斬りかかり、相手の手から武器を落としていく。傭兵が逃げようとすると足を斬りつけている。


 手練れの騎士。

 傭兵を相手にしているということは、私たちの味方なのだろうか?


「殿下! どれほどの距離を移動されたのですか?!」

「早く行け、ルートヴィヒ!」

「……かしこまりました」


 殿下? 

 目の前にいるこの人が?


 ブラントミュラー卿の言葉に耳を疑った。

 殿下は今、ヘーゲル辺境伯領に居るはずだ。しかし改めてそのお姿に視線を走らせると、その服に王家の紋章がある。


 本当に、殿下だ。

 一見しただけでは気づかなかった。


 殿下だとわかっているはずなのに、まだ自分の目が信じられない。

 

 いつもはティーカップを持っているその手には剣が握られている。それも、煌月の光に濡れた刃にはべっとりと液体がついているのだ。

 お召しものから覗く白いシャツの襟や袖には赤い色が点々とついているのが見えた。それは、彼の顔にも。

 金糸のような髪は今や乱れており、そこから覗く蒼い瞳は獲物を狙う猛獣の如くギラギラと光っている。


 今まで目にしてきた御姿とは、あまりにもかけ離れていた。それに、あんなにも鋭い声を聞いたことがなかったからますます別人のようにも思える。


 情けなくもただ茫然と立ち尽くしていた私は、ブラントミュラー卿に肩を掴まれて家の中に連れていかれた。

 彼は扉の方に指先を向けていくつか呪文を唱えた。すると、外の音が全く聞こえなくなる。まるで、この家が切り取られ無音の世界に移されたかのように。


 ドアノブに手をかけても全く扉が開かない。窓から外を見ようとすると、ブラントミュラー卿が腕を掴んで離してきた。


 殿下はまだ外で戦っている。それなのに、ずっと彼を守ってきた護衛はここにいる。

 体温が引いていく。どれだけ押さえても、体の震えが止まらない。


 殿下は外に取り残されているのに。


「ブラントミュラー卿、早く殿下をお守りください!」

「仲間がいますので心配いりません」

「殿下に何かあったらどうするのですか?!」

「殿下は十分お強いです」


 大切な主が外で敵と戦っているというのに、私を見つめる金色の瞳にはどこか余裕があった。彼の言葉に納得できたわけではない。しかし、なす術もない上に肩を掴まれたままのため、私は戦闘が終わるのを待つしかなかった。


 どれくらい時間が経ったのかわからない。

 私たちはただ息を潜めていた。


 やがて扉を叩く音がしてブラントミュラー卿が窓越しに相手を確認する。彼は小さく頷くと、開けて相手を招き入れた。入ってきたのは護衛騎士だ。


「殿下はご無事ですか?」


 ブラントミュラー卿より先に聞いてしまったが、護衛騎士は微笑んで答えてくれた。


「ご無事です。いましがた王城にお戻りになられました」

「良かったです」


 すると急に、護衛騎士は神妙な顔になった。


「マクシミリアン殿下からブルーム様に言伝をいただいております」

「どのような伝言ですか?」


 先ほどの殿下の御顔が脳裏をよぎる。何か、緊急のご要望があるのかもしれない。クラッセンさんの無事を確認したいのだろうか。それとも、負傷した騎士への薬のことだろうか。


 ごくりと唾を飲む。


「ただいま、と仰っていました」

「……へ?」


 あまりにも予想外な言伝に拍子抜けしてしまった。これまでの、いつもの殿下らしい言葉である。


 先ほど現れたのは、全く知らない殿下だった。鋭く、猛々しくて、冷たい瞳で相手を圧倒させるような御姿。

 それでも、彼は彼のようだ。まるで人が変わってしまったようだけど、戦いとなるとそうなるのだろうか。ブラントミュラー卿は変わりなかったのに……。

 

 私の反応が面白かったようで、護衛騎士は笑い声を漏らす。

 

「笑ってしまいすみません、実は私もあれだけ殺気立った殿下がそう伝えるよう仰ったので思わず聞き返してしまったくらいです。あんな顔見せられた後に言われても、怖くておかえりなさいだなんて言えませんよねぇ?」

「で……殿下はあのような御顔もされるのですね。私、別人かと思ってしまいました」

「どちらも殿下です。とても強いお方なのですよ」


 ブラントミュラー卿は目を細めてそう言った。


 私はブラントミュラー卿と護衛騎士に付き添われて、そのままブラントミュラー邸に泊まることになった。


 助けていただいたことへの感謝を殿下に伝えられないまま。

 だから私は、手紙を闇夜に放った。



 おかえりなさいませ、と最初に書き出して。

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