第11話 控室


 ステージのすぐ裏にある登壇者控室で、すすり泣きがずっと続いている。

 部屋には大きなテーブルと椅子が八脚。二人掛けのソファがひとつ。鏡がひとつ壁にかけられており、ケータリングに数種類の菓子が用意されていた。その菓子に手をつける者はひとりもいない。

 アンドロイドと、カメラの向こうにいるであろう無数の視線からようやく逃れることのできた安堵からか、それぞれ度合は違うものの肩から力が抜けているようだった。

 そんな中、先ほどのコーナーの終いに名前を呼ばれることのなかった言根は椅子に座る気力もないのかカーペットの上で団子のように丸まっている。顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らし、鼻水を垂らしながら呻いていた。

「ぐすっ、うう、もう駄目だ……」

「ひきこもりってのが効いたんだろう。社会貢献もせず、ただ息をしているだけじゃ、人類の進化に影響なんかするわけないからな」

「うううううっ」

 コップに水を入れて飲み干した後、風坂がまた嫌味な顔でそう言った。エリート街道を行く、自分とは正反対の男の言葉がぐさりと刺さり、言根は息もろくにできないんじゃないかというくらい泣きだしてしまう。

 あまりにもその姿が哀れに思え、柏原は表情はほとんど変えないものの、努めて優しい声で言った。

「言い過ぎじゃないかしら。ねぇ、あなた泣かないで。まだ始まったばっかりじゃない」

「だったらあなたが外れてくださいよ!!」

「あら」

 二番目に名前を呼ばれた優勢な人間には何を言われても、それもまた嫌味だった。泣き叫ぶ言根に、柏原は傷つくでもなく目を丸めるだけである。

 優しさを反故にされた彼女を見て、風坂は「この場で同情は禁物だ。いつ我が身になるか分からない」と告げてやる。同じ、人の上に立つ者、に対してのだった。

 ショーが始まった頃には比較的他人に同情的だった中井谷も、今ではもう沈黙しているだけだった。

「……本当にそうなんですかね」

 と、声を溢したのは意外にも斎藤であった。

「ロボットに従っている公務員が言えることかしら」

 どの口が言うのだと九条が目元を引き攣らせる。

「ピリピリするのやめましょうよ」

 雪永が場を治めるように笑顔をつくって、明るく言った。

「アイドル様は余裕があっていいよな」

 そう言ったのは、中井谷である。

「あ、ひどい。サインあげませんよ」

「そんなもんもう興味ないから。……選ばれさえすればもうそれでいい」

 散々自分にお近づきになろうとしていた男のそんな言葉に、雪永は拗ねたような顔で長い足を組みなおした。

 再び訪れた沈黙の中、柏原はそういえばなぜ自分たちはこの控室に通されたのかを思い出した。

「それで。私たちで次のコーナーを決められるらしいけど」

「ああ」風坂も、そうだった、というように瞳孔を開いた。

「何にするの?」

「特技披露だろ」中井谷が言った。

「妥当だが、賛成しかねる」

「なんで」

「評価が読めない。アンドロイドの判断基準は人間とは違う。IQ診断テストは?」

 名案とばかりに眼鏡の奥の瞳をきらりと輝かせた風坂に、「絶対イヤ!」と九条と雪永から罵声が飛ぶ。

「どう考えたってお前に有利だろ。ふざけんな」

「数字として優劣が出て明瞭じゃないか」

「ボールルームダンスはどうかしら」

 中井谷と風坂が再び顔を突き合わせそうになる間に入り込み、柏原は提案した。

「……、ここは面白おかしくクイズ対決とか」

 雪永の提案に「何ソレ、正解数が多ければ順位があがるっての?」と九条が鼻の頭に皺を寄せる。

「バラエティ的にはクイズの正解よりオイシかったら正解だけど」

「ボールルームダンス」柏原は言った。

「審査ドロイドがそんな番組プロデューサーみたいなこと考えるかよ」中井谷が言う。

「ボールルームダンス」柏原は言った。

「お絵描き対決にしてください! それならちょっとは自信あります!!」

「それじゃあマジもんのバラエティだろ」

 会話に喰らいついて来た言根に風坂が言う。

 いつの間にか六人は席を立って顔を突き合わせていた。公務員の斎藤と殺人鬼の須和だけが他人事のようにその輪を見ている。

 好き放題言いだした連中に、中井谷が不満げであった。

「結局みんな自分の得意なモンじゃん。じゃあ特技でいいだろ」

「ちょっと待って」

「なに」

 万事解決かと思いきや、キィキィ騒ぐ九条がまたトゲついて割り込む。まだ何かあるのかと中井谷はますます不満げに聞き返した。

「特技だとしてあんたら何を披露するの」

「ギターと歌」中井谷が言った。他の面子も続く前に、風坂が「待て、何故そんなことを聞く」と意図が読めず九条に詰め寄る。

「いくら自分の特技たって、自分よりすごいことを披露されたら不利じゃない」

「あー、確かにそうかも」

「あっ、ボールルームダンスっていうのは俗にいう社交ダンスのことで……」

「うるさいな!」

 話に入れてもらえない理由が分かったとばかりに声をあげた柏原に五人の罵声が飛んだ。

「温室育ちのお嬢様はアッチ行ってて。話にならない」

 今だけは九条のきつい言葉に誰もが賛成なようである。

 柏原を置き去りに再びヒートアップしてゆく論争。彼女はすごすごと輪の外にいた須和と斎藤の真ん中あたりに座った。それにより、それぞれひとりで座っていた彼らがまるで三人のグループのような構図になる。須和と斎藤は柏原を横目に見た。

