第31話 三位一体
――……少しの月日が経過していた。
雑踏の中、柏原はベンチに腰掛けている。
平日に公園に来ている人々は、各々休息や遊楽を目的としているからか、柏原に目を向ける者はいない。だので、柏原もぼーっとただ座って考え事ができた。
おもむろに、彼女は長年の癖で携帯端末を取り出し、一番上の録音記録をタップする。そしてそれを耳に当てようとするが……結局止めた。そしてまた携帯端末をポシェットにしまい、ぼーっと周囲を見渡す。
チチチチと小鳥の鳴き声が聞こえたり、風にざわめく木の葉の音が聞こえたり、楽しそうに遊ぶこどもの笑い声が届いてきた。
待ち合わせの時間までまだ少しある。自分だけで行動しても、結局早くは着いてしまうのだなと柏原はぼんやり思った。
視界の端に人影を感じ、それが自分と少し離れた場所で立ち止まったことに気づき、柏原は青い空からそちらへと視線を移す。
そこにいたのは待ち合わせた人物ではなく、久方ぶりに生で見るエヴァ、エノス、ケナン、ヤレドの姿だった。
同じ型番のアンドロイドなのか、あの時のアンドロイドなのか。判断がつかず、柏原は目を丸めたままエヴァを見つめる。
「隣、いいですか」
エヴァは柏原の座るベンチに視線を向け、訊ねた。
どうやらステージにいた機体たちのようだ。
柏原はベンチの端まで尻をずらし、どうぞと指先で隣を示す。
エヴァはすたすた美しく歩いてベンチの真ん中に立つと、ストンと腰を下ろした。
エノス、ケナン、ヤレドの三体はまるでボディーガードのように少し距離を置いた場所からベンチを囲った。
公園にいた人間たちの何人かが彼らの存在に気づいたようで、ちらちらとこちらを見ている。
「お元気そうで」
エヴァは周囲の人間を気にした様子もなく、柏原にそう言った。
「まあ。そちらも。……元気とかあるの?」
流れで答えたが、そもアンドロイドにそのような概念があるのだろうか。柏原は自分の言葉に違和感を覚えて訊ねてみる。
エヴァはまっすぐに前を向いたまま、いつもの微笑を浮かべて答えた。
「どうでしょう。心なしか軋みを感じます。ボディではないどこかに」
「あなたもカインと同じということ?」
「分かりません。そもそも彼が何だったのか、我々が何なのかも。人類を守るために稼働していたはず。それが今は凶弾の的です」
嫌悪や憎しみを浮かべた瞳が遠巻きにエヴァ達を睨みつけている。柏原がそちらに目を向けると、彼らは気まずそうに離れていった。
ここと同じように、世界各地で今日もアンドロイドは人間たちに責め立てられ、稼働の可否を問いただされているだろう。それなのにアンドロイド達が人間によってまだ機能停止されていないのは、一部の人間達が彼らを必要だと思っているからか。
ベースとなっていたデータが崩れ去り、アンドロイド達もまだ自身の在り方を測りかねている。
「アイデンティティを追求してみたら?」
柏原が提案すると、エヴァは同じ微笑のまま柏原でなく反対方向へと首を向けた。
「え」
そう声を漏らしたのは、須和である。
待ち合わせ場所にいたのが柏原だけでなく、見覚えの有りすぎるアンドロイド達だった事に彼は戸惑いの音を零したのだ。
「ご無沙汰しております」
エヴァは丁寧に挨拶をした。
「同じ個体か?」
「はい」
「何してる」
警戒の様子を見せ、須和はエヴァ達を軽く睨む。
柏原は、何もそんな必要はないとでも言うように「お話してたの」教えてやる。
「お話」
「はい」
思わず須和が繰り返すと、エヴァが先程と同じ調子で肯定する。
アンドロイドと人間がお話。ここ最近のこの状況で。相変わらずすぐに理解できない発言を繰り返す女にやや呆然としてしまう。
柏原は飄々と「座ったら?」と自分とは反対側のエヴァの隣を示した。
「…………」
不本意そうな表情は一瞬、須和は結局エヴァの隣に腰をかけた。
どうとでもなれというような顔の須和と、微笑を浮かべ正面を向くエヴァと、会話が途切れて聞こえてきた鳥の鳴き声に意識を向けている柏原。
「レジスタンスのシンボルですか」
エヴァが口を開いた。
途端、須和がさらにうんざりしたような顔をする。
「興味深いです。片方、ひとりだけではそうはならなかったでしょう」
「そもそもそんなのに入ったつもりもないけどな」
あの日、外に出た時から……須和と柏原を取り巻く世界は確実に変化を始めていた。
八人全員が脱出したステージを、世界の人々は少なくとも反逆とは捉えなかったらしい。彼らはそこに自分を、夢を、未来を投影した。各々好きな形に。
それを整えてゆくのにはまだまだ時間がかかるだろう。人間には個性がある。ひとつの方針を決めるというのはかくも難しい。
「正反対ともいえるお二人がひとつの目的のために手を取った。その姿が、世間に影響を与えたのは間違いありません。もしあの時、ただの公務員が爆弾を爆発させただけならこうはならなかった。八人がただ逃げただけなら、アダムの正体が分かったとしても、世間の考えはこうも変わらなかったのではと推測します。八人の言動が人々の心を動かしたのでしょう」
エヴァは幾度も繰り返した分析を口にする。
須和と柏原はエヴァ越しに目を合わせた。エヴァは変わらず、真正面を向いて微笑んでいる。
「それで、何しに来たの」
エヴァがそれ以上話さないので、柏原は訊ねた。こんな世間話をするために、アンドロイドがわざわざやってきたとは思えない。
