第20話 暗澹たる午後四時

 映像が砂嵐へと変化してゆき、ブツ切りで誰かの声が聞こえてくる。

 やがて八つのモニターは再び一つのモニターとして機能し、ひとりの日常がくりぬかれた。――暗澹たる演出である。


『ねぇ、いつになったら結婚してくれるの』

 画面に映ったのは、交際して六年目の恋人だった。

 とっくに恋心など失ったような目が中井谷を見つめている。真っ直ぐに見つめられているはずなのに、まるで紙やすりで擦られたようなざらついた心地。

『遊んでばっかりで……もっと人生真剣に見つめたら』

『ああうん。いや、見つめてるよ。でも俺まだ二十代だぜ。まだまだ時間は』

『そっちに時間があっても、私は子どもも欲しいの。ちゃんと考えて。楽しく暮らすなんて、夢みたいなことは忘れてさ』

 出逢った時とは正反対の言葉を口にして、彼女はふいと目を逸らして『じゃあね』と去ってしまう。

 帰路、雑踏から遠ざかるためにイヤフォンを耳にはめ込む。お気に入りのバンドの音楽を大音量で流す。

『――俺の人生だぞ。それを願って何が悪い』

 仄暗い本音はギターの音がかき消してて、世界に消えてゆく。


 ――フェイスパウダーを叩きながら、片手で器用に次の連絡先を選んでいた。

 通話待ちの音を聞きながら、九条は今日のチークの色も選ぶ。

 もしもし、という男の声を聞き、彼女は咄嗟に声音を明るくした。

『もしもし、沢木さん? 良かったら今日同伴……』

『ごめんねちづちゃん、他に応援したい子できちゃってさぁ。将来性を感じちゃってね。きっと昔の君みたいにトップに上りつめて――』

『そう、分かった。また今度よろしくね』

 後半は何を言っているのかほとんど聞いていなかった。プロデューサー気どりの会話は早々に切り上げてトンと通話終了ボタンをタップする。

『――……』

 流行りの桜色のラメ入りチークと、濃淡な朱のチークを仄暗い目が見下ろす。

 伸ばされた輝く爪は選んだチークの蓋を開き、人差し指の腹が桜色を撫ぜてゆく。ガリ、と爪の先が固められたパウダーを抉る。鏡を睨む。

 背後に扉の開く音を聞き、九条は振り返って微笑んだ。

『おかえり、雄太。なんでもないのよ、大丈夫』

 笑顔の奥に何かが隠されていると息子は気づいたろう。でもそれが何なのか分かるような年齢ではないことが、母にとって救いだった。


『あのさ、今日の放送。何アレ、ふざけてんの』

 自分も不機嫌になればこれくらい凶悪な顔をしているだろうか。

 雪永はソファでふんぞり返る自分と同じ顔を見てぼんやり考えた。

『え、そんなつもりないですけど、へへ』

『超ブスだった。やめてよ、私の顔使って変なことすんの』

 へらへら笑う雪永に、本物は冷たく言葉を吐きつける。

 こめかみがズキズキ傷んで、胃がツキツキ痛むのを感じながら『でも使ってもらうには多少なりオーバーにしないと……』と理由を口にする。

 だがすぐにまた言葉で斬りつけられた。

『誰が笑われると思ってんの。あんたじゃなくて私だから』

『すみません、……へへ』

 自分と同じ恐い顔が普段は浮かべているはずの笑顔、徹底的に練習したそれと同じ笑い方をしながら雪永はしおらしく謝り、嵐が去るのを待つしかなかった。

 

 ――ノック音は次第に大きく大きくなってゆく。それと同時に、憔悴したような声も苛立ちの色が濃くなっていった。

『花、外へ出てちょうだい。花、いつまでそうしているつもりなの。このままじゃ……マジカルナンバーを外れてしまうわよ。ねえ、花。お願いよ。花、花。花!! 出てきなさい!!!』

