4―3

 かぐやが戻って来てからの目覚めは最悪の一言に尽きる。

「うう………………」

「三八度七分。風邪というか熱というか」

 体調不良である事は間違いない。自分の体の事は自分がよく分かっている。貧乏暇なしの切り詰めた生活、私の体は年に数回、片手の指で収まる程度の確率で体調を崩す。

 本来であれば気合いでバイトが入っていない日まで見て見ぬふりをして、休みになった瞬間盛大にボロボロになる所を……昨日の一件のせいで癇癪を起して風邪を引いたみたいになってものすごく子供っぽい……。

 加えて、ボロアパートは絶賛真夏の太陽にあぶられて内部はサウナを超えて灼熱地獄。例年通り今年も最高気温を更新したのか……これだと夕方の出前までに治るかどうか……。

「ねえかぐや、アンタの膝枕氷枕くらいにひんやり出来ない訳。もうぬるいんだけど」

「最低限その星の生き物をトレースする機能があるから〇度は厳しいかなぁ」

「どうでもいいところで融通がきかないわね……」

 美女の膝枕で介抱されている。字面だけで言うなら非常に贅沢をしている事になる。それこそ金持ちが膝枕専用の奴隷を雇うみたいな。かぐやの土塊の肉体は本来であればひんやりと気持ちいいのだけれど、私の体温とアパートのせいでもうすっかり人肌に。残念やら、変に安心して気持ち悪いやら……。

「いっそ竹林に移動しようかしら。アンタの能力でサマーベッドでも作って……ひんやりと快適そう」

「気温的な意味だとアリだと思うけど、弱っている状態だと虫とかが怖いかな。オススメは出来ないよ」

「じゃあ前に目とか体をほぐしたみたいに肉体改造の要領で治癒出来ない訳? イースの技術は優れているんでしょう……」

「今回の体調不良の場合だと、むしろ体をほぐしたのが原因でドッと疲れが出た感じかな。ほら、普段からボロボロの肉体を少しだけ補強してもすぐに疲労しちゃうじゃない。最近でこそ栄養も休養も取れて、体重だって増えているけど、蓄積したダメージまではどうしようもないかな。どうしてものであれば方法は無くも無いけど――」

「止めて、遠慮しておく」

 ただでさえエイリアンに寄生されるなんてゾッとする体験をしたのだ。これ以上短絡的に肉体改造を受けて、その果てに不定形の化け物に、なんてなったら困る。

「おとなしく、ジッとしているしかない訳ね……」

 せめて秋くらいに倒れれば、それこそ何も考えずに布団の中で丸まっていられたのだろうけど、この暑さだとタオルケットすらぬくい。まったくかぐやのせいで本当に何もかもが狂ってしまう。休もうとは思うのだけど……眠れない……。

「……ねえ、アンタどうやって復活出来たの?」

「それ聞いちゃう? もう終わった事だし今日はひとまず休んだ方が……」

「休もうと思っても、それこそアンタの膝が氷枕にならない限り……暑い……。起きてヒマしてるのもアレだし……私がこんなんになったのも、半分はかぐやのせいなんだから、あの、監察官とやらについてもきちんと説明しなさいよ……」

「うーん……」

 双丘をなめて思案顔のかぐや。別にかぐやにとって地球人に自分たちの事を一から十までなんでも説明する義務なんて無い。むしろ説明することで任務の邪魔になるのであれば言わずもがな。

 でも今回は引き下がるつもりは無い。イースの中途半端な催眠術が私に教えた。かぐやたちが起こした行動は大なり小なり地球人の、私の生活に刻まれるのだ。自分の生活を……心を守るためには傍観者では無く役者として舞台に立たなければ意味が無い。

 私は……今度こそかぐやと向き合わなくちゃいけない。

「……まずはバックアップについて。なんとなく予想出来ていると思うけど、私は母星から十分にバックアップを受けられない以上現地で生き残るために相当な工夫をしなくちゃいけない。精神体のままならその惑星の人間が精神体の場合や、精神に干渉出来る技術を持っていない限りそれこそ幽霊のように誰にも手出しされずにのびのびと調査出来る。

