第4話 抽選

 担当官の斎藤がいなくなると、自然と説明会会場に会話が戻ってきた。

 大概が初対面だろうが(中には知り合いもいるかもしれないが、それが幸か不幸かは判断し難いところだ)、緊張を隠すためか、はたまた情報収集か、言葉を交わす者も少なくない。

『小林実さん、抽選会場へお越しください』

 次々と放送で名が呼ばれ、緊張した面持ちで隣室へ入ってゆく招集者たち。

 柏原も誰かと話がしたかったが、遅刻した上に本人にその気がなかったとしても担当官に生意気な態度を見せた者と進んで会話をしたがる者はおらず、彼女は自分から話し相手を探すしかなかった。

 一番隅の席で項垂れている猫背の女、言根に彼女は声をかけることにした。

「あなた大丈夫?」

「……え、あ……」

 気遣いの言葉をかけられ、言根は戸惑いの後に安堵の表情を見せる。

「……担当官の人、なんでなんにも言わないで……」

「あなたが意味のない、くだらない、中身のない質問をしたからよ」

 考えるまでもない答えを教えてあげると、言根はまるで裏切り者を見るような目で柏原を凝視した。

「理不尽だとは思わないんですか!?」

「それを叫んだところで何になるの。相手は感情のないロボットたちよ」

 答えたのは柏原ではなかった。

 九条は聞き分けのない幼児を見るような目で言根を一瞥する。その目つきに言根は顔を引き攣らせ、退屈そうな彼女の元に詰め寄った。

「その感情もない、機械なんかに自分の人生を決められるんですよ!」

「しょうがないんじゃない。末永く、人類が存続するためなら」

「しょうがない!? 人類が存続したって肝心の自分がッ」

 キャンキャンと噛みつく子犬に怯みもせず、目の前のテーブルに手を叩き落す。

「だったらアンタ、なんとかして他の方法で人類を存続させられるのぉ?」

 その方法を、ただの一般市民である彼女が持っているはずもなく……。

 黙りこんだかと思えば瞳に涙を溜めて震える言根を見下ろし、九条はフンッと鼻を鳴らす。

『九条千鶴さん、抽選会場へお越しください』

「はぁい」

 九条は優等生を気取るようにわざとらしく返事をし、隣室へと去っていった。

「…………」

 可哀そうな言根。質問を間違えたばかりに、こんな目に遭って。

「ねぇ、大丈夫?」

「……放っといてください」

 涙の光る眼で睨まれ、柏原はぱちくりと瞬きをする。そして「分かったわ」と頷いて、言根の立ち尽くす傍の空席に腰を下ろした。

 そうしている間も次々と呼び出しがかかり、招集者たちは隣室に消え、また現れる。抽選の終わったらしい九条が戻ってくる。

 出口の扉へ歩いてゆく彼女は言根と柏原が自分を見ていることに気づくと、嫌味っぽい笑みを浮かべて、足を止めることなく出ていった。

「気にすることないわよ」

「放っといてください……」

「あの人きっと緊張していて」

「放っといてくださいっ!」

「ねぇ、大きい声は周りの迷惑になるからやめたほうがいいと思うわ」

「~~~ッ!!」

 どこか迷惑そうに眉を顰めた柏原に言根が怒鳴りつけようとした時、「あのね」と男が会話に割り込んでくる。風坂だった。

「君みたいに自分のことばかり考える人間しかいないから、こういったプロジェクトが発足されたんだよ。独善的な人間である僕らは、冷静の権化であるAIが導き出す破滅の未来と、それを打破するための最良の策に理解を示すことはできないのさ。……まともな教育を受けない限りはね」

「……!」

 くいっと指先であげられた眼鏡の奥の瞳をニヒルに歪ませて風坂は言う。

『言根花さん、抽選会場へお越しください』

 名前を呼ばれ、言根は逃げ出すように速足で去っていた。

 どこか満足そうな顔で風坂が柏原に向き直る。

 柏原は今の会話を聞いていた近くの招集者たちが顔色を悪くしてゆくのに気づいていた。何も今の彼の言葉は、言根だけに向けられたものではなかった。

「ああいう連中に親切を働く必要はない。自業自得だよ。今までいくらでも時間はあったろうに努力もせずに生きてきたから、今になって切羽詰まってあんな無様な姿を晒す羽目になるのさ」

「あなたよく喋るわね」

「は? なに?」

「ほら、さっきも率先して発言していたでしょ」

「ああ、そっちもなかなかだったじゃないか。それに、君は他の連中と比べて随分余裕そうだ」

「それはあなたじゃなくて」

 そう言いながら柏原は、部屋の隅を沿うようにコソコソと去ってゆく言根を見送った。

『風坂治虫さん、抽選会場へお越しください』

 名を呼ばれ、風坂は自信を隠しもしない顔を柏原に見せつけて隣室へと消えていった。



 次々と誰かの名前が呼ばれてゆく中、中井谷はそわそわと隣に座る芸能人を気にしていた。今ここで声をかけなければ一生縁がないような相手だ。周囲の者たちは、先ほどの担当官の牽制もあってか彼女を遠巻きに見るに済ませているが、中井谷はそうはしなかった。

