28.ナタリーお姉さまの心得
一難去ってまた一難、と言うべきなのかもしれない。
殿下のことでまた悩まされているような気がする。
プロポーズのこと。
視察に行くのに一番の護衛を残していくこと。
そして最新が……いささか、いや、かなり耳を疑ってしまうあのお言葉。
侮蔑した顔も素敵でしたってどういうこと?
取り乱した顔が見たかったってどのような心境なの?
私の知る殿下は、王子様の鑑のようなお方。気品があって、いつも笑顔で……だから何かがあってあのようにお人が変わってしまったとしか思えない。
無礼を承知でブラントミュラー卿に、殿下が頭を打たれたのではないかと聞いてみたのだが、何事もなく通常通りだと言われてしまった。
殿下のことがますますわからなくなってきた。
◇
「ナタリーさん、マフィンが焼きあがりました!」
「ありがとう! 手伝ってくれるのは嬉しいけど、ちょっと休んだらどう?」
ナタリーさんは私の肩に手をかけて椅子に座るよう促してくる。私としては手持ちぶさただと落ち着かないのでこのまま作らせてもらいたいのだが、最近は無理をしすぎだと言ってどうも許してくれない。
今日はクラッセンさんがアイメルト家に遊びに来る日だ。
実は以前、クラッセンさんと歩いているところをナタリーさんが見かけたそうで、アイメルト家で一緒にお茶しようと提案してくれたのだ。
娘の友だちはぜひ招待したいのだという。
今日は休日でシャトー・ベルベットもお休みのため、朝から準備をしてくださっている。
エーミールさんが飾るお花を買いに行っている間に、私はテーブルクロスを引いたり部屋を飾りつけたりナタリーさんのお手伝いをしているのだ。
コトリと音を立ててマグカップが目の前に置かれた。ぽってりとしたマグカップの中には、甘い香りを放つココアが入っている。
お礼を言えば、ナタリーさんは片目を瞑って返してくれた。
「ところでリタ、あの薔薇の好青年くんは何者なの? 2人で居るところにエーミールが出くわしちゃったんでしょ? あの後エーミールったら狼狽えちゃって、手に持った卵を全部落としちゃったのよ」
薔薇の……オスカーのことかもしれない。
エーミールさんにはちゃんと友だちだと伝えたのに、やはり父親の勘のせいで不安が残っているようだ。
私とオスカーはそんな間柄ではないのに。第一、オスカーは私のことを異性として全く見ていなさそう。でなきゃいきなり頬を抓ってこないはずだ。
「友だちです」
「ふぅ~ん? 白い薔薇をくれたのに?」
白い薔薇の花言葉には”深い尊敬”や”私はあなたにふさわしい”といったものがある。
ナタリーさんは深読みをしすぎだ。そもそもあれはオスカーのお師匠様がくださったものだ。
それにオスカーは薔薇を育てるのは得意だけど、花言葉には無頓着な奴だ。
「あれは彼のお師匠様がくれたんですよ」
「あら残念。彼はこの前の子じゃないのね。ときめくお話が聞けると思ったのに」
「この前の子、ですか?」
「あなたにプロポーズした子、いたでしょ?」
「あ、あれは私の友だちの話ですよ?!」
「あら、お母さんを騙そうとするなんて100年早いわよ?」
ナタリーさん、鋭い。
全て見透かしていそうで怖い。
平常心を装って否定するのだが、彼女は納得がいかないようだ。いじけたように口を尖らせる。そんな様子は可愛らしくも色っぽい。
ナタリーさんはエーミールさんとどのような恋をしてきたのか気になる。
前に聞いた時は、ナタリーさんが一目ぼれして両親の反対を押し切って彼と一緒になったと聞いたけど……。
どのような出会いだったのだろうか?
