第3話 愛せよ ビャッコさん

 食後の時間。

 スザクとゲンブは自分の部屋へと戻り、僕は当番としてリビングダイニングに残っている。


 シンクという風呂で綺麗に洗浄された食器たちを拭いてあげ、水きり立てに立て掛ける作業を行っている。


「ふふ~ん♪」


 隣には、皿洗いの手伝いを依頼したビャッコが約束通り、鼻歌交じりで食器の汚れを洗い流している。


 僕の耳元で卑猥な意味を持つ単語を囁くのかと身構えてしまったが、その心配は今のところ無さそうだ。

 仮にも相手は女の子だ。

 恋する乙女が、好きな相手に下ネタを耳元で囁くなど、恋愛系のドラマや漫画でも見た事が無い展開だぞ。


 そう思っていると、ビャッコが僕に皿を差し出しているのに気づく。


「どうしたのセイリュウ君? 考え事?」

「いや、なんでもない」


 そっか、と微笑むビャッコ。

 こんなに純粋な笑顔を向けてくるのに、僕はなんて失礼な事を考えているのだ……。


「ところでセイリュウ君って、この後、予定あるの?」


 予定……、やりたいことはあるが、食事当番という仕事によって全て潰れてしまった。

 それさえ無ければ、昨日買ったばかりの『起動闘士 ハルバード型四号機 セレスタスグァンダム』を組み立てようとしたのに……。


「昼飯のメニューを考えて、その後は夕飯の買い出しに出かける予定だ」


 実につまらないが、何も問題が起こらなさそうな一日だろうな。


「ビャッコはどうなんだ?」

「私も似たような感じだよ。洗濯物を干して、乾いたら取り込んで、って。私もやりたいことあったけど……」


 今週の洗濯当番はビャッコだったな。

 ならばしなければならない……。


 ビャッコが洗濯当番の時に限って、僕の服が消えていることが多い。


 しかし、心配することは無い。犯人は特定している。


「なあ、ビャッコ」


 なーにー? と容疑者が呑気な返事をしながら、食器用洗剤で泡まみれのスポンジで皿を洗う。


「僕の服、盗んでないか?」


 窃盗犯の手がピタッと止まる。

 これは静止画か? それとも動画が一時停止したのか?

 それほどの静けさが数秒間、リビングを襲う。

 自身の鼓動と、時計の秒針が時を刻む音がよく聞こえてくる。


 突然に現れる好奇心とは、怖ろしいものだ。

 彼女がどんな反応をするのか。その思いで、徐々に心拍が上がっていくのがはっきりと分かる。


 服を盗まれただけであって、下着は盗られちゃいない。それだけは当番に任せず、自分で管理しているから。


 そして、窃盗の容疑がかけられているビャッコが口を開ける。


「ど、どうして私だと……思うの……?」

「君しかありえないからだ」


 僕は彼女に、その根拠を説明する。


 まずスザク。

 彼女は性格上、そんなことはしないであろう。曲がった事が嫌いな上に、ここの誰よりも正義感が強いので、犯人の可能性は薄いと判断。


 ゲンブも犯人ではないと判断。

 確かに彼女は頭が良くて、僕の服をくすねるなんぞ朝飯前かもしれない。


「じゃ、じゃあ、ゲンブちゃんかもしれないよ?」

「その可能性も否定できなかった。だが、彼女には僕の服を盗む動機がない」

「実験とかに、使うって言う事も……」

「彼女は実験の為なら、他者の物ではなく、自分の私物を遠慮なく使う女だ。自分の服を使うとか、買ってくるかするだろう」


 というか、服を使う実験ってどんなのだよ。


 つまり、ビャッコしか疑いようがなくなったわけだ。

 本人は俯き、刑事ドラマとかでよくある「しょ、証拠はどこにあるんだ!」ってな感じで証拠の提示を要求する……かと思いきや————————————


「やっぱり、バレちゃったか……」


 そうだよ、とビャッコは自ら犯行を認めた。


 これがドラマの撮影なら、間違いなくカットだ。視聴者の納得がいく証拠を見せて尺を稼ぐ、というシーンが無く、その結果監督に怒られて何回もやり直しっていうパターンになると考えられる。


 しかしこれはフィクションではなく、実際に起こっている盗難事件だ。

 しかも女物ではない。男物の服という、あべこべな設定の。


 そんなことはどうでもいい。僕は想像のドラマ撮影を放棄して現実に戻る。


「どうしてこんなことを?」

「そ、それは……」


 僕の服って、そんな貴重なもんじゃないぞ? ウニクロだぞ? 値段が安い割には丈夫で、結構オシャレなウニクロだぞ? なんなら今着てるのもウニクロだぞ? 靴下は“にまむら”だけど。


 もじもじと体を揺らし、頬を赤く染めるビャッコ。

 そして、持っていたお皿をシンクに置き、こちらに向き直る。


「セイリュウ君の、匂いが……するから……♡」


 ……はい?


