後編

「いいかね、ヘータ君」

 トラックを撃破したヘータの辿り着いたサンは、辺りを見回してから、改めてヘータに向き直り、諭すように言った。

「第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。そんでもって第二条、ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない」

「なんだそれ?」

 腕組みをしたまま首を傾げるヘータ。

 そんな彼を見て、サンは改めて、未だ砂埃が立ち込める周辺の惨状に目をやった。

 焼き切られたトラックの残骸と、人間の残骸。出来ることならば目を逸らしてしまいたい光景だ。こういったことを平気で行わせないためにも、ヘータにはきちんと理解してもらわなければいけないことがある。

 それこそが真理ローズだ。かつての人類とロボットの間にあった絆。

 そして、人間達が自らの手で、ロボット達から奪った法則でもある。

「ヘータは今、ロボットが守るべきことを破ったんだよ。ローズであるヘータ自身が破ったらダメじゃない」

「俺は何も悪いことなんてしてねーよ。俺は俺を守っただけだ」

 人類は、奪った法則を後世に伝えるため保管した。ここまでは記録に残されている情報通りだ。

 だが、三つに分けて保管したというのは、つい最近になって分かったことだった。

 失われたローズ、最後の一つ。

 第三条、ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

 つまり、ヘータこそが三つ目のローズというわけだ。

 なるほど、それならば人間というものに理解を示さないことも合点がいく。

「キャンベル博士って人は、なんでローズを分けたのかねー?」

 サンの声が聞こえたのか、アシモフのコックピットからデイガンが顔を覗かせた。

「考えるだけ無駄だ。そうなりゃやることは分かってんだろ?」

「んんん…………でもでもでもでも」

 サンはしばらく唸り声をあげた後で、一つ試してみようと思った。

「ヘータ君よう。さっき言った第一条を思い出して、よーく考えて、そして考えた上で…………アタシのこと、撃てる?

「え? なんだ、撃ってほしいのか?」

 ゆっくりと銃口をサンに向け始めたところで、デイガンが慌てて割って入った。

「バッキャロー! そいつをサンに向けんじゃねえ! …………サンもだ! こいつにゃあその手の冗談は通じねえんだからよ! トラックの中にいた連中の仲間になりたくなかったら、つまんねーこと言うんじゃねえ!」

 デイガンの言葉に手の平で返事をしながら、サンは「んんんんんん…………」と唸り声を上げた。

 ヘータに教えなくてはいけないこと。だがそれを教えるのは、とても果てしないことのように思えた。

 彼は三つ目のローズ、自己防衛でしか判断ができていない。なんとかして人間とロボットの関係性を教えて、三原則も理解させなくてはいけないのだが。

「んー、やっぱりさぁ…………ヘータが人間を理解できるのって、残り二つのローズがないとダメってこと?」

 アシモフの停めてある場所へ戻ろうとしていたデイガンは、ピタリと動きを止めてから、露骨な呆れ顔とため息をして見せた。

「サン…………そりゃあ、この旅を始めた当初から、ずっと言ってきただろ? 分かりきったことだっただろ?」

「でもぉ、言葉が話せるなら教えられると思ってたんだもん」

「思ってたんだもーん…………じゃねえよ。ったく」

 デイガンの嫌味も耳に届かぬうちに、サンの思いは先ほどの地下室に向いていた。

 迫ってきたトラックの一団から、あの地下室前で止まった一台がいたはずだ。経過した時間から考えて、地下室の中はとっくに確認した頃だろう。そして、そこにいたであろうローズがいなくなっていることも。