 ところが、一度活動体を得ると少し状況が変わる。肉体を得ると、例えば自分が操作するゲームのキャラに感情移入しちゃうみたいな。痛覚もあるから、修復不可能なレベルで活動体が破損すると場合によっては死の疑似体験をする事になる。この高負荷の体験を回避させるために、私達調査員は命綱として強制帰還プログラムが用意されている。調査員が私の最初の活動体を破壊したのはこのプログラムを利用して……地球は遠すぎて向こうのスイッチ操作で私を戻せなかったんだろうね。荒っぽい手段に出たのはそういうことだと思う。

 ただ、そうなるとなかなか調査を進めることが出来なくなる。近場の惑星なら死亡直後にもう一度活動体を用意できるなど母星のバックアップを受けられるけど……星の位相によっては同じ時間、同じ場所に座標を設定できないし、同じ星に二度と行けない事もしばしば。これが辺境ならなおさら。このせいで何度悔しい思いをした事か……情報は着実に集めないと本当に価値が無くなってしまうからね。

 だからこそ、私は接触した現地の知的生命体にバックアップを施す戦略を思いついた。記憶や身体データを収集する傍らで、活動体が崩壊した時に精神体が乗り移れるようにするプログラムを独自に開発してね。地球で上手くいくかは分からなかったけど、エリの協力のおかげでなんとか成功したって感じかな。あの日クレーターに行ってくれなかったら、正直な所間に合わなかったかも。本当にありがとう」

「……バックアップも万能じゃない、ってこと?」

「一応論文も提出したんだけど、この技術を必要とするのは多分私と監察官たちを含む五人だけ。少数の天才しか使えない技術なんて開発側からしたらリソースの無駄だからね。あくまで抜け穴的な技術。母星との命綱を一度切ってつなぎ合わせるだなんてスリリングな事、とりわけ通信が遠い地球だともう出来ないかな」

「……」

 かぐやは本気だ。本気で、命がけで、恋愛を体得しようとここにいる。説明の時の無表情で、何の気なしに言っているけど……普通そんな事出来ない。私だってお金のためならなんだってやれるけど、さすがに命までかけられない。そんな事子供でも分かる。それなのに知的好奇心のため、使命のため、母星のためかぐやは……かぐやは本物のバカだ……。

「かぐやはそれだけ本気なのに……母星はなんで監察官なんて物騒な物を……」

「さあ、今頃になって死ぬのが怖くなったんじゃない? 人口減少なんてだいぶ前から警鐘されていたのに、何とも都合がいいというか。基礎研究が一番重要なのにみんな目に見える結果が欲しいんだろうね。それで近眼になって……どんな技術を使ったのか知らないけど、彼ら四人を地球まで転送出来たのは凄いと思うよ。だいぶ窮屈そうだけど、それだけ広範囲に調査範囲を広げられるのであれば未知から可能性を拾い上げればいいのに。私を近場の、調べつくされた星に派遣するなんてそれこそ母星の寿命を縮めるに等しいのに」

「こんな時まで他人事なのね」

「調査員の性かな。過ぎるとどんどん現実感というか、元の肉体がどうでもよくなる。正直エリの隣が一番居心地がいいよ」

「そんな言葉で絆されると思ったら大間違い……って肉体! アンタあれだけ派手にバトって帰らなかったなら母星が大変な事になってんじゃ……。アンタの本体は――」

「大丈夫。母星側も地球にもいきなり襲ってくる事は無いよ。結局私達は腐ってもイースだから、確かに関係各員は慌てているだろうけど、まず何が原因で私が帰ってこなかったのかの検証、次に監察官に掴ませておいた私の恋愛に関する研究の中間データの解析が入ると思う。わたしたちは『なぜなに』に弱いからね。起き抜けに襲ってくる事は無いよ」

「でもそれって!……」

「ああ興奮しない。エリったら自分が病人だって分かっていないんだから」

 起き上がろうとする私をかぐやは膝枕へと抑え込む。でもこれが落ち着いていられるだろうか。あれだけ派手な帰還をやってのけたのに、かぐやにまた危機が訪れるかもしれないだなんて……。

 いや、危機じゃない。前提が違う。これはイースにとっては当たり前の事。SFのセオリー、地球人と宇宙人とでは結局お互いの間に流れている時間が違う。

 母星がかぐやの中間報告を読んで不要と判断すればあのつぎはぎ液体金属は再び飛んでくるし、仮に「恋愛」を必要な物と認めても……あくまでミッションに過ぎない。かぐやは次なる知的好奇心を満たすためにすぐにでも別の星に飛び出していくだろう。