 いきなりの謎告白に、僕はその場に固まる。


 『いや、きっとあれだ……ビャッコは匂いフェチなんだ、きっと。うん、そうだそうに違いない。』


 以前の僕なら、こんな感じの現実逃避的なリアクションをしていたが、今に至っては……————————————


 ————————————でしょうね。


 なんの面白みもない反応になる。慣れって怖い。


「セイリュウ君の服とかを、クンカクンカすると……その……えへへ♡」

「えへへ、じゃない」


 クンカクンカしたらどうなるんだ。って聞こうとしたが、この様子から察するに、いけない一線に走っていると見た。なるほど、理解した。


「つまり調達した僕の服をクンカクンカしてにゃんにゃんしている、というわけか」

「そ、そんなところ……って⁈ にゃんでそれ知ってるの⁈」


 夜中、トイレ行く途中でそんな感じの声が聞こえた。


「も、もしかして……夜ば「んなわけあるか……!」」


 一体何を勘違いしているんだ……。このお盛んなネコは……。


「もう♡ それなら直接言ってくれればいつでも「だから違うって言ってるだろ!」


 古典的なお仕置きである“お尻ぺんぺん(スカートごし)”の刑をくらわせてやろうと考えたが、それだとむしろご褒美になってしまうな……。


 仕方なく僕は、力よりも効果的な“言葉によるお仕置き”を実行する。


「勝手に他人の物を盗むビャッコなんか、嫌いだ」

「……へぇ?」


 好きな異性に嫌われる。

 嫌いなふりではあるものの、やはり少々の罪悪感はある。しかし、こうでもしないと事態に収拾がつかない。

 この方法が一番、ビャッコに効く薬だ。


 これに懲りて反省するであろう。

 そう思い、ビャッコを見る。


「やだぁ……やだぁ……」


 そこには、涙を零し、泣きじゃくるビャッコがいた。


 ……あれ? 効きすぎた? いくら何でも「嫌い」は言い過ぎたのか……?


 さすがに泣かせてしまうのはシャレにならない。そう判断した僕は、ビャッコを宥めることにした。


 ……でも、こういう時って何を言えばいいんだ……⁈


「あ、えっと……ビャッコ、その……」


 待て、何を言うのが正しい⁈ 何て言えばいい⁈

 そうだ! 「ビャッコが悪い」と言う……いやなに止めを刺そうとしているんだ‼ 鬼畜か‼


 あれ? 詰んだ? これはもしや、詰みか?

 困惑していると、ビャッコが僕の胸に顔を埋める形で、抱きついてきた。


「びゃ、ビャッコ……?」


 いきなりの行動に驚く僕に、恐怖心がざわつく。


 もしかしたら「許さない」って叫びながら、包丁で僕を斬殺するのかもしれない。死ねないけど。

 将又、「ずっと一緒にいようね」って言って、僕を巻き込んで自爆するのかもしれない。死ねないけど。


 あらゆる可能性が僕の思考に溢れ出てくる。だが、どれもビャッコに殺されるルートしかなく、もう成す術が無いと僕は覚悟した。


 そして、今にも大泣きしそうな表情のビャッコと目が合う。


「嫌いに、ならないでぇ……!」


 ……ん? 今なんと?

 自爆でも心中でもなく、ただただ「嫌いにならないでほしい」と懇願され、僕はその場であっけらかんとしている。


「お願いぃ……! お願いだから、嫌いにならないでぇ~!」


 ギュッと僕の服を掴み、ギュッと体を密着させるビャッコ。

 頬を赤く染めているその表情は、まるでマタタビを求めるネコそのものだ。


 彼女の今の心境としてはマタタビなんぞ求めてないのだろうが、顔といい、尻尾の振り方といい、見方によれば雄を求める雌じゃないか。


 ……とりあえず、引き剥がそう。


 僕は密着してくる大きなお胸に別れを告げようと、抱きついてくるビャッコと距離を置く。


 しかし、思いの外ビャッコの力が強く、なかなか離れることができない。


「あ、あのビャッコさん? もう少し離れては「もう何も盗らないからぁ! 謝るから嫌いにならないでぇ~!」」


 赦しを請うビャッコの頭の中は、僕に嫌忌を向けられたくないという感情で必死なのだろう。


 僕はただ、嫌う為に嫌疑したのではなく「盗んじゃだめだよ」と注意をする為に言っただけなのに……。

 話の順序がいけなかったのか? それとも伝え方がまずかったのか?


 今のこの状況は、もう修羅場である。


 というか、さっきから服がビャッコの涙のせいでびちょびちょなんだが……。

 むしろそっちに気が逸れてしまう。どうにかならんものか……。


「嫌わないでぇ! 嫌いにならないでぇ! もう何も盗んだりしないからぁ~!」

「わ、分かった! 分かったから一回放してくれ……!」

「ひぐっ……赦して、くれるの……?」

「ああ、赦す」


 どの道、そうしないと大泣きされて、反って僕が悪者扱いされる可能性があるからな。穏便に終わらせよう……。


「でも、もう勝手に僕の服を盗んだりするのは駄目だぞ。いいな?」

「うん!」


 先程までの泣き顔はどこへやら。赦しを懇願していたのに、まるで雨が止んだ空に輝く太陽のように明るい笑顔に変わっている。


「えへへ♡ やっぱりセイリュウくんって優しいね♡」


 抱きついたまま、僕の頬にちゅっちゅと接吻してくるビャッコ。


 はぁー……、疲れる……。朝からこの調子じゃ、『今日こそは平和に過ごす』という目標は達成できそうにないようだ……。


 そう。僕は、何の問題も起きず、静かで平和な一日を過ごしたい。

 不安などのストレスが感じられず、事件や事故が全く起こらない日々が送れることを夢見ている。


 そして、自分の好きな事を思う存分して、僕なりの充実性を上げたい。

 その為に、面倒事を先に終わらせたりなど努力している——————が、


「んふふ♡ セ~イリュウ~きゅ~ん♡」


 誰かさん達のせいで、毎日が事件事故の連発し、傍迷惑なオンパレード。

 溜息と疲労が続く日々。


 僕に……僕に……、一体いつのなれば平和が訪れるんだぁぁぁぁーー!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トラブル続きの日常で普通じゃない彼女たちと何千年も同居している僕に一体いつになれば平和が訪れるのだろうか @hisui1011

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