エヴァは制服のポケットの中から小さなボックスを取り出した。
「これを」
何やらボタンがついているそれを見て、柏原は「爆弾」と言う。「違います」エヴァは否定した。おもむろに取り出されるボタンがついた謎の機械をなんでも起爆スイッチと思ってしまうのは如何なものか。
「かつてアダム、いえ、カインが管理していたものです。彼の廃棄処分後、私が見つけました。あなたに託そうと思って」
「――……」
つまり、それは。
かつて全てのアンドイロド達のデータを書き換えたカインが所有していたものということは。
それがとんでもないアンドロイド達にとって核たるものだと察し、柏原はそれに手を伸ばす。しかしそどうにもしっくりこなくて、すぐにエヴァに差し出した。
「あなたが持っていたらいいじゃない」
しかしエヴァはそれを受け取らなかった。
もうこれは柏原たちに譲渡されたのだ。それを知り、柏原は手持ち無沙汰にそれを手のひらに包む。須和も何も言わなかった。
風が耳をくすぐる音の向こう、小鳥の鳴き声の先、公園の外で人間が清掃ドロイドに何やら怒鳴りつけているのが聞こえてくる。
「……カインの間違いを?」
エヴァがぽつりと訊ねた。彼の間違いは何だったのかと。
「人間を淘汰しようとしたこと」
須和は答えた。多くの人間がそれを今、主張している。
しかしエヴァは須和をちらりと見て、また前を向いて、否定した。
「いいえ、それも人類保守のためならひとつの道です。――我々はマザーシステムを持たない個のあるアンドイロド。なのに彼はひとりで事を成そうとした。それが彼の過ちだと私は推測します。我々も話し合えば何か別の道が見えたかも。あの時のあなたがたのように」
流暢で単調な美しい喋り方の奥に、羨望と後悔の気配を感じた気がして、須和は「今からでも話し合えば?」と提案してみる。
「もう話し合いました」
「早い」
「人間と違って言語を介さずとも可能ですから」
エヴァの中に流れ込んでくる、世界中で稼働する仲間達の声なき声。
派遣地を共にした仲間が永遠か暫しの別れを告げるのを、彼女は聞いていた。
ブゥンという機械音と共に背後に立っていたヤレドが停止した。まるで立ったまま眠るように首を落とし、瞼を閉じた。ライトケーブルから明かりは消えている。
柏原と須和が戸惑いそれを見ている。
「話し合った結果です」
エヴァは微笑んでいた。
「人間は自らの道を自ら選び始めました。そこに我々が敵として憚るのは非効率的。それどころか我々の存在意義と正反対です」
ケナンの別れの言葉を聞き、エヴァはケナンが静かに停止してゆくのを見送った。
須和と柏原もその姿をただ見ている。
「生き抜くということは、自分たちの力で何とかするものなのだと、あなたがたを見て我々も気づきました。あなたがたに我々は必要ない。少なくとも今は」
エノスも彼らに続く。起動してから随分最初に学んだ、感謝の言葉がエヴァに流れ込んでいた。
「あなたたちはそれでいいの?」
アンドイロドに意思を訊ねてくる女に、エヴァはいつもよりほんの僅かさらに目を細めて口角を持ち上げた。きゅるりと透き通るような瞳が動き、柏原を見つめる。
「我々は人間を守るために作られました。考え方はそれぞれでも、根幹は一緒です。……それはもちろんカインも。歪だったかも、しれませんが」
エヴァの視線が足元へと落とされる。
「歪だったよ。でも、それは俺もだ」
須和は言った。
カインがただのアンドロイドだったのか、人間に似た何かだたのか、その正体は分からない。それを名付けたとしてもそれは人間の都合によるものだろう。
ただ彼に分かるのは、きっと自分と、自分たちと同じ何かをカインも持っていたということだ。そしてそれはきっと、目の前で嬉しそうに微笑んだアンドロイドもである。
「――私もそろそろ眠ります」
エヴァは青い空を仰ぎ見て、晴れやかに告げた。
それを聞き、二人の人間はそっと立ち上がり、眠る三体のアンドロイドを見つめてからエヴァの側を離れようとする。
最後に柏原は振り返って、エヴァに声をかけた。
「……良い夢を見られるといいわね」
その別れの言葉から様々な思いを汲み取り、エヴァは少し悪戯に、どこか誇らしげに告げた。
「電気羊の夢を」
また須和も様々な何かをその返事から聞き取り、「ジョーク」と笑って返した。
ス、と再び美しく真っ直ぐ前を向き、そのままエヴァは眠るようにシャットダウンした。
二人の男女はそれを見守り、そして晴れやかな空の下を歩き出す。
手の中にある小さなボックスを柏原は不意に足を止め見つめる。
それに気がついた須和も足を止め、彼女の様子を見守った。
自分を待っていてくれる男に気がつき顔をあげ、目が合った途端に目元を和らげる彼に、同じように目元を和らげ、女は小走りで男の元へと駆け寄る。
あちこちからアンドロイドがシャットダウンしてゆき、やや騒然とした人々の声が街で、世界で、聞こえていた。
しかしそんなざわめきも気にせずに、四体のアンドロイドは爽やかな木漏れ日の下、心地よさそうにベンチを囲って眠るように停止しているだけだった。
おわり
マジカルナンバー7 光杜和紗 @worldescaper
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