第21話  シスターの正体

 ギルたちと話をしながらの帰路は楽しく、気が付けば孤児院の前に到着していた。


「本当にありがとう。ギル、イド、またね!」

「おう。もうメソメソすんじゃねーぞ」

「しないよ!」


 彼の癖なのか、再び頭に伸びてきた手をひょいっと避けると、ギルはムッと口をへの字に曲げ、筋肉の付いた太い腕をフィンの首に巻き付けてきた。


「お前、俺から逃げようなんて十年早いんだよ!」

「わあぁぁぁっ、イド、イド、助けて!」


 逃げられないように拘束され、念入りにガシガシと頭を撫でられる。あまりの乱暴さにフィンがイドに助けを求めるが、彼はやれやれと肩を竦めるだけで助けてくれないだ。そんな中、


「何を騒いでいるのですか!」


 フィンが漸く強引なナデナデ攻撃から逃れられたのとほぼ同時に、孤児院の玄関の方から冷たい女性の声が聞こえてきた。

 慌てて髪を撫でつけて姿勢を正したフィンが「た、ただいま戻りました」とビクビクしながら帰宅を告げると、アマンダはじろりと見下ろし、大仰に溜息を吐いた。


「まったく、なんて落ち着きのない。あなたは間もなく養女に行くというのに、いつまでも犬のようにはしゃぐばかりでは、あちらのお宅でも愛想を尽かされますよ」


 頬に手を当てゆるゆると頭を振るアマンダの言葉は、元気になったはずのフィンの心を抉る。

 いつものようにしょんぼりと俯いたフィン。だがその頭上にイドの丁寧な声が響いた。


「すみません。私の連れが悪ふざけをして彼女に絡んだのです」

「な! おま…」


 反論しようとしたギルを制して前に出たイドは、悪いのはこの男であってフィンではないとにこやかに説明した。


「…あなた方はどなたです? フィンとは何の関係が?」


 不審者でも見るような訝し気な視線を受けても、イドは穏やかな表情のまま自己紹介した。


「ああ、名乗りが後になってしまって申し訳ございません。私は旅の途中の冒険家でイドと申します。実は数日前、森で魔獣に襲われケガを負った際、薬草を摘みに来ていたフィンに助けられたのです」

「フィンが? あなた方を助けたのですか?」


 アマンダの疑いに眇められた眼差しにも怯むことなく、イドはええと頷いた。


「ハティの爪に掛り、私は命を落とすところでした。ですが彼女が所持していた傷薬により、一命を取り留めることができたのです。ですよね、ギル」


 フィンは命の恩人ですと言って後ろにいる二人を振り返る。アマンダからは死角になるせいか、イドは合図のようにウインクをして見せた。


「ああ。…親のいない孤児院の子供とは信じられないほど、彼女はとてもしっかりしている」


 今まで対峙していたイドに替わり、フィンの隣に立つギルが鋭い目つきでアマンダを捕らえ、「よほど孤児院での教育がしっかりしているのだろうな」と厭味ったらしく言った。

 ギルが発する圧力に押されて一瞬言葉を詰まらせたアマンダは、それでもキッとギルを睨み返すと、ヒステリックに怒鳴りだした。


「な、なんですの⁉ 流れ者にそんな言い方をされる筋合いはありまんわ! そもそも幼い少女に悪ふざけだなんて、何かいかがわしい気持ちでもあっ…」


 噛みついたアマンダだったが、なぜか語尾から勢いが薄れ、吊り気味のやや細い目が一点を見つめたまま大きく見開かれた。


「あの…アマンダさん?」


 言葉尻が窄み、急に口を閉じて固まったアマンダを不思議に思ったフィンが声を掛けると、彼女は凝視していた先から視線を引き剥がし、無理やり作ったようなぎこちない笑顔でフィンへと顔を向けた。


「そ、そう。人助けしたなんて、とても偉いわ。後できちんと院長先生にも報告しておきましょう」


 人が変わったようにやさしい口調でそう言うと、そろそろ夕飯の時間だから中へ入りなさいと促す。アマンダのいつもとは違う態度に戸惑うフィンがギルたちを見上げると、彼らは視線を交わし、フィンにアマンダの指示に従うよう告げた。


「じゃあな」

「う、うん…送ってくれてありがとう」


 アマンダの顔色を窺いつつも、ギルたちに手を振って孤児院の中に入る。せっかく楽しかった気分が台無しになり、重たい気持ちで食堂へ向かったフィンには、来た道を引き返してゆく青年二人の後ろ姿を見つめながら吐き出されたアマンダの呟きは聞こえなかった。


「忌々しい。やはりあの阿婆擦あばずれの娘ね…。おぞましいこと」

 憎悪に染まった青い瞳が、炎のように揺らめいていたことも知らない。



 *



 ジューンの所で散々泣いた日から一週間、フィンの日常は穏やかだった。

 あの日以降アマンダの態度が軟化し、ミスをしても叱責されなくなった。養女の件も急がないからゆっくり考えるようにと告げられ、薬屋以外の場所へ手伝いに行くにしてもこれまでのように男の子が行くような力仕事などの無茶な割り振りをされることもなくなった。

 アマンダや子供たちとの距離が縮まったわけではないが、何かにつけて浴びせられる罵声がないだけで、フィンの心の負担はかなり軽減されている。

 今朝も小さな子供たちと一緒に、アマンダが不気味な笑顔を張り付けて孤児院の外まで見送りに出てきたため、フィンは困惑しながら手を振って出掛けてきたのだ。


 ジューンの作業の手伝いの最中、そのことをギルたちに話すと、彼らは眉根を寄せた難しい顔で考え込んだ末、真剣な面持ちでフィンを見た。


「俺たちが手に入れた情報で、ちょっと気になることがあるんだ」

「気になること?」


 フィンがジューンへ顔を向けると、彼女は既に聞いているのか、調薬の手を止め神妙に頷いた。


「ああ。ジョージとあのシスターがどんな繫がりがあるのかを探っていたら、シスターの身元が割れたんだ。あの女、意外な経歴の持ち主だった」





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