「体温、なかなか下がらないねぇ……」

「……」

 熱を測るために額に乗せられた手。それのおかげで幾ばくかの冷静を取り戻せる。その度に彼女の肉体は私の熱を吸収するけど、きっと私の想いまで伝わる事は無いのだろう。かぐやの体は一人でその辺をふらふら歩いていればあっという間に熱が冷める。作りものの、かりそめの肉体とは好奇心を満たす宇宙人になんとお似合いなことか。同族にまで無関心な彼女が今取っている行動は善意なのか、それとも少女漫画の看病シーンの再現なのか。

「ううっ……」

「今消化にいい物作って来るから。まだ体辛いでしょ。ゆっくり寝ていて」

 ……いや違う。そうじゃない。私に必要なのはかぐやが私に何かしてくれることじゃない。そんなこと期待していたら両親の二の舞、三の舞だ。私とかぐやはあくまで取引相手、最初から割り切った関係。私が欲しいのは、私に最も必要なのはかぐやとの関係を納得のいく形で終わらせる事……。

 時間が惜しい。一分一秒も無駄にしたくない。こうして横になっている間にも、監察官たちはかぐやをどう処分するのか最効率で動いているのに……肝心の体が言うことを聞かない。

「あつい……」

 どうしようもないか……。今日一日だけは、ゆっくり休まないといけない……。

「バイトは代わりに私が出ておくから、エリはゆっくり休んでいなきゃダメだよ」

「アンタ変な所だけは気が利くんだから……」

「エリは守銭奴だもんね」

「うっさい! で、アンタに私の代わりが務まるわけ……って、私の記憶を持っているんだから出来て当然か」

 あの日は私のカブプロだったけど。まあ宇宙人がやる事だし念力とか色々使ってやってのけたのだろう。ほんと、便利な奴らだ……。

「ふう……」

 バイトが何とかなりそう。それが引き金で睡魔が本格的になる辺り、本当に私だと思う。後の事はかぐやがやってくれるようだし……。

「………………」

 眠りについてしばらくすると夢が始まる。とはいっても、私が見る多くの夢はファンシーな奴では無くて、脳の記憶の整理、過去の再生だ。

 父親が消えて間もないころの小さな私の体が横になっている。ちょうど今みたいに、力尽きて仰向けに。貧乏が加速してから私の体は環境に合わせることが難しくて、中学に上がる前は結構な頻度で熱を出していたっけ。今の無理が利く私と比べると本当に頼りない。私にもこんな可愛らしい時期があったのだなと思う。

「……おかあさん……はぁ……」

 そう、あの頃は母親がいた。小さな頭が辺りを見渡す。そこには今と変わらないボロアパートの内装が。シングルマザーの我が家、当然私は鍵っ子で、母親は仕事中。子供が風邪をこじらせたからって親がいつも側にいれるわけじゃない。働かなければ明日のパンだって危ういのだ。自分の命だって……私は幼いながらもそれを無意識に知っていたと思う。父親が蒸発してからは特に、母親が必死に働いているのを見ると「助けて」なんて気軽に言えない。学校にだけは休む連絡をお願いして、邪魔にならないように、布団の中で歯を食いしばって耐える。弱音は本人がいない時だけ。他に選択肢の無い私はそうする以外に何も無かった。

 体調を崩すのは昔から嫌いだった。寝ていても何もする事は無い、熱くて寝るのも難しい、体力だけじりじりと奪われながら睡眠と覚醒を交互に繰り返す。生産性からかけ離れた布団の中のちっぽけな存在。出来るのは己の無力さを実感することだけ。酷い記憶だ。かぐやのせいであと何回、走馬燈もどきを見る羽目になるんだ……。

「エリ……エリ……」

 ん? なんだこの声。こんなの聞いた覚えが無いぞ……。

「……ん」

 夢の中の私がうっすらと目を開ける。自分よりも大きな体、そして今ではとっくに背を越してしまった人。輪郭がおぼろげだろうとその存在は直感で理解できる……!

