第58話  番外1. 《前編》

「はああっ!」

『ブギィィィィィッ!』


 薄暗く不気味な森の中。ザシュッと剣先が鋭い音を立て、目の前の魔獣を両断する。巨大なイノシシに似た魔獣は自身の流した血だまりに崩れ落ち、漸く周囲は静けさを取り戻した。

 神経を研ぎ澄ませて周辺を探るが、他に殺気を漲らせた気配はないようだ。

 足元には先に斃した魔獣の死骸が重なり合い、鉄錆に似た金臭さが充満している。


「ご無事ですか? ギル様」

「ああ当然。お前こそ怪我は?」


 血に汚れた草叢を掛け分けて姿を現した人物に訊ねられ、顎先に跳ねた返り血を手の甲で拭いつつ何ともないと答えると、侍従兼友人であるグイードは安堵の表情を見せた。


「私も大丈夫です。それにしても予定外の大物が出てきましたね」

「まったくだ。軽く小遣い稼ぎのつもりで受けたゴブリンの群れの殲滅依頼だったのにな。それがどうしてオーク退治になったのか」


 血振りをして剣を鞘に収め、代わりに腰に差していた小刀を取り出す。そして無残な骸となり果てた魔獣の元に近寄ると、二人してゴブリンは耳を、オークは尻尾を切り取った。

 ここ暫くずっと公務に追われて城に缶詰め状態だったギルバートは、とうとうストレスがピークに達し、グイードの反対を押し退けて、外に飛び出してきたのだ。

 たまりにたまった鬱憤を発散するためと実益を兼ねて、ギルドでやや低いランクの依頼を受け森に入り込んだのはいいが、殲滅対象の他にゴブリンを狙っていたオークとも遭遇してしまい、予定外の戦闘となってしまった。


「さて、この証拠品を持ってさっさとギルドに行くか」


 依頼が成功した証となる戦利品を、厳重に布で巻いてから鞄に仕舞う。これがないと本来の目的の”ゴブリンの群れの殲滅”に対する報酬も、突発となったオーク退治の報酬も貰えない。

 自分で自由に使うことができる小遣いをみすみす逃す手はない。ギルバートとグイードは一匹残らず証拠品を回収すると、満足の息を吐きだした。


「まあまあの稼ぎになったな」

「ですね。さあ、後片付けをいたしましょう。ギル様、もう少々下がってください」

「ああ、頼んだ」


 ギルバートが数歩後ろに下がると、グイードは左手の指輪に向かって詠唱を始めた。


「高潔なる炎よ。我が手に宿り、不浄を焼き尽くす力を与えよ」


 呪文を唱え終えた途端、グイードの左手は赤い炎を纏い、無残な残骸となったゴブリンとオーク、そして血肉で汚れた草叢へとその炎を放ち、一気に焼き尽くした。


「よし。次は俺だな」


 グイードが下がりギルバートが前に出ると、今度は彼が指輪に向かって詠唱する。


「清浄なる水よ…」

「ギル様、お力を抑えてお願いします」

「わかってる! …とと、清浄なる水よ。我が望みに応え奔流となりてここへ」

「奔流⁈」


 ギョッとするグイードを余所に、ギルバートが指輪へ力を込めた直後、肘から先に掛けて渦を巻くような水流が現れ、未だぶすぶすと燻る草叢に向かって水を放った。


「ギル様! 勢いが強すぎます! もう少し加減してください!」

「そうか?」


 早く帰りたい気持ちから、一気に洗い流してしまおうと少々魔力を多めに流したのだが、どうやら威力が強すぎたようだ。

 水を止めた時には既に後の祭りで、グイードによって既に消し炭となっていた骸はおろか、下草や低木が根こそぎ引き抜かれ、ところどころ枝は折れ曲がり、掘り起こされた土壌が水浸しでぐちゃぐちゃの状態となって広がっていた。


「…やりすぎたか?」

「明らかにやりすぎですね」


 顎先をポリポリと掻いて呟くと、眉間を指で押さえた苦悶の表情のグイードがやれやれと嘆息した。


「こうなったら長居は無用です。あなたの魔力に引き寄せられて、また魔獣と遭遇なんてことになるのは御免ですから。さっさと町へ戻りましょう」

「そうだな。とっとと換金してメシにしよう」


 青年二人は森をめちゃくちゃにしたことから目を背けると、すたこらと逃げるようにその場から立ち去った。



 *



 ギルドで証拠品を提示して依頼の成功を報告し、報酬を手に入れた二人はまず腹を満たすために町の食堂へ向かった。

 この辺りの名物だというウサギ肉の煮込みと、練った小麦粉を伸ばして焼いただけのパンでやや塩味が強い腸詰を巻いたものを注文し、口いっぱいに頬張ったそれを、どこかナッツの風味がするエールで胃袋へと一気に流し込む。


「か―――っ! 生き返る!」


 ジョッキをテーブルに叩きつけるように置いて、口の周りに付いた泡を手の甲で拭えば、向かいに座るグイードが「行儀が悪いですよ」と小言を言った。


「いいじゃねぇか、今ぐらい。帰ったらまた暫く公務以外で外に出られるのはいつになるかわからないんだぞ。少しくらい羽を伸ばしたって誰も怒らないさ」

「それは…そうかもしれませんが、せめてお兄ちゃんらしくあの方・・・の前では行儀よ~く手本となるようにお願いしますよ」

「ぐふ!」


 グイードにしては珍しい意地悪な顔でそう言われ、飲みかけのエールを吹き出しそうになったギルバートは、慌ててジョッキを下ろした。


「な、な、」

「隠さずともいいのですよ。知っておりますから。先ほどギルドで換金が済んだ後、珍しい薬草や素材は無いかと窓口で訊ねてましたよね?」

「それは…」

「ポーションならともかく、原料ですからね。誰への土産物なのでしょう?」

「…」


 意味深な視線にとうとう観念したギルバートは、まだ酔ってはいないにも拘らず、顔を赤らめてプイっと横を向いた。


「いや、暫く顔を見てないから気になっただけで。…ちょっと回り道して様子を見るくらいならいいじゃないか」

「まったくもって大賛成です。私もフィンが元気にしている姿を確認したいですから」

「なんだよ。結局はお前もか」


 二人にとってフィンは可愛い妹も同然だ。滅多に会えないからこそ、この機会を逃す手はない。

 彼らはニヤリと笑い合うと、ピッチを上げて料理を次々と口へ運び、ジョッキに残ったエールも飲み干した。

 

「では今夜は早く休むことにしましょう。ここからフォルトオーナまではそれほど離れていませんから、日の出に合わせて出発すれば明日の昼前には着くはずです」

「ああ。急に押し掛けたら、アイツ驚くだろうな」


 ビックリして紫紺色の目をまんまるに見開く従妹の顔を想像すると、ギルバートは今から会うのが楽しみで仕方がない。

 食堂を後にした二人は冒険者の定宿となっている宿屋に部屋をとると、娼婦たちの熱心な誘いもすげなく断り、翌日に備えてさっさとベッドに潜り込んだ。





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