第24話 斎藤保一


 ――斎藤保一のスピーチ


 僕は公務員です。

 アンドロイドの普及に基づき、採用人数は随分減りましたが、それでもどこにでもいる存在だと思います。

 僕は幼い頃から機械いじりが好きで、ロボット工学の道に進みたいと思っていました。

 目標は、お茶の水博士。ふるーい漫画に出てくる天才科学者。彼は主人公であるロボットの製作者ではありませんが、そのロボットが善良な行いができるよう見守る良き理解者なんです。

 このご時世で人間の僕がロボットに携われる道。それがこの仕事、公務員でした。

 年々難関を極めてゆく試験になんとか合格し、アンドロイドと共に働く環境に身を置くことができた僕でしたが――……。



「……――このように科学の先駆者達は、まるで自身を神とするかのようにアンドロイドを我が子に置き換え、初号型の男女モデルにアダムとエヴァと名付けたのです」


 数年前の記憶である。

 斎藤が公務員試験に合格し、アンドロイド製造研究所へ研修に行った日だ。

 先輩である女性研究員が、自分と同じような研修生を引き連れて最新のテクノロジーを案内し、やがて清潔感のある埃ひとつ落ちてなさそうなロビーで足を止めた。

 ロビーの壁には今まで開発されてきたアンドロイドの型番が飾られている。

「そしてその後も、次々と生み出された新型に、彼らの子孫の名がつけられていったというわけです」

 ヤレド、エノス、ケナンを示しながら女性研究員は言う。

「ここまでで何か質問は?」

「はい」

 斎藤は手を上げた。

 この頃は、この世界を夢見て邁進する若き青年だったからだ。

「はい、そこのあなた」

「何故カイン型とアベル型は存在しないのでしょう。彼らはアダムとエヴァの実子です。なのに彼らの名を貰ったタイプは存在しない」

「ゲン担ぎみたいなものです。かつて、カインとアベルは兄弟でありながら殺し殺される、人間として初めての悲劇を生みだしました。それをなぞらえることがないように、ということのようです」

「なるほど」

 確かに聖書内で描かれた人類最初の殺人は、兄弟であったカインとアベルのものだ。兄であるカインは、嫉妬から弟のアベルを殺害し、自分は弟の行方を知らぬと人類最初の嘘をついたという。

 名は体を表すということわざもあるし、人間は存外縁起を担ぐ。

「ちなみに、他にもメフヤエルやメトシャエルなど噛みそうな名前は除外されています」

 女研究員がおちょけたように言うと、研修生たちもクスクスと笑った。緊張が解れて幾分か肩の力が抜けただろう。その後、他の皆も斎藤に続いて幾つか質問を重ねた。

「まだもうひとつくらい答えられるかな。次が最後です。質問したい人」

 時間を確認し、女研究員が言った。

 ス、と手が上がる。ずっと顔を強張らせていたひとりの研修生だった。

「彼らの制定したマジカルナンバー7プロジェクトは本当に正しいでしょうか」

「おい」

 張り詰めたその問いに、その場の空気が凍りついた。

 傍にいた別の研修生が注意するが、女研究員は「大丈夫ですよ」と優しい声でにっこり笑った。慈愛に満ちた微笑みだった。

「毎年この質問をする方がいるんです。その都度、私は自信を持ってこう答えます。『YES』と! ――今はまだ我々人間には理解できないことかもしれません。けれど、アンドロイドは我々より遥か先を見据えている。私達にできるのは、我が子を信じる、ということ。現に社会は少しずつ良くなってきている! でしょう?」

 ……そう言った彼女は数年後、皮肉にもマジカルナンバーを外されていた。

 


「――……仕事を重ね、僕の中で次第に根付いていったものは『理解』でも『納得』でもありません。『諦め』です」

 ステージの中央に立ち、スポットライトをただひとり浴びて斎藤は語っている。

 七人とアンドロイド達は照明の当たらぬ暗闇の中、斎藤の背後でその話を静かに聞いていた。

 スピーチコーナーに入り、立候補をして最初に語りだしたサラリーマンの話はどうせつまらぬだろうと思っていた画面向こうの人々も、今は九条達と同じように、ただこんこんと話されているだけのはずなのに、やけに人を引き付ける斎藤の話を聞いているに違いなかった。

「今はこういう時代なのだと傍観した気になっていたんです。この新たな生存競争の生まれた世界で、僕はただ妻と子供を守れるだけの男であればいいと思っていました。それが僕の務めなのだと。それはある種ロボットになったような感覚でした。――でもあの日、目が覚めた」

 耳の奥にドラムロールの音がこびりついていた。

 何百回も聞いてきたはずでも、あの日あの時のその激しい音だけがはっきりと残っている。鈍ってただ単調に刻まれるだけだった鼓動が、モニター向こうの彼女を見ているだけで激しい雨が打つように打ち鳴らされた。

