第13話 九条千鶴


「なるほど。それであなたは、夜の蝶として輝いていったのですね」

 アダムの笑顔を睨み、九条はなまめかしく笑った。

「夜の蝶なんて聞こえはいいけど、実際はそんな綺麗なもんじゃないわ」


 九条のフリートークが始まっていた。

 控室のソファではうつ伏せになって動かなくなった言根の姿があり、他の六人は彼女には構わずモニターを見ている。

「誰あれ」雪永が言った。今まで散々、鬼みたいな形相をしてきた女が、今は美しく微笑んで、しなを作って座っているのだ。

 夜の商売をしているのはその風体から察していたが、いざそのモードを披露されると戸惑う。ガミガミうるさかった女が、今ではすっかり”大人の女”なのだ。


「けれど九条さん、お店でナンバーワンだったんでしょう?」

「どこまで調べてんだか」

 フッと吐息を溢して呆れたように微笑んでいる。彼女の手元にアルコールが見えそうだったが、現実は細い足に両手が添えられているだけだ。

「お聞かせ願えますか」

 なぜだかアダムまでなんだか艶めかしい表情をしている。対象によって態度や演出を変えているらしい。先ほどの言根と違い、どこかアダルトな照明になっている。

「別に。生まれも育ちも良くない女が、男に騙されて夜の世界に溺れた。そして調子に乗って馬鹿をやらかした。それだけよ」

「その鹿というのは?」

「…………、妊娠よ」

「おお、生命の神秘! 我々にはないものですからね。興味が沸きます」

 アダムは前のめりに話の続きを促した。

「父親だった男は逃げて、こどもを育てるだけの金も余裕もなかった」

 だから、とは続けなかった。しかし、彼女がどんな選択をしたのかこのステージを見ていた人間は既に知っている。

「それで仕方なく?」同情めいた表情で、それでもアダムは先を促した。

「仕方なく……。どうでしょうね。あの時の私はそんな風には思っていなかったかもしれない。ただ自分の世界が壊れてゆくのが恐ろしかったのかも」

 九条は過去を思い返して遠い目をしていた。

 自分という人間が何か大きく変わってしまう。それだけがただ怖くて逃げだしただけなのかもしれなかった。

 らしくもない自分に気づき、九条はすぐに口角を吊り上げ「それとも、仕方なかったといえば、少しでも聞こえはよくなるかしら」と微笑んだ。環境によって歪んだ哀れな人間に見られれば、この場で同情を得て選ばれることがあるかもしれない。

 けれども彼女はそれだけはする気になれなかった。今まで自分を幾度も追い込んできた、それがただのプライドだと分かっていても。

「それから先の話を」

「女の価値は何で決まるか。意見は様々だけど、少なくとも私のいた世界では年齢は重要だった」

 歳を誤魔化す方法はいくらでもあったが、業界に身を置く時間が長ければ長い程、余計な計算をしてくる連中なんていくらでもいた。

 人生が百年続くとしても、彼女のいる世界では彼女はもう散り際だったのだ。

「歳を重ねるごとにどんどんお客が減って、馬鹿な私はまた馬鹿をやらかした」

「その時の鹿が、今のお子さん?」

「……ウチの子を侮辱するのは許さない」

 蝶が獅子へと豹変する。

 今にも牙を剥かんばかりの女に、アダムは慌てた風に謝った。

「おや、すみません。そんなつもりは」

「馬鹿は私。また計画性もなく妊娠してしまった。しかも父親は誰か分からない。おろすこともできた。……でも今度はそれをしなかった」

 すぐに調子を戻し、九条は坦々と我が身を語る。

「それは何故」

「赤紙が来ていたから。……マジカルナンバー7はルール上、妊婦のステージ登壇は認められていない」

 妊婦は、二人の計算である。

 自身がどれほど保身的な道に走ったか自覚している。しかし九条は、言根とは違って自身を奮い立たせるように背筋をよりピンと伸ばした。

 だがアダムはまるでモニターの前にいる人々の反応を代弁するように、驚愕した表情で、まるで腫れ物に触るように恐る恐る言った。

「それは、利用したってこと? その、……自分のこどもを」

「……そうよ」

「悪いことじゃない。人間は誰しも保身のために――」

「後悔していない」

 わざとらしく庇うような口ぶりのアダムの言葉を、九条は強く遮った。

「あの子に逢えたから」

 初めが保身のためだろうが、なんだろうが、今はもう関係がない。あの子を初めて腕に抱いた時から、自分にとってその命は自分より大切なものになったのだ。

「……私はいつかこのステージに立つ日、お前は必要ないのだと言われても仕方がないと思って生きてきた。選ばれなかったとしても驚きゃしないわ。でも、今は守りたいものがある。私はあの子を育てなくちゃいけない。ッ、だから例え私に価値がなくたって、叶うからどうかあの子のために――」

「もしもの際は専用施設でお子さんを受け入れますのでご心配なく!」

「――……」

 にっこり笑って親切に遮られたその声に、九条の瞳から光が消えた。

 笑みを真似て細められた人口の目玉から視線を逸らし、震えそうになる足を見下ろす。

「そろそろ時間ですが、何か言い残したことは?」

「………………なにもないわ」

「貴重なお話ありがとうございました」

 今回の登壇者である八人の中で、彼女は明らかにこの内輪で好感度が低かった。

 しかしいくら性格が良くなかろうが、こどもを守ることに必死なのだと知れば、アダムの司会に打ち砕かれる様に同情の念を抱いてしまった。

 虚脱状態でステージを去る九条をモニター越しに見送り、須和が「……血も涙もないな」と呟く。殺人鬼のその言葉に「アンドロイドですから」斎藤が言った。

『風坂治虫さん、次、登壇お願いします』

「はい」

 エヴァの声が控室に響く。

 風坂は眼鏡の位置を指先で直し、フンと中井谷を見て笑ったかと思うとつかつかと控室を出ていった。

 言根と九条の姿を見ても怖気づいていないその姿に、中井谷の眉間に皺が寄っている。

「エリートくんの番かぁ」

「お手並み拝見ね」

 雪永と柏原はステージに姿勢よく歩いてやってきたエリート青年を見てそう言った。

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