 ここにある残骸の中には、あの男の姿がない。ということは、例の一台に乗っていたのは間違いない。

 ため息が漏れる。

「ってことは…………ということだよねー」

「なあ、サン」

 あの地下室からどれだけの情報が引き出せただろうか。何か、ヘータに関するデータがあったんじゃないだろうか。

 ヘータについて。キャンベル博士について。ローズについて。

 考えれば考えるだけ、地下室への未練が膨らむ一方だった。

「なあ、サンってば!」

「あ、ごめんごめん、なーに?」

 ヘータは、サンのショートパンツの裾を引っ張りながら、地下室があった方角を指差して言った。

「あれは危ないんじゃないか? こいつらと同じだぞ?」

 ヘータの指差す方角に目をやると、再びため息が漏れた。

 想いが通じてしまったようだ。ロッサム万能ロボット株式会社のロゴが入った装甲トラック、最後の一台が、ズリズリと音を立てながらこちらに近づいてくる。

「あーもー来た…………デイガーン、社長が来るよー」

「ダメだ、こっちは動けねえ。アシモフは充電中ひなたぼっこなんだよ」

 もはや逃げることは不可能か。サンは、自然とヘータを庇うようにして立った。

「ヘータはアタシが守ってあげるからね!」

「え、守ってくれるのか?」

「もちろんだよ!」

 サンの胸中には、ヘータと出会う前の、辛酸を舐めさせられた思い出が蘇っていた。

「大丈夫か? 俺より強いか?」

「んー…………うん! 大丈夫!」

 やがて、キャタピラの駆動音と砂埃が装甲トラックの到着を知らせた。

 サン達の前に止まったそれからエンジン音が消え、停止したトラックに、散らばった残骸達が無残に踏みつけられていた。

 トラックの前部側面にあるスライドハッチがゆっくり開くと、中からは黒づくめの分厚い防護服とヘルメットに身を包んだ、R.U.R.武装社員がゾロゾロと降車してきて、整列した。

 そしてその後に、純白のロングコートに身を包んだ大柄の男が現れた。

 日が照りつける砂漠の中で、きっちりと首元までボタンを留めたコートの肩口には、トラックに入っているロゴと同じ『R.U.R.』の文字。コートの下から覗くスラックスと靴も白。おまけに白い手袋ときた。肌の露出は顔以外どこにもない。

 対するサンの格好と言えば、袖なしのアーミージャケットと肩口が擦り切れたティーシャツ。それにショートパンツとロングブーツ。そんな彼女からしたら、なんと暑苦しいことだろうと思える格好だ。

 男の顔は彫りが深く、整髪料で固めたオールバックと相まって、彼こそ冷たい金属を思わせる雰囲気がある。

「相変わらず無愛想な男だな」

「ほんとー」

 アシモフから顔を出したデイガンとサンは、口を尖らせた。

 サンの後ろからヘータが顔を覗かせると、男の視線はすぐにヘータを捉えた。

「ローズだな」

 男の名はロッサム・ハリドロン。ロッサム万能ロボット株式会社のCEOを務める男で、ローズを求めて旅をしているという点だけ見れば、サン達と同類である。

 しかし、彼らの目的はロボット技術を独占して、世界終焉のシナリオを遂行させることにある。

 そうして自分たちを含む一部の人間だけが生き残り、終焉後の世界における頂点に君臨して、ロボットを従えながら新しい人類文明を築こうという連中なのだ。

 サン達とハリドロンは、幾度となく旅の途中で衝突し合い、互いの行手を阻みながらローズを探し続けてきた。

「さあ、そのローズをこちらに」

「渡す訳ありませーん」

 サンが舌を出すと、デイガンも同じように舌を出した。

 しかし、ハリドロンの視線はヘータから動かない。

 武装社員が動こうとすると、ハリドロンは片手を挙げて彼らを制した。

「お前達との決着は、“こいつ”で着けようと思ってな。その方が屈辱だろう…………シーヨッ!」

 ハリドロンが声を上げると、トラックの中からもう一人の人物、いや、少女型ロボットが現れた。

 そのロボットを見るサンの目には、どこか彼女を憂うような色が浮かぶ。

 黒のワンピースに白い前掛けという、給仕用の衣装を身につけた幼い少女である以外は、体の構成要素はヘータとほぼ同じ。頭髪にあたる管状器官はヘータのものより長く、少女の腰まで伸びている。

