最終話:陽の輝きは誰のために

 ◇ エピローグ ◇


 細かな砂利が、真っ白の道を形作る。緩やかなカーブを描いて分かれ、また遠くで重なり合う。芝生の海を征く船の、順風満帆な航路へ光が射すように。


「庭園の宿って文句、まさにって感じじゃね」


 右に左に、先を進む燈子のスカートがくるくると回り続けた。招かれたこの場所の景色を思えば、さもありなんと納得だが。

 美しく刈られた松の木、陽輝の腕よりも大きな錦鯉の泳ぐ池。最奥には神殿めいた建物が厳粛に控える。これほど本格的な日本庭園に足を踏み入れたのは、初めてだ。


 さらに建物の反対を向けば、瀬戸の海がすぐ先へ広がる。沖へは悠然と厳島いつくしまがそびえた。

 それらが一度に、ぐるりと自分を取り囲む。これには素直に賛辞しか出てこない。


「うん、綺麗じゃ」

「え、ウチのこと?」

「あー、うん。キレイキレイ」


 ここのところ珍しくなくなった軽口に、わざと抑揚をなくして返す。すると燈子も「わーい」と平たい歓喜の声を上げる。

 もう少し真面目な風で聞いてくれれば、こちらも真面目に褒められた。学校でも通学途中でもなく、日常と違う場所で見る制服姿はまったく別物に見えた。


 髪もなんだか複雑な形に結ばれ、真珠のような装飾が付いている。相手が誰だろうと、苦心したおしゃれを称賛するくらいの心得はある。

 大好きだった――いや今も好きな女性以外を、と遠慮する必要もない。朱里と星空を見上げたのは、もう二ヶ月前のことだ。


「わあぁ、綺麗じゃ」

「ハイハイ、分かりました」


 今日はしつこく言い続けるパターンだろうか。砂利を撥ねさせながら、燈子は走り出した。

 反射的にいなしてしまったが、妙に実感の篭った気もした。無邪気なものだと微笑ましくも呆れても思いつつ、行く先を視線で追う。


「あ……」


 陽輝の脚が、ぴたり止まる。腰も、肩も、腕も。目を向けた格好のまま動けない。

 そこに、美しく光が溢れていた。足下は青く、腰は朱で、胸から肩は橙と黄。金糸もたっぷりと使われた、豪奢な花嫁衣装。

 一身に陽光を受け、朱里は輝いていた。


「ははっ。あははっ」


 なぜだか笑えてしまう。最初にこそ目の奥へ熱が宿ったけれど、嬉しいと思った。燈子と話す顔が、とても幸せそうだったから。


「ハル、なにしとるん。早う来んさい!」


 幼馴染が手招きをする。朱里とは二、三度話したくらいだろうに、周りを跳ね回りながら。

 勧められた通り、誘って良かった。一人で来ていたら、この先へ足を動かせなかったかも。

 先とは違う失笑を噛み殺し、陽輝は再び歩き始める。


「朱里さん、ごめんね。うちのお父さんも誘うてくれたのに」

「急に誘っちゃったから。お仕事で先約なら仕方ないよ」


 茶席、だろうか。赤い毛氈の敷かれた長椅子と、影を拵える大きな野点傘。

 この先に料理を並べるテーブルが用意されているので、来客を迎える場所としての演出らしい。


 辺りにはまだ、会場のスタッフと見える人々しか居ない。やはり着物姿で、パーティーというより披露と呼ぶに相応しい。


「ありがとう。それで、お父さんから伝言。お祝いに行けなくて申しわけないけど、朱里さんが困ったときには必ず駆けつけるから。いつでも言うてくれって」

「そんなことを? お気持ち、凄く嬉しいですってお返事しておいて」

「うん。ハルに言うてくれたら、本当に頼まれるけえね」


 正しい伝言の有り様から、目を背ける。するとそちらにも、あまり正視したくない人物が居た。

 黒い羽織の凛々しい北条が、会場の奥から戻ってくる。引き連れていた男性スタッフと少し話して、一人だけで朱里の隣へ立った。