「あの~」

「はい?」

「もし良かったら、サイン下さい!」

「ああ、はい、もちろんいいですよ」

 テレビ越しに何度も見たアイドルスマイルに中井谷はガッツポーズを決める。

 しかし雪永はすぐに「ああ、でも書くものが……」と残念そうに肩を竦めた。

 説明会場に入る前に手荷物は預けてしまったし、テキストがあってもペンがない。

「じゃあ、せめて握手だけでも」

 中井谷は粘った。雪永は笑顔で「はい」と手を差し出してくる。

 白くて柔らかい手を両手で握り、中井谷はでれっと笑った。

 流石の好感度ナンバーワンアイドル。この調子ならツーショットも可能ではないかと、調子に乗った中井谷はすかさず携帯端末を取り出す。

「あと、写真とか」

『雪永妃咲さん、抽選会場へお越しください』

「ああ……」

 名前を呼ばれ、雪永は残念そうに眉を下げた。すっと手を引かれ、立ち上がった美少女に「応援してます」と中井谷は笑顔を向ける。

「ありがとうございます~」

 雪永はにこにこ笑ったまま頭を下げ、隣室へと消えていった。

 気づけば室内の人数は随分減って、閑散としているではないか。

 中井谷は有名人と握手した自分の手を写真に撮るとSNSを開いた。


【あの雪永妃咲と握手!!】


 投稿しようとして、通信行為は禁止だったと思い出し、下書き保存に留めた。

 仕方がない。ここを出た後で山ほど投稿すればいい。

 中井谷はネタになるものを探し、テキストを手にとると自分の顔の横に翳して、わざと険しい表情を浮かべて写真を撮った。その次は壁に貼られたポスターの横で。(抽選番号を何度も頭の中で繰り返しながら戻ってきた風坂は、まるでゴミを見るような目で中井谷を見て去っていった)。

 全身ショットも欲しいな、と中井谷は協力者を探した。一番近くにいた人に声をかけようとして、それが最後の遅刻者……、あの物々しい雰囲気の男だと気づき、中井谷は自然と後ずさりをする。本能的に敵わない気がしたのだ。

 中井谷は自分が声をかけやすい、悪く言えば自分より立場の弱そうな人間を探した。そして姿勢正しく座っている女性に声をかける。

「撮ってもらっていい?」

 声をかけられた柏原は差し出された携帯端末を素直に受け取った。

「いいけど、なんの写真?」

「SNSにあげるんだよ。人生でも五本の指には入るネタだろ」

「ふぅん」

 言われるがままに数枚中井谷の写真を撮った柏原だったが、果たして『第一講演開室』という表札の前でピースする姿や、机の上に寝そべって決め顔をした写真をネットで発信する意味はよく分からなかった。

「これでどうかしら」

「バッチリだよ! ありがとう! さっきツーショット撮れてればなぁ。でもさ、人気アイドルと同じ組み分けになる奴には同情するよな」

「何故?」

 やっと満足したらしい中井谷が着席したので、柏原もその隣に腰を下ろした。

「何故って。あの雪永妃咲に隣に立たれちゃ印象も薄くなるってもんだろ」

「そう」

「そうって……。まあ俺も? 結構自信はあるんだけどね。こう見えて色々やってきてんだ。ギターだろ、ヒップホップだろ、サーフボードにスノーボード。昔の人をリスペクトして東海道を旅してみたりもした。ロードバイクだが」

「そう」

「でも君も心配する必要はないさ。マジカルナンバーを外れるなんて余程の奴だ。普通に生きていれば、まずそんなこたないさ」

「普通が普通と呼ばれる所以は最もありふれたものだからよ。日本人の美点とされるそれが、果たしてこの場でも良いほうへと作用するかしら」

「…………」

 得意げに話していた中井谷はとうとう口を噤んだ。

 隣に着席した女は、真顔で中井谷の返事を待っている。視線を感じて振り返ると、あの異質な男もこちらを見ているではないか。

 中井谷は結局何も喋らないまますっと前を向いて、携帯端末を弄るしかないのだった。



『中井谷武蔵さん、抽選会場へお越しください』

「はい!!」

 と中井谷が弾かれるようにして立ち上がり、そそくさと抽選会場に入っていった頃には、いつの間にか名を呼ばれていないのは残り数人となっていた。

 柏原と、最後に入室してきた男須和と、その他男がひとり、女が二人。

 流石にこの人数でわざわざ会話しようとする者はおらず(なにせ内一人が見るからにヤバイ雰囲気の男で、もうひとりも担当官の神経を逆なでした女だ)、その場は沈黙に支配されていった。