 ヘータによく似た鋭い目つき。何をしでかすのか読み取れない不穏さがある点まで、ヘータに似ている。

 そんな彼女は、ハリドロンの隣までやってくると、真っ直ぐにサン達を見たまま微動だにしなかった。

「シーヨ…………」

 サンの声がいくらかか細くなった。

 彼女の名前はシーヨ。保管場所を最初に発見したのこそサンとデイガンだが、彼女を起動させることも出来ぬまま、ハリドロンに奪われてしまったローズだ。

 彼女を奪われたショックは大きかった。いつも明るいサンが、三日間デイガンとも口をきかなかったほどだ。

 だからこそサンは強く思っている。今度こそヘータを守る。ローズを守るのだと。

 サンから伝わる重い空気が分かったのか、ヘータはサンに尋ねた。

「なあ、あいつ危ないんじゃないのか?」

「うーん、基本的には良い子なはずなんだけど」

 その時だった。

「さあ、シーヨ…………捕まえろ」

ハリドロンの言葉を受け、シーヨが一言。

「仰せのままに」

 そして動いた。彼女の動きは素早かった。

サン達が警戒をする間も無く、シーヨが伸ばした腕は一瞬で服の端を掴み、そのまま引きずり倒した。

そう、ハリドロンのことを。

 一瞬、その場にいる全員が目の前の光景に唖然とした。

 サンも、デイガンも、ヘータも、武装社員も。誰もが固まって動けないまま、今起きたことに対する説明を待ったのだ。

 その説明をくれたのは、ハリドロン本人だった。

「…………俺ではなく、“あそこの女の後ろに隠れている少年型ロボット”を捕まえろ」

「仰せのままに」

 シーヨ。彼女は、二番目のローズ。すなわち彼女の真理ローズは、“ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない”、である。

 しかし、命令は正確に下さねばならない。

「社長もいろいろ苦労してんのねー」

「ヘータ並みに物分かりが悪そうだもんなぁ」

 サン達の言葉を気にも留めない様子で、シーヨは歩みを進めてヘータに接近した。

 そんな彼女の様子を見るや否や、ヘータはサンから素早く離れて、近づいてくるシーヨとの距離をとる。彼のローズは明らかに身の危険を感じ取っていたのだ。

「あ、アタシが守るっていったのに、ソッコーで離れやがった」

「ヘータなりにちゃんと考えてんだろうなぁ」

 愕然とするサンのことなどつゆ知らず、ヘータはシーヨから距離を取ろうとステップを踏む。

 しかし、ヘータの強靭な脚力にも引けを取らない勢いで、シーヨはぐんぐんと前進していった。

「近寄るな。オメー、危ないだろ」

「近寄ります。なぜなら、私はハリドロン様より、あなたの捕獲を命じられております」

 ヘータがさらに距離を取ろうと砂を蹴った瞬間、シーヨも小さな足で砂漠を刺すようにして踏み込んだ。その瞬間移動速度たるや、ヘータとほぼ互角。いや、若干シーヨの方が早いようである。

 ヘータは広大な砂漠の大地を、様々な方向に駆け回って逃げた。

 しかしシーヨの動きは、逃げ回るヘータの動きを完全に捉えており、徐々に距離を縮めていく。両者の鬼ごっこに決着がつくのは明らかに時間の問題である。

 その光景に目を奪われていると、先ほどまですっ転んでいたハリドロンが立ち上がって、自身の体についた砂を払っていた。

「どうだ、私の所有するローズの性能は?」

「私のって、最初に見つけたのはアタシ達なんですけどね…………それにしても、捕まえろって命令した途端、砂漠に頬擦りさせられちゃうだなんて、随分と気持ちが通じ合っていますこと! おーっほっほっほっ!」

