第5話 舞台ツアー

「これより皆さんをご案内致しますE-N0S1-Hです。舞台ツアーは、控室、通路、化粧室、各ステージのご案内になります。尚、ツアー中もご自身の登壇するステージ等は開示しないことをお勧めします」

 中性的な顔立ちにモデリングされたアンドロイド通称エノス型(左頬には型番がタトゥーのように刻まれ、黄色のライトケーブルが右耳から生え脊髄に繋がるように這わされている)は十五人の二十代の人間の前で淡々と告げた。

 同じステージに登壇する人間が誰か分からぬように舞台ツアーや身体検査などの工程はランダムに組まれている。今ここにいる十五人のうちに同じステージに立つ者は、一人か二人か、その程度の確率だ。

「同じステージに立つ人間が誰かはステージに登壇するまでは伏せる形となっております。ですので、初めに皆さんには指定された個室に控えて頂く形になります」

 個室という響きさえ使えばなんとかなると思っているのか。実際に目の前にあるのは、公衆トイレと大差ない小さなボックスのような空間がずらりと並んでいる。

「待機時間は十分程ですので、ご安心下さい」

 自分の存在価値を賭けるステージの登壇を前に、十分もこんな個室に閉じ込められてしまえば誰だって恐怖と不安を煽られるだろう。

 何人かがごくりと固唾を飲む中、風坂は冷静な表情で眼鏡をくいと指で持ち上げた。

 その後も三十分程かけて舞台ツアーが行われた。

「最後にAステージのご案内です」

 そう言って通されたのは、五百人近くが収容できるステージだった。客席には端から端までびっしりと人の影。その全員が眠るように頭を下げて、ピクリとも動かない。全てスリープ状態のアンドロイドだ。

「こちらも他ステージと概ね同じ構造となっております。控室は上手、ステージ登壇者から見て左手の奥の通路の先です。繰り返しますが、審議中にはステージと控室、その途中の通路のみ立ち入り可能です」

 エノス型は続いていくつかの注意点を口にし、十五人ひとりひとりと目を合わせた。

「番組は生放送となっておりますが、参加者の精神状態を考慮し幾度かの休憩を挟みますので、こちらもご安心ください」

 安心する者などもちろんいない。

「ここまでで、何か質問が御座いましたら」

 一人が勢いよく手をあげた。中井谷だ。

「解散後、身体検査や身辺調査等の待ち時間中に担当番号のサポートロイドのほうまでお願い致します」

 中井谷は頭を掻くふりをして手を下げた。

「ではこれにて舞台ツアーを……」

「やあやあやあ、こんにちは皆さん!」

 エノスの言葉を遮るように明るい声が弾けた。

 一体誰がそんな空気の読めない発言をしたのか声の持ち主を探し、いつの間にか十五人の後ろにいた存在に誰かが息を呑む。

「A-D7M9。我々の会話は予定に組み込まれておりません」

「いいじゃないか。挨拶は大事だ。何分?」

「二分」

「よしきた!」

 そう言って笑顔を作るのはA-D7M9、通称アダムと呼ばれるアンドロイドだ。

 マジカルナンバー7プロジェクトでは最も有名な機体のひとつである。

 端正な顔立ちにモデリングされており、左頬にはエノスと同じく型番が刻まれ、左耳からはオレンジ色のライトケーブルが伸びている。誰もが見たことのある銀色のベストと赤いネクタイ、黒いシャツとパンツ姿のショー開催時の姿だった。

「はぁい、皆さん。僕はA-D7M9、通称アダム。気軽にアダムって呼んでくれ」

 気さくな挨拶に返事をする者はいない。アダムは気にした様子もなく大仰に手を振って話を続ける。

「僕はこのAステージ担当なんだ。このステージはマジカルナンバー7が制定され、記念すべき第一回の二十代部門の審議が行われた場所でもある。そして何を隠そうこの僕も、その時からこの場に立っているのさ。何が言いたいか分かる? 要するにこのステージに立てる人って物凄くラッキーてこと。歴史の変わった場所だからね。この中にAステージになった人はどれくらいいる? なんてね、はは! 手はあげないほうがいいね。君たちの身の安全のために」