「やあ陽輝くん、ちょうどだったみたいだね。それと一緒ってことは、きみが燈子ちゃんかな」

「そうです。北条さん、ですよね。カッコええですねえ、よう似合におうてます」

「あはは、ありがとう」


 彼も楽しそうだ。先日もそれほど不機嫌そうではなかったが、やはり比べるべくもない。

 朱里と二人、纏った雰囲気も含めて似合いだと思った。悔しいが、この二人は夫婦になる。


「ほらハル。モタモタしとるけえ、朱里さんだけに話す時間がないなったじゃろ」

「うっさい。北条さんが居って困る話なんかないわいや」


 囃しているのかと思えば、燈子は素直に言ったようだ。変に笑うでなく、やれやれという顔をする。


「ああ、そうだね。危ない危ない」


 対して北条は、軽く握った拳を鳴らす。右と左、それぞれを。

 いかにも冗談という笑みを作ってはいるが、この男の表面は信用ならない。


「危なくないですって。ていうか北条さん、朱里ちゃんを置いてどこに行っとったん」

「ん、ああ。料理の配置をね」

「そんなんまで決めたんです?」

「いやむしろ、拘ったのがそこだけなんだよ」


 朱里よりも準備に時間のかかるはずはない。どこで遊んでいたかと、意地悪を言ったつもりだった。もちろん本当に油を売っていたとも思わないけれど。

 だというのに、北条は真顔で答えた。どこまでも陽輝の思うままにならない男だ。


「へえ、どういう風にです?」

「シンガポールでね、新郎は新婦から五つの味を食わされるんだ。酸っぱい、苦い、辛い、甘い、塩からい。その苦難に耐えられたら、晴れて結婚できるっていう」

「苦難って言うほど甘いって、どんなんですか……」


 甘みだけでなく、他のどれも歓迎できない。まさか今日の宴に並ぶ料理は、全てそういう趣向なのか。ならば空腹で帰る覚悟もしなければ。

 会場を盗み見た陽輝の肩を、北条は強く叩いた。


「あははっ。大丈夫だよ、そこまでやるのは昔のことさ。今は、妻の家の味を知ってくださいってことに変わってる」

「ああ、そういうことなら分かります」

「悪ノリの好きな友人とか居たら、その限りじゃないらしいけどね」

「じゃあ今日はなにも食べんで帰ります」


 そんなことを言い出す時点で、悪ノリの素質は十分だ。ダメだこりゃとばかりに表情を歪めて見せる。


「もうハル、冗談に決まっとるじゃろ。そんなにはぶてんの」

「トーコに言われんでも分かっとる」

「あははっ。二人とも面白い」


 笑わせるつもりまではなかったのに、朱里は声を上げて笑い始めた。すぐには収まらず、「ごめんね」と言いながらもくすくすと息が漏れる。


「まあ冗談はともかく」

「言い始めたのは北条さんです」

「五つの味はね、これから食べる物の全て。つまり、愛する人の一生全てを呑み込むって意味なんだそうだ」

「愛する――言われてみると、なるほどって思いますね」


 歯の浮くような言葉も、北条が言えば説得力があった。宴の料理として出すのも、朱里の一生に責任を持つと宣言の意味と取れる。

 それなら腹が裂けてでも食い尽くさねばなるまい。


「だろ? 恋は自分の中の気持ちに向き合うこと。愛は相手からの気持ちに責任を持つこと。だから永遠に巻き込む覚悟がないと、続かない」

「恋と愛の違い――」


 それはシンガポールの迷信なのか。それとも北条の考えなのか。どちらにせよ、重い一撃だった。

 あの夏休みをどうして想い出にすればいいか、まだ持て余している。彼はそこに答えをくれたのかもしれない。


「うわあ、北条さん。そういうクサイこと言う人なんです?」

「そうなの燈子ちゃん。タクちゃんてね、真面目な顔して変なことばかり言うの」