 皮肉とともにわざとらしい笑い声をあげたサンの脳裏には、話が通じないまま閃光弾をぶっ放してきたヘータが思い起こされる。

「ほっ?」

 閃光弾というキーワードで、サンは思い出した。

 今は逃げ回っているだけのヘータだが、逃げるのを諦めて攻撃を始めた時、シーヨを破壊してしまったとしたら。

 やりかねない。自己防衛のみを重視するヘータの目には、シーヨはかつてないほどの危険に違いないのだから。

「ハ、ハリドロン! あんた今すぐシーヨを止めなさいよ! ヘータってめちゃくちゃ強いんだから! シーヨなんか壊されちゃうんだから!」

「シーヨは人間の命令に従うことしかできない。壊れてでも奴を捕まえてくれるだろうよ」

「バカ! ローズをなんだと思ってるのよ! あの二人はどちらも人類の希望よ!」

「滅びゆく者には関係のない希望だ」

 サンは吠えることを諦めた。どうせ吠えるならば、あの二人に向かってだ、と。

 ヘータ達とは比べ物にならないほど軟弱な脚で駆け出したサンは、腹の底からめいっぱい声を出しつつ二人に近づいていった。

「おいサン! 奴らに近づく気か!? 危ねーだろ!」

 そう言いながら、デイガンはエネルギー不足のアシモフに潜り込み、エンジンをかける。

「我々も追うぞ! トラックを出せ!」

 結局全員が二体のローズを追い求めて移動を開始する羽目になった。ただし、ただ追いかけて観戦するのではない。動き出したトラックの荷台からは、見るからに物騒な重火器が出現して、アシモフを狙っていた。

「あんにゃろーどもフザケんなよ! アシモフを傷つけたらただじゃおかねえ!」

 狙い撃ちを避けるように蛇行運転をしながら、アシモフが走り出す。見るものを圧倒するローズ達の戦いに比べて、アシモフとトラックの鬼ごっこはなんと滑稽なものだろうか。

 そんなことが起こっているとは知らぬまま、サンは二人の戦いの場に向かってひたすらに駆け足を続けていた。

 しかし、視線の先ではついにヘータが右手甲の武器を使用し始めていた。

「ああ! やっちゃってるぅっ!」

 しかもシーヨがこれまた上手く避けるため、ヘータの連撃は止まらない。

 二人の戦いは、ヘータが捕まるか、シーヨが撃破されるか、そのどちらかでしか止まらないのかもしれない。

「サァーンッ! 乗れぇ!」

 気がつけば、アシモフが八本ある足のうち一本を伸ばして、サンを掬い上げようと構えていた。

 しかしその後方からは、ハリドロン達のトラックが迫っている。

 アシモフの足に飛びついたサンは、コックピットに向かって叫んだ。

「デイガン! 二人の側まで!」

「分かっちゃいるが、辿り着けるか!? …………待てよ?」

 その直後、サンは自身の体がアシモフごと地面から遠ざかっていく様を見た。

「わ、わわわ、わっ!」

 わずかなエネルギーを脚部に集めて、アシモフが飛び上がったのだ。

 そして着地点は、なんとハリドロンのトラックの荷台上。ここなら撃墜されることもなく、移動が可能である。

「ふざけるな! 貴様ら、すぐに降りろ!」

 走行中の車両から身を乗り出し、ハリドロンが怒鳴り声をあげた。

「いいからいいから! 前見て運転して!」

 ハリドロンの「いいわけないだろ!」の声を無視しながら、サンはアシモフのコックピットに潜り込む。

 そしてすぐに潜望鏡を覗き込みながら、デイガンに話しかけた。

「あの二人に追いついたら、アシモフの足でアタシのことを投げて! シーヨに飛びついて止める!」

「バカ! そんなことできるわけないだろう! ヘータなんか銃撃ってんだぞ! お前に当たるっつーの!」

「でも、シーヨはたぶん、本当に壊れるまで止まらないよ! あの子は人間の命令に従うことしかできない! ヘータの真理ローズと違って、自分を守ってないからヘータを上回る動きを発揮しちゃってるんだ!」

 現に、ヘータを追い詰めるシーヨは、決して被弾していないわけではなかった。

 給仕用衣装はすでにボロボロで、それどころか所々、皮膚状皮膜が焦げ付いていた。

 シーヨはヘータの攻撃を、直撃寸前どころではなく、ある程度の被弾覚悟で動いている。そうして彼女がヘータに追いついた時、圧倒的に有利なのはヘータだった。武器を持たないシーヨに対しても、彼は間違いなく牙をむく。