「ごめんね、エリ。でも大丈夫。お母さん帰って来たから。側にいてあげられるからね。だからもう大丈夫。元気になるわ」

「……おかあ……さん」

 なんだこの記憶⁉ 私はこんなの覚えていないぞ!……いや、忘れていた……だけ? いやでも……理屈は合う。子供の頃の私はそれこそ一人じゃなんでも出来ない奴で……。

「おかあさん……」

「………………」

 私って奴は何でこう……幸せそうな顔をしているのだろう。後に手ひどく裏切られるというのに本当に、現金な奴。目先の幸福に酔っちゃってまぁ……。

 だからって私は……こんなものを見せられたからって両親を許す気は無い。私が体を崩したのも元をたどれば両親のせい、貧乏のせい。それを許してしまったら今ある私を否定する事になる。

 世の中にはだいぶ痛めつけられて、でもしぶとく成長して、今では一人で歩けるようになった。私はもうあの頃の、看病を待つだけの私じゃない。私の幸福は、納得は、今度こそ自分の手で……。

「大丈夫なの」

 過去の私が問いかけてくる。

「ええ、私はもう一人で歩けるわ。だからそれはアンタが独り占めしときなさい」

 過去の再生だけど、昔の私としゃべれるなんて夢……だったわね。今日の夢は、いつもよりもだいぶファンシーだったって事か……。

「んん……っ」

「あ、起きた」

「今何時……」

「午後四時、そろそろバイトの時間かな」

 かぐやは私の真似をしてTシャツにジーンズのクソダサい格好で側にいた。ほんのりとダシの良い香りがする。

「……うどん?」

「うん。月見庵のお出汁の味は完璧に覚えたから。エリはアツアツ大好きでしょう」

「あれはガンガンにクーラーの環境で食べるからいいのよ」

 半日ぐっすり眠った事で体も思考もだいぶクリアになった気がする。食欲も回復しているし、これなら明日には万全の状態に戻せるだろう。

 かぐやに支えられながら台所へ。そこには出来立ての月見うどんが。

「てかなんでうどんよ。月見庵じゃそばじゃない」

「あれ? 看病じゃうどんが定番でしょ」

 そういえば……ウチはおかゆよりもうどん派だったな……。

 ……かぐやのやつ、こういう所は本当にニクい。

「いただきます」

 あのスーパーのやっすい麺。どうせならつゆに合わせてお高い奴でもいいのでは。足の引っ張りようが凄まじい。つゆにしてもそば用であと一歩で風味が合わない。ミスマッチなことこの上ない。

 ……でも、あの頃を思い出すというか……食べていて安心はする……。

「……」

「何よ。病人が食事摂ってんのそんなに面白い?」

「いや、店長さんの言う通り、エリって本当に美味しそうに食べるなぁって。この顔が見れるなら、もう何度でも料理したくなるなって、そう思う」

「まぁ、味は悪くないわよ。良かったわね、地球で初めて料理を褒められた宇宙人になったわよ」

「てか、弱った所を襲った形になっちゃったけど、私の料理食べてくれるんだね」

「……まぁね」

 ひたすらにずるずるずるずるとうどんをすすって、つゆまで飲み干す。午後だろうと日はまだ高い。クソ熱い環境で、滝のように汗をかきながら我ながらようやると思う。

 これは、私なりの宣戦布告だ。意地だ。地球で繰り広げられるイースを巡る策謀。この舞台に役者として、一人の大人として参加するための儀式で――

「それだけ食欲があれば明日には本当に治りそう。地球人って、エリって本当にしぶといんだね。でも大事を取って今日のバイトは私が入るから」

「助かるわ。ありがとう」

「……エリが素直に感謝するなんて。風邪のシチュだと人間優しくなるって言うのは本当だったんだ!……これなら勢いに任せてもっと色々なことを……」

「そこ、最後の欲望聞こえているわよ! 私だって感謝くらい、ことお金に関わることならするわよ」

「ですよねー」

 お腹も膨れたし、これなら行動に支障はなさそうだ。私は見送りに玄関までついてゆく。

「じゃあ行ってくるね」

 扉を開いて前かがみの姿勢に。この辺でいいでしょう。

「ねえかぐや」

「ん?」

「明日デートするわよ」

「!?!!!?!?」

 かぐやはそれこそ少女漫画みたいに驚きあわてて倒れ込む。不意打ちが上手くいったのか、イースの言葉でパクパクと叫んで……へーアンタも可愛いところあるじゃない。

「ええっと、エリ、エリちゃんエリさん⁉ 今のは本当でありますか⁉」

 ――私のターン。関係各員、待っていなさい。今度は私が不敵に微笑む番よ。

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