第10話  魔法

「気づかなかったとはいえ、ずっと小僧呼ばわりして本当にすまなかった」


 あんなにも重たそうな剣を振るえるほどの立派な体躯の大人の男に、真正面から謝られたフィンは居た堪れない気持ちになり、慌てて首を横に振って謝る必要はないと訴えた。


「わたしも最初オジサンって呼んでたから、おあいこです」

「…そうか。あいこか」


 お互い様だと告げると、彼は楽しそうに笑った。


「それはそうと、まだ名乗っていなかった。俺はギル。おま…きみはフィンでよかったかな?」


 きっとジューンから聞いていて知っているはずなのに、ギルはわざわざ訊ねるようにフィンに名前を聞いた。


「はい。この前は名前を言わなくてすみませんでした」


 ぺこりとお辞儀をして顔を上げると、彼は微妙な表情でフィンを見ていた。


「?」


 何かおかしなことを言ってしまったかと心配になると、ギルはフィンがおかしかったわけではないと前置きし、苦笑を浮かべながら予想外なことを言い出した。


「いや、小さい割にしっかり礼儀が出来てるなと思って」


 フィンを一体いくつだと思っているのか。小さいと言われたことにカチンときたフィンは、むうっと頬を膨らませて上目遣いにギルを睨んだ。


「小さくない! わたし十二歳なんだから!」

「はああ⁉ え、そんな、いや、どう見ても八さ…いや、七…六…」

「十二歳だってば! そっちこそ二十歳には見えないもん! オジサン!」

「お前! またオジサンて言ったな!」


 珍しく大きな声を上げて反論するフィンと、ちょっと揶揄ったつもりだったのに痛いところを刺されたギルは、ぎゃいぎゃいと本気で口喧嘩を始めた。


「随分と賑やかだねぇ」


 よほど騒がしかったのだろう。奥の居室に行っていたらしいジューンが、些か呆れた顔でやってきた。


「楽しそうなのは良いけどね。フィン、手が留守になってるんじゃないかい?」

「あ! ああっ‼」


 指摘されたフィンが慌てて器の中を覗くと、熱々だった深緑色の膏薬こうやくは、すでに冷め切って固まり始めていた。

 こてで練り直そうと試みたが、ぼそぼそと千切れるばかりで一向に粘度が戻る様子はない。

 残すところあと一枚だったのに、最後までやり遂げられなかった悔しさと、せっかく作った膏薬を無駄にしてしまった罪悪感に、フィンは目頭が熱くなった。


「ジューンさん、膏薬をダメにしてしまいました。ごめんなさい」


 器を持ってジューンに謝ると、彼女は顎に手を当てふむふむと中身を見下ろした。


「フィン、そんなにガッカリしなくて大丈夫だよ。この状態ならちょーっと水を足して温め直せばまだ使えるさ」

「でもかまどの火はもう落としちゃったし、また火を起こすまでに時間がかかるから、その間にもどんどん固まっちゃう…」


 涙をぐっと堪えて器を握り締めるフィンの頭を、ジューンは安心させるように優しく撫でた。


「心配はいらないよ。お前さんにちょっかいを掛けた張本人が、責任取ってこれを元に戻してくれるさ」

「え⁈ 俺か?」


 有無を言わせないジューンの視線を向けられた張本人ことギルは、突然自分にお鉢が回ってきたことに驚きつつも、しょんぼりと項垂れたフィンを横目に見て、大仰に溜息を吐いた。


「しょうがねぇなぁ。まあ一度見せちまってるから構わねえか」


 ガシガシと乱暴に頭を掻くと、以前のように指輪をしている方の手を、フィンが持つ器の上に翳した。


「清らかなる水よ。雫となりてここへ」


 森の時と同じようにギルは呪文を唱える。するとあの時と同じく指輪がほんのりと光り、彼の手のひらから水がポタポタと器に落ち始めた。


「俺は魔力を絞るのがあまりうまくないんだ。だからもういいってところで声を掛けてくれよ」


 真剣な顔つきでそう言われ、フィンは見惚れながらもコクコクと頷いた。

 鏝の先で水分を含んだところから掻き混ぜ、ある程度湿ったところでジューンがストップをかける。フィンが鏝で掻き混ぜると滑らかになりはしたが、ねっとりとした粘度がない。

 水を出したように今度は温めてくれるのかと期待の眼差しでギルを見上げると、彼は苦笑して手を引っ込めてしまった。


「残念ながら俺は火を扱うのは苦手なんでな。あいつに頼んでくれ」


 ギルが顎をしゃくって示した先には、先日ハティによって重傷を負った男がいた。気が付かなかったが、どうやらジューンと一緒に来ていたらしい。

 前に見た時は怪我をしてグッタリしていたからわからなかったけど、背はギルよりも高く、体つきもがっしりしている。けれど下ろした榛色の前髪の間から覗くアンバーの瞳は優し気に細められており、フィンの警戒心を刺激しない。

 以前より少しほっそりした気はするけれど、元気そうな姿にフィンはホッと胸を撫で下ろした。


「こんにちは、お嬢さん。私はイドと申します。この前助けてもらったお礼に、続きは私がいたしましょう」


 微笑んでそう言った彼は、フィンから器を受け取ると、底部に手を当てギルのように呪文を唱えた。


「高潔なる炎よ。我が手にその力を宿らせよ」


 死角になって見えないけれど、イドが手を当てているあたりが仄赤く光り、器の中身がふつふつと動き始めた。

 間もなく湯気が立つようになると、イドは底から手を離し、器を作業台の端に置いた。


「かなり熱くなったと思うので、気を付けて」


 目を丸くして一連の動作を見つめていたフィンはハッと夢から覚めたように瞬きすると、ギルとイドを交互に振り返り、最後はジューンへ顔を向けた。

 フィンが何を言いたいのかわかるのだろう。ジューンは静かに頷くとたった一言、


「そうだよ。今見たのは”魔法”さ」





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