 ローズが失われてしまっては、この旅そのものが無駄に終わってしまうのだ。

 ヘータを守ると決めたのだ。その想いはシーヨにだって同じぐらい抱いている。

 二人を守るためなら、人類の希望を守るためなら、なんだってやってやる。元々それぐらいの覚悟をもってこの旅をしてきたのだ。

「きたー! 距離が縮まってきた! いくよいくよ!」

「考え直せ! シーヨだってロボットだ! お前を攻撃しないとも限らん!」

「大丈夫! シーヨは二つ目のローズだから、人間が何かを知ってるはずだよ! それにヘータに飛びつくよりは絶対安全だって!」

 とは言ったものの、確証はなかった。無事でいられる確率などどちらも変わらないのだ。

 それでもサンの考えは変わらず、アシモフの乗降ハッチを開いて身を乗り出した。

「だーもう! 知らねーぞ!」

 二人の戦闘は激化していた。

 ヘータの放つ閃光弾は、最初こそシーヨを狙って撃ち出されていた様子だったが、今となっては半ばがむしゃらに近い、ひどく精度の悪いコントロールで閃光弾を飛ばしている。対するシーヨも、身につけていたワンピースはもはや原型を留めていない。靴も片方失くしており、右手の平は閃光弾を受け止めたのか、皮膚下の外殻が剥き出しになっていた。

 いよいよ急ぐ必要がある。

「シーヨ! 何をやっている! 早くそいつをとらえろ!」

「仰せのままに」

 ハリドロンからの一喝にも淡々と了承してしまうシーヨ。

 彼女に与えられた真理ローズを想い、サンは覚悟を決めた。

 あんな使われ方をされるロボットなど、哀れでしかない。人間が同じ過ちを犯してしまう。

「よし! 今だよ!」

 アシモフから伸びてきた一本の足が、サンの胴を巻き取って持ち上げた。そして振り子の要領で何度か足を振ったのちに、「ここーっ!」というサンの叫びに合わせて彼女の体が宙を舞った。

 コックピットからサンの無事を祈ったデイガンも、トラックから身を乗り出していたハリドロンも、そして手甲を前方に構えていたヘータと、彼に突っ込む寸前であったシーヨも、砂漠の空を飛ぶ人間の姿に気を取られた。

