第33話  痕

『あなたの人生も変えてあげるわ。―――ぐちゃぐちゃにね』


 衝撃的な宣言にショックを受けているフィンを満足そうに眺め、些か冷めてしまったお茶に口をつけたアマンダは、徐に部屋の隅に立って控えているナタリアに声を掛けた。


「久しぶりね、ナタリア。健勝のようでわたくしも嬉しいわ」


 主人の客であるアマンダに突然話し掛けられたナタリアは、一瞬返事をすべきか悩んだようだが、ジョルジュが小さく頷いたのを認め、深く腰を折って挨拶を返した。


「はい、ご無沙汰いたしております。奥様」

「まあ、いやだわ。その呼び名はもうやめてちょうだい。もうわたくしはカーベリー夫人ではないのよ」


 楽しいジョークを聞いたようにクスクスと笑うアマンダに、表情を強張らせたナタリアが即座に謝罪する。


「も、申し訳ございません」

「あら、そんなに畏まらなくてもいいのよ。今のわたくしはあなたの主人ではないのだから。そうそう、でも一つだけ言わせて?」


 先ほどのフィン同様、緊張してびくりと震えるナタリアに、アマンダは困ったように微苦笑して窘める言葉を口にした。


「あなたは優秀だけれど、優しすぎるから絆されてしまったかしら?」


 鞭を振るってフィンを折檻する人物と同じとは思えないほど、今のアマンダはおっとりとして淑やかだ。頬に手を当ててこてんと小首を傾げ、穏やかに話す姿はどこから見ても貴族の婦人のよう。しかし次に発せられたセリフは、アマンダやフィンの立場を悪くするものだった。


「どんな些細なことでも、きちんと主人であるジョルジュ様に報告しなければなりません」

「報告?」


 聞き捨てならないとばかりに会話に割って入ってきたジョルジュは、訝し気に眉を寄せ、ナタリアを…そしてアマンダを振り返る。


「どういうことだろうか?」

「ええ、職務に忠実で懸命なナタリアですもの、大切な報告を怠るとは思えません。でもカーベリーで仕えてくれていた時から、ナタリアは子供にやや甘いところがあったのです。―――今回も商品・・のお世話は彼女なのでしょう?」

「ああ」

「でもあなたが認識している様子はないでしょう? ならナタリアの悪い癖が出たのかしらと思ったのですわ」


 楽し気に微笑むアマンダと、険しく眉根を寄せるジョルジュ。二人の視線に顔色を失くし、ぎゅっと固く両手を握り締めて佇むナタリア。

 フィンは直接言われているわけではないが、酷く身の置き場のない気持ちになり、ただ黙って下を向いていた。


「…それで? ナタリアが報告すべきこととは、一体どんなことなんだ」


 怒気を抑え込んだ低い声で問うジョルジュに対し、訊ねられたアマンダはふふふと上機嫌に笑う。嫌な空気が漂う中、アマンダはゆっくりお茶を楽しんでから、勿体ぶったように漸く質問に答えた。


「入浴や着替えを手伝っているナタリアならもう見つけているはずです。フィンの左肩には醜く引き攣れた火傷の痕があることを」

「火傷の痕だと?」

「ええ。ずっと以前に、わたくしが与えた罰の痕ですわ。だってその子ったら本当に聞き分けが無くて、可愛げが無くて、イライラして堪らなかったのですもの」


 まったく悪気がないアマンダの言い種に、フィンはぞっとした。あの記憶に刻み込まれた恐怖と激痛が、『イライラした』などという軽い気持ちで与えられたのだと知り、今更ながらにアマンダへの畏怖が強まる。

 フィンはガタガタと震えながら、無意識に右手で左腕を庇うように掴んだ。

 慄然とするフィンに反して眉間のシワを深くしたジョルジュは、背後のトーマスを呼び寄せて耳打ちすると、次にナタリアへと目を向けた。


「今の話、本当か?」

「……はい。奥…いえ、アマンダ様の仰る通り、お嬢様の左の肩には火傷の痕がございます」


 僅かな逡巡の末に事実を告げたナタリアへ、トーマスが小刀を差し出した。


「これは…?」

「フィンのドレスを切り裂け」


 ジョルジュの言葉に愕然と体を硬直させたナタリアに、彼は下品にもチッと舌打ちをした。


「丸裸にしろというわけではない。傷痕を確認するためにドレスの上部を破けと言っているのだ」


 さっさとやれと急かされたナタリアは躊躇いつつもナイフを受け取ると、体を縮めて震えるフィンへと近づいてきた。


「い、いやっ!」


 禍々しい光を湛える切っ先に怯え、反射的に椅子をけり倒して逃げだすフィン。しかしトーマスとドアの側に控えていた使用人の男によって、あっさり捕まってしまった。

 必死に藻掻き抵抗するけれど、か弱い子どもの力では、大人の男二人から逃れることはできず、絨毯の敷かれた床に強引に引き倒され、抵抗を封じられる。

 俯せに押さえつけられたフィン。そしてその項にヒヤリと冷たく硬いものが当てられた。


「―――っ!」


 ビィィィィッと布を切り裂く音が響き渡り、痩せ細った背中がピリリとした痛みを伴って冷えた空気に晒される。抗うこともできないままに襤褸となったドレスが力尽くで引き下ろされ、骨張った肩が剥き出しにされた。


「…完全に治ってしまっているな」

「ええ。先ほど申し上げましたでしょ? ずっと以前って」

「だがこれではポーションで治せないではないか」


 注目を浴びるフィンの左肩には、引き攣れ、隆起した醜い傷痕。体つきが小さく痩せているせいで、傷痕が殊更目立っている。

 床に押さえつけられたまま背中と肩をジロジロと見られているフィンは、恐怖に怯えながらも早く解放されるのをただじっと待つことしかできない。

 これだけでも十分非道な行いだが、続くアマンダの言葉にフィンは更にショックを受けることになる。


「あら、ご存じありませんの? 治癒済みの傷痕でも元の状態に戻す方法がございますのよ」

「なに⁈ それはどんな方法だ?」


 勢い込んで訊き返すジョルジュに、アマンダは種明かしをする奇術師のような自慢気な笑顔で、悪魔のようなセリフを口にした。


「ふふふ。簡単なことですわ。もう一度焼けばよろしいの。その醜い痕を残らず焼き消して、そのうえでポーションを使えば元の状態に戻りますのよ」





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