 風坂は視界の端でひとりの男が思わず手をあげかけているのに気づいた。

 馬鹿め。そう思うのと同時に勝利も確信する。彼もまたAステージの招集だった。回が重なれば負けることはない。

「僕も君たちと同じように、その時が来るまで楽しみにしてるよ。この中の誰が、僕と一緒にショーを盛り上げてくれるのか! よし、二分だ!」

 アダムはニカッと完璧な歯並びの白い歯を見せ、軽快な足取りでステージからあっさりと去ってゆく。人間の調子など気にもせず、一方的に喋って一方的に会話(になっていたのかも定かでないが)を終わらせてしまったアンドロイドに、十五人は大変な居心地の悪さを覚えた。

「それでは舞台裏ツアーは終了とさせて頂きます。各自、紙面に従い次の行動に移ってください。ありがとうございました」

 エノスはアダムが来る前と後、少しも調子を崩すことなくそう告げて頭を下げる。

 風坂は腕時計で時間を確認した。移動時間を逆算しても数分の余裕はある。

 カシャリ。

(大事なのはまずステージに自分を慣らすことだ。空間や空気を把握し、このステージに立つ時にリラックスできるよう……)

 じっと照明の位置や背後にある巨大モニターを睨むように見つめる。

 カシャリ。

 風坂は目を閉じ、心を整えるように息をフーッと吐き出した。

(司会アンドロイドが出てきたのは予想外だったが、悪いことじゃないさ。先にアレに遭遇したおかげでステージに立つ時の緊張が本来より緩和する)

 カシャカシャカシャ。

「………………おい」

 あまりにも煩わしいシャッター音の連続に、風坂は目を開けた。

 携帯端末でステージのあちこちを撮影している中井谷は、決め顔を作って巨大モニターの前でポーズを取る。

 風坂はもう一度「おい」と強めに声をかけた。

「はい?」

「静かにしてくれないか。こっちは集中しているんだ」

「集中? 何に?」

「……」

「まあいいや、ごめんごめん。こんなところ中々入れないから興奮しちゃってさァ! あの照明機材すごいよね。あのスピーカーも、あんなの普通のライブじゃ使わせてもらえないよ。ここに立つのがもっと別の理由だったら良かったのになぁ。あ、俺ね、音楽やってんの」

