第49話  異変

 ジョルジュに連れられて邸を後にし、馬車に揺られること丸一日。到着した場所は先の邸よりも新しいけれどやや小さい、白亜のお洒落な邸だった。


「トーマス、とりあえずこれ・・を、西側の客間に入れておけ」


 そう言ってトーマスに渡されたフィンは、邸の西側三階の角部屋に押し込まれた。


「すぐに作業部屋を用意しますから、それまではこの部屋でお待ちください」


 くれぐれもおかしな気は起こさないようにとトーマスに念を押され、更にドアの前には屈強な見張りを置かれた。

 メイドもおらず一人きり。静かな部屋は薄いピンクのカーテンや絨毯と、白い家具で揃えられた可愛らしい仕様。クローゼットの中には淡い色調のドレスが用意されており、ドレスに合わせたと思われるリボンも数種、キレイな箱に仕舞われている。

 窓辺に寄り外を眺めると、周辺は林に囲まれ人家は全く見つからず、遠くに赤茶色の岩肌が覗く山が並んでいる。


(きっとここ、わたしみたいに連れてこられた女の子のための部屋なんだ…)


 絶対に不可能だから逃げだすつもりはないけれど、もし部屋から脱出したとしても、邸から外に出ることはできないだろう。

 フィンは溜息を吐き、コツンと窓ガラスに額をぶつけた。


 ここに来る馬車の中で、フィンはジョルジュから今後の処遇を聞かされた。

 予定していた養女の話は別の少女に変更し、薬作り…主にポーションの制作をしながら、暫くは並行して魔力を安定して使えるよう訓練もするという。


『思い通りに回復魔法が使えるようになったら、お前には”聖女”として働いてもらう。高位貴族を中心に商売すれば、あっという間に大儲けできるはずだ』


 フィンの特徴である紫紺の瞳や銀灰色の髪はベールで隠してしまえば、正体がバレることはないと自信満々に笑っていた。


『口の堅い相手なら、”聖女との癒しの一夜”と称して、夜の仕事も斡旋できるかもしれないしな。ククク…まったくお前は私に幸運を運ぶ銀の小鳥だよ』


 フィンをどう利用しようかと算段するジョルジュの目が怖くて、車中ではずっと顔を俯いていた。

 

(これから、どうなっちゃうんだろう?)


 不安に押し潰されそうになり、慌てて頭を振ってモヤモヤした気持ちを振り払った。

 何もすることがないから暗いことばかりを考えてしまうのだと思い、フィンは窓辺から離れて部屋の隅に置かれた小さな書棚に近寄ると、自分でも読めそうな本を選んで取り出し、長椅子に腰を下ろして表紙をめくった。

 もともと簡単な計算や読み書きしかできなかったフィンが、こうして本を読めるまでになったのは、少なからずアマンダのおかげだと思う。貶され、謗られ、罵られながらも受けた授業はつらかったけれど、それでも身に着くものがあったのだと、こうして苦労せずに文字を追えるようになった今、とても実感している。



 *



「?」


 異変を感じたのは、翌日の正午前。前日から読み進めている本が終盤に差し掛かる頃、俄かに胸騒ぎを覚えた。

 ページに栞を挟んで本を閉じたのとほぼ同時に小さくノックする音が聞こえ、返事をする前にドアが開けられた。


「っ!」

「しー…」


 するりとドアの隙間をすり抜けて後ろ手に施錠した人物は、思わず声をあげてしまいそうになったフィンへ、唇の前に指を立てて声を出さないよう指示した。


「どうして、ここに…?」

「もちろんあなたに会うためですよ。フィン」


 微笑みを浮かべているのに、水底のような深い青の瞳が恐ろしい。フィンが一番恐れる人――――――アマンダが、当然だと言わんばかりにそう答えた。


「なぜ…どうしてアマンダさんが…」

「あら、ご挨拶ね。わたくしはこんなにも苦労してここまで来たのに、歓迎してくれないのかしら?」


 貴族の婦人らしく頬に手を当てコテンと首を傾げたアマンダは、次の瞬間ずいっと距離を詰め、フィンの真正面に立った。


「ひっ…」


 無意識にアマンダから逃れようと後退るが、下がる分だけ彼女も前へ進む。やがて背中に壁が当たり逃げ場がなくなると、アマンダは息がかかるほど近くに顔を寄せてきた。


「なぜわたくしから逃げるの? フィン」

「あ、ああ…」

「そんなに無様に怯えて…ふふふ。嬉しいわ。わたくしが大好きな醜いその顔をやっと見ることができて」


 赤い口紅を引いた薄い唇が弓のように吊り上がり、同色の端紅を塗った細い指先が、食い込むほど強くフィンの顎を掴む。痛みに顔を顰めると、アマンダは更に恍惚の表情になった。


「やはりあなたはわたくしがいなければダメね。すぐに忘れてしまうのですもの」

「忘れるって、なにを?」


 問うと咎めるように指先の力が増し、尖った爪がぷつッと皮膚を破いた。


「あなたが愚かで価値のない虫けらということですよ」


 くすくすと声をあげて笑ったアマンダは、突然ピタリと笑みを消し去ると、ドアへと振り向く。

 そのまま動かなくなった彼女をジッと身動きせずに見上げていると、漸くこちらへと顔を戻したアマンダは、フィンの顎から手を放し、代わりに腕を掴んで引っ張った。


「思ったより早かったわね…。―――さあフィン、わたくしと共にここから逃げましょう」


 フィンの同意など必要とせず、アマンダは力尽くでフィンを引き摺りドアへと向かう。僅かに開けた隙間から外の様子を窺うと、先ほどと同じく唇の前に指を立てた。


「フィン、ここからは静かにしてちょうだいね。わたくし、出来ればあなたには息の根が止まる寸前まで苦しんでほしいの。騒ぐからとここで一思いに黙らせるのは、本意ではないのよ。でも」


 そう言うなりドレスの隠しからナイフを取り出し、フィンの首筋にヒタリと押し当てた。


「ひぃ…っ」

「わかってもらえるかしら?」


 恐怖にコクコクと頷くと、アマンダは満足したように微笑んだ。


「ふふふ。良い子ね。では行きましょう」

「ど、どこへ?」


 恐る恐る訊ねると、アマンダは少女のように悪戯っぽく笑い、「チャペル」と答えた。


「このケーマスの邸にはね、裏に小さいながらもチャペルがあるのです。わたくしがそこへこっそり招待したお客様がそろそろ到着するはずなのよ。ふふふ、うふふふ。とっても楽しみっ。二人で一緒に歓迎してあげましょうね」


 心底楽しそうに笑ったアマンダは、フィンにナイフを突きつけたまま、軽い足取りで部屋を飛び出した。





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