第15話 雪永妃咲?

「フリートーク最後の登壇者は、雪永妃咲さんです」

 スポットライトがステージ脇に当たり、その白い光の中にトップアイドルが姿を現すと歓声があがった。

 拍手と指笛に応えるように両手を振り、えくぼを作った笑顔で雪永は席までの道のりを軽い足取りで踊るように進んだ。

「どうも。よろしくお願いします!」

「よろしくどうぞ。座って」

「ありがとうございます」

 促され、雪永はにっこりと笑って椅子に座る。両膝をぴったり閉じて、行儀よく両手を腿の上に置いていた。

「やっぱり慣れてる? こういうトークって」

「そうですね。番組収録でこういうお仕事させてもらいますんで」

「人気アイドルだもんね」

「恐縮です」

「謙遜しないで。日本で君を知らない人はいないでしょう」

「少なくとも一人いたけど」

 同じチームに振り分けされた財閥令嬢の不躾な態度を思い出し、雪永はぼそりと呟いていた。

 高性能の聴覚機能でそれを拾ったアダムが大仰に驚いた態度を見せる。

「本当に? あの雪永妃咲を知らない? 歌って踊れて、お芝居もバッチリ、バラエティ番組にもバンバン出ちゃうあの超人気アイドルを?」

「そんなそんな。言い過ぎですよぅ」言いながらも雪永は満更でもないように胸を張っている。

「そんなことはない。皆そう思っている。何でもできちゃう万能アイドルってね」

 煽てるアダムが客席に投げかけると、審査ドロイドたちもまた口笛を吹いたり歓声をあげて彼女を囃し立てた。

 すっかり気持ちよくなっている雪永は笑顔でまた手を振っている。

 彼女のその姿を確認してから、アダムは眉尻を思い切り下げて肩を落とし、随分深刻そうに話を切り出した。

「……でも実は、ちょっぴりガッカリしてるんだ」

「何がです?」

「さっきの特技披露で君はクイズをしてくれたけど……、是非歌も聞いてみたかった」

 アダムの振りにまた客席が盛り上がった。「……うた?」雪永は笑顔のまま繰り返す。

「そう。やっぱりアイドルといえば歌とダンス、でしょう?」

 再び客に投げかけるアダム。囃し立てる声はヒートアップしていった。

 しかし雪永は目尻を引き攣らせた笑顔で「私より歌の上手いアイドルはたくさんいますしぃ」と答える。「謙遜は無し」アダムがからかうように言った。

「歌はちょっと」

「ギャランティは出ないけど、君の人生がかかっているとなれば安くないんじゃない?」

 ドッと会場が笑い声で溢れかえる。

 雪永は額に汗を滲ませ「いやいやそんな」と笑顔を深くする。

 アダムはいきなり立ち上がり、両手を広げて叫んだ。

「お待たせ致しました! 雪永妃咲の大ヒットソング『ミラクルオンリーワン!』です!」

 その声を合図に日本中の誰もが知っているイントロが大音量で流れ始めた。

 ステージの中央からスタンドマイクがせり上がってきて、照明はカラフルにビカビカと光りだす。


「キターッ!!」

 控室では中井谷が興奮のあまり席を立ちあがって、モニターの前に仁王立ちをする。手拍子と共に声援を送りだす男を柏原は興味深そうに眺めており、九条や風坂なんかはまるで道端に落ちたゴミでも見るようにその背中を見ていた。


 雪永の背後にはいつの間にか背後にエノスとヤレドが立っていた。雪永は促しを装うように半ば強制的に背を押されて立ち上がる。アダムと彼女が座っていた椅子は回収されて、完璧なステージが用意されしまった。