 中井谷は携帯端末をしまうとペラペラと博識ぶって、照明機材やスピーカーを指さした。

 ヘラヘラ笑う男に、風坂は黙って眼鏡の位置を直す。

 その行動を見て何を思ったか、中井谷はヘラヘラ笑ったまま風坂の肩に気さくに手を添えた。

「あ、緊張してる? 大丈夫。八分の一でも、それは選ばれない人数だ。そこいらの高校受験より確立は高いんだぜ。リラックスしてこうよ」

「緊張なんかするか。僕は例え、八分の一しか選ばれなくたって選ばれる」

「すげぇ自信」

 煩わしそうに手を払われても、中井谷はまだヘラヘラ笑っている。

「この日に備えて生きてきた。音楽なんて馬鹿なものやらないでね」

「そんなに言う? 俺たち今日初対面よね」

 中井谷は一瞬顔を強張らせたが、結局ヘラヘラ笑った。

「コレが終われば二度と会うこともない」

「街で偶然会ったら覚えとけよ」

 挑発的な態度に乗ることもなく、やはり中井谷はヘラヘラ笑う。

 その様子に風坂は鼻を鳴らし、最後に一言吐き捨てた。

「……分からない奴だな。君は選ばれないって言ってるんだよ」

 腕時計の時間を確認し、風坂はシミュレーションできなかったことを悔やみつつも、気持ちを切り替えてステージから去ってゆく。

「……アイツが選ばれませんように!!」

 ひとり取り残された中井谷は、遠のいてく背中にこそっと吐き捨てた。


◆◆◆


 この人と行動が被ってるなんてツイてないなぁ……。

 雪永はベンチの隅に座りながら自分の不運を嘆いた。

 彼女は配布されたタブレットを手に、自己意識調査のアンケートに記入をしつつ、身体検査の順番待ちをしている最中だ。

 第三診療室の前のベンチは雪永以外にも十人程の女性がまばらにベンチに座り、真剣な顔でアンケートに回答している。

「ねぇ、あとどれくらい待たされるの」

 不機嫌そうなその問いは既に三度繰り返されていた。

 タブレットを弄ることをとうに放棄した女、九条は眉間に皺を寄せて扉前に待機しているアンドロイドに詰め寄る。

 K-N42N-P(通称ケナン。男性型で、高身長にモデリングされている。緑色のライトケーブルも特徴のひとつだ)は顔の向きは変えず、人間とよく似た目玉パーツだけをくるりと九条に向けて言った。

