第27話  守れなかった約束(★)

 次に会った時、フィンにアマンダの生い立ちを話すと、彼女はまるで自分のことのように酷く悲しげな顔をした。

 他人の痛みがわかる子供。彼女の心根の優しさを改めて感じさせられた。

 しかしその話をするにあたり、正直なところ懸念もあった。つらく当たられた時、不当さを訴えることができなくなるのでは、と。

 もともと反抗心などないフィンは、アマンダの過去に同情し、今まで以上に堪えてしまうのではないかと心配になったのだ。

 だから少女の憂いを根本から晴らすため、ジョージなる男の正体を突き止め、養女の縁組話それ自体を失くそうと計画した。

 幼少の頃から専属の”影”であるヒューに、ジョージやトランティオ公爵の妻にまつわる情報を集めさせ、ギルドマスターであるガイストにも依頼をし、アマンダが孤児院に赴任してくる以前の修道院へと、信頼のおけるギルド調査員を向かわせてもらった。


 ―――正直、油断していたのだと思う。帰り際にフィンと対等だと笑い合って交わした拳に安堵していた。優秀な部下やギルドに頼りすぎ、自身で動かなかった報いを後日受けることになったのだと気付いた今、あまりのショックにすぐに言葉が出てこなかった。


「……フィンが、孤児院を出た?」


 小雨の降る中、しとどに濡れた格好で薬屋を訪れたのは、フィンよりもやや年上に見える少女だ。

 彼女は悲しみよりも怒りに耐えているような表情で、つい今しがたフィンは馬車で旅立ってしまったと告げに来たのだ。


「ええ。フィンがお世話になったジューンさんにだけは、ちゃんと知らせとかなきゃって思ったから」


 びしょ濡れになって首筋に張り付いたくすんだ金色の髪と、深い緑色の瞳。きつい印象なれど、きれいな整った顔立ちをしている。


「お前さんはメアリーだったね。とにかく中へお入り」


 愕然とするばかりの青年二人を押し退けて、ジューンは些か強引にメアリーを店の中へ通すと、カウンター脇の木製の椅子に座らせた。


「そのままじゃ風邪を引いちまうからね。今着替えを出してくるから、それまでこれを掛けてるんだよ」


 そう言って使い込んだストールをメアリーの細い肩に掛け、ジューンは大きなお腹とお尻を揺さぶりながら、えっちらえっちら奥の部屋へと消えていった。


「…」

「…」


 残された三人は居心地悪く黙り込んでいる。そんな中、一番最初に口を開いたのはメアリーだった。


「アンタたちは誰? なんでフィンのこと知ってるの?」


 正体を怪しむメアリーの突慳貪つっけんどんな問いに、カチンときたギルバートが子供のようにムスッと顔を顰めた。


「俺たちが誰でも関係ねぇだろ。それよりフィンのことを話してくれ」

「は? なんで見ず知らずのアンタなんかに話さなきゃならないのよ」

「ああ?」


 どうやら二人は相性が悪いらしい。険悪な雰囲気を変えるべく茶器に手を伸ばしたグイードは、剣ダコのあるゴツイ手で手際よくお茶を淹れ始めた。


「メアリーさん、と仰いましたか? フィンが連れていかれた時のことを詳しく窺ってもいいでしょうか」

「連れていかれる? 違うわ。フィンは養女に行ったのよ。…嫌々だけどね」


 悔しそうに唇をきりりと噛み締めるメアリーに湯気の立ち昇るカップを差し出したグイードは、少し離れたカウンターにもギルバートのカップを差し出した。


「…あたたかい」


 雨で体が冷えていたのだろう。淹れたてのお茶を一口啜ったメアリーはほぅっと息を吐いて呟いた。が、次には見る見るうちに瞳を潤ませ、ボロボロと涙をこぼし始めた。


「どうしたんだい? この木偶たちがバカなことでも言ったのかい?」


 着替えを持って現れたジューンが、じろりと二人を睨む。しかしギルバートたちが弁解する前にメアリーがぶんぶんと首を振った。


「違うの。オジサンたちは悪くない。悪いのはわたし…」

「「オジサン…」」


 男二人が静かにショックを受ける中、メアリーは傍まで来たジューンにしがみ付き、わんわんと泣きだした。


「どうしよう、ジューンさん。守るって…、クラリスさんにフィンを絶対に守るって約束したのに!」


 数年前に突然、孤児院を出て行ってしまったクラリス。彼女はいつもフィンを特別気に掛けていた。

 あの日みんなが寝静まった深夜、ふと喉の渇きを覚えて目が覚めたメアリーは、キッチンへ水を飲みに行く途中、荷物を抱えて勝手口へ向かうクラリスに気付いた。


『どうしたの?』


 カーテンの隙間から差し込む月明かりだけが光源の、真夜中の廊下。薄っすらと照らし出されたクラリスの顔は、酷く寂しそうだったのを覚えている。


『どこかにいっちゃうの?』


 不安になって縋るような目で見つめると、彼女は膝をついてメアリーと視線を合わせ、カサついた指先で子供特有の柔らかな頬を撫でた。


『…ねえメアリー、一つだけ私のお願いを聞いてもらえるかしら?』

『おねがい?』

『そう。あのね、私がまた戻ってくるまで、フィン…を守ってほしいの』


 優しくて頼りがいのある大好きなクラリス。そんな姉のような彼女の頼みごとを、メアリーは無下には出来ない。


『またもどってくるのね?』

『ええ、必ず』

『やくそくよ。もどってくるまで、わたしがフィンをまもるから、ぜったいかえってきてね』


 子供心にクラリスがどこか切羽詰まった様子であることを察したメアリーは、彼女がいつか必ず孤児院へ帰ってくることと引き換えにフィンを守る約束をした。

 なのに…メアリーはその約束を守ることができなかった。

 アマンダが赴任してきてから、一気に孤児院の様子が変わってしまったから。標的とされたフィンを庇ったら自分も同じように虐められるんじゃないかと思うと、怖くて何もできなかった。

 それどころか誰かの目があるときはメアリーもフィンに辛い言葉を投げつけ、フィンと距離を置き、彼女を孤立させる手伝いをしてしまった。

 ずっとずっと苦しかった。アマンダが来るまではあんなにも仲が良かったのに。

 同い年のフィンは、メアリーにとって一番の友達で、家族だった。だからフィンが苦痛に耐え、孤独に耐え、空腹に耐えている姿を見ているのは、本当に辛くて仕方がなかった。

 メアリーにもう少しだけ勇気があれば、フィンはあれほどに苦しまなかったのではないかと、後悔で胸が押し潰されそうだ。

 長く抱え込んでいた気持ちを一気に開放し、メアリーは涙が枯れるまで泣き続けた。





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