 現実から目を逸らすようにネット画面を眺める言根は両手で耳を塞いで聞こえないふりをする。そんな自分の映像を見る言根もまた、同じように耳を塞いで俯いた。


『五子』

『はい』

 携帯端末を耳元に当て、柏原はいつもと変わらぬ色の無い表情で返事をしていた。

『今日からお前が柏原家の長女だ。くれぐれも一花いちかの血肉を貶めるような真似はしてくれるなよ』

『はい、きっと上手くやります。問題ありません』

『忘れるな。私の娘の命があったからこそ、お前がここにいられるのだと』

『ええ、絶対に』

 父の言葉を聞き、柏原は迷いなく淡々と答える。



「――は? どういうこと?」



 雪永の呟きはマイクに拾われ、会場中に響き渡った。

 会場中の視線が五子へと向いても、五子は堂々と立っていた。

「どういうこととは?」

 アダムが囃すように言う。

「い、今の会話、まるで彼女が」

 戸惑いに言葉を縺れさせる中井谷に「彼女が?」とアダムは先を促す。

「クローン人間みたい?」

 柏原が代わりに言った。

「そうだ! あ」

 まさか本人の声とは思わなかったのは、中井谷はすぐに気まずそうに言葉を飲み込む。しかし柏原本人は、堂々としたものだった。

「そのとおりよ」

「ええっ!」

 真っ直ぐすぎるカミングアウトに会場がどよめいた。

 世間的にはクローン人間は差別を恐れて口外を拒否しがちだし、ましてや超有名財閥の令嬢がクローンだったなどと大ニュースのはずである。

「あんた今までどんなつもりで彼女の話を聞いてたんだ」

 風坂は雪永を示し、柏原に問う。柏原は「大変そうだなと」と他人事だ。

「何それ。平気なふりでもしてんの?」

 差別を恐れない、堂々たる人間の振る舞いでもするつもりかと雪永は目元を痙攣させる。

「私は冷静だわ」柏原は言った。

「選ばれる自信があるの? クローンなのに?」

「選ばれるかどうか、確信も恐怖もない。私は冷静」

 雪永がどれだけ詰っても、柏原は顔色ひとつ変えない。

 優勢になった自分ですらこんなにプレッシャーがあるのに、と、「なんで」と言根がぽつりと零す。

 柏原は律儀にそれにも答えた。

「ただ知りたいの。私が何者なのか」

「……何者なのか」

 彼女の言葉を聞き、須和がその心を辿るように繰り返す。

 そしてまた五子自身も、自らが思うままに放った言葉が自らの心理を浮き彫りにし、「――そう、そうよ、そうなんだわ。、それを知りにきたの」と気づきと確信の言葉を紡いだ。

「どういうこと?」と苛立った九条が問う。

「それは」

「ストーップ!!」

 割って入ったのはアダムだった。

 彼はクレームを入れるように柏原に言う。

「勝手に自分語りは困りますよ。こっちはちゃんと番組が盛り上がるようにプログラム組んでるんだからぁ」

「あら、それは失礼」

 素直に謝罪し口を閉ざしたクローン令嬢に、「語らないの!?」と中井谷は叫んだ。「困るようだから」柏原はあっさり言う。さっぱりしたその様子に、中井谷や風坂は絶句した。

「八人のうち、クローンが二人……」

 九条が確かめるように状況を口にする。

 ヤケになったように、そして少し有利になった状況に安堵したのか、雪永は「クローンなら選ばれないかもよ、お嬢様」と嫌味をぶつけた。柏原は頷く。

「そうね」

「そうねって……!」

「待って待って、待ぁって。何事も順番に。今もっと注目すべき人物が別にいる」

 アダムは困り果てたように再三会話に割りこんだ。

「彼女よりもっと深くて陰鬱なところにいる人、だーれだ」

 パチン、とアダムが指を鳴らすと再び背景の大モニターに映像が映し出される。


『俺は人殺しか?』


「え?」

 湿った砂のような呟きが響き渡った。

 七人は振り返って、モニターを仰ぎ見る。

『俺は人殺しか?』

 そこに映されていたのは、閑散とした自室に寝転がり自問する青年。

 自室の電気をつけることもせず、窓から夕陽が差し込み彼を真っ赤に照らす。

 まるで全身血濡れの如きその姿で、須和は虚ろな様子で、ただひとつの疑問を問い続けている。

『俺は人殺しか?』

「俺は人殺しか?」

 重ねるように、ボックスの中にいる本物の須和も呟いた。

 その異様で狂気的な光景に、風坂や言根や九条は息を詰めた。

 柏原は隣のボックスの須和の姿を見る。彼はこの姿が晒されても、なんの動揺も見せず……むしろ映像の中とシンクロでもしたように、虚ろに立ち尽くしている。

「彼は問う。逢魔が時、心に魔が差す時から宵闇が西に去りゆくまで!」

「毎夜己に問うても答えは見つからず、今日も彼の心に影が落ちる」

「それが、”殺人鬼”と呼ばれる男の核」

 エノス、ケナン、ヤレドがまるでシェイクスピアの芝居を演じるようにロマンチックに言葉を並べ立て、そして三体は言葉を揃えてまた問うた。


「彼は人殺しか?」


「――……"彼はひとごろしか"」

 繰り返したのは中井谷である。

 ぼやかれたそれを聞き、言根は「とんちか何か?」と自棄になって言う。

 直後、中井谷が息を呑みパチンと興奮から両手を叩き、そして須和を指さして叫んだ。


「そうだ、思い出した! 『自分殺し』だ!!」

 

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