 アダムが陽気なリズムに合わせてマイクの横でステップを踏み、雪永にマイクの前に立つように笑顔で示す。

 雪永はガチガチに固まった笑顔でイントロに合わせて踊りだし、やがてマイクの前で口を開いた。

「……――……――……」


 音声不備なのか。歌声は聞こえなかった。いや、心なしかもにょもにょと声が聞こえるような気もする。

 控室の七人は思わず身を乗り出し、耳を傾けていた。きっとこのステージを観劇していた誰もが同じようなことをしていただろう。


 ぼそぼそと声を漏らすだけの彼女にブーイングが飛び始めていた。雪永は汗で顔を濡らしながら、それでも笑顔で振り付け通りに丁寧に踊っている。

「そんなじゃあ聴こえない。もっと高らかに!」 

 アダムは踊りながら促した。

 ついに雪永はヤケになったように、大声で歌いだした。


「わぁたぁしぃだけぇ~のステージィ~いつかァッキラキラ輝いてーーー!!」


 ひっくりかえった音程に、控室の七人は目を剥いた。

 緊張どうこうなんてレベルではない。まるでわざとやっているのかと思うほど、どの音もズレこんでいて、声もガサついていて汚いったらない。

「なんの冗談?」九条は言い、「アイツ、こんな状況でふざけてんのか?」中井谷は顔を顰め、「ふざけているようには見えないけど……」柏原はまじまじとモニターを見つけて零す。

 七人が唖然とモニター越しにステージを観ていると、観客席から次第に笑い声が生まれ始めた。

 雪永は顔を真っ赤にし、息も絶え絶えな様子でそれでも笑顔を浮かべて歌い切ろうとしている。けれどついにイントロをもかき消すような笑い声に包まれて、彼女は歌うことを止めてただ棒立ちになってしまった。

「雪永さん、…………マジですか?」

 アダムは動揺を隠しきれないといった表情を顔に張り付けて、恐る恐る雪永に声をかける。

 雪永の喉がヒュウと嫌な音を立てた。

「もしや、ゴーストシンガーがいたとか?」

「ッ違う。あれは私の声よ。テレビの生放送でも、ライブでもちゃんと歌ってたでしょッ」

「じゃあ、だったらなんで、その、なんていうか、アレ……」

 必死に主張する彼女に、アダムは言葉を探すそぶりをみせ、最後には大口を開けて叫んだ。

「そんなにヘタクソなんですかぁ~~~~ッ!?」

 歯に衣着せぬ指摘に会場がドカンと笑い声に包まれる。

 その声の数だけのナイフが自分に向けられているような錯覚を起こし、雪永はまるで鬼のような形相で「うるさい、うるさいうるさい、笑うな!!」と取り乱して客席に怒鳴り散らした。