「おいおい女二人で、勘弁してよ」


 呆然とした隙に、北条がいじめに遭っていた。ハッと気付き、思わず笑ってしまう。


「なんだ、きみまで敵に回るのか」

「北条さんの味方になったことは、今のとこ一度もないけど?」

「ひどいな。せっかく燈子ちゃんとの将来のためにアドバイスしたっていうのに」

「なっ!?」


 窮地から、すかさず陽輝の上位へ。返答に困った陽輝に、燈子までが襲いかかる。


「なになに。ウチがどうかしたん?」

「うっさい、なんもない」


 聞こえていたくせにしらばっくれる。こんな風にふざけていては、真面目な話ができないだろうに。

 さておき笑ってばかりの朱里も頼りにならない。ここは逃走が最善の手と思えた。


「お、お迎えの準備とかあるんでしょ。俺も荷物置いたら手伝うけえ、また後で」


 腕に絡みついてくる燈子を引き剥がし、会場へ足を向け。ほとんど朱里と話せなかったが、まだまだ時間はあるはずだ。

 しかし後ろ髪引かれる思いに気付いたか、彼女のほうから声がかかる。


「あっ、ハルくん」

「ん、え。なに朱里ちゃん」

「あのね。今日凄い頑張ったんだけど、どうかな」


 花嫁衣装の袖を広げ、ちょっと腰をひねってみたりする。後頭部に、今まで見えなかった金色の髪飾りも見えた。


「あ、うん。ええと、凄いよう似合っとると思う。たぶん俺、朱里ちゃんより綺麗な花嫁さんを見ることはないと思う」


 女性を美しいと褒めることに、語彙が足らなかった。どこかで聞いたような言葉かもしれないが、しかし心の底からそう感じた。


「良かった。あたし今日ね、凄い幸せな気持ちなの。ハルくんのおかげだよ」

「……そっか、良かった。朱里ちゃん、おめでとう」


 もう限界だ。この場に留まることが、今はできない。「後で」と言い残し、陽輝は会場へ入った。

 その背中で、今度は燈子を呼ぶ朱里の声が聞こえた。


 スタッフが荷物を預かってくれる会場の隅で、やっと振り向くことができた。遠く離れた朱里と北条の前に、母や祖母、伯父たちの姿が見える。


「ねえねえ、ハル」

「なんやトーコ。荷物はそこで預かってくれるけえ」


 この幼馴染に気遣いという言葉はないのか。まあ変に遠慮して、黙っていられても困るが。

 燈子はつかつかと目の前までやってきて、顔を突き出した。唐突にキスでもされるかと思う勢いで。


「どっ、どしたんや!」

「なに? これ見てえや、朱里さんにもろうた」


 幼馴染は、自身の首すじを指で示した。耳の後ろへ、きらきら光る物がある。どうやら金色のアクセサリーだ。


「今日使おうと思ったけど、収まりが良うなかったんじゃって」

「へえ」

「へえって。もうちょっとなんかあるじゃろ」


 太陽、いやひまわりを模った髪飾り。和装に合わせようとしただけにかんざしだが、制服姿の燈子にもおかしくはない。


「うん、さっきよりもっと良うなった。可愛い」

「えっ、可愛い言うた?」

「可愛いもんは可愛いけえ、そりゃ言うじゃろ」


 いつもなら「でしょ」と調子に乗るはずが、燈子は黙った。

 まあまあ、今はそのほうが助かるのが本心だ。また自分の気持ちが落ち着いたら、幼馴染の話も聞いてやれる。


 もう少しだけ、今年の八月を噛み締めていたかった。決して忘れることもないだろうが、今だけは。


―― 恋をするなら八月に限る 完結 ――

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恋をするなら八月に限る 須能 雪羽 @yuki_t

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