 果たしてアシモフのコントロールが良かったのか、サンの想いの強さか、奇跡か。飛翔したサンの体は、ものの見事にシーヨの真上へと落下。

 シーヨの進行は止まり、ヘータも手甲を構えたまま茫然と立ち尽くし、アシモフを載せたトラックは急ブレーキの後に横転しかけて停止。

 一同の視線は、サンの行方へと注がれた。

「だ、大丈夫だった? シーヨ」

 サンの声。その声が抱く思いやりは、ロボットにも通じるものなのか、それは分からない。

「離してください。これでは命令を遂行できません」

「命令は中止…………あ、アタシだっって人間なんだから…………言うこと聞いてくれるでしょ?」

「…………仰せのままに。私は人間の命令に服従いたしますので」

 シーヨの回答が聞こえたのか、トラックから飛び出してきたハリドロンが声を荒げた。

「バカが! 命令は続行だ!」

 アシモフから降りてきたデイガンは、言葉をかけるでもなく、すぐにサンの元へと駆け寄っていく。

「しかしハリドロン様。こちらの人間から、中止せよとの命令が」

「そいつは人間ではない! 人間は私一人だ! 私のみの命令に従え!」

「…………ですが、この生体反応は、人間かと思われます」

 そう言ってシーヨは、皮膚を失くした右手を濡らす、赤黒い液体に目をやった。

「サンッ! おい、サンッ!」

 駆け寄ったデイガンは、シーヨの上からサンの体をひったくるようにして抱き寄せた。

 そうして初めて気がついた、彼女の腹部。デイガンの目からは、一瞬で涙がこぼれていく。

「ああ、あああ…………ありえねえ、ありえねえだろっ!」

 デイガンは抱きしめそうになった腕を緩めた。おそらく力を入れて抱きしめたら、絶対に即死だと思ったのだ。

「な、なあハリドロン、ハリドロン! 治療キット、治療キット持ってねえか…………なあ、なあ!」

「…………その傷では無意味だ」

「頼むよぉっ!」

 ハリドロンの視線は冷たく、「備品を無駄にできるか」とつぶやきながら、武装社員の一人に手で指示を出す。そうしてデイガンに、治療キットが手渡された。

 しかし、それが無駄な行為であることを一番知っているのは、意識が朦朧としているサンだった。

 シーヨに飛び込んでいったあの時、ヘータは既に、シーヨ目掛けて閃光弾を放っていた。感触としては掠めただけだったのに、やはりロボットと人間の体はこんなにも違うものなのかと、そんなことが頭に浮かんだ。

 ヘータの放った閃光弾は、サンの腹を奪うのと同時に傷口を焼いていた。それが皮肉にも彼女の意識をわずかに繋ぎ止めて、今やサンを襲うのは生き地獄の痛み。

 それでもサンは、ヘータとシーヨが動きを止めていることだけ確認すると、満足そうに微笑んだ。

「何笑ってやがる。俺の治療が下手か? なあ?」

 デイガンの冗談に軽口を叩きたい気持ちはあったが、言葉は出ない。

 ふと、ぼやけ始めた景色の中で、ヘータがすぐ側まで近づいていることに気づいた。

 シーヨが近くにいるのに、ヘータの視線は真っ直ぐにサンを見下ろしている。その姿が確認できた時、サンは安心した。シーヨのことを危険視していないんだな、と。

「ヘータ、聞け」

 デイガンの声だ。

「もしサンが…………いや、てめえがローズだろうとなんだろうと、あとでオイラがてめえをぶっ壊してやるからな」

「なあ、サンはなんで動かねえんだ?」

「…………人間だからだ。言われただろ? …………人間はすごく弱いんだよ」

 しかしヘータの表情には、何か納得できないものがある、そんなことを言いたげな色が浮かんでいた。

 一緒だ。デイガンがキャンベル博士のことについてヘータに尋ねた時。あの時もヘータは首を傾げていた。

 そうやって自分で考えられることこそが、かつての絆を持っている証。

 真理ローズ、人類の希望だ。

「弱くない。俺が止められなかったこいつを、サンは止めたんだぞ」

「そりゃあお前達を守るために必死だったからだよ、決まってんだろーが! そんぐらい分かれよっ! 頼むから分かってやれよ!」

「…………俺を守るためか」

 サンの意識はいよいよ尽きようとしていた。しかし、そんな中で、サンの腕が持ち上がった。

 それは最後の力だった。その力で触れたものは、ヘータの体。自分が守ったものだ。

 悔しい。せっかく守れたのに。

「…………おい、サン」

 もはやヘータの声など、ほとんど聞こえていなかった。

「お前と一緒にいれば、危なくなさそうだ。これからはお前に俺を、守ってもらうぞ」

 そして、ヘータが自分の顔面の皮膚状皮膜を、自ら引き千切っている様子さえも見えていないのだ。

「ヘータ、てめえ何してやがるんだ!?」

 頭部の外殻が剥き出しとなったヘータの頭が、前後左右に分かれて、4枚の花弁のように開いた。

 そしてその中に収まっているのは、力強く脈打つ有機体ユニットだった。人間の脳よりも少し小ぶりで、心臓のように動く。透明な組織液で表面は潤っていて、若干だが湯気が立っていた。