「運動神経、芸術センス、いろいろ比べられて一石二鳥と思ったんだけど」

「……あんたそれ素で言ってんの?」

 柏原の呟きに(といってもこれは確実に話しかけてきている)、須和は思わず乗ってしまった。尋ねずにはいられなかった。

「優美なうえに競えるから、番組向きじゃない?」

 至極真面目そうに言われてしまう。庶民をおちょくるわけでもなく、この女は本気でそう思っているのだ。

「……普通はダンスなんてできないから」

「ええっ」

 柏原と同じくほとんど感情は顔に出さない須和だが、声音からは呆れが滲み出ている。

「そうですね。少なくとも僕はできません」

 黙って話を聞いていた斎藤も言う。

 柏原は驚いたように斎藤を凝視し、また須和に視線を戻した。

「踊れる?」

「踊れるように見えるか? あんた、人を見る目無さすぎ」

「そうかしら。あるほうだと自負していたけど」

「ないだろ。人をアイドルだの医者だの、まともそうだの」

 自分を見るだけで人は距離を取りたがるのだ。なのにこの女だけは、あまりにも普通に話しかけてくるのだ。

「だって、この中では一番まともそうよ」

「殺人鬼って聞いても?」

「あなたはこの中で一番考えていそう」

「……」

 柏原は須和を観察するようにまじまじと見つめて言う。

 かと思うと、再び視線を斎藤へと移し、言葉を続けた。

「あなたもね、公務員さん。沈黙の多い人ほどよく考えているものよ」

 斎藤は柏原には何も返さなかった。けれども、未だに次は何のコーナーにしてもらうかで言い合いを続けている五人へ視線を向ける。

「だから、特技披露でいいじゃねぇかよ!」

「お絵描き対決! お絵描き対決!」

「芸術系は明確な審査ができないだろ!! 学力テストがいいに決まってる!」

 斎藤は大きなため息をついた。そして吐いた分を取り戻すようにすうっと息を吸って声を張る。

「あんまりヒートアップしないほうがいいですよ」

「ウッサイわね。話し合いに参加する気がないなら黙ってなさい」

「そう、求められているのは話し合いだ。分かりませんか。今も審査対象ってことが」

「え」言根が息を呑んだ。

「CM、こんなに長いと思うか?」今度は須和が言う。

「あ」雪永がぽかんと口を開けた。

「ほら、カメラ」

「おおぉ……」

 斎藤が控室の天井隅に設置された隠しカメラを示す。

「彼らは僕らの人間性を知りたいんです。それには特技なんか見せられるより、こう

いう場を設けたほうがよっぽど意見や感情、性格なんかがが出ますからね。今こそあなたがたがしたい自分アピールをしたほうがいいんじゃないですか」

 説明会と同じように淡々と状況を告げられ、口論をしていた五人は黙り込む。

 風坂は眼鏡を指先で直しながら言った。

「……そのとおりだ」

「いやお前も騒いでただろッ」

「少し熱が入ってしまっただけだ」

 中井谷から視線を逸らし、風坂は居心地が悪そうにソファに座った。

 斎藤の仲裁により見苦しい言い合いは止まったものの、気まずい雰囲気は変わらずである。随分無様な姿を見せてしまったと自覚してのことだろう。

