第28話  姉のような人(★)

 

 一頻り泣いて漸く落ち着いてきたメアリーは、ジューンに連れられて奥の部屋へと行き、メアリーのような細身の体型なら余裕で三人いっぺんに入りそうな大きなワンピースに着替えて戻ってきた。

 腰は帯でぐるぐるに絞ってある上、肩口も落ちてきてしまうらしく、ストールを羽織っている。

 大泣きしたことが気恥ずかしいのか、ギルバートたちと目を合わせないようにそっぽを向いたまま元の椅子に腰かけると、むすっと膨れっ面ですっかり冷たくなってしまったお茶の残りを飲み干した。

 メアリーの服を干し、店の看板を”休業”に換えてから戻って来たジューンは、お茶請けにクルミ入りのクッキーをメアリーの前に置き、沸かしたばかりの熱湯が入った鉄瓶で、気持ちを落ち着かせる効果のあるハーブティーを淹れた。

 ハーブの香りで一息ついたのを見計らい、ギルバートは彼女の話の中に出てきた人物について訊ねる。


「クラリスっていうのは誰なんだ?」


 フィンの口からは聞いたことがない名前だ。…というか、そもそもフィンと出会ってそんなに経っていなのだから、知らないことの方が多いのは当然なのだが。

 表情こそはどうしてそんなことを? と言いたそうに顰められたが、メアリーは鼻をすすりながらぽつりぽつりと聞かれたことに答えてくれた。


「クラリスさんは五、六年前まで孤児院にいたシスター見習いだった人よ。わたしが物心ついた時にはもういたし、孤児院の子供たちにとってお姉さんみたいだったの」


 彼女の話によると、クラリスなる人物は当時二十代半ばくらいで、院長や他のシスターとは違い、制服ではなく質素で粗末なワンピースに、ウィンプルで髪だけ隠していたという。


「見た目はどこにでもいそうな普通の顔立ちの、穏やかな人だったわ。とても優しくて、子供たちの面倒を嫌な顔一つしないで見てくれて。…でも怒るとちょっと怖かった」


 物静かで優しい人だったと語るメアリーの顔は、懐かしさが滲んでいた。


「子供たちにとって姉のような存在…。そのクラリスとフィンを守る約束を交わしたと?」

「そうよ。クラリスさんは特にフィンのことを気に掛けていたから」

「フィンだけ特に?」


 頷くメアリーに嫉妬のような色はない。どうしてフィンだけ特別気に掛けられていたのかと訊ねれば、少女は些か躊躇したものの、決して誰にも言わないと約束してくれればと前置きした後に、その理由を声を潜めて教えてくれた。


「クラリスさんはね、赤ちゃんだったフィンと一緒に孤児院へ来たんだって」


 ずっと小さい頃、夜中に喉が渇いて目が覚めたメアリーがキッチンへ行くと、薄暗い食堂でコリンナとクラリスが話をしているのを立ち聞いたそうだ。

 内容は二人が孤児院を訪れた日の思い出話から始まった。深々と雪の降る真冬の夜に、身一つで何も持たないクラリスは、幾重にも布でぐるぐるに巻いた幼いフィンを抱きしめて歩いている所を院長に発見され、共に孤児院へ連れてこられたという。

 行くところがない弱り切った二人をコリンナは受け入れ、クラリスはシスター見習いとして働きながら、間近でフィンの成長を見守っていたらしい。


「そのクラリスがフィンの母親なのではないのか?」


 話からすればクラリスがフィンの実母だと思うが、ギルバートの疑問にメアリーは違うと首を振った。


「はっきりと聞いたわけじゃないし、わたしも小さかったから聞き間違いや覚え違いの可能性もあるけど、あの時院長先生とクラリスさんはこう言ってたの」



 *



『そんなに根を詰めなくてもいいのですよ。あなたは十分に頑張っているのですから』

『いいえ、いいえ、全然です。私がお嬢様にしてしまった仕打ちはこの程度の働きで帳消しになるような軽いものではありません』


 見つからないようにそっとドアの隙間から覗き込むと、ダイニングテーブルをはさんで座る二人は、小さなロウソクの明かりの下、着古してボロボロの子供たちの服を丁寧に丁寧に繕っていた。


『またそんなことを…。確かに帳消しにはならないけれど、あなたの懸命な努力はきちんとフィンにも届いていますよ』

『…そうでしょうか?』

『ええ。あんなにも素直で明るく、優しい子に育っているではありませんか』


 孤児院の子供たちはみんな鏡なのですよと言って、コリンナは微笑んだ。


『フィンだけではありません。ほかの子供たちもみんな良い子でしょう。それはあなたの行いが反映されているからですよ』


 クラリスがフィンに…子供たちに優しく接するから、優しい子に育っている。いつも一生懸命な姿を見せているから、努力する子に育っている、と。


『明るく笑顔の絶えない今の孤児院があるのは、あなたのおかげでもあるのです。だからそんなに罪の意識に縛られなくていいと思いますよ』


 そう言って、子供にするようにクラリスの頭をしわくちゃの手で撫でたコリンナに、クラリスは泣きそうな顔で小さく首を横に振った。


『院長先生、ありがとうございます。…でも、やはり私はお嬢様のお側でお守りし、尽くしたいと思います。それがあの方から両親をはじめとしたすべてを奪ってしまった私の義務であり、贖罪でもあるのですから』


 そしていつかフィンの迎えが来たときは、どんな罰も受ける所存だと微笑んだクラリスを、コリンナは悲しそうに見つめていた——————



 *



「立ち聞きしちゃった時は二人が何を言っているか全然わからなかったけど、大きくなった今なら少しだけわかるわ。クラリスさんがフィンを特に気を掛けていたのは、何かいけないこと・・・・・・をしてしまった事への罪滅ぼしのためだったって。それに、そもそも母親ならフィンに様なんて付けないでしょ」

「…」


 メアリーの話を聞いたギルバートとグイードは驚愕に言葉を失くし、何かを必死に思い出そうとするように額を抑えて虚空を睨んだ。

 何も言わない青年二人に代わって、メアリーに質問したのは同じく驚きに目を丸くしていたジューンだ。


「そこまで強い意志でフィンについていた人が、どうして急に側を離れて出て行ったのだろうね?」

「さあ。わたしもわからないの。わかるのは、いなくなる少し前からクラリスさんの様子がおかしかったってことくらい」


 そわそわと落ち着きがなく、孤児院を訪れる客人や手紙に過剰に反応するようになった。


「少し前? その頃何かあったのかい?」

「ん~~~? 何かあったかしら。もう六年くらい前のことだし覚えてな……あ、確か修道院からシスターの慰問があったわ」


 おいおい年老いた院長に代わって新しい院長となるかもしれない数人の候補が、慰問を兼ねて孤児院を訪れたらしい。 


「アマンダさんもその中の一人だったわ。あまり子供たちと仲良くする感じではなくて厳しい印象だったから、あの人に決まったと知った時は本当にびっくりしたもの」




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