『須和明弘さん、抽選会場へお越しください』

 柏原は最後の遅刻者が億劫そうに立ち上がるのをなんとなく眺めていた。入れ違いに中井谷が出てきて、須和と鉢合わせている。中井谷は硬直し、それからそっと道を譲っていた。

 まるで蛇に睨まれた蛙だと思い観察していると、ばちりと中井谷と目が合う。

 彼は気まずげな表情をすぐに消して、柏原の元まで歩いてきた。

「アイツおっかないよなぁ!」

「そう?」

 柏原は首を傾げた。彼女は決して彼をおっかないとは思わなかったからだ。

 中井谷はもう彼女の返答を気にしないことにしたのか、閉ざされた扉を振り返って話を続ける。

「でもどっかで見たことある気がする。まさかアイドルなわけもないし」

「移動しないの?」

「ああ、するする」

 中井谷はそうだったと出口に向かおうと踵を返し、またすぐ振り返った。

「ねぇ、君はギター弾ける?」

「いいえ」

「そうか」

 中井谷は頷き、また踵を返して、一歩進んだらまた振り返った。

「ヒップホップは?」

「いいえ」

「そうか」

 中井谷はまた頷き、またまた踵を返して、今度は散歩進んだら振り返る。

「じゃあサーフボードとスノー」

「行かないの?」

「ああ、行くよ。行く」

 移動する気配を見せない中井谷に尋ねれば、彼は笑って頷き今度こそ出口に向かっていった。しかし、きっと振り返るだろうと柏原は思った。

 案の定、中井谷は扉の前で柏原を見てくるではないか。

「東海道を縦断したことはないわ」

 尋ねられる前に答えれば、彼は「そうか」とまた頷く。

 笑顔の裏から不安が滲み出ているのを見て「すごいと思うわ。あまりそういうことをする人はいないでしょう」と素直に思うことを伝えてやると、彼は「そうか!」と笑顔を安堵の色に塗り替え、上機嫌に出ていった。

 気づけば残されたのは彼女ひとりだ。

 柏原はおもむろに携帯端末を取り出し、何度かスワイプとタップを繰り返してそれを耳にあてた。

「……。はい。きっと上手くやります。問題ありません」

 父の声に頷き、柏原は応える。

「ええ、絶対に。……!」

 視線を感じて振り向くと、いつの間にか戻ってきたらしい須和がこちらをじっと見ていた。彼の視線が自分の携帯端末に向いていると気づいても、彼女は平然と「何か?」と尋ねる。

『柏原五子さん、抽選会場へお越しください』

 須和が口を開くより先に放送がかかった。

 男が何も言う素振りを見せなかったので、そのまま何も言わずに隣室へと向かう。

 抽選会場にはポツンと一台の機械が置かれており、その横には斎藤とアンドイロドが立っていた。

 斎藤は入ってきたのが柏原だと知ると、どこか嫌そうな顔で言った。

「赤いボタンを押して。あなたの番号が決まります」

「抽選といっても私で最後でしょう。もう番号は決まってるんじゃない?」

「定められた手順通りにお願い致します」

 斎藤より先にアンドロイドが微笑みを作ったまま言った。

 まあいいけど。疑問を素直に口にしただけだった柏原はそれ以上何も言うことなく、赤いボタンを押した。

【A-5-7】

 機械から出てきた一枚のメモをアンドイロドが丁寧に手にし、柏原へと渡す。

「こちらの表記に従い行動してください」

「ええ」

 柏原は頷き、抽選会場から出ていった。

 まずは身体検査……と紙にある指示を見ながら講演会室を横切ろうとすると、視界に小さな紙が落ちているのを見つける。

 捨てられたゴミにしてはそれは綺麗に四つ折りにされていた。

 自分が抽選会場へ入る時にはなかったはずだ。ということは、これはあの須和という男が落としたものになる。

 柏原は屈みそれに手を伸ばした。

「抽選が終わったら早く移動を。あなたが最後ですよ」

 紙きれを手にする前に後ろから叱責が飛ぶ。

「それは、どうもすみません」

 抽選会室から出てきた斎藤に素っ気なく謝罪し、柏原は退室した。

「…………」

 残された斎藤はたった今彼女が立っていた場所まで歩いてゆき、落ちていた紙きれを拾う。カサリと開いたところで「斎藤保一さん」と背後から声をかけられた。

「ああ、今向かいます」斎藤はアンドロイドに背中を向けたまま、メモをポケットにしまった。

「定められた手順通りにお願い致します」

 無機質な言葉を聞き、斎藤は息をひとつ吐き出してから白衣のもう片方のポケットに手を突っ込んだ。そこから取り出されたのは赤い封筒。

 斎藤に赤紙を差し出され、アンドロイドはスキャンする。

「それでは抽選会場へお越しください」

 アンドロイドの後に続き、斎藤は再び抽選会場へと足を踏み入れていった。

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