「モニター向こうで、なんの罪もない人間が選ばれた。特筆したところはなく、けれど平凡な幸せの中にいた彼女が、僕の、僕の妹が」

 静かに語っていたサラリーマンは次第に呼吸と鼓動を早め、生まれた怒りと悲しみが膨れ上がるのを止めもせず言葉を吐き出し続ける。

「機械の心の無い窮追と我が身惜しさに他者を犠牲にしようとする七人の迫害が、たった数時間であの子を変えてしまった。そんな子じゃあなかった。あんな状況に曝されなきゃ、平凡なりにそれでも最期まで幸せでいられたはずだ。結婚したばかりで、大して上手くもないピアノ弾いて、ことあるごとにグラタンを振る舞おうとするどこにでもいる……!」

 逼迫した表情で腹の底から湧き出る混乱と激情を口早に叫ぶ斎藤の背を見ながら、柏原は先日見たばかりのステージを思い出していた。

 まるで鬼のような形相で最期を迎えた、選ばれなかったひとりの女は、確か最初はあんなに酷い顔も声もしていなかった。そしてあのステージに立つ前までも、斎藤の語るようにあのような人間ではなかったのだろう。

 斎藤は、悔しかった。

 人類を淘汰しなければならないとして、妹が本当にこの世界にいらない人間だったとしても、世界に晒された数時間ぽっちの彼女の姿が、”彼女”になってしまった。そんな子じゃなかった。そんな子じゃあなかったはずなのに。

 しん、と静まり返った空間の中、斎藤はひとつ大きく息を吸った。顔をあげた彼からは既に焦燥の気配は消えている。

「――……いまさら被害者ぶるつもりはありません。僕は公務員としてこのプロジェクトに加担してきた」

 テレビ向こうにいる多くの視聴者の怒りがまるで聞こえてるかのように受け止め、それでも斎藤はスピーチを続ける。

「命を懸けて反抗する会場外に集まった皆さんのようになれるとも思わない」

 今頃会場の外では、斎藤が流した内部映像を見たレジスタンスが集まっているはずだ。しかし彼らが暴れたところで、世界はまだ変わらないだろう。


「ただ、沈黙はもうやめます。僕なんかの声は、口も耳も、心をも閉ざした人々には届かない。――でも爆音くらいなら少しは届くでしょう」


 そう言ってスーツの内ポケットから取り出されたのは、手のひらサイズのスイッチだった。

「ば、爆弾!?」

 それが爆弾の起爆スイッチであると認識し、風坂は絶叫した。

 斎藤がスイッチを頭上に掲げる様を見て、他の六人も悲鳴をあげたり、身を強張らせた。

 会場の観客アンドロイドにもどよめきが広がる。

「おおおおーっと、落ち着いてください。どうやら取り乱してしまっているようだ」

 アダムが斎藤の傍へと躍り出て、暴れる馬を宥めるように声をかける。

「僕は平静です」

 斎藤は言った。

「本物です。どうしますか」

 人間の持つ起爆スイッチをスキャンし本物であると確認を取ったヤレドがアダムに指示を仰ぐ。

「なんで持ち込めたのかな? 持ち物検査があるのに」

 アダムは焦燥を演出する声音と、にっこりした笑顔の不釣り合いな姿で言った。

「僕、ここで働いているんですよ。内部で作ればいいだけです」

「なるほど」

「特性の金属で爆弾を隠しています。そこら中に仕込んでるけど、君たちには見つけられないだろう」

 エヴァは素早く周囲をスキャンしていたが、斎藤の言う通り爆弾を見つけられない。他のアンドロイド達も沈黙しているので、同じ状況と判断できた。

「外の騒ぎもあなたが内通したのですね」

 爆弾テロがこの時行われたのにも理由があった。偶然などないと認知し、エヴァは言う。

 何も知らない中井谷達が「騒ぎ? なんのことだよ」と動揺の声をあげているのも無視し、「どうしますか」と焦りを見せない単調な声でケナンがアダムに指示を仰ぐ。

「何か要求がある? そうでしょう、だからまだスイッチを押してない」

 アダムは確信をもって斎藤の持つスイッチを示した。

 過去にこのステージで自害した人間は山ほどいた、そういった連中は止める暇も見せなかったものだ。

 人間的な動揺を見せる気配のないアンドロイドを、分かってはいたがとでもいうように苦虫を噛んだ顔で見てから、斎藤は言った。

「……、アンドロイドは退避を。八人で話し合う時間が欲しい」

「は!? やめてよ巻き込まないで!」

「もうとっくに巻き込まれてます。二十年前から、このイカれた事態に」

 叫ぶ九条に斎藤が言う。

「どうしますか」今度はエヴァがアダムに問う。

 言根や九条、雪永に中井谷、風坂は縋るようにアダムを見た。アダムは彼らを見てから、斎藤や柏原、須和を見る。そして肩を竦めた。

「仕方がない。我々は一旦退避しましょう」

「ええ! 行かないで!!」

「観衆ドロイドもオフラインに」

「分かった」

 アダムが観客席を見ると、観衆ドロイド達が動きを止めて椅子にとさりと一斉に座った。

「全世界が見ている、アダム。妙なことはするな」

 斎藤の言葉に、アダムは両手をひらひら振りながら後ずさっていく。

「ひどい言いようだ。僕らは人間のために働いているのに! 行こう、エヴァ、ケナン、エノス、ヤレド」

 面白いものでも見るように八人を一瞥し、アダムはあっさりとステージから去ってゆく。それに続いて出てゆく四体のアンドロイドを、言根や九条は見送るしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る