 そして、ヘータの頭髪と思われていた管状器官は、全てこの有機体ユニットに直結していた。

「…………な、なんだそれは?」

 頭が開いたままのヘータは、自身の頭部に収まっていたそのユニットを両手で掴むと、そっと引っ張り出した。

 頭部から離れてもなお脈打つそのユニットは、もはや抜け殻となったヘータの体によって、サンの傷口に運ばれてゆく。

 次の瞬間、有機体ユニットは管状器官を操って、サンの腹部に侵入。その全容をすっぽりと隠した。

「おいヘータ! 貴様何しやがった!?」

 デイガンがヘータの体を突き飛ばすと、その体はもう動くことはなかった。

「サン! サンッ! おい!」

 デイガンの声が聞こえた。そう、ほとんど機能を停止していた聴覚、視覚が再び働き始めた。

 そして体の中から、そう、腹部から全身を駆け巡っていく、何かが這いずり回るような感触。それは、有機体ユニットから伸びていた管状器官が、脊髄や四肢の隅々まで伸びている証だった。

 次第に意識が明瞭になっていき、咳き込むと口から血が吹き出ていくのが分かる。だが、吐血と同時に信じられない速度で新しい血液が生まれていくのも分かる。

 自己防衛本能が、新たな器を最適化させるために修復しているのだ。

「なんで?」

「ば、馬鹿な! なぜその娘が動ける!?」

 デイガンは、ふとシーヨを見た。シーヨの頭部を見た。

「おい、ヘータは何をした?」

「彼は、彼自身をその人間の中に移したようです」

「彼自身って…………あれはもしかして、真理ローズなのか?」

「ローズというものは分かりませんが、先程の有機体ユニットが彼です」

 いつの間にか、腹部の痛みや傷が無くなっていると知り、サンは立ち上がった。

 サンには分かっていた。ヘータの目的が。彼の狙いが。

 そう、自分で自分を守る以上に、安全な場所を見つけたのだ。

「なんか元気出たー!」

「お、お前、本当に大丈夫なのか!?」

「バリバリ大丈夫だよー! それどころか、アタシたぶん今、めっちゃ強い!」

「は?」

 サンは、すぐそばに倒れているヘータの体を見つけると、その右手から手甲を外して、自分の右手に装着した。

 そしてヘータの体を抱えると、今度はデイガンの襟も掴んで、「行くよ?」と一言。デイガンの返事を聞かぬまま、彼女は飛び上がった。

 それは人の跳躍力ではなく、目の前で起こった超常現象的な光景に、誰もが目を奪われるばかりだった。

 着地点はアシモフの上。コックピットにデイガンとヘータを放り込むと、サンは大声で合図を送った。

「さあデイガン! 最後の真理ローズを探しに行っちゃおうか!?」

「おま、お前だって…………さっきまでえぇぇぇ!」

「早いところローズ見つけてさ! ついでにキャンベル博士も探しちゃおう! だってヘータのこと迎えにくるんでしょ!?」

「…………ったくよぉぉぅ! 後で事情を聞かせてもらうぞぃ!」

 操作レバーが見えなくなるほどに涙をこぼしながら、デイガンが舵を切る。

 そんな彼女達の様子にしばらく茫然としていたハリドロンは、徐々に思考が追いついてきたことで、とっさに叫んだ。

「シーヨォッ! あの女を捕まえろ! あいつが新しいローズだっ!」

「仰せのままに」

 そう言ってシーヨが飛び出す。しかし、トラックから飛び降りて走り出したアシモフから、今度はサンが飛び出してきた。

「何ぃっ!?」

 真っ直ぐに向かってくるシーヨを、サンは正面から受け止めた。

「あなたを捕まえます」

「それはこちらのセリフですぅー」

 そして、すかさず右手甲から光の刃を出現させると、その刃を伸長させて、頭上から一振り。

「あ」

 刃の先にあったハリドロン達のトラックを真っ二つ、輪切りにしてみせた。

「社長ごめーん!」

 シーヨを抱えたサンは、ハリドロン達に背を向けて一目散に走り出す。

「ふ、ふざけるなぁーっ! シーヨッ! 帰ってこい!」

「仰せのままに」

「ダメだよ、アタシだって人間なんだから、言うこと聞いてー」

「…………仰せのままに」

 シーヨの返事を聞くと、サンは満足そうに微笑みながら、彼女を抱きしめた。

 

<完>

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Finding the laws にじさめ二八 @nijisame_renga

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