そんな第二のお母様はどうやら娘の恋のお話が聞きたくてたまらないようです。
「じゃあ、黒髪で背が高くてしっかりした感じのあの人は? よく一緒にいるわよね?」
ぶ、ブラントミュラー卿のことだ。
淑女としてはあるまじきことだが、私は口に含んだココアを吹き出しそうになった。
彼との仲を疑われるなんて予想外だが、確かに彼とはよく一緒に行動しているしシャトー・ベルベットの前もよく通りかかっていたから気になったのかもしれない。
傍から見ると彼の方がエーミールさんから疑われそうだ。
今度から気をつけよう。
エーミールさんの目に留まったら今度は小麦粉が犠牲になりそうである。
「あの人は仕事関係の人ですよ」
「もぉ~! リタってば仕事のことばかりね。良い人はいないの?」
良い人……今は初めての仕事中だし自分の恋愛なんて全く考えていなかった。
「仕事が落ち着いたら探します」
「そういうのは探して見つかるものじゃないのよ~?」
「今は仕事をこなすのが精いっぱいなので」
「仕事で蓋をして気づかないでいてはダメよ?」
ずいと顔を近づけられる。冗談めかした声のはずなのに、その表情には気迫があってたじろいでしまう。じりじりと詰め寄られて絶体絶命だったその時、ドアノッカーの音がした。
逃げるように飛び出して扉を開けると、クラッセンさんが立っている。
クラッセンさんは私の救世主です。
「まぁ! すっごく可愛い子ね! 遠目から見ても可愛いなって思ってたけど、近くで見るとなおさら可愛いわ!」
「そ……そんな……私は……そのっ!」
ナタリーさんはクラッセンさんに抱きついてスリスリと頬ずりしている。困惑したクラッセンさんは顔が真っ赤だ。
そうでしょう?
私が選んだ
思わずニヤリとしてしまう。
やがてエーミールさんが帰ってくると私たちのお茶会が始まった。
クラッセンさんはシャトー・ベルベットのケーキのことをお客様から聞いていたこともあり、ナタリーさんやエーミールさんが用意してくださったケーキを嬉しそうに頬張った。
その笑顔を見たエーミールさんたちも嬉しそうだ。
「それにしても、あなたたちまだまだ他人行儀ね。名前で呼び合ったらどうなの?」
「ブルームさんを名前で呼ぶなんて恐れ多いです!」
「ふふ、それならさん付けしてみたら?」
どうしよう……お客様を慣れ慣れしく呼んでも構わないのだろうか?
お師匠様は時と場合によって
「リタ……さん?」
迷っていると、彼女の方が先に上目づかいでそう呼んでくださった。
反則級に可愛らしい。
「なんだか心の距離が近くなったみたいで嬉しいですね」
クラッセンさんもといフローラさんはふわりと笑ってそう言った。
彼女の言葉に、心の中で何かがストンと落ちた。
私はまだ、フローラさんとの間に距離があったのかもしれない。
彼女はお客様だからと適切な距離をとっていたのは確かだけど、それが彼女に遠慮をさせてしまっていたようだ。
「そうですね、フローラさん」
名前を口にすると、確かに彼女との距離が近くなった気がした。
「それではこれからは乙女たちだけで話させてちょうだい」
「え~、残念だなぁ。後で聞かせてね?」
ナタリーさんが張り切る一方で、エーミールさんが寂しそうに部屋を出ていく。私とフローラさんは顔を見合わせた。
それから始まったのは、ナタリーさんお待ちかねの恋の話である。
初恋の話や、今好きな人はいるかなどぐいぐいと聞いてくるのだ。クラッセンさんは気圧されながらも、ぽつぽつと話してくださった。
なんと今、気になる方はいらっしゃるようなのだ。
以前はいないと言っていたのに……ということはもしや、殿下は意中の相手としての位置にいらっしゃるのだろうか?
「そのお方はどんな方ですの?」
「リタさんもご存知の方ですが……その……」
頬を染めて俯かれるフローラさん。私とナタリーさんは思わず目元をほころばせてしまう。
この様子、まぎれもなく恋する女の子だ。
いろいろと心配していたけど、どうやら上手くいっているようだ。
……ただ、どうしてだろう。何かが引っかかっている。
プロフェッショナルの勘を働かせてみるが、どうにもわからない。
その違和感の正体がわからないまま、楽しいお茶会は終わった。
フローラさんをお見送りして彼女の姿が見えなくなると、ナタリーさんはこちらを向いた。その視線に、なぜか肩がピクリと動いてしまう。
「さて、リタは居残りよ。私たちに何か隠しているでしょう?」
ナタリーさんの背後に得体の知れない影が見える。
第二のお母様もまた、強者である。
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