「身体検査は順次行っております。もう暫くお待ちください」

 この答えも三度繰り返されていた。

「具体的な時間を聞いてるのよッ」

「申し訳ございません。正確な答えは提示できません」

「大体でいいのよッ」

「待ち時間はアンケートやご自身のアピールポイントの入力を……」

「そんなもんとっくに終わってんのよ!」

「左様ですか。多くの方はいくら時間があっても足りないと仰られるのですが」

 彼女たちと同じように待ち時間の間にタブレットに向き合っていた数人がギクリと肩を揺らす。中には冷や汗を浮かべて画面を凝視する者もいた。

「腹立つわね。少しくらい申し訳なさそうな顔をしたらどうなの」

「ご不快にさせてしまったのならば申し訳ございません。ご意見は今後のアルゴリズムに反映させて頂き……」

「ああもう、口きかないで。腹立つ。喋るなってデータに組み込んどいて」

「それは対応できかねます」

 九条の苛立ちのバロメーターが上がる一方、ケナン型は表情と声音も少しも変化させることがない。暖簾に腕押しとはまさにこのこと。

 九条はやり場のない怒りをなんとか舌打ちで消化しようとしたが、それに怯えるのはケナンではなく周囲の人間だった。

「あのさ、電話。電話したいんだけど」

 性懲りもなくケナンに話しかけた九条だったが、その内容に咄嗟に雪永も「あ、私も電話したいです」と声をあげた。

 ケナンはまたくるりと眼球だけ動かして二人を見る。

「原則、外部との通信行為は厳禁となっております」

「別にいいじゃない。特例よ。お客に連絡したいの」

「私もマネージャーに」

「原則、外部との通信行為は厳禁となっております」ケナンは繰り返した。

「でも大事なお仕事の打ち合わせについてなんですよ~」

「人間の個体の言う"大事"とは、大体においてこの場合の本当の"大事"には見なされません」

 さらりときつい返しをされ、雪永は意味を理解するのに数秒要した。

「……ひどい! 傷ついた!」

「申し訳ございません。しかし人類の未来のためには、人間個人の希望を優先することはできかね、九条千鶴さん。診察室へお入りください」

「あーあーあー」

 結局、九条の攻撃はひとつもアンドロイドにダメージを食らわせることもなく、彼女は苛立ちのままに声をあげながら診察室へと入っていった。

 空気を悪くする存在がいなくなったことで、何人かが安堵の息をつく。雪永もそのうちの一人だった。

 廊下の先からカツカツとヒールの音を響かせ、女がやってくる。遅刻者のひとり、柏原だ。

 雪永は柏原が耳に携帯端末を当てているのを見てぎょっと目を丸めた。

「あー、電話!!」

「していないけど」柏原はきょとんとした顔で携帯端末を耳からはずす。

「いやいやいや。駄目だよね」

「駄目ではありませんね」尋ねられ、ケナンがあっさり答えた。

 咎められない柏原を凝視し、雪永は「…………特例?」と思い当たる節をぼやく。柏原は携帯端末をしまうと、誰も座らなかった人気アイドルの隣に腰をかけた。

「アイドルなの?」

「えっ、まあ、はい。……えっ、私のこと知りません?」

 雪永は目を剥いた。

「ごめんなさい。情勢に疎くて」

「情勢って。これでも一応、オリコン入りとかしてるんですけど」

「ふぅん。凄いのね」

「そんなに興味が無さそうに言われたの初めてです」

「そう」

 どこまでも素っ気ない反応に「わりと自信あったんだけど、なんか不安になってきたかも」と雪永は顔を引き攣らせた。

「K-N42N、交代の時間です」

 エノスがやってきた。ケナンは目の前に立つエノスに視線を落とす。

「ありがとうございます」

「データの交換を」

「はい」

 そう喋る二体は人間の目からはただ姿勢よく立っているだけにしか見えないのだが、データ交換はつつがなく終えたらしい。

「ご苦労様です」というエノスの言葉を最後に去ってゆくケナン。エノスはケナンが立っていた場所にそっくりそのまま配置された。

「どうして挨拶するの?」

 見ていた光景に違和感を覚え、雪永は暇つぶしもかねて尋ねる。

「申し訳ございません。質問の意味を図りかねます」エノスが眼球だけをくるりと雪永に向けて発言する。

「ありがとうございます。ご苦労様です。あなたたちに必要とは思えない」

「挨拶は人間の美徳です。人間の好ましいところは学ぶようになっています」

「なんかもう、ほぼ人間だよね」

「それは褒め言葉でしょうか?」

「多分」

「ありがとうございます」

 全く嬉しさなど見られない無表情でそう言ったかと思うと、エノスの眼球がまたくるりと動いて廊下の先を見据える。

「あ、いたいた。あのさ、質問があるんだけど」

 足早にやってきたのは中井谷だ。

 エノスは彼の質問を聞く前に「ご質問は担当のサポートロイドにお願い致します」と告げる。

「え? でもさっき舞台ツアーで」

「確かに私は同型のエノスですが製品番号が異なります。私はE-N01-A。あなたの担当はE-N0S1-Hです」

「分かるかよ!!」

 哀れな中井谷は半ば悲鳴のように言い、芸能人の存在に気づくとすぐに笑顔を浮かべた。

「あ、さっきぶり」

「どうも」雪永もにっこり笑う。

「君も」

「一応なら声をかけてくれなくても結構よ」

「うっ」

 ついでを見抜かれた挙句、指摘までされ、中井谷は顔を歪めた。

「身体検査、もうしました?」

 その話題が意図的なものだったかどうかは定かではないが、気まずさから抜けるきっかけを与えられ、芸能人に話しかけられた嬉しさも相まって中井谷はすかさず答える。

「ああ。血液抜かれたり、細胞とられたり、なんか大きい機械みたいのに入ったりしてさ。本格的だった」

「えええ、怖い」

「そんなに痛くないから大丈夫だよ」

「雪永妃咲さん、診察室へお入りください」

「あ、はい」

 エノスに呼ばれ、雪永はにっこり中井谷に笑顔を向け、あっさり会話を切り上げて診察室に入っていった。

 中井谷はへらへらと嬉しそうに笑って雪永の姿が見えなくなるまで手を振る。そして、彼女が今まで座っていた場所に腰かけようとした。

「彼女となに話してたの?」

「担当のサポートロイドを探さなくていいの?」

「あ、そうだった」

 柏原の言葉で本来の目的を思い出し、中井谷は来た道を戻ってゆく。

 通路の途中の曲がり角で、彼はビクリと跳びあがった。

 一体何だろうと柏原が黙ってその滑稽な様子を観察していると、曲がり角から須和がやってくるではないか。

 だが須和は別に中井谷にこれといって何をするでもない。それでも中井谷はたじたじとしながら須和に道を譲っていた。

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