 雪永もアイドルらしくなかった自分を悔やみ、乱れた髪を鏡を見て整える。

 そして、ここまで状況が分かっていながらも何もしなかった連中に尋ねた。

「あの、だったらなんで参加しないんですか、話し合い」

「していいならするけど」

「あ。あなたには聞いてないですね」

 柏原がどこか嬉しそうに言うので、雪永はすぐに遮った。

「男性お二人です」

「なんだっていいので」と斎藤。

「……どうだっていい」と須和。

 その態度に「アイツらが選ばれなければいいのに」と九条が吐き捨てた。

「なあ、特技披露にしてくれよ。俺、苦労してギター持ち込めるか聞いたんだぜ」

「まさか質問ってそれ? ガイドブックに私物持ち込みのガイドラインがあったのに」

 柏原の言葉に中井谷は「え、まじで?」と返す。

 風坂が鼻を鳴らした。

「おめでとう。ずぼらが露見したな」

「お前が外されろ」

「もう特技でいいんじゃないですか?」

「うん。見られていると思ったら、これ以上話すのも怖くなってきた……」

「……まあ、ここで下手を踏むよりはマシかも」

 男二人の言い合いに雪永が疲れたように言った。先ほどまで言い合いで声を上げていた言根も、今じゃ監視カメラに背を向けて縮こまっている。すぐに頭に血が昇ってしまう九条もこの部屋にいる限り不利だと理解し、頷いた。

「じゃあ決を取ろう。特技披露で良い人は挙手」

 風坂が七人の前へと堂々立って言った。そして自分も手をあげる。

 中井谷、雪永、九条、言根、そして柏原も挙手をした。

 六人の視線が斎藤と須和に向けられる。あげろ、というその無言の圧に促され、結局二人も挙手するのだった。

「決まりだ。特技披露を選択します」

 風坂は監視カメラを見上げて宣言する。

 すると『それでは一名ずつステージにお戻りください』とエヴァの声が控室に響いた。

「俺、俺が行く!」

 中井谷は手を挙げ、反対の声が上がる前に控室からドタドタと出てゆく。

「彼、必死ね」

「一度外されていますからね。気が気じゃないんでしょう」

 柏原のぼやきに斎藤が続ける。

 控室の天井からモニターが降りてきた。言根がヒィと悲鳴をあげる。

 映されているのは先ほどまで皆が立っていたステージである。

 真ん中にスポットライトが当たったかと思うと、ギターを抱えた中井谷が精一杯の笑顔を作ってやってくる。

「中井谷武蔵、歌います!」

 彼はフーッと大きく息を吐いてから、きりっと眉を吊り上げた。

 精悍な表情でギターの弦に左手を添える。

 中井谷は歌いだした。

「えええ……」

「彼、とても必死なのね」

 決して上手いとはいえない素人程度のギターの腕と歌声を披露する中井谷に、先ほどまでの自信はなんだったのだと控室の風坂たちは思わず声を漏らす。

 柏原だけがまるで必死に吼える子犬でも見るような顔で、モニターを眺めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る