「仕方ないでしょ!! 歌ったことなんかないんだから!! あたしはバラエティ担当の雪永妃咲なのよ!! …………あッ」


 シン、と会場が静まり返る。雪永は顔を真っ青にして空気と同じように固まった。


 控室にいた七人もまるでその言葉の意味を探すように、モニターを凝視する。

「……バラエティ担当の」

「雪永妃咲……?」

 須和はモニターに映るそれを見て呟いた。

「……クローン」

 その答えに辿り着くのは、例え彼でなくてもそう難しいことではなかったろう。


「そうなんです!!」

 モニターに笑顔のケナンとエノスのドアップが映し出された。

「今ステージの上に立つ彼女は、雪永妃咲のクローンなのです!!」

 二体が身を引くと、そこには顔面蒼白のステージ上の雪永妃咲にカメラが寄る。

 控室にいた中井谷たちは「ええええっ」と声を上げた。恐らく、日本中の視聴者も驚いているに違いない。

「ってことはアイツ、偽物ってこと!?」九条が叫んだ。

「詐欺じゃないか!」中井谷が騒ぐ。

「待て。一人の人間に複数人で成り済ますのは禁じられているはずだ」風坂すらも動揺を隠しきれない様子だった。

 そこでまるで風坂や視聴者の疑問に答えるようにエノスが再びカメラの前に躍り出る。

「ご心配なく! 彼女と本物の雪永妃咲は別人物の戸籍を所有しております。彼女たちは同じ名前、同じ職業で働いているだけなのです」

「モニター越しに彼女たちを観る皆さんには、彼女らの違いなど判るはずもありませんが!」

 ケナンの続けた言葉が引っ掛かり「?」と風坂が繰り返す。

 雪永は周りのアンドロイドがこれだけ騒いでも、棒立ちのままだった。ただ顔から血の気は引き続け、汗がボタボタと彼女の足元を濡らしてゆく。

「彼女のハードなスケジュールはとてもひとりで回せるものじゃありません」

「歌って踊れる雪永妃咲」ケナンが鼻歌交じりにステップを踏む。

「お芝居上手でドラマや映画の撮影に勤しむ雪永妃咲」エノスが喜劇でも演じるように大仰に言う。

「バラエティ番組を盛り上げる雪永妃咲」エヴァは美しく笑い。

「仕事を得るために偉ぁい人と親密になる雪永妃咲」アダムは熱を怯えた声で唱えた。そこで、ずっと立ち尽くしていた彼女のうちのひとりが顔をあげる。

「私は枕はしない! 枕をするのはじゃない!!」

 必死の形相で叫ぶ彼女の姿に、「いるのか、するやつ」と中井谷が引き攣った顔で零した。

「あんな最底辺の奴と一緒にしないで!! 私はまだ上位よ!!」

 いよいよ取り乱し、笑顔など忘れた彼女は金切り声をあげている。瞳孔は開き切り、興奮に肩が大きく上下していた。

「彼女は人気アイドルのとある一面。バラエティ専門、道化役の雪永妃咲なのです」

 エヴァの紹介に、また彼女はビシリと固まる。

「顔面にパイを受けたり」

 背後の巨大モニターにパイを顔にぶつけられる雪永の映像が映し出された。

「落とし穴に落ちたり」

 砂まみれになって騒ぐ彼女に、会場からまた笑い声が上がり始める。

「本物の彼女は汚いことも痛いことも大嫌い。汚れ仕事は別の自分に!」

 ドームでワンマンライブを行う本物の彼女の映像の横で、汚れてボロボロになった同じ顔の女が笑顔を顔に張り付けておどけている。彼女は今、大勢の人々の視線に晒されながらぶつぶつと否定の言葉を口の中で繰り返し、ぐしゃぐしゃと痛む頭をかき乱していた。

「けれどまだ彼女はマシなほうでしょう。人前に立てる彼女でいられるのだから!」

 脳裏に過るのは自分と全く同じ顔と体でありながら、まるで人間でないような扱いを受ける彼女だ。自分はマシだ。笑われていればそれでいい。ああはなりたくない、ああはなるまい。イヤだイヤだイヤだ。どうしよう、バレた。汚れ役だと知られた。それでも彼女でいられる時間は今まで皆がチヤホヤしてくれたのに。

 ハ、ハ、と短く呼吸しながら雪永は正面を見た。

 カメラのレンズの向こうにいるであろう無数の人々の視線を感じる。

 今彼らは”誰”を見ている? 今、私は”何”として見られている?

 細く白い喉が引き攣ってキュウウと嫌な音を立ててゆく。


「クローン保護倫理委員会は黙ってないだろうな」

 控室で、風坂が痛ましそうな顔でアイドルでなくなった女を見て呟いた。そこには僅かな同情の念こそ含まれていたが、決して彼女の心に寄り添うようなものではないだろう。

「戸籍が別であれ、クローンを奴隷のように扱うのは違法ですからね」

 斎藤もウンザリしたような顔でぼやく。

「それもあの子がここから出られたらの話じゃない? ……だってオリジナルの雪永妃咲じゃないんでしょう。価値、下がるんじゃない?」

 痛烈な苦情の意見は、しかし今まさにモニター前で国民の一部が抱いたであろう感想だった。

「だが完全な成りすましではない。一部の仕事は彼女自身が担っているんだろう」

 世間的なアイドル”雪永妃咲”という概念の一部を、ステージ上にいる彼女は担っていると言ってよいだろう。風坂の意見もまた同じように、彼女の存在に同情的な国民が擁護に考えた意見だったろう。

「なんであろうが偽物じゃないか。クローンなんだろう」

 保身のために彼女を敵としたい中井谷のその言葉は、結局は人々に根付いた価値観そのものであったし、

「人間のふり、してたんだ」

 言根の侮蔑のような呟きは、また誰もが抱くだろうと簡単に予想ができ、ステージにひとりきりのはずの彼女にも――まるで世間の声が津波の如く押し寄せたように声ならぬ声として届いていた。


「ッ、アアアアアアアアアアアアアア!!!」


 まるで地獄の炎に焼かれる罪人のような絶叫をあげ、全ての視線から逃げ出すように雪永は頭を抱えて蹲る。息が続かなかろうが、言葉にならない音を叫び続けて現実から逃げようとする女を足元に見下ろし、アダムは肩を竦めた。

「参加者たちも少しお疲れのようなので、休憩入りま~す」

「その間に本日のニュースをどうぞ」 

 変わらず美しく微笑むエヴァの言葉と共に、モニターはニュース画面に切り替わったろう。

 ステージでは今だに雪永の